【-自分はディルの傀儡か?-】
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「方角は、合ってる。うん、大丈夫。だから、リィは走って」
「でも、お姉ちゃんが」
「心配しないで」
身を翻し、雅とリィを追って来る海魔――リザードマンの群れと対峙する。楓と共闘したときはギリギリのところで討つことができた。それを一人で、それも群れを相手取らなければならないことに一抹の不安はあったが、何故だか「一人でも討てる」という謎の直感が働いている。雅の目は多数のリザードマンを前にしても、その仕草や挙動から離れることはない。集中力が増し、感覚が鋭敏となり、呼吸がそれらと重なったとき、雅は白と黒の短剣を引き抜いて彼の者の群れへと疾走する。
リザードマンは主と決めた相手に仕える性質を持つ。そして僅かだが人語も理解し、話すこともできる。海魔の中ではまだ頭の良い方だ。つまり、歴然とした力の差を雅が見せ付ければ、深追いせずに引き下がる。また海魔の習性や性質に頼ることになるが、雅はもう慣れてしまった。これが自分の戦い方なのだ。人間でありながら、討伐者でありながら、どこか海魔の行動に理解を示し、その生き方を信じて策を練る。
海魔を憐れに思っているから、だろうか。いや、そんなはずはない。雅は頭を振りつつ、リザードマンの腹部を両の手に握る短剣で切り裂く。リザードマンの鱗は鎧のように厚く、通常の武器では切り裂くこともままならない。しかし、この白の短剣と黒の短剣は――今は彼の者の血を浴びて紅と蒼に染まっているが、これらはそんな分厚い鱗すらも引き裂くことができる。しかし、幾ら引き裂けると言っても、より柔らかく、そして切り込みやすい部位を狙うべきだ。だから鱗の少ないリザードマンの腹部を狙った。血は顔に被る寸前に展開させた風で左右に散らし、続いて次のリザードマンに狙いを付ける。
海魔は自らの人生を、このような血生臭いものへと変えた最低最悪の生き物である。彼らさえ生まれ出てさえいなければ、水が腐ることさえなければ、雅も両親と普通の暮らしができたはずだ。少なくとも、このように刃を振るうような人生を送ることは無かっただろう。
蒼の短剣でリザードマンの鎗を凌ぎ、紅の短剣をあらぬ方向に投げる。しかし投げた先に発生させた風の渦が角度と速度を調節し、雅と対峙しているリザードマンの首元に突き刺さる。それをすぐさま引き抜いて、後退すると共に雅はスルリと柄から紅と蒼の帯へと持つ場所を変える。
それでも、どうして海魔の生き方を信じてしまうのか。その習性を、その在り方を、こうすればこういう行動を取るだろうという、確実性の無い可能性に自らの命を賭けるのか。雅自身、分かってはいない。
帯を力強く握り締めて手首のスナップで帯の先に繋がっている短剣を回転させる。尚も向かって来るリザードマン目掛けて、その勢いを付けた蒼の短剣を放つ。
鎗が蒼の短剣を叩き落とす。しかし落とした地面の擦れ擦れには雅が既に変質を終えた空気が置いてある。短剣は地面には触れず、その空気に触れて激しい突風を巻き起こしながら叩き付けた力を逆転させて、真上に飛ぶ。人間と違い、首から先が蜥蜴のように突き出しているリザードマンの喉元に真下から突き刺さる。
ただ分かっているとするならば、リィという海魔を見てしまったから、だろうか。その強烈な存在感、或いは想像すら絶した彼女の本体を見て、なにかしらの箍が外れてしまったのかも知れない。
それだけの体躯を持ちながら、少女と言う姿と体に収まり、人の生き方を「素晴らしい」と語った海魔。本音を聞いたのはつい最近のことではあるが、出会ってから今に至るまで、リィが居たから雅は海魔の習性に基づく自らの戦い方を見出したのかも知れない。
海魔だけに留まらない。楓と手合わせをしたときも、鳴と戦ったときも、ジギタリスと戦ったときも、雅はその生き方を、その独特な言動を見て、自らの動きに一種の賭けを混ぜ込む。それは、リコリスにすら怖れられるほどの観察眼であり、なにもかもを見抜く鋭い目の持ち主という証拠でもある。
リザードマンから蒼の短剣を引き抜き、続いて紅の短剣も投げる。こちらは叩き落とすのではなく弾いたが、これもまた変質を終えた空気に触れて力は逆転し、リザードマンの右側頭部に突き刺さる。素早くこれも回収し、続いて迫り来る二体のリザードマンを短剣で凌ぎ、距離を置く。前方に二体を収めて、呼吸を整える。
