【-君の中に潜むモノ-】
「“魂の波長”とやらは?」
「私、耳が良いの。私じゃなく鳴も耳が良いのよ? 集中すれば、一人に限るけど、相手の心音を確かめられる。心音にも沢山あってね、それを幾つも聴いていると、ジャンル分けできちゃうの。だから私は“魂の波長”って呼んでいるわ。でも、鳴はこんなことは知らないと思うけど」
「見聞きしたところだと、君は歳相応の知識で話していないね。捨てられる前は英才教育でも受けていたのかい?」
「いいえ? だってこれは私であって鳴じゃないから。私は頭脳明晰でも、鳴はまだなにも知らない女の子。字だって書けないし読めないわ。でも私は違う。私は字も書けるし、読むこともできる。だから頭の良い私が、鳴じゃないけど鳴の私が、鳴を騙す全ての大人と話をするし、大人の拘束にも歯向かうわ。こんな場所、鳴に相応しい場所じゃないもの」
「じゃぁ、どんな場所が相応しいんだい?」
「そりゃ勿論」
傾けていた首を逆にして、少女は続ける。
「血生臭い戦場よ」
「言っていることが少々、乖離し過ぎていると思うけれど? 君は君を守るために、君自身が大人に歯向かっているんだろう? 君自身の安全のために君が居る。なのに、安全じゃない戦場を望むなんて、おかしいとは思わないのかい?」
「実を言うと、人を一人殺したときに、たまらなく気持ちが良かったのよ。嘘じゃないわ、ほんとよ? 心の底から、生きていることに実感を持てた。ええ、あれは間違いないほどの充足感だったわ。だったら、それを得ることのできる戦場こそ、私は鳴の相応しい場所だと思うの」
「死ぬかも知れない戦場が?」
「けれど、そこでしか生きている実感は得られない。そうでしょう?」
肯き辛い質問に、男は視線を逸らして誤魔化す。
「君はそうかも知れないけれど、鳴じゃない君はそうかも知れないけれど、鳴である君は、どう思っているんだい?」
「言ったじゃない。鳴はなんだって吸収する女の子。殺せと言われれば殺しに行く。殺人の技術さえ叩き込めば、それに則して、更にはそれを発展させて強くなるわ。元々が空っぽなんですもの。そしてその空っぽの器は、私を内包してしまうくらいに馬鹿みたいに大きいの。力の使い方や、戦い方、生き残る術、どんなことだってきっと習得するわ。それを求められれば、必ずね」
少女はその場に横座りして、ケラケラと嗤う。
「ねぇ、鳴の力に興味があるんでしょう? だったら、早くここから出して欲しいわ。そうして鳴にたくさんのことを教えてあげて。でも、お下劣なこと以外のことに限るわよ? そんなことをしたら鳴じゃない私が許してあげないから」
「君の力に興味が湧いた。君をここから出してあげたいとも思う。けれど、君じゃない君に、興味は無い」
男は冷たく言い放つ。
「君は魔女、悪魔憑きと呼ばれる多重人格者だ。君である君だけならば、僕は君に戦う術を叩き込むけれど、君じゃない君が居るのなら、話は別だ。教えた技術で、勝手に暴れ回られてしまったら困る。だから、君は永遠に、その檻の中だ」
実際には多重人格という症例に分類される傾向だが、男はわざとそれを口にしない。メンタリストによる長期間のたゆまぬ努力の果ての治療によって、人格が統合されるということも話さない。どれもこれも、通用しないだろうという予測が立てられてしまう。何故ならば、この標坂 鳴の中に居る標坂 鳴ではない者は、そういったものとは“違う”ように思えてならないからだ。
「なんで?」
少女は呟く。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?」
壊れたオーディオプレイヤーのように「なんで」を繰り返す。
「僕の部下に、“悪”魔は要らない。そして“魔”女も要らない」
その一言に合わせて、少女の瞼が見開かれる。瞬間、男は十字を切るよりも早く炎を前方に噴出させ、続いてそれらを十字の大剣に収束させると、目に見えないはずの音波を縦に裂き、自身を守り切る。
「当てたはずなのに」
「君は音の波動を撃った。すると檻からこの僕に至るまでの空間――もっとよく言えば、床の埃が音波の移動に合わせて舞い上がった。どうやら清潔な環境ではあっても、細かな埃までは掃除し切れていないようだ。石造りの床だから、どうしても繋ぎ目に埃が詰まってしまうんだろう」
炎の十字大剣の切っ先を檻の中に居る少女に向ける。
「待って、待って待って待って。私を殺すの?」
「僕に歯向かった以上、そうするべきだと僕が判断した」
