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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第九部-】
288/323

【-四人-】


「大丈夫かい?」

 ジギタリスがボーッとしている鳴に問い掛ける。後ろを見ていた鳴は、まるで色々なものを追い出すかのように首を振り、続いてジギタリスの問いの答えとして肯いて見せる。

「心配はいらないさ。ディルには運が良いのか悪いのか、海竜が居る。そして、あの子も居る。“影の王”との接触までの時間さえ稼ぐことができれば、きっと首都に辿り着ける」

「心配は、そこじゃ、ありません」

「と言うと?」

「雅は、強いから……この前、廃村から帰って来たときからずっと、強い力の拍を感じていました。だから、ディルがもしも、ジギタリスと同じ考えなら……雅は、その力を押さえ付けることができるのか、と思っているんです」

「その点も含めて僕は心配はいらないと言ったんだよ」

 ジギタリスは鳴の歩調に合わせながら続ける。

「あの“死神”がタイミングを違えないわけがない。あの男は、そういう男だ。どれだけ空っぽな器に成り下がっても、時が来れば壊れた人形のように動き出すはずだ。なにに導かれて、なにを合図として動き出すかは分からないけれど。でも、あの男は空虚なままでは終わらない。なにかを遺して、死んで行く。あの子は、それに気付いていない、だろうけど」

 心苦しいかのように表情を歪めつつ、ジギタリスは言い切る。


 ディル、雅、リィの三人は既に首都を目指している。ジギタリスと鳴はその逆に向かって進み、“影の王”を挑発している。それももう二日を過ぎている。本当に“影の王”の視線をこちらに集められているのか、少しばかりの不安もある。もしも先にディルの方へと“影の王”が向かっていてしまっては、折角の作戦も台無しになってしまう。


 “現人神”と呼ばれるジギタリスを、彼の者たちは決して許しはしないからだ。

「どうして、“現人神”なんて異名、を?」

「『上層部』に押し付けられたのさ。僕は生きながらの殉教者であり、そして生贄みたいなものだ。“現人神”と呼ばれる人間が居る。ただそれだけで海魔の視線は僕を向く。その間、救いようのない連中たちは海魔の脅威に曝されることもなく、『上層部』としての研究を続けられる。その『上層部』も人魔なんて作り出そうとしていた時点で、腐っていたみたいだけれど。僕が『下層部』に配属になったときは、大層、嫌な顔をされたね。ただの生き残りというだけで『下層部』という地位に就くことが許せなかったんだよ、彼らは。だから、厄介払いの意味合いも強かったんだろう。この異名を持たせておけば、どうせいつか死ぬだろう。そういった期待を込めていたんだ……まぁ、その予想に反して生きているわけだ。彼らの予想通りに死にたくはなかったからね」


 その『上層部』の狂った思想に呑まれ掛けていたことに負い目があるのか、言葉の一つ一つは重たく、そして決して大きな声ではなかった。


「ジギタリスは、死にに行く、んですよね?」

「そうだよ、僕は死にに行く。君を道連れにするつもりは今のところ、無いんだけれど」

「……私も、死にたくありません」

「そりゃ良かった。僕と運命を共にするなんて言い出されたら、困っていたところだ」

 本当は、そう言いたい。しかし鳴にはそれを口にできるだけの力が無い。勇気だけではその言葉はジギタリスには届かないのだ。


 そして、恋をしていることを打ち明けても、ジギタリスにはやはり届かない。想いの強さが届かない。言の葉には強く載せることができても、それがこの男の胸の奥の奥に潜んでいる心には至らないからだ。


 奥の奥に潜ませた心は鳴には読み取れない。誰にも読み取れないようにして生きて来たジギタリスの闇を、鳴はまだ知らない。しかし、そんな闇を前にしても鳴はきっと、怖ろしくて声も出すことができないだろう。それぐらいジギタリスの闇は深いのだ。それはひょっとするとディルという“死神”が持つ分かりやすい執念よりも、掴み取りにくい代物かも知れない。

 しかし、ジギタリスの闇を計り知れない鳴が、一体、ディルの執念をどこまで知っているというのだろうか。それこそ雅の方が、ディルの闇の深さを知っているだろう。


 だから鳴はいつも、音に頼る。自身の力が周囲から拾い集める音に頼る。それは相手の脈拍――心音から嘘や真実を暴き出す力でもある。そのような相手の心理を勝手に覗き込むような真似はしたくはないのだが、この『音』の力とは物心が付いた頃からずっと付き合って来た。意識的にシャットアウトすることはできない。むしろ無意識に聞こえてしまう。


