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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第十部-】
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【-眠りから覚めて-】


 『下層部』施設の崩落を支えるようにそびえ立つ大樹。その洞の中、右手首から芽吹き、咲いていた青色の薔薇、その花弁の最後の一枚が別れを惜しむように散る。深い眠りに落ちていた少女は寝返りを打ち、続いて夢にでもうなされているかのような声を上げ、重い瞼を開いて行く。景色を見るよりも先に真っ白になるような日の光を受け、目が眩む。ずっと眠りに落ちていたのだから、ただの光であっても目は敏感に反応してしまうらしい。洞の中の薄暗闇に視線を落とし、徐々に日差しに目を慣らして行く。続いて、脳は睡眠から覚醒に至り、寝惚けてボーッとしていた思考が徐々に回り始める。緩やかに体の感覚も戻り、目覚めから来る欠伸をしつつ、洞から体を出して立ち上がり、大きく背伸びをした。どれだけ眠っていたのかは分からないが、それほど筋肉は落ちていないらしく、フラつくことも、体を重いと感じることも無かった。


「良い朝? ですねぇ」

 そんな気楽なことを言いつつ、右手首を少女は眺める。薔薇の花が散り終えたそこには、薔薇の茨が巻き付いて、存在を主張している。棘は手首に喰い込んでいるが不思議と痛みは無く、むしろ引き剥がそうとすると刺さっている部位の肉ごと持って行かれそうなほどの密着しており、更には不愉快に思うほどの異物感も無い。


「まさか薔薇に寄生されているから体を動かしていない間の筋肉が減っていても、大して違和感を覚えていないだけじゃないですよね……?」


 右手首の茨に問い掛けるように呟いた。しかし当然のことながら返事は無い。少女は溜め息をついたのち、グルリと辺りを見渡す。


 ここで起こったこと、そしてそれからのことを鮮明に思い出す。同時に、胸の奥が張り裂けそうなほどに心臓は激しく脈打った。


 ケッパーが死んだ。その事実を認識すればするほど、この胸は激しく痛むのだ。しかし、これは紛れもなく起こったことであり、もう引っ繰り返すことのない現実である。だからこそ、受け入れるしかない。

「大丈夫、大丈夫です。私は、そこまで弱い人間じゃ、ありません。だって、あのケッパーに散々な目に遭わされながら鍛えられたんですよ? 力に溺れず、心も強く。怯えず、震えず、自分らしくしていれば、きっとケッパーも天国で笑ってくれるはずです」

 最後に一言、「ありがとうございました」と付け加えて、少女は自身の衣服の臭いを嗅ぎ、続いて露出している肌の臭いも嗅ぐ。どれだけの日数が経過したかは定かでは無いが、少女としてはとてもではないが人前に出られないほどの体臭を放っている。たまらず衣服を脱ぎ捨て、下着だけで行動を開始する。露出狂に思われそうではあるが、こんな場所にはもう人は居ないだろう。なにより、丈の短いスカートをひたすら履かされていた経験もあって、今更、下着のまま歩こうがどうしようが、恥ずかしさというものを感じない。いや、感じはするが、赤面して悲鳴を上げるといった行動までの時間が間延びしたというべきだろうか。ともかく、全裸でなければ悲鳴を上げるのに一般的な女性よりも圧倒的な差異があるのは確かなはずである。


「この茨、服を脱ぐときに邪魔になると思ったのに、案外、スルッと脱げるものですね……もしかして、ちょっと意識を向ければ使えたりします?」

 呟きながら茨に意識を集中させてみる。茨の先端がピクリと動き、右手首からシュルシュルと解けるように、『下層部』施設の床まで伸びる。

「ん、意外と簡単ですね。ますます薔薇に寄生されている感が強まってしまいましたが」

 それでも自己意識があるのならば良いかと暢気に考えて、少女は尚も茨に指令を出す。

「見るのはさすがに……耐えられませんから。私の代わりに、外套を取って来てください」

 ケッパーの死体は少女が出て来た洞のすぐ隣にあるもう一方の洞にある。外に出たときも、そして衣服を脱いだときも意識してそっちを向かないように努めていた。埋葬したいという思いもある。だがそれ以上に、ケッパーはこのまま大樹の力で栄養として吸収されることを望んでいるのではという思いが強かった。そういう偏屈な男である。恐らくこの思いは間違ってはいないだろう。となると、死体から得るべきは外套である。ケッパーの後継者、とまでは行かなくともケッパーに鍛えられた討伐者である証明になる。


