【-日によって変わる-】
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「例の少女ですが、極めて高い能力を示しております。一昨日できなかったことが昨日できるように、昨日できなかったことが今日できるように。戦闘、及び学力、共に教えれば教えるほどに取り込んで行きます」
部下の話を聞きつつ、男は別の部下に指示を出し、向き直る。
「悪魔の言っていた通りか」
そう呟き、部下の持って来た報告書に目を通す。
「……不思議な記述があるね?」
「その、ですね……あの子供は、少しばかり我々でも理解のできない言動を取ることがありまして」
「……なるほど」
マジョラムは男の前では表に出て来ないと言った。しかし、男の居ない訓練の場では、表に出て来ないという確証はない。資料はまさに、それを示しているかのような記述がある。
『標坂 鳴は武器の適性に難あり。彼女の力、及び体力、筋力も踏まえて短剣、短刀が望ましいのであるが、当初はそれを用いての訓練を行ったが、後日になると訓練で教えたことを忘れ、素人のそれと同等の質まで下がる。そういった場合、標坂 鳴が少し待つように進言して来るので待ってみると――およそ五秒ほどであるが、その五秒の間に人が変わったかのように、教えた通りに短刀を振るってみせる。しかし、また別の日になると教えた動きを忘れている。それどころか、短刀ではなく、剣、鎗、銃、太刀、薙刀、三節根、大剣といった様々な武器に対して興味を抱き、そして日が違えば、それらに相応しい素養を見せる。しかしながら、それらの武器をある程度扱ったのちに、標坂 鳴がまた待つように言うと、およそ五秒の間に、全ての扱い方を忘れ、短刀の扱い方だけを覚えている状態に陥る。そのため、我々としても彼女にどの武器に素養があり、適性があるのか判断しかねる状況である』
「日によって、使う武器が違うと?」
「本人が言い出すのです。今日はこの武器を使いたい、と。まだ子供ですから、自身に合った武器が分からないのでしょう。それに、そういった武器がどのような特徴を持っているのか、どのように扱うものなのか、そういった知識は彼女の経験となりますから、止めないのですが、これが非常に難儀でして」
「初めて扱う武器のはずなのに、それなりに扱ってしまう?」
「はい。軽い訓練が重い訓練になってしまうほどには……しかし、報告書に纏めたように、彼女は、」
「少し待つように言って来たあと、五秒ほど経つと、さっきまで自在に扱っていたはずの武器を使えなくなり、教えていた短刀の扱いだけ上達している状態になる」
「このような事態は今まで訓練して来た使い手の中にはおりません。なので、我々は彼女をどう判断して良いものかどうか、悩んでいるのです」
部下は男から見ても、相当に困り果てているように見えた。この部下は使い手を育て上げる点においては非常に稀有な才能を見せる。だから男も標坂 鳴を育てるために、この部下を起用した。その部下が、悩むとはよっぽどのことなのだ。
「分かったよ、僕が直々に見て来よう」
「お手間を取らせてしまって、申し訳ない限りでございます」
「僕が連れて来た子だ。僕もそれなりに面倒を見る義務がある」
男は溜め息をつき、部下に報告書を返し、白い外套をなびかせながら、部屋をあとにした。
エレベーターを使って地上階に降り、そのまま真っ直ぐ訓練施設へと足を運んだ。
扉を開けると、訓練を行う大部屋は電気が落ちていた。男は照明のスイッチを入れてみるが、照明器具が光を放つ気配は見られない。窓は閉め切られていたが、扉を開けたことで外の光が差し込んだため、辛うじて床を数メートルは見ることができた。
蛍光灯や電球の成れの果てと思われるものが、床に硝子の破片のように散らばっている。男は背を向けずに後ろ手で扉を閉め、暗闇の中で少女の気配を探る。
「あれー、きょーはー、いつものおっさんじゃなーいのー」
声がした方に視線と体を向けたとき、男の懐に少女が踏み込んでいた。それも右手には刀を握っている。反射的に左へと体を転がして、少女の斬撃を回避する。
「マジョラムか?」
「マージョーラームー? マジョラムはかわいそうだよねー、だって“あれ”に勝手に名前を遣われちゃったんだもんさー、うっへぇ、マジ受ける」
気怠げに言葉を零す標坂 鳴は、刀を持ち上げ、舌を見せる。
「紋章……悪魔の、か」
「あーあー、あんたが“あれ”の言っていた男かー。だったらさー、まず誤解していることを話さなきゃなんないんだなー……なんでオイラが話さなきゃなんないんだろうなー」
「言いたいことがあるならさっさと答えろ」
「ひとーつ、あんたが鳴と初めて会ったときに会話した“あれ”はマジョラムじゃなーい。“あれ”が勝手にマジョラムの名前を出しただけー。つまーりー、あんたは“あれ”の本当の名前を知らないってわけー」
「……じゃぁ、“あれ”の本当の名前はなんなんだ?」
「オイラが知るわけ無いだろ。“あれ”は、オイラたちを取り纏める概念にして、人に潜む闇の権化。誰も――鳴も、鳴じゃないオイラも、知るわけがないってわけー」
刀を降ろし、切っ先を床に擦らせながら、標坂 鳴は男に近付いて来る。暗闇にも慣れて来た。少女の姿はぼんやりと捉えることができる。わざわざ訓練用にと考え、用意した彼女専用の衣服は刀で切り刻まれ、ところどころの肌が露出している。特にボトムスの裾の長さが気に喰わなかったのか、太ももが大きく露出するように切り落とされて調節されてしまっている。
「それで、君は標坂 鳴の中の誰なんだ?」
「オイラはー……一つしつもーん、まさかマジョラムがハーブの名前だからって、オイラまでハーブの名前を遣っているとは思ってないよねー?」
少女の質問に男は首を縦に振って答える。
「なら安心したー。オイラじゃないオイラもこれで安心して名乗れるだろうねー。オイラはヒエログリフ」
「エジプトの古代文字の総称だな」
「えーそうなのー? オイラはぜんぜーん知らなかったんだけどさー。あー、一つ忠告しておくよー、オイラもそれなりにー強いけどー、ストラトスは要注意ねー。あいつさー、加減ってものを知らないからさー」
「忠告はありがたいが、どうして君は僕に強さをアピールする上に、こんな暗闇の中で僕に刀を振るって来たのかな?」
少女はダランッと肩を落とす。
「まーなんて言うかさー、遊び? そう、遊び遊び。鳴は短刀に適性があるって言うんだけどさー、鳴じゃないオイラやオイラじゃないオイラはもっと他の兇器っていうか、武器? にも興味があるんだよなー。まー、みんながみんなこぞって同じ武器を使ったら楽しくないからさー、オイラは刀担当になったわーけー。まー、なんて言うかー、オイラというオイラが作られたときから? オイラは、これの使い方についてはよく知ってんだよねー」
不敵な笑みを浮かべて、少女は切っ先を床に滑らせていた刀を男の懐まで一気に踏み込むと、大きく真上へと斬り上げる。
「……遊びに付き合っている暇は無いんだけど」
男は斬撃を紙一重で避けながら、壁に掛けられている剣を手に取る。
「遊びに付き合うのも大人の役目でもある、か。けれど、それだけじゃ物足りない。君の力量を見極めつつ、君に変質の力がなんたるかを教えてあげよう」
「そりゃー、どうもー!!」
鋭い斬撃が断続的に繰り出される。そこに法則性は無い。ただ不敵な笑みを浮かべながら、自在に刀を切り返し、気の向くままの角度で振るわれるそれを、男は華麗に剣一本で捌いて行く。




