【-音は闇を招く-】
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「あなたの中に人格が統合されて行くのが分かるぅ? ねぇ、鳴?」
ジギタリスがマジョラムを切ったときから、鳴は意識を失った。
深い深い闇の中、鳴の意識だけが浮いている。浮かんでいる。水底に沈みそうな感覚の中で、自分自身ではない誰かの感情と強い力の波濤を浴び、意識は更に混濁する。
「これはね、鳴。あなたがあなたに至るための、いわばあの男の最期の仕事なのよ。“影の王”がどういった力を持っているかはともかくとして、いずれはこうするはずだった。いずれこうするはずだったことがただ一度に起こっているだけ。だって、あの男はどう転ぼうとこうなると分かっていたはずだもの。自身が死んでも、あなたの中で感情が爆発し、人格が暴走する。それを統合するのが、標坂 鳴という私であって私じゃないあなたの使命。そこに至ったとき、あなたの中で完成される人格が、果たして今の標坂 鳴を保っていられるかは別の話になるけれど」
「なにを、ゴチャゴチャと、言っているの」
「動けないあなたにラストチャンスをあげようと思っているの」
深い闇の中、鳴と同じ背格好の少女が現れる。闇は全てを覆い隠すものであるはずなのに、少女の姿だけはハッキリと視認することができる。
「ラスト、チャンス?」
「私の力を使いたいなら、あの男がストラトスという意識をあなたの中に統合したそのあとで、あの男の背中をあなたの短刀で突き刺しなさい」
「そんな、こと!!」
「できないの? できなかったら、きっとあの男はあなたを幻滅するわ。それに、あなたがしなくとも私がする。あなたが抵抗してやらないと言うのなら、私は私として、あなたの体を乗っ取って、それを果たす。自身の手でやるか、それとも私の意識に肯うか、さぁ、決めなさい。猶予はほとんど無いわ。ほらぁ、早く早く。でないと、どうしようもなくなっちゃうわよぉ?」
少女は嗤い、鳴を挑発する。そんな鳴の中にヒエログリフとカバーの感情が雪崩れ込み、再び意識は自身を圧迫して来る。
「私、は……」
「選ばないという選択は無いの、鳴。だから、早くこっちにおいで? 門は開いているわ。あとはあなたが足を運べば良いの。標坂 鳴が有する全ての人格の統合者として、こっちにね」
浮いていた意識が、体が急に重力を感じ、闇の中で鳴は両足を着く。
「そっちに、なにがあるの?」
「あなたが求めていないなにかがあるかも知れない。あなたの求めていたなにかがあるかも知れない。けれどそんなものは、こっちに来ないと分からないわよぉ? ほらぁ、迷ってないで、迷わないで、迷う必要なんてどこにも、無いでしょぉ?」
足がゆっくりと前に動く。しかし、深い闇の中に見えた門の前で、その足はピタリと止まる。
「どうしたのぉ?」
「……ストラトスの意識が、入って、来た」
ストラトスの意識が入って来たということは、ジギタリスが彼を打ち破ったということだ。そして、鳴の中に溢れて来る感情は、歩くことをやめろと訴えている。
「そぉ、ならもう時間は無いも同じねぇ。こっちにいらっしゃい?」
「嫌だ」
「……嫌? 嫌って言ったの、今? それじゃ私の力は貸せないなぁ。きっとあの男も幻滅しちゃうわぁ。それでも良いのぉ?」
「良くない」
「だったら、」
「お前がこっちに来い」
鳴は強い口調で少女に命令する。
「あっは……もう一度、言ってくれるかしら?」
「だから、お前がこっちに来いって言って、いるの。お前がその門を抜けてこっちに、来い」
「……あははははははっ、あっはははははははっ!! そんな言葉で、私があなたに従うとでも思っているの?! 愚図で、ノロマで! なんにもできない標坂 鳴が! 私のおかげであの男に拾われるまで生きて来られたあなたが!! この私に命令できる立場だと思っているのぉ!?」
「守ってもらっていたのか、守っていたのか、どっちが正しいのか、分からない」
「守って、いた?」
「私の中から出て行かないあなたを、私は守っていた。そういう解釈だって、できる。だって、ジギタリスにとってあなたは、“悪”だから。それでも私の中で私として残っていられたのは、私が私として前に出ていたから。そう、思うことだって、できる」
「……そういう考え方ができるようになったのねぇ……好きよ、鳴。そんなあなたが、私じゃない私が大好きよ。なら、私の名前を当ててごらんなさい。私と過ごした時間の中で、守ってくれていたというあなたなら、私の名前ぐらい分かっているでしょぉ?」
鳴はしばし悩み、それからゆっくりと少女の名を口にする。
「あっは! さすが私じゃない私! 良いわ、認めてあげる! あなたの強さを認めてあげる!! けれどそれは、私の言ったことをやってからよ?」
「ジギタリスの背中を刺す」
「ええ、そうよ。でないとあの男は“呪い”を使えない」
「……分かった」
少女が鳴に向かって門を抜ける。『音』は門の元に重なって、『闇』となる。




