【-ディルの出生に関わること-】
「ここに来る使い手や討伐者のほとんどは、死にに来ているの」
「な、んでですか?」
「生きることに疲れて、戦い続けることに疲れて、そんな全てから解放されたい使い手や討伐者、時には一般人も含めて、首都を目指して死んで行く。自殺の名所の傍に街があるという表現はちょっと嫌かも知れないけれど、そんな感じなのよ。あなたは、どう? その歳で、死にに来た、のかな?」
「違います」
雅は首を横に振る。
「良かった。その歳で死のうとされちゃ、私たちはまたなにもできなかったって思ってしまうから。周囲の言葉に耳を貸すのは良いけれど、呑まれちゃ駄目よ? 晴れやかな顔をしながら、死ぬことを話し合っている人がほとんどだから……首都近辺の海魔は強力で、歯が立たない人も多いの。そういった、敵わない海魔を前にすることで、生に縋る自分を打ち払うの。敵わないなら、死んで良い? そんなこと、一般人の私たちは誰一人だって望んでいないのに」
一般人を守るために使い手が居て、討伐者が居る。なのに、肝心な使い手と討伐者が自ら死にに行くのだ。一般人からしてみれば、なんのために彼らに尽くしているか分からない。病院での治療も、宿泊施設での優遇も、どれもこれも街を、人を守ってもらうためにしていることだ。金銭の価値が著しく低下しているからといって、無償で、格安で物事を提供できるわけじゃない。それでも、街のためならばと骨身を削りながら生きているこの人たちを、見捨てて死にたがる彼らのことを、雅は理解できない。
「私は、最期まで抗います。そんな簡単に、死を選ぶことなんてしません」
ディルを殺して自分も死のうとしていたというのに、この発言は如何なものかとも雅は思ったのだが、しかし、鳴に諭されたおかげで「死」というものに明確な答えを出せた。
死にたくない。ただ、死にたくない。
死にそうになるくらいなら、海魔に殺されるくらいなら、せめてその海魔だけでも殺して死にたい。そもそも、そんな状況にすら陥りたくはない。
危険であっても安全策は取る。どんな時でも状況を見ることのできるディルのように。撤退することを負けと捉えず、勝利に繋がる一手のために命を繋ぐ。ディルはそうやって生きて来たに違いない。
だから雅もそれに倣うのだ。常勝無敗の討伐者を目指しているわけじゃない。それよりも、生きることを前提とした戦いができる討伐者になりたい。
「そうだ……私的な質問になるんですけど、この辺りで女の子を見ませんでした?」
「女の子?」
「はい。なんと言うか、神秘的な子なんですけど」
それ以上に説明のしようがない。むしろこれ以上説明しようとするとボロが出かねない。
「分かった、ディルさんが連れていた子でしょう? あのとっても綺麗で不思議な子」
「へっ……え、あ? ディルを知っているんですか?」
「ええ」
「どのくらい?」
「ええと、どのくらいだろう。右目が潰されたときにこの病院にしばらく入院していた時期があったけれど」
呟きながら、看護師は顔を上げる。
「いいえ、もっと前から知っているわ」
「じゃぁディルの本名も?」
「それは知らない。私が知っているのは、ディルさんがディルさんであった頃から、今日に至るまでのほんの一部。あとは噂ぐらい。言って私、あの人よりも年下……もう三十だけど」
これは、大切な繋がりだ。どうしても手繰り寄せなければならない。
「噂でもなんでも良いので教えてください。いつから知っているのか、なんでも良いんで」
雅の真摯なお願い事に、精悍な顔付きで看護師は肯く。
「最初にディルさんを知ったのは、噂から。とは言え、“死神”と呼ばれる前の噂。私がまだ看護師を目指そうなんて考えていなかった小さい頃の、噂話。最期の街と呼ばれる前は、それなりにこの街の周辺にも人が住むところがあった。噂だとディルさんも、この近くの町に住んでいたらしいわ。でも、その町はもう誰も住んでいない廃屋だらけだし、見に行くのも相応に危険な場所だから、行っちゃ駄目よ」
「この近くに住んでいて、それで噂話がどうしてここに?」
「『罪深き穢れた子供』。噂話の中には、必ずそのフレーズが入っていた。内容は、おぼろげだけど……ディルさんが子供――まぁ私も両手の指で数えられる年齢だった頃だから、子供の頃っていう表現もちょっとおかしいんだけど、とにかくディルさんが子供の頃に経験したことから来ているものだった」
「そのあることって?」
「分からない。ただ、大人たちは揃って言っていた。ディルさんがある女の子を見殺しにした。その後、その女の子の両親は自殺し、ディルさんの両親はあの人を『産まなきゃ良かった』と蔑みながら死んだらしいの。突然、一人ぼっちになったあの人は、その後も町で不幸の象徴として煙たがられて、やがてディルと名乗るようになり、町をあとにしたらしいわ。その後、その町は海魔の襲撃を受けて滅んだの。それも、あの人が町を出た二日後にね。そのせいで、海魔が襲撃して来るのを知っていてディルという少年は、町の人の誰にもそのことを伝えずに立ち去ったんじゃないかって。だって、私が噂で聞いた少年のディルを見たときには既に、修羅のように強い討伐者だったから。きっと、町に居た時点であの人は『金使い』として目覚め、討伐者としての強さを身に付けていたはずに違いない。なのに、出生地を守らずに立ち去った。まるで、自分を呪った町なんて滅んで良いと思っていたんじゃないか。その強さがあったなら、町の人全員が死ぬような事態を避けることぐらいはできたんじゃないか。ディルという少年は不幸の種を振り撒く『罪深き穢れた子供』。訪れた町に不幸の種を落とし、そして去って行く。その町は跡形もなく海魔に襲撃されて、滅ぶ。そんな怖ろしい噂だった」
