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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第九部-】
289/323

【-嘘の執行-】


 男にとって一番最低最悪な事態が起きた。“ブロッケン”と呼んでいた頃から、フェンネルには人心を操る力があることを知ってはいた。しかし、ここに至って標坂 鳴の中に話し合いで封じ込んだはずの四つの人格が一同に放たれるとは想定外だった。そもそも、そのようなことはできないだろうと高を括っていた。どれだけ人心を操る力があろうと、鳴に入り込んでも引き摺り出せるのは精々、一つの人格程度だと思っていた。


 まさか影で標坂 鳴から切り離し、個々に仮初の体を分け与えることさえできるとは。


 だが、これは完全に男のミスである。そもそもフェンネルと面と向かって戦うのはこれが初めてなのだ。あらゆることを想定し、あらゆる可能性を踏まえ、それに対応できるだけの策を用意しておくべきだった。

「まったく、これだから海魔という生物は……」

 呟きつつ倒れて動かなくなった鳴の様子を窺う。首だけを動かして状況を呑み込もうとしているようだが、混乱しているのが見て取れる。そして僅かに開かれた口から見える舌には、悪魔を表す羊の紋様が浮かび上がっている。

「さぁ、君は、君を慕う少女を一体、何人殺すつもりだい?」

 フェンネルは不敵な笑みを浮かべながら後ろに跳ねながら下がる。半重力化にあるかのようにゆったりとした跳躍だった。どうやら靄が一つに集結しフェンネルとなっていても、この周辺は既に彼の者の手の内にあるらしい。

「あー、何年振りだー?」

 ダラしのない口調。そして刀の切っ先を地面に擦らせながら歩く様。変わっている点は持っている刀が標坂 鳴の成長に合わせてその長さも伸びているというところだ。

「ヒエログリフ」


「おー、憶えていたんだなー。意外と記憶力良いなー、お前」

「……そっちで銃を構えながらビクビクしているのは、マジョラムだな?」

「ひゃいっ! え、え、なんで? なんでそれだけで分かるんですか?」

 それは昔から、標坂 鳴の人格の中に居たマジョラムと変わらない挙動を見せているからだ。しかし、影から生み出された以上、あの銃の弾丸は無尽蔵と考えて差し支えないだろう。


「そういうことでしたら、カバーのことも憶えていますですです?」

「忘れるわけがないだろう」

 カバーは武器を持たない。それはカバー自身が変質の力に特化した人格だからだ。


「そして、最後に残った君は、ストラトスだ」

「けっ、俺様のことを憶えていたことは褒めてやるよ。けどなぁ、なんだこの状況は? なんで俺様以外の俺様が他にも居るんだよ」

 剣を携え、今にも切り掛かって来てもおかしくない殺意を放出しながらストラトスは愚痴を零す。

「久し振りの再会を味わってもらおうとは思ってはいないんだ。残念ながら、ねぇ」


 男を囲うように現れた標坂 鳴の四つの人格がフェンネルの言葉に反応して、ほぼ同時に空いている方の手で胸を押さえる。


「ぐっ、くっそー、意識……が、薄れて行く、ぞー」

「なんなんです!? 体が勝手に、動くんですけど!」

「カバーの意思に反してカバーの筋肉が、動いていますです」

「おいっ! さっさと説明しやがれっ! でねぇとまた俺様はテメェに切り掛からなきゃならなくなるぞ!」

 各々の動揺を見て、男はフェンネルが作り出した仮初の体によって彼ら彼女らの意識に反して自身に攻撃して来ようとしていることを悟る。


 しかし、四つの人格のどれもが男に攻撃することを拒んでいる。そしてなにより、“アレ”が出て来ていないことに気付くと、心を落ち着かせるとともに柔らかな笑みを作る。


 ならば、これは正しいことだ。標坂 鳴の中で四つの人格は、大成を果たしていた。なにを敵と見なし、誰を味方とするか。なにが正しく、なにが悪いことであるのか。


 そう、四つの人格はもう封じておく必要が無かったのだ。だとすれば、“アレ”もまたなにが正しく、なにが悪いのか、きっと分かっている。


 ならばここで男は最後の嘘をつこう。そうして人格を統一させたとき、ようやく標坂 鳴は“アレ”を従えるに足る強さに至る。


「やっぱり君たちを野放しにすることはできないという結論に達したんだよ。だから、ちょっと協力してもらって君たちを標坂 鳴から切り離してもらった。無論、君たちを始末したら“アレ”も始末するつもりさ。だから、消えたくないなら全力で僕を殺しに来ることだ。一人一人を相手にしていたらキリが無い。だから、全てを相手取らせてもらうよ。さすがに君たちと付き合うのは、飽いてしまったから」

