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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-第九部-】
285/323

【-背負ったのは命一つ分-】

「大丈夫だった?」

 リィが雅の少し歩いた先で林の陰から出て来て言う。しっかりと身を隠していたらしい。

「うん、なんとか追い払えた」

「ワタシが追い払っても良かったよ?」

「次、無理そうだったらお願いしようかな」

「分かった。お姉ちゃんが無理そうだったら、ワタシが頑張る」

 リィだって変わった。変われた。


 だから、あの男もそろそろ変わって良いはずだ。

 “死神”からディルへ、ディルから真実の名へ、変わっても良いはずだ。


「それにしてもお姉ちゃん、よく道に迷わなかったね」

「こっちに居るような気がしたし」

 時計に備わっているコンパスを頼りにしても、地図はリィが持っていた。なので、リザードマンを追い払ったあとに、雅はリィの痕跡を探した。いわゆる靴跡を見つけ、それを頼りに歩いたのだ。この点だけは腐食した大地に感謝しなければならないだろう。

「リィもちゃんと、町の方に向かっていたんだね」

 地図を受け取り、コンパスで現在地を確認すると、そういった答えが出た。

「リザードマンに追い掛けられている間、お姉ちゃんが地図をずっと見せてくれていたし、追い掛けられる前に現在地を確認してくれていたから」

「じゃ、お互いに凄いってことで。褒め合っても、なにも出ないし」

「うん」

 なにより、こうやって内輪で褒め合うのは雅は好かない。恐らくリィも好いてはいない。なのでさっさと褒め合うということを終わらせる。

 リィとやや急ぎ足で山道を歩いて約二十分後、目的の場所が視界に入る。

 一言で喩えるならば片田舎。雅が暮らしていた町よりも世俗から離れた雰囲気の町。しかし、これは町というよりも村であり、そして既に廃村だ。所々の家屋は崩壊し、腐り、錆び付き、まともな形を残している家屋は片手の指で数えられるほどしか見当たらない。

「お姉ちゃん、ストップ」

 リィに手を掴まれ、強引に歩くのを止められた。

「なに?」

「そっと右側を見て」

 言われるがままに雅は廃屋の壁から少しだけ顔を出し、右側を見る。

「エッグ……フロッギィの卵が、人間が居ない廃村をまだ徘徊しているの?」

 フロッギィという海魔の卵だが、アメーバ状でゆったりと蠢く。栄養を求めて彷徨い、人間や動植物を取り込むと、内部で溶かし尽くす。一度でも触れれば、逃れることほどの粘着性を持つため、接触=死の方程式が成り立つ鈍重でありながら危険極まりない存在である。底無し沼でもまだ人の手を借りれば助かる余地はあるかも知れないが、これは人の手を借りれば、助けてくれている人すら取り込む最悪の卵なのだ。スルトに襲われ、滑空して着地したグレアムというドラゴニュートがこのエッグに捕まり、『竜眼』を誠に継がせ、命を落とした。

「エッグに視覚は無いはず……蠢いて、栄養となる物体との接触があるまで私たちを知覚しないはずだけど、壁を押し倒して現れたら、さすがに逃げ切れないかも」

 このエッグは、フロッギィとして産まれるまでアメーバ状の卵として活動を続ける。まだ誕生すらしていないのだから寿命もなにも無い。卵の中から大量のフロッギィが誕生するまで、ただ蠢き続けるのだ。もし討つならば、核を突くしかない。それも大量の卵で覆われている核であるため、外れる可能性もある。だから選定の街では相手をせずに撤退を重視した。


 ナスタチウムならば、岩で挟んで潰すこともできたのだろうか。とにかく、雅からエッグに対する有効打は無い。あるとしても風で加速させての短剣の投擲だが、核を撃ち抜けなければ失敗に終わる上に、雅の存在を知覚されてしまう。


「ワタシが周囲に気を配るから」

「リィなら、逃げ切れる範囲で気付いてもらえそう。お願いして良い? 私も注意はするけど、リィよりも感知できない」

「うん」

 エッグに殺意は無い。あるのは栄養を求めて蠢いているという事実だけ。そのため、その動きを把握するには目で視認できる範囲に限られて来る。海魔の卵というだけで、それを察知できないというのも、悔しい限りなのだが、殺意を孕んでいない動きに気を向けられるほど、雅たち人間には余裕は無いのだ。