それは、違う。それは“死神”の道理に則していない。それは“疫病神”と言われていたリコリスの生き様に近い。リコリスの立ち寄る町は必ず海魔の襲撃に遭う。彼女はそれを知らせるために町に入るが、誰一人として飄々としているリコリスを信じることはなかった。だから、“疫病神”などという異名を持つようになった。或いは、“禍津神”と言われていたケッパーのようだ。おかしく、気味の悪いケッパーが訪れれば禍の種が落ちる。実際には、禍の起こっている場所にケッパーが出向いているからそう呼ばれてしまうようになった。こうして考えれば、リコリスやケッパーに付けられた異名はそもそもにおいて、一般人が噂から勝手に作り上げたものであって、真実に一つも辿り着けていないのが現状なのだ。なのに二十年前の生き残りは誰一人としてその異名に文句を言うこともなく、噂話を気にすることもなく、生きていた。
だから、『罪深き穢れた子供』などという噂は、ディルには相応しくなくそして似つかわしくない。なにせ彼の異名は“どのような死地に赴いても生きて帰って来る”ことから付いたものなのだ。
当時のディルがまだ雅のように半人前の討伐者であったとしても、町の人々に呪われた子供などと言われ、疎まれても、それで出生地が滅んでも良いなどと思うだろうか。
「行かなきゃ」
「え?」
「その噂に出て来る滅んだ町。そこへの行き方を教えてください。そこできっと、なにかが分かるはず。なにかを知ることができるはずなんです」
そして、リィがどうして少女の姿を維持できているのか。その謎も解明できる。それだけではない。町が滅び、廃屋だけとなっていても、遺物はあるはずだ。ディルの生家までは突き止められないまでも、ひょっとするとどこかの廃屋の書き置きに全ての真相が、そしてディルの本名を知る手掛かりがあるかも知れない。
行かなければならない。雅は言い得ぬ使命感に突き動かされていた。
「ここから、内陸部の方に行った……ちょっと待って、地図が無いと上手く説明できないわ。少し時間をくれない? 今日の病院の消灯時間のとき、ディルさんの病室に行くからそのときに渡す」
「本当ですか? 信じても、良いですか?」
「ええ、私は人を救いたいからこの職に就いている。それに、リコリスさんの叫びも聞いた。死ぬためにじゃなく、生きるために、誰かを守るために戦う討伐者を私だって命を懸けて応援したい。いつか訪れる決戦の日のために」
リコリスの魂が遺した人間への生きる意思を問う叫びは、伝わっている。届いている。そのことが、ここではっきりと分かり、雅は胸から込み上げるものがあった。
「ありがとう、ございます」
「こんなことで良いなら、いつでも協力できるから。だから、その歳でなにもかも一人で背負っちゃ駄目よ? 討伐者同士の方が信頼し合えるのは分かるけれど、私たちだって居ることを忘れないで。そして私たちは、いつだって使い手と討伐者を信じていることも」
「はい」
「って、これは戦いに行けない私たちが、討伐者に海魔との戦いを押し付けているだけとも受け取れてしまうんだけれど」
「そんなことありません。私も何度か入院したことがありますし、宿泊施設で安心して眠ることもできました。それは、私たちとは違う場所で戦っている人たちが居るから、ですよね?」
「……ありがとう。こんな街で、死にに行く討伐者ばかりを見て気持ちが荒んでいたけれど――もう、こんなことをしていても無駄なんじゃないかって思っていたんだけれど、あなたのおかげでまだもう少し、頑張れる気がする。そう、看護師は子供の頃からの夢だった仕事。十数年続けて来たものを投げ出すなんてできっこない。そんな気持ちになれた。凄いね、あなたは」
「ただ話しただけですけど」
「それでも私は頑張ろうって気になれたの、ありがとう」
二度も感謝されては、言葉も出て来ない。雅は看護師に見送られつつ、病院前の公園をあとにし、そして街の見て回ることにした。
耳に飛び込んで来る会話といえば「もう少しで楽になれる」やら「ここにやっと来ることできた」やら、どうにも精神的な面で色々と欠落してしまっている討伐者のやり取りばかりである。看護師の言っていたように、呑まれないようにしなければならない。
ひょっとすると、ディルを殺して自分も死のうとしたのは、この街が醸し出す雰囲気に当てられたから、ではないだろうか。いや、そんな雰囲気に責任を押し付けてはならない。
あれは自分自身で選び、実行しようとしたことだ。以後、そんなことを起こさないように気を付けなければならない。自分は大丈夫などという考え方がまずかったのだ。自身にも心の弱さはあり、そこに自らの黒い感情が付け入ると、抵抗することができなくなってしまう。そんな誰にでもある当たり前の弱さと向き合い、この街の雰囲気と合わせて呑まれないようにしようと堅く誓う。