「何年、カバーじゃないカバーと一緒に居たと思っているんですですか? そんなのはう、」

「ならしょうがねぇなぁ! 俺様も消えたくはねぇんだ! 生き残りたければ殺すしかない。なんてスマートで分かりやすいことなんだろうなぁ!!」

 カバーの言葉を遮るように大声をストラトスは発する。


 バレバレの嘘だった。しかし、その嘘があるからこそ彼ら彼女らは男と戦う理由を持つことができる。フェンネルに操られているということを抜きにして、自分という人格に素直に向き合い、消えたくないという願いと共に全力で男を殺しに掛かることができる。


 何事にも理由は必要なのだ。男がバレバレの嘘をつかなければ、不毛な戦いになるところだった。けれど、分かりやすい嘘であっても、それがあり得ないことだと分かっていても、真実かも知れない。そんな不確定な要素であっても、要因にはなる。戦う理由には事足りる。


 男にとっては、それで構わないのだ。


「あれから何年経ったかは分からないけれど」

 だからようやく男は本性を包み隠す必要も無くなる。

「今まで有意義な戦いなんて数えられる程度しか無かったんだ。どれもこれも、つまらなく、退屈で、下らないものばかりだった。けれど、ようやく全力を出して良い相手を見つけることができた。満たせよ、異常者ども。この僕の渇きを」

 炎の十字大剣を一振りして、黒い靄すらも吹き飛ばすような熱を帯びた炎を放ち、男は爛々と輝く赤い瞳に、一種の狂気を孕ませて動き出す。

「あんたのさー、そういうところがさー、出会った当初から大嫌いだったんだよなー!」

 切っ先を地面に擦らせながらヒエログリフが男の動きに合わせて来る。それは初めて標坂 鳴と会ったときよりも機敏であり、そして最短距離。更には切り上げも加速し、男の大剣とかち合ってもビクともしない強靭性まで備えている。だからこそ男は構わず何度も何度も、そして幾度と無く大剣をぶつけて行く。ヒエログリフがそのラッシュに耐え切れなくなり、大剣の振り下ろしを受けて大きく後退した。追撃にと走った男だったが、右側にマジョラムの姿を捉えてすぐさま体を翻す。黒の銃弾は止め処なく発射されたが、白の外套によって遮られる。しかし、以前のようにその全てが体を狙ったものではない。数発は男の頭部を狙っている。だからこそ翻る動作に合わせて男は身を屈めて転がらなければならなかった。体勢を立て直そうとしているところでストラトスに背後を取られた。彼――或いは彼女が放つ特有の殺意には慣れている。振り返らずとも、そこに立っており、そして剣を脳天に振り下ろそうとしていることさえ、目で見ずとも分かる。だから男は前方に更に転がって、この一撃を避ける。


 立ち上がり、翻りながら大剣を振るい、ストラトスに炎を浴びせようとするが、直前になって音圧の壁が形成されて、遮られてしまう。カバーによる防衛。攻撃にも転じる音圧の壁だが、この人数差を察して、彼女は攻撃では無く防御に重点を置くことにしたらしい。


 面白い。


 男は素直にこの戦闘に楽しさを感じていた。以前に戦ったときよりも、誰もが成長を遂げている。如実には現れていないのかも知れない。しかし、男にはハッキリと分かる。それは標坂 鳴の成長をずっと傍で見続けて来たからこその断言だ。