「鍵……ディルの鍵は、ちゃんと持って来ている。あとは、これに合う鍵穴を探すだけなんだけど」

 ジギタリス曰く「机の鍵に似ている」らしい。その肝心の机が、この廃村に現存して残っているかどうかは定かでは無い。

 エッグの動きに気を配りつつ、廃村の中を歩いて回る。


「ひっ」

 踏み付けたくないものを踏み付けて、悲鳴を上げてしまった。地面に転がっていたのは人骨である。エッグも場合によっては全て取り込むのだが、ここのエッグはどうやら人間で言うところの栄養失調状態にあるらしく、大して栄養を補給できない人骨は放置しているらしい。そのせいで、地面に目を向ければ雅の思っていた以上に人骨が散らばっている。意識しないで歩いていたのだが、踏み付けてしまったからにはもう意識せずにはいられない。寒気や怖気が走り、そして吐き気も催す。それでも、白骨化しているおかげでまだ耐えられる。これが肉の付いた死体だったなら、恐怖で歩くことさえできなかったところだ。

「海魔に滅ぼされたんだから、骨ぐらい転がっているのが、当然……当然、だけど」

 あまりにも数が多い。雅が『下層部』施設で読んだ文献には黒魔術の儀式について書かれていたものもあったが、そこにも人骨を用いた方法が描かれていた。その文献ですら、これほどの人骨は描かれていなかった。

「土葬したいところだけど、腐った地面を掘って埋めて、それでこの人たちは救われる、のかな」

 なにより、全ての骨を埋葬している時間は与えられていない。


「お姉ちゃん、そこは左に行っちゃ駄目。結構、近いところに居る」


「少し、引き返そう」

 エッグと出くわしそうになったので、リィの手を握り直して、来た道を戻る。廃屋の一つ一つを除き、そこにある人骨に言いようのない気持ちを覚えながら、机が無いか確かめて行く。

「……エッグの動きは、どう?」

「ワタシたちに気付いて囲もうとはしてない。ただずっと、ウロウロしている」

「そう……囲まれたら逃げ道は単純に飛び越えるしかなくなるから、僅かでもエッグに統制の取れた動きがあったと思ったら、言ってね?」

 全方位を囲まれても、雅なら空気を蹴って跳躍し、その包囲網を脱出することができる。その場合はリィを背負う、又は抱えることになるので空気の変質により意識を集中しなければならないので、出来ることならそのような苦労をせずに目的の物を見つけ、脱出を完了させてしまいたい。

「でも、エッグが徘徊しているってことは、この村はフロッギィに襲われたってことだよね。なのに産みの親のフロッギィとはまだ一度も遭っていない。寿命で死んじゃったのかな」


 海魔にも次の世代を残す意志はある。幾らエッグが無意識に無感覚に栄養を搾取する力を秘めていても、産んだ親ならば付かず離れずのところに居ると思うのだが、この廃村ではその気配すら全く感じられない。


「エッグが産まれたあとに来た誰かが、フロッギィを全て討ったのかも」

「フロッギィは討てても、エッグは討てない。私もエッグは無理だけどさ……全てのフロッギィを討てる力量を持った人なら、このエッグも討つぐらい造作も無さそうじゃない?」

「う~ん」

 リィが考え込んでしまった。だが、問題提起をした雅も、これは解けそうもない。

「あっ」

 唐突にリィが声を発し、雅の手を引いて駆け出す。エッグの動きを察知しているはずなので、それを止めるよりも付いて行った方が安全だろうと思い、彼女の気の向くままに廃村の中を駆け抜けて行く。

「墓地?」

 墓石の並ぶ場所でリィが立ち止まり、辺りを見回している。雅はエッグが居ないかどうかを調べるため辺りを見回し、特に問題無さそうなのでリィに訊ねる。

「どうしてここに?」

「分からない。でも、ここになにか、ある気がする」

「なにか、ある?」

 雅は戸惑いつつも、墓石の一つ一つを見て行く。高級な御影石で造られた物もあれば、風化しそうなほどに崩れつつある墓石もある。御影石の大半は、海が腐り、海魔が出現する前の、まだ金銭価値が水や食料よりも上だった頃に造られたものがほとんどだ。没年を調べれば、それくらいはさすがに分かる。


 心臓の鼓動が一際強くなる。


 ドクンッドクンッとその鼓動をハッキリと耳に感じながら、不意に訪れた緊張感の出処を確かめるように、雅はリィと共にその場所に導かれる。

「文字、掠れて……でも、読める。なんでだろ、読める」

「ワタシも読める」

 小さな小さな墓石。それほどお金の掛けられていない、風化して没年も誰が眠っているかも刻まれた文字が掠れて読み辛いその墓に、二人は釘付けになっていた。


蘿蔔 美弥(すずしろ みや)