 しかし、時の経過によってケッパーの死体が腐敗していると仮定すると、とてもではないが少女には耐えられない。死んですぐならばまだ見ることもできただろうが、腐敗の進んだケッパーの死体など見てしまえば、あの男の生き様が無意味であったかのような錯覚に囚われてしまうような、そんな不安があった。


 だから茨に洞の中を調べてもらった。しかし、幾ら茨に意識を集中させても目的の外套が見当たらない。どういうことかと自らの目で確かめるべきだろうかと考えたのだが、茨から伝わる感触はあまりにもリアルで、ハッキリとしていたものだから恐らく目で確かめても、そこに外套は無いのだろう。


「誰かが持って行った……という可能性しかありませんね」

 けれど、ケッパーの死を悼む人が持って行くとは思えない。二十年前の生き残りとしてケッパーの傍に居たディル、リコリス、ナスタチウム、ジギタリスの性格を少女なりに分析してみるが、狂ってはいてもケッパーの外套を形見として持って行く性格をしてはいない。むしろ、その死に敬意を表し、外套を彼に被せるだろう。いがみ合っていても、相手のアイデンティティを奪うような、或いは誇りを奪うようなことはしない。

「雅さん、葵さん、誠、鳴さん……あとは、リィさん」

 続いて二十年前の生き残りが連れていた少年と少女たちの性格を分析する。それでも、やはりその四人がケッパーの外套を形見として持って行くような行為を取るはずがないという結論に至る。なにせ少女――榎木 楓でさえ、そのような畏れ多いことができないからだ。


 ならば、リィという少女はどうだろうか。あの少女の正体はギリィという特級海魔。そしてその本性は海竜というとんでもない存在だ。


「だからって、外套を取るとは思えないんですよね」

 楓はそれほど頭の良い方ではないが、人柄についてはよく見ている方だと自負している。リィに至っては人柄なのか海魔柄なのか表現が難しいが、とにかく外套を取る理由が見当たらない。それに、あの少女はディルや雅の言葉によく従い、よく懐いていた。二人が止めたならば、絶対に取りはしない。

「だったらもう第三者が取って行ったってことになりますでしょうか」

 自分が眠っている横で、墓荒らしの如くケッパーの外套を奪って行った第三者。それを想像するだけで、胸の中に楓でも知らない怖ろしいまでの激情が溢れ返る。しかし、大きく深呼吸をして、そのような黒い感情を遠くに放り出す。怒りや恨みで我を忘れるのはもうたくさんなのだ。なにより、冷静さを欠いてしまっては、また人を殺めてしまう。討伐者として、ケッパーに鍛えられた少女として、人殺しだけはもうしないと決めている。ケッパーもきっとそれを望んでいるだろう。


「山を降りて、都市の査定所で情報を集めた方が良さそうですね」


 となれば、脱ぎ捨てた衣服を茨に(まさぐ)らせて、討伐者証明書と金属の短剣を拾い上げ、手元まで引き寄せる。この二つがあれば他の荷物は置いて行っても構わない。予備の衣服は同じように悪臭を放っているだろうし、携帯食料や水も先行く物として確保してはおきたいが、実のところを言うと『下層部』施設が襲撃に遭った際、ここを出立する準備などまるでしていなかったため、荷物の中にそれらは入っていないのだ。

 だが、ひょっとすると、この大樹に支えられている崩壊し掛けの『下層部』施設のどこかに食料庫や貯水場があるかも知れない。いや、ここで生活したのはほんの少しの間であったが、楓の記憶が正しければ確かにそれらはあった。

 ならばシャワーを浴びることもできるだろう。火を使えない以上、冷水に違いないが体臭を拭い去れるのならなんだって構わない。そして衣服も探せば見当たるはずだ。そうすれば都市に顔を出せる。

 目的が決まったあとの動きは速い。体が(なま)っていないかを確かめるように俊敏な動きで屋上出口に向かい、崩落し掛けの階段を体重をあまり掛けることなく機敏に駆け降りて行く。降りるというよりも、落ちて行くの方が正しいかも知れない。手すりでブレーキは掛けているが、その速度は一般の階段を降りるという感覚を越えていた。


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