【エピローグ】
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首都の中心部にて、ベロニカが機械のスイッチを入れる。廃墟と化した首都の建物を押し退けて、道路は二つに割れ、そして地鳴りとともに地下に隠されていた雲をも貫く巨大な塔が少しずつせり上がって行く。
「ふむ、人間如きの技術をこうして学び、使わなければならないとはなんとも最悪な気分じゃのう」
そう呟きながら、せり上がる塔を眺める。
「地を穿つ根底の苑はどうする?」
「そんなもの、貴様の力で空けてしまえば良かろう? 窪みでさえあれば良いのじゃから。ああ、しかし塔を倒すでないぞ? あくまで塔の周りを抉り取るのじゃ」
「ああ」
スルトと会話を交わしたベロニカは王の帰還を感じ取り、右に体を向ける。
「忌々しい“現人神”などという異名をのたまった人間を殺すことはできましたかのう?」
黒い靄は人型を成すが、媒介が無いためか形を維持することさえ難しそうに見える。
「媒介にしていた人間の器を丸ごと消し炭にされてしまったよ。予備にと思ったもう一方も、ボクに体を渡すぐらいならと、死んで行った」
フェンネルの語意は少しばかり強く、ベロニカとスルトはその動揺に驚く。
「してやられた。あの“現人神”には器を壊され、そして“死神”にはボクの考えを見通されてしまった。実に……実に、忌々しい。もう器は無い。人の体を媒介にすることもできないというわけだ」
「どうか、お鎮まりを」
ベロニカの言葉に、フェンネルは鼻で笑う。
「いいや、鎮まってなどいられない。そして、人の体など、もう使うものか。そのような姑息な手段に出なければボクは戦えないなどと思っている人間どもに、制裁を加えなければならない。“影の王”としての体を用い、計画を遂行する。海を貫く深淵の庭は?」
「天を仰ぐ頂点の園――この塔が雲を貫き、立ったそののちに、海に円を描く大穴を空けましょう。人間どもの手によって、その深淵は造られております。“影の王”の手を煩わせるようなことはございません。そして、地を穿つ根底の苑も、スルトによってすぐに完成することでしょう」
「ならば良い」
フェンネルは黒い靄となり、首都の『上層部』を目指して飛び立つ。
「貴様たちの言葉など全て戯言だ。痴れ者の狂った言葉になど、なんの価値も無い。この世を総べるのはボクらだ。地獄で見ていろ、“死神”と“現人神”よ。貴様たちの遺した希望など、星の光にすら見劣りするちっぽけな欠片でしかないということを」
しかし、一つ疑問を零す。
「“鎖”とは、なんのことだ……“死神”?」
*
青空を見たことは無い。
空はいつも曇り空。
海の青など見たことは無い。
海はいつも澱んでいる。
清らかな水の流れなど見たことが無い。
水はいつも濁っている。
肥沃な大地など踏み締めたことは無い。
大地はいつも腐り果てている。
争わない人間など見たことが無い。
人はいつもなにかと争っている。
この世界で差別されない者は居ない。
なにかしら区別され、所属するヒエラルキーを決められる。
神様はどこにも居ない。
神様はいつも現れない。
神様に祈りを捧げたことは無い。
神様は願いを聞き入れてくれないから。
夢を持ったことは一度も無い。
夢を叶える世界では無いから。
希望を持ったことは一度も無い。
望んで世界が変わるわけがないから。
けれど、
でも、
『私』はこの世界に“生きている”。
こんなどうしようもない世界で、生きている。
整備されていない道路の片隅で、少女は一人、彼方に見える澱んだ海を見やる。着込んだ黒い襤褸の外套が腐臭に満ちた風を受けて小さくはためく。
短剣は曇り空に浮かぶ日の光を吸い込むかのように深く、そして黒く。
短剣は曇り空に浮かぶ日の光を追い払うかのように薄く、そして白く。
少女は瞼を閉じ、ありし日の想い出に身を委ねる。
やがて、決意したかのように瞼を開き、翻る。
向かうは首都。そこにそびえ立つ塔。
目はただ一心に、前を向いている。
その瞳の色は――銀。
【To Be Continued】