「美弥……美弥…………美弥」

 反芻するようにリィが何度も名前を零す。

 どうしてこの子の墓に惹かれたのか。そしてどうして、その名を雅たちは緊張感を漂わせながら読んでいるのか。これこそ言葉で表現のしようのない状況である。

「ワタシは……そう、だ。美弥、だ」

「え?」

「でも、美弥であって美弥じゃ、ない。丸呑みにした海竜は、ワタシとは違う。ワタシを産んだのはその海竜だけど、それでワタシが美弥の姿をしている、のは……」

「美弥が、使い手だった、から?」

 使い手と言っても五行でも摂理でもない“極致”の力を持つ使い手。でなければ、リィが美弥という姿を維持することはできない。

 つまり、美弥という女の子は、海竜に丸呑みにされた際にその力を発現させ、海竜の子供と混ざった。そうして産まれ落ちたのが、リィ。


 極論過ぎる。そして全てが想像でしかない。もっとなにか、確実性が欲しい。リィが自分自身を「美弥であって美弥でない」と言っていることが事実であっても、もっと雅が納得せざるを得ないような事柄が無くては、落ち着かない。


「美弥は海竜に丸呑みにされた。そうしてリィが彼女の姿をするようになった。そして、ディルはリィじゃないリィを見ているときがある。なら、あの噂話で聞いたディルが見殺しにした女の子は、蘿蔔 美弥……?」

 ようやく、見えて来た。そして、繋がり出した。

 だとしても、“見殺し”などという噂は言い過ぎである。海竜を目の前にして、少年だった頃のディルが動けるわけがない。雅ですら初めてリィが海竜の姿を取り、守るためとは言え葵を丸呑みにしたとき、動けなかったのだから。


 その時、大人が居たなら助けられる状況ではない。ましてや、使い手や討伐者が居てもどうにもならなかったことだろう。それなのにディルはこの村の人々に蔑まれ、そして噂話まで広がるようになった。


 言ってしまおう。当時の大人は、全ての責任をディルに(なす)り付けたのだ。海竜は海魔の中でも腐った水以外でも生きられる。それが目の前に現れ、女の子を丸呑みにした光景を目の当たりにしたディルに、追い討ちとばかりに全ての責任がディルであるかのように改竄したのだ。そんなこと、許されるはずがないというのに。

「ズルい……」

 だが、他に方法は無かったのかも知れない。そういうことにすれば、村の平穏は保たれる。ただ一人の少年に全責任を押し付けてしまえば、全ての村の人々は一つになれる。

 それが加速し、女の子の両親が自殺し、ディルの両親もまた蔑みながら死んだのだろう。いわば、その時、狂気がこの村を包み込んだのだ。

「分かっている。それが、一番、村のためだったんだろうって……でも、そんなことをしても死んじゃった美弥は帰って来ない。苦しんだディルの心は、元に戻らない」


 悲しい、とても辛い。


 もしも雅が大人だったなら、きっと同じように一人の少年に全ての責任を押し付けただろう。そうしてしまうだろうという気持ちが心にあるからこそ、苦しく辛く、悲しく、そしてやるせないのだ。こんなことを考えてしまう自分なんて死んでしまえと、心の中で毒づくのだ。

「お姉ちゃん、泣いているの? 誰のために、泣いているの?」

 そう言うリィも涙を流している。

「分かんないよ。美弥のためなのか、ディルのためなのか、この村のためなのか、リィのためなのか、分かんないよ」

 しかし、こんな仕打ちはあんまりではないか。こんな苦痛をディルは、少年の頃に受けたと言うのか。雅もまた、両親を査定所の人間に連れ去られた経験を持つ。しかしその責任の在り処は、雅には無い。父親が使い手であり、母親は魔女狩りのように死刑にされたかも知れない。だがそれは、雅が悪いからそうなったわけではない。責任があるとするならば、そのような社会になってしまった世界にあるだろう。

 ならば、ディルはどうだろうか? ディルは見殺しにしたくしてしたわけではない。海魔を前にして戦えないのは当たり前だ。むしろ、生き残ったこと自体が奇蹟ではないか。なのに、女の子が死んだ全ての責任の所在がたった一人の少年に向き、女の子の両親は少年を軽蔑したまま死に、少年の両親は、息子を守ろうともせずに罵った。

 そんな人生があって良いのか。そのような、叫びにもならない苦痛に塗れた人生が、あって良いのだろうか。

「御免、御免ね。私は本当にディルのこと、なんにも分かっていなかった」

 分かるわけが無い。想像すらできない。むしろ絶している。それでも、その苦痛を伴う人生を歩み続けたディルに、ただただその日々に対する慰めの言葉しか思い浮かばない。

「ここ、鍵穴があるよ?」

 促されて、雅は蘿蔔 美弥の墓石の下に鉄の板があることを知る。どうやらこれは二枚蓋で、下に箱があるらしい。雅は鍵を取り出し、その鍵穴に入れて、捻る。腐った砂粒が入っていてなかなか上手く回らなかったが、やがて鍵の外れる音がし、息を呑みつつ雅は蓋を開く。

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