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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第九部-】
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【-腐った世界と壊れた男-】


 エルリオと呼ばれたのはいつ振りだっただろうか。


 ファミリーネームを捨てた際に残ったのがエルリオだった。その時の綴りは今とは異なる。今はL・lioと最初のLで一度、切るようにしている。oに線を一つ足せばdになる。そして区切りを取って、逆から読めばDillとなる。ただ一人を忘れないために、ただ独りであることを刻んで付けた名であったのだが、少女に「エルリオ」と呼ばれたとき、少年の頃の感情が一挙に胸の中で溢れ返った。


 それは楽しいことだけではなく、辛いことの方が多いものばかり。『僕』だった頃に経験した苦しみの歴史。けれど、男は――エルリオは間違いなくそこに産まれ、そして間違いなく生きていた。そして今も、エルリオという少年の心は、胸の中で生き続けていた。


「俺の過去を知って、それでも『はい』と言ったのか、あいつは」


 ストリッパーを力任せに討伐し、次の海魔に向かう最中、エルリオは呟く。


「それを知って、それでもポンコツは俺の約束を破ることになっても、あいつを選んだ。俺の考えていることを、たった一言で全て理解した、ってことなんだろうな」


 常勝無敗の“死神”は一騎当千の活躍で、次々と海魔を討伐して行く。その動き、その強さ、そしてその変質の力の応用は、他の追随を許さない。クインテットであったときと変わらず、『金』の力の重複だけで圧倒するその強さは、もはや人間すら超越しているとも言える。


 ただし、“死神”にも疲労は存在する。どれだけ海魔を倒しても、どれだけ力を振るっても、それは無尽蔵ではない。戦い続ければいずれ荒が目立つようになり、そんな荒に付け込んで、エルリオを海魔たちは着実に傷付けて行く。


 痛みには慣れている。どれだけ傷付いても、もはやその痛みで体の動きが鈍ることはない。しかし疲労から来る動きの鈍りばかりは、どうしようもない。


「どうしようもねぇがなぁ!!」


 斧鎗を地面に突き立て、エルリオは叫ぶ。辺り一面を金属の床に変質したかと思うと、それらが一斉に刃物となって床から隆起する。刃物に地面から串刺しになった海魔は数え切れず、それでも尚、エルリオ一人に数え切れないほどの海魔が密集する。


 戦って戦って、戦って戦って、そして死んで行く。そんな人生を選んだのは、エルリオ自身である。だからこの痛みも、この苦しみも、男にとっては辛くもなんともないのだ。


 ただ辛いのは、胸の中にある美弥を救えなかった悲しみだけ。その悲しみに比べれば、どんな苦しみだって乗り越えて行ける。


 男は斧鎗を振るい続ける。リザードマンの鎗を突き立てられても構わず切り刻み、フロッギィの爪に引き裂かれようと構わず突き刺し、壊れた笑みを浮かべながら、酸のように肌を焼く海魔の血を浴びながら、狂気の舞を舞い続ける。終わりの見えない戦いの中、ただ一人、自らの存在を証明するかの如く、戦い続ける。


 どれくらいの時間が経っただろうか。やがてエルリオは、まるでネジの切れた絡繰り人形のようにピタリと動かなくなる。体中に受けた傷は数知れず、流れた血の量も定かでは無い。しかし男の左目の灯りは未だ消えておらず、動かずとも仁王立ちしているだけで残っている海魔は怯え、動けずに居る。


「化け物め」

 海魔の一匹から影が伸び、エルリオを見て呟いた。“影の王”は惨憺たる光景に、その一言しか零すことができない。


 ここには周囲一帯の海魔を集め、“死神”を襲撃させた。にも関わらず、おびただしいほどの海魔の死体が辺り一面に転がっている。それこそ足の踏み場も無いほどに。数え切れなかった海魔も、今は五十、六十程度にまで減っている。


「よぉ、“影の王”? ジギタリスに一杯喰わされた気持ちはどうだい? 人の体に寄生していたテメェも、いよいよ自分の体を使わなきゃならなくなったようだな」


「やはり、あの時、海竜に丸呑みにさせなければならなかったか」

 その一言に呼応するかのように男は左目を見開き、動かない体の代わりに地面から突き出した金属の鎗が“影の王”の憑依していた海魔を串刺しにする。


「そういうことだろうと思ったんだよ。海竜という海魔の始祖が、わざわざ辺境の村に現れて、たった一人を喰うのではなく丸呑みにするなんて話、どう考えたってあり得ないからなぁ」