「こういう戦いをずっと待っていた」

 熱が入る。炎が呼応するように激しく燃え上がる。熱風が黒い靄を追いやって行くが、カバーの変質させた音圧の壁が四人全てを熱風から守っている。


 防御を崩すのが先か、それとも攻撃される数を減らすのが先か。


 そのような戦略を立てる暇などなく、ヒエログリフとストラトスが左右から男を攻め立てる。怖ろしくも早い剣戟と斬撃であれど、男は絶え間なく大剣を振るい、更には状況に合わせた絶妙な足運びで、どれもこれもを弾き、かわし、凌ぐ。

「カバー! コイツの動きを制限しろ!」

 ストラトスの指示が飛ぶ。カバーによる音圧の壁が男の前後左右に展開したことを炎が放つ熱の滞留によって読み取り、男は炎の十字大剣を地面に突き立て、それを足場にしてすぐさまこの音圧の囲いから脱出すると、更に新たな大剣を作り出し、右に左にと身をズラしながらカバーへと駆け抜ける。

「させません!」

 カバーを守るために男とカバーの間にマジョラムが銃弾の雨を降らす。男はフッと笑うと、すぐさま転じてマジョラムに走る。

「そんな! 私を狙っていたんですか?!」

 すぐさま銃口を男に向けるも、その銃弾が男の体を掠ることはあれど、命中することは決して無い。

「忘れんなよー!」

 下側から鋭く振り上げられる刀がマジョラムとの距離を詰めようとした男の元に奔り、足を止めざるを得なくなる。ヒエログリフが防御に回ったことを確かめ、マジョラムが援護とばかりに狙いを定めて銃撃を再開する。

「テメェもこれだけの人数を相手にしたら敵わねぇだろ!?」

 ストラトスが笑いつつ、剣を振るって来る。刀と剣、そして銃弾を避けるという無理難題をこなしつつ、男は優しく微笑み返す。


「僕はね、産まれたときから優秀だったんだよ」

 炎を放出し、ストラトスとヒエログリフを振り払う。

「けれど天才の苦悩を知らない連中はいつの時代にも居て、僕は優秀過ぎるからと、矢面に立たされた」

 十字大剣を地面に突き立て、切り上げる。三つの炎の閃撃が三方に展開し、尚も攻勢に出ていたストラトスとヒエログリフを下がらせるだけでなく、残りの一つがマジョラムに奔る。これをカバーが展開した音圧の壁が制する。

「それでも僕は、優秀過ぎる自分を一度も悔いたことはないんだよ。それを狂気と呼ぶか、それとも凡人には至れない境地と呼ぶかは定かじゃないけど」

 呟きながら男は炎の閃撃に紛れて音圧の壁の直前に立ち、クルリと一回転しながら十字大剣を横薙ぎに振るった。


 大剣は炎で出来ている。音圧の壁が遮るのはあくまで接触した部分。回転による勢いを乗せるだけでなく、炎の噴射によって速度も上げている音圧の向こう側まで伸びた剣戟はマジョラムの体を真一文字に切り抜いた。


「ここに至っても僕は、“君たちには”負けるつもりはない」

「私が、一番弱いから……だから、狙った、んです、か……?」

 まだ意識があるのかマジョラムが言葉を零す。

「逆だよ。遠距離からの銃撃は厄介なんだ。特に君たちの構成になると、銃弾一発が命取りだ。だから、君を先に狙ったんだよ、マジョラム。以前は装填数すらまるで分からなかった君を、そして狙いすらまともに定められなかった君を、僕は一番厄介だと評価した。だから、納得して消えてくれ」

「……は、い」

 マジョラムの体が地面に触れると黒い靄となって消失する。


「これで君は一人、君を信じてやまない少女を殺したってことになるけれど、どうだい? 最高の気分だろう?」

 フェンネルの汚い野次が飛ぶ。


「黙って見ていろ、クソ海魔。僕は今、最高に楽しい命のやり取りをしている。それも僕が鍛え上げた相手たちとだ。邪魔立てするなら君に相応しい最高の“呪い”をくれてやる」

 この戦いを、この高尚な戦闘を少しでも邪魔をするようならば。そんな男の異様な威圧感はフェンネルすらも黙らせる。が、本当にその威圧感が黙らせたかどうかは定かでは無い。しかしながら、彼の者の介入が行われない点は男にとっては好都合であった。