戦い方はディルに教わった。
生き方もディルに教わった。
ならばどこから――雅を形成する体は、精神は、心は、どこから雅自身のものなのだろうか。
雅は自分からディルに師事することを決めた。ディルの教えは苦しみと痛みの連続であったが、それは現実を直視できていない雅に世界の重みと、生きていることの痛みを教え込んでいたのではないだろうか。
或いは、雅をディルは力はともかく自分自身と同等の精神と心――思想を植え付け、そうすることが正しいのだと思わせようとしていたのではないか。
素早く一体目のリザードマンの懐に入り込み、鎗と両手の短剣による打ち合いを続けたのち、回転を交えた横一閃によって、彼の者の腹部を大きく切り開く。すぐさま二体目の傍まで駆け寄ると、今度は逆に回転し、こちらも横一閃し、腹部を深く切り抜いた。
ならば、雅はディルの傀儡か。リィを守らせる次の傀儡か。
「そんなことは絶対に無い」
自信を持って言える。あの男が、こんな“どこの馬の骨とも知らない女の子を、出会った当初から信用して、リィを任せられるだけの強さを叩き込もうなどと思う”わけがない。
あのとき出会ったのは偶然だ。偶然がここまで雅を強くした。ならば自分自身は、偶然の産物ということだろう。
もしもディルと出会っていなければ、あの場所で雅は死んでいた。だが、偶然にも生き延びた。ディルとの出会いは、雅にとっては人生すらも塗り替える大きな変化であったが、あの男にとって雅との出会いは、それほど大きな変化では無かったことだろう。
それはそうだ。戦うことすらまともにできない討伐者だった雅と出会ったところで、ディルの人生に変化が起きることなど無いのだ。
「なら、ここに立っている私は」
リザードマンの群れが退いて行く。雅を強者と認め、これ以上の被害が出さないように、群れの中心に居た彼の者が撤退を決めたのだ。
「ここに立っている、自分自身は」
確かに偶然の産物なのかも知れない。生き残ってしまったが故の自分自身なのかも知れない。ディルに良いように利用されているだけなのかも知れない。
しかし、こうして戦い、生き残り、海魔を討つ自らに、一片の後悔はない。
ディルに師事すると決めた後悔、もっとまともな生き方ができたかも知れないという後悔。そんなものは、全て「たられば」である。もしも、などと考え続けたその先に居る自分自身など偶像に過ぎない。
ここに立ち、ここで戦い、ここで生きている。
「雪雛 雅だと、自信を持って言える」
これが自分自身である。嫌だ嫌だと言ったところで、もう揺るがない。変わらない。この生き方が、この戦い方が、この策の練り方が、この『偽善』が、なにもかもが、己自身なのだ。
謎が解けたわけではないが、最期の街に着いてからずっと考え、思っていたことへの結論がようやく出た。それだけで心の中は晴れやかになり、鬱屈していた感情は、前を向く。
自らがディルのためにと動くのならば、きっとそれは真実であり、自らの感情そのものなのだろう。決してあの男の生き方や思想に囚われたわけではなく、雪雛 雅が選び抜いた生き方であり、思想なのだ。
紅と蒼の短剣を鞘に収めて、大きく息を吐く。
「ディル……別れの時が近付いていても、あなたを知ることは、悪いことじゃないんだよ? あなたの生きて来た人生を、誰かが知って同情したって、良いはずなんだよ?」
それだけのことをして来た。それだけの功績を残して来た。そろそろ“死神”は、誰かに同情されるべきなのだ。
して来たことがどれだけ最低であっても、やって来たことがどれだけ最悪であっても、悪辣に批判するだけの人間性を持った人生とは限らない。だからディルの人生を否定する者が居ても良いし、肯定する者が居ても良いはずだ。
自分がどちら側に付くかどうかは分からないとして――いいや、あの男の生き方を見た以上、どちらに付くかぐらいはもう雅の中で答えは出ているのだが、これから知る新事実の中で考え方が変わるかも知れない。
そう、変わらないものもあれば変わるものもある。変われない、変わらないという概念に固執してはいられない。それは変質の力の在り方にも言えることだ。変わらない物だと決め付けていては、力は届かない。変わる物だと思って掛からなければ、力は応じない。
変わって行く。どこまでも。それこそ雅の中にある『風』のように。雅にはまだそれだけの時間があるのだ。