 だからジギタリスの言っていることに嘘偽りが無いことも見破れてしまう。この人はここで死ぬつもりなのだとはっきり分かる。嘘をついて自分一人助かろうなどという意思が欠片も無いことが正常な脈拍から読み取れる。どんな人間も嘘をつけば鼓動に乱れが起きる。それは本人が無意識であっても起こることである。嘘発見器にポリグラフが用いられているのもそのためだ。そして脳波はさすがに読み取れないが、鳴には声の波長ですら嘘か真かを聞き分けられる。天然にして優秀な嘘発見器を常々に周囲一帯の全ての人物に向けている。

 これを強みにできるのは海魔の動揺すら手に取るように分かるからだ。聞き分け、隙を見つけ、そしてそこに滑り込む。心臓を持っている者ならば人型である必要も無い。『下層部』施設を襲撃された折、空から飛来する海魔を避け、いなすことができたのはこの『音』の力による側面が大きい。超絶的な反射神経で避けたわけではなく、大きくなる心音から避けた。


 だが、問題は人魔に対してこの『音』の力が有効でないことである。人と海魔が合わさったことで心臓の拍と声の波長が乱れており、まるで心理を読み解くことができない。よって、“影の王”が『上層部』の狂った研究を引き継ぎ、今後も人魔を討伐者たちに繰り出すようであったら、鳴の『音』の戦法が通用しないことになる。勿論、『音』には波長の放出や音圧の壁の構築、果てには踏み台にするといった使い方もあるのだが、隙を突くという上での一つの戦い方が封じられるということには不安を隠しきれないものがある。


「不安や怖れは素晴らしいね。空気を伝わって、ボクの元に至る。君たち人間は、ありもしない影に怯えて生きる姿が一番、似合っている」

 ゾゾゾッと背筋が凍り付く。それと同じくして、ジギタリスと鳴の前方から深くて黒い霧が辺り一帯を覆い尽くす。日の光は僅かしか差し込まず、鳴にはすぐ近くにジギタリスが居るということだけしか分からない。

「ブロッケン現象になぞらえて言っているのだとしたら、君は案外、その名が気に入っていたのかい? “影の王”」

「ふははっ」


 軽い笑いが木霊する。


「人間が付けた名に固執などしないさ。ただ、君たちの不安や怖れをボクの影は敏感に読み解いた。それだけさ。そして、君たちはボクを“影の王”とは呼ぶけれど、いつまでもフェンネルと呼んではくれないようだ。それは即ち、ボクを“フェンネル”と認識したくないのだろう? “影の王”と呼んでさえいれば、それはただの偶像だ。実像となるボクの名を呼ぶことに恐怖を感じている、畏敬の念を覚えている。できることならば、認めたくないと思っている。そういった一切は、ボクには甘い甘い蜜の味だ」

「声が反響して、どこに居るか、分からない?」

「『音』に強い人間が居るのだから、この程度はしておかなければ少々、面倒だろうと思ったんだよ。この黒い霧はボクそのものだ。勿論、ボクを収めている器はあれど、ボクは今、君たちを黒い霧で抱いている。手の平で躍らせることさえ、わけないだろう」

「“影の王”を自称する割には、『音使い』が居るだけで自身の防衛に走らなければならないのか。“王”と呼ぶには器が小さいようだね」

「そういった挑発には応じないよ。侵略、暴虐、暗愚なる“王”は幾らでも居る。しかしいつだって国を大成させるのは、怖れを知っている“王”だ。退くことを知らぬ“王”など、雑兵も同じさ。そうだろう、人間? 君たちの築き上げた歴史に目を向ければ、そんなことはすぐに分かることなんじゃないのかい?」


「海魔が人の歴史を語るのか」

 嘲るようにジギタリスは言う。

「さて、“影の王”――フェンネル。最終交渉と行こうじゃないか。君がやろうとしていることをやめてくれるならば、僕たちもそう荒々しい手を取りはしない。まぁ、共存なんてできやしないから、君たちは深海の奥深くで暮らしてもらうことになるけれど、それでも君たちは広大な世界を生きることができる。陸地は人間、腐った海は海魔。そのように生きる気は無いかい?」


「ボクがその交渉に乗るとでも? 海を腐らせたのは神の思し召しだ。陸地を腐敗させつつあるのは人間だ。ならば、海より生まれし、このボクたちが、神の御心のままに、君たち人間を絶滅させる」

「……海魔と交渉だなんて、するだけ無駄、か。皆が皆、リィのような心を持つわけではないということかな」

 ここでジギタリスは初めて海竜のことをリィと呼んだ。それはフェンネル、ベロニカ、スルトとは明らかに違う扱いである。この時、ジギタリスはようやくリィを人間と志を同じくする特別な海魔であると認めたのだ。


 もう少し、早くに言ってあげれば良かったのに……。


 鳴は残念そうに溜め息をつく。気付いた時には手遅れ。そんなことはいつだって起こる。興この時も、起こった。ただそれだけのことなのだが、ジギタリスはもうリィと再会することは無いだろう。だからこそ、最期にジギタリスはリィのことを認めたのだと、鳴は生き証人となって彼女に伝えなければならないと思う。