「続きだ。遠距離からの銃撃役が居なくなった。どう穴埋めをする? どう処理をする?」

 ストラトスとヒエログリフが視線を交わし、男の周囲を駆け巡る。攪乱に出たのだろうが男には関係無い。十字大剣の一振りで、辺りに熱風を飛ばし、彼らの動きに乱れを生じさせると、最も隙を多く作ったヒエログリフへと走る。


 瞬間、カバーの作った音圧の壁にぶつかった。男は弾き飛ばされると同時に、左から来たストラトスの剣戟を防がなければならくなる。想定はしていたが、以前のカバーならこれほど限界ギリギリのところに音圧の壁を作りはしなかった。そしてそのギリギリのタイミングに合わせて来るストラトスの剣戟はやはり鋭く、この体勢では対応し切れない。男の腕を刃が掠る。銃撃にも耐え得る外套ではあるが、やはり変質の力が混じった剣戟ともなると繊維が寸断されてしまう。それでも掠り傷、僅かに外套と服が切れ、皮膚が裂けて血が滲む程度。だが、少しずつ詰められている。一人減らしてもこれなのだから、早々にマジョラムを討ったのは正解だったらしい。


「どこを見ているんだー?」

 ヒエログリフの声が上空から聞こえた。カバーの作った『音』の足場を利用しての奇襲なのだろう。声を出したのは視線を上に向かせるため。

 となると、続いて繰り出されるストラトスの剣戟こそネックとなる。男はヒエログリフの奇襲を難なくかわし、そして次は右に回ったストラトスの剣を大剣で受け止める。

「こ、の、やっぱテメェは化け物だよなぁ!」

「標坂 鳴の中に巣くった化け物がよく言うよ」

 ストラトスはニヤッと笑い、男もまた微笑んで返す。ヒエログリフが地面を切り裂きながら刀を切り上げて来た。前方と左から来る斬撃と剣戟の嵐から逃れるべく、男は後退する。

 だが、それもまたカバーの作り出した音圧の壁に邪魔をされる。後退したはずが強く音の反発を受けて前につんのめる。そこに二人の刃が奔る。一つの刃は男の脇腹を、そしてもう一つの刃は男の左腕を切り落とした。激しい出血と痛みに男は歯を喰い縛りながら耐える。

 しかしながら、男はその状況下においても斬撃に意識を集中させていたヒエログリフの体を大剣で上下に両断させた。

「ちっくしょー、やっぱ敵わねー」

「一太刀浴びせることができたんだ。悔いなく消えて行け」

「はいはいー、けどそうやってるとあんたは最終的に――」

 最期の言葉を耳にしつつ、男はヒエログリフが消えて行く様を見守り、続いて残ったストラトスとカバーの二人をそれぞれ一瞥する。炎が出血の激しい左腕を無くした肩の切り口を焼き、止血する。自身が変質させた力は自身に危害を及ぼすことがない。しかし、この炎の処置は自身を危機に晒すわけでは無く、命を繋ぎ止めるための処置となる。そのため、男の炎は素直に切り口を焼いた。こういった応急処置はこれが初めてではないため、即座に決断することができた。


「次はどっちが先に消える?」

「テメェ、まだ戦う気かよ?」

「ああ、僕は君たちを消すまで止まらない」

 片腕を切り落とされても尚、戦う姿勢を止めない男に、ストラトスは哀れみの目を向けながら対応する。

「……そんなに私たちが憎いですですか?」

「下らないことを訊かないでくれ。誰が、いつ、どこで、憎いから消すと言った? 僕は、僕自身がどうなろうと、標坂 鳴のためを想っている。ひょっとすると、君たちのどの人格よりも、ね」

 そう答えた男を見て、カバーは小さな溜め息を零した。


「考えが見えましたです。そんな見え見えな考えに、乗りたくはないですですが、しかし、それを果たせるのは私ではない私でしか無いですです。だから、ストラトス……あとはあなたに任せますですよ」

 カバーはそう言って、男とストラトスの間に飛び込み、二人の剣戟を同時に浴びる。

「優しすぎるよ、カバー」

「でも、この優しさこそが私ですですよ」

 黒い靄となってカバーは消えて行く。その靄を払うように男とストラトスが剣戟の嵐を起こし、何度も何度も打ち合って行く。

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