「君はいつだってボクの策を壊す。どんな時においても、邪魔になる。まさにチェス盤におけるキング。どこにも向かい、どこでも力を振るう。だが、それももう終わりのようだ」


「終わり……? そうか、テメェはまだ始まりを見てねぇんだな。く、くくくくくくっ」


「なにがおかしい?」


「いいやぁ? 俺にはもう見えた。この世界の未来がなぁ。なんだ? “影の王”を名乗っておきながら、テメェには見えないのか? そりゃ残念だなぁ、フェンネル。既にテメェは、“鎖”が捉えて逃さず睨んでいると言うのに」

 フェンネルが憑依した海魔が影に呑まれ、僅かばかりの黒い塊となると、それが刃となってディルの胸を貫く。

「く、くくくくくっ、くくくくくくくくっ」

「笑うのをやめろ」

 フェンネルは次々と海魔を黒い刃に変えてエルリオに突き立てるが、男は嗤い続ける。


「この体に憑依するのはやめることだ。もうボロボロで使い物にすらならねぇからなぁ。ひょっとしたら、と思ってやって来たんだろう? くくくくくくっ、丸分かりなんだよ、フェンネル。テメェの狙いってのは全てお見通しだ。だから俺はここでボロボロになって死ぬんだよ。テメェに体を使われる可能性を潰すためになぁ」

「わざと、傷付いていたとでも?」


「そうでなきゃ、ここに集まっている海魔どもが俺に傷を付けられると思うかぁ?」

 男は嗤いながら、そう嘯く。


 体力の限界と、数の暴力。それら全てを包み隠して、わざと攻撃を受け続けていたのだと飄々と言い張る姿に、影の中に潜むフェンネルは狂気を感じずにはいられないらしい。


「だが、ボクの策を壊す君が死ねば、ボクらの勝利は決まったも同然だ」

「なにを勝利とするかは知らねぇが、テメェらに勝利なんて訪れやしねぇよ」

 嗤いながら黒い刃を浴び続け、そしてとうとうエルリオの瞳から光は消えた。


「く、くくくっ! くはははははははっ!! 怯えろクソ海魔ども!! テメェらがなにをやろうと関係ねぇ!! この世界は、この世界の全ては!! 人間の物だ!!」

 最期の光が男の左目に灯った直後、辺り一面に金属の刃が降り注ぎ、三十ほどの海魔が貫かれて息絶える。


 そうして、エルリオの意識は遠のいて行く。


 影はしばし生き残った海魔に憑依し、エルリオが生きているのか死んでいるのかを確かめたのち、黒い靄となってその場から消失した。二十、三十の生き残った海魔は尚も仁王立ちのままで居るエルリオに怯え、近付くことすらできずに周辺へと散って行った。


 闘争の果てに見つけたものなど無い。


 戦いの果てに得たものなど無い。


 一つとして、掴んだものは無い。


 それほどまでに戦いとは虚しく、闘争とは悲しいものなのだ。しかし、それに人生のほとんどを捧げた男の――エルリオの人生が決して虚しく、悲しいだけのものだとは誰一人として言うことができないだろう。


 男は生き、戦い、そして“死神”としてその力を人のために振るい続けた。その生き様を、その強さを目にし、救われた者たちは確かに居るのだから。


 男には救いがあったとは言い難い。男は守りたい者を守れず、疎まれ、そして産まれ育った村さえも滅ぼされた。そのような境地に立って、それでも人として生き続けられる者が果たしてどれだけ居るのか。


 それでも、最期に一つだけ救いがあったと、エルリオは思う。


 まさに、その一言、その名を口にしてもらえたこと。自分自身ですら忘れ掛けていたディルではなくエルリオとしての自分を呼んでくれたこと。それこそが男にとっては救いだった。


 見てくれていた。過去を知ってくれた。分かってくれた。理解してくれた。


 たった一人だけでも良かった。たった一人だけがエルリオのことを知ってくれている。それだけで男は、今生に悔いは無い。


 エルリオと呼んだ少女に感謝する。同時に、謝りもする。


 己が居ない世界で生きる苦しみを与えたことに。


 そして、己の居ない世界の未来を掴むための希望として立たせてしまうことに――

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