「元々、交渉するつもりなど無かっただろう? “現人神”。生きながらにして神などという人間の蒙昧な崇拝にはほとほと呆れて物も言えない。だから、ボクが君を処刑する。驕りが過ぎる人間を、形など残すことなく、全て消し去らせてもらうよ。死ぬ前にやるべきことはやったかい? ああ、覚悟ができていない方が良いかも知れない」


 黒い靄が一点に収束し、人型となる。


「その方が、死に絶えるその瞬間に絶望に染まる“現人神”の顔を見ることができるのだから」

 鳴は言葉を失う。黒い靄から人の姿が現れたことには驚いていない。問題はその顔立ちである。“影の王”と呼ばれるだけの雰囲気――しかし、その中には人間性が見え隠れし、その人間性が雅を彷彿とさせるのだ。

 鳴はジギタリスを見やるが、彼は黙ったままフェンネルを睨み付けている。

「この姿になにか、トラウマでも?」

「……いいや」

「そうだ、君はこの姿にはトラウマを持っていない。だって、君が正義の名の下に処刑したのは、雪雛 雅の父親ではなく母親――雪雛 鉋の方なのだから! そして今、君が殺さなければならないと決心し立ち向かおうとしているこのボクの体は、雪雛家の婿養子の体! 君は直接的に、或いは間接的に、君を改心させてくれた雪雛 雅の両親を殺そうとしている! ふ、ふははははっ、これほど運命の歯車が噛み合うことなど一生無いだろう? 精々、君の中にある正義と罪悪感と、戦い続けてもらいたいところだ」

「雅の、お父さんの……体? 雅のお母さんを、ジギタリスが、殺した?」

 鳴と一緒に最期の街を目指していたとき、雅は両親のことを鳴に話してくれた。母親は連れて行かれ、処刑された。父親もまた連れて行かれたが、その後の行方は分かってはいなかった。


 フェンネルの言葉をそのまま飲み込むのならば、ジギタリスが雅の母親を殺し、そして今、父親をも殺さなければならない状況にあるということだ。無論、あの体がフェンネルに使われているということは、そこにはもう雅の父親という精神は残されていないことは明らかであるのだが、このことに普段なら冷静さを失わずに表情を一切変えないはずのジギタリスが、苦行でも強いられているかのような、心に負っている痛みに必死に抵抗している。


「だから? 僕が彼女の母親を殺し、そして父親を殺すことになる。それで一体、君はなにを得られる?」

「なにも? 影はなにも得られない。けれど、それを果たして雪雛 雅は受け入れられると思うかい? ここでボクを退けて、もしも雪雛 雅と合流できたとしても、君はなにも知らない無垢な少女の瞳をずっと浴び続け、罪悪感に悶え苦しまなければならない。いやはや、生きても死んでも地獄だ。けれど、地獄に行きたがっているように見える君にはさほど、これは意味を成さないとも分かっている。だから――」

 ヌルリとした感触が鳴の全身を包み込む。見ればフェンネルの影が鳴の影に触れている。

「随分と面白い子を連れているじゃないか、“現人神”。ボクが知らずにいるとでも思っていたのかい? 標坂 鳴、君の体は人間だ。けれど、果たしてその内側に眠る精神は、“人間なのかい”?」


 ジギタリスが焦りの色を浮かべて鳴へと振り向く。


「やめろ」

「やめはしないさ。そう、ボクはいつだって他人の力を利用する。他人に頼る。それはねぇ、雪雛 雅が憎くて仕方が無いはずの海魔の生態を信じてしまうのと同じく、ボクも人間の力を憎くて仕方が無いはずなのに、信じてしまうからだよ」

 全神経を蹂躙されているかのような激しい痛みを鳴は受け、そして同時に襲って来る頭痛に絶叫する。普段の自分なら絶対に発しない大きな声、そして悲鳴。頭の中をなにかにまさぐられている。そして、グチャグチャになったところで、頭の中にあるなにかが喧嘩を始める。


 おかしい、考えられない。信じられない。分からない。自分でもなにが起こっているのかまるで理解できない。どうして自分の頭の中に“何人もの声が響くのか”、まるで理解できない。


 そして、再びの絶叫に合わせて鳴の影が四つに分かれ、そして鳴自身はその場に膝を折り、倒れる。筋肉が言うことを利かない。立てと命じても、まるで動かない。ただ首だけがどうにか動き、辺りの状況を読み解くことができる。


「私が……四、人?」

 鳴の影から零れ落ちた影から黒い靄が溢れ出し、その一つ一つが人型を形成する。そしてその四つは、どれもが鳴の姿をしていた。


 しかし、目付きはどれも鳴のものではない。それどころか手にしている武器もまた、鳴のものではない。


 ジギタリスは深い溜め息をついたのち、十字を切って炎の大剣を作り出した。

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