「こんな幼気な女の子を?」
「人を殺したことを楽しげに語る少女を幼気と呼べるかな?」
「こんな女の子を殺したことが知られれば、どうなるか分かるでしょう?」
「残念な言葉だ。君は言っただろう? 僕が狂ってしまった人か、狂ってしまいそうな人だと。その通りなんだよ。だから、“悪”を断罪させてもらおう」
「嘘でしょ?」
「少女を一人殺したところで、僕の“正義”は揺るがない。君は“悪”魔憑きだ。そして、殺してしまっても、『仕方が無い処置』で済ませられるほど、僕の地位は今のところ、保証されている」
男は笑みを崩さず、続ける。
「かつて、“悪”魔憑きは断罪された。“魔”女もまた、断罪だ。誰も僕を責めはしない。その時代に相応しく、火で焼き払うのだから」
「あっは……♪ 本当に殺す気?」
「君じゃない君が居なくならない限りは、殺す気だ。さっさと失せろ、“悪”魔」
「悪魔じゃないよ、私は。私にも名前はあるの」
「へぇ?」
「私はマジョラム。良い名前でしょう?」
炎の十字大剣を消し去り、僅かに滲み出た動揺を男は包み隠す。
ハーブの名称を名前にしている。そんな奇特なことを、首都防衛戦の生き残り以外にも居るとは、予想し切れなかった。
「あっは、なにをそんなに驚いているの?」
どうやら、標坂 鳴の中に居る標坂 鳴ではないマジョラムは、それがハーブの名称であるということすら、知らないらしい。
頭脳明晰と自ら謳っていたというのに、一欠片どころか、瓦解してしまいそうなほどに知識という面では、足りない部分が多くあるように窺える。
「……君、いつからそう名乗るようになったんだい?」
「名乗るもなにも、私が鳴じゃない私になったときから、私は私をマジョラムと認識していたのよ。マジョラムだなんて、あなたの言う“魔女”が混じっていて、なんとも滑稽じゃない?」
だが、マジョラムと呼ばれるハーブは魔女が使っていたから、などという安直な理由で名付けられてはいない。だから、男にはその「滑稽」という言葉がいまいち理解することができずにいた。
それよりも厄介なのは、標坂 鳴の中に、標坂 鳴ではない彼女が存在したそのときから、名前が既にあるということだ。
それはまるで、海魔のようではないか。海魔の名称は人間が名付けているが、海魔自身がその名称を好んで使うわけではない。ドラゴニュートのような高位の海魔ともなると、自分から名前を名乗ってみせる。
それも、研究によれば人語を介する彼らには、産まれたときから名前があるのだ。
十五年前の全ては『ブロッケン』に繋がる。しかしその『ブロッケン』にもまた、名前があるのだとすれば、ひょっとするとギリィやラビットウルフなどのように人間に擬態して、どこかに忍び込んでいる可能性がある。
男は“死神”に拘っている。しかしそれ以上に、あのような戦場を生み出した諸悪の根源である『ブロッケン』にも固執している。
「君は、海魔か?」
「海魔? なぁに、それ?」
この問いに、少女はしばらく間を置いて答えた。通常の反応だ。嘘が混じっているようにも感じられない。
なにより、変質の力は人間が用いることのできる海魔を討つための唯一の手段だ。ドラゴニュート以外の海魔は、それを理解していない。だから、この少女が――マジョラムという人格が、理性で『音』の力を用いた時点で、人間に擬態する海魔という線は消えるのだ。
「君は、標坂 鳴を守る人格であり、君という人格が産まれたときから、君はマジョラムであると認識していた。これで良いかい?」
「その通り」
「……だったら、交換条件と行こうか。僕は君の言う通り、標坂 鳴を戦場に出せる討伐者として育て上げよう。勿論、その体に手を出すつもりも無いし、手を出そうという輩は断罪させてもらう。断罪の仕方を、戦い方を、生き方を、教え込んであげよう」
「やった♪」
「けれど、君は駄目だ」
「え~、なんで~」
「君は“悪”だ。僕の前に姿を見せないと約束するならば、さっき言ったように、僕は標坂 鳴を鍛え上げよう」
少女は視線を落とす。
「それは、私は不要と言っていることと同義でしょう?」
「君は狂い過ぎている。君は生じたときから壊れている。どうせ僕の忠告を守ることなんてしないだろう。そんな、反旗を翻すかも知れない人格を持つ少女を、僕は育てるつもりは無い。君が僕の前にその姿を、その顔を、その人格を晒さないと誓え」
「無理だよ、無理。だって私は鳴であって鳴じゃなく、そして鳴なんだよ」
「会話に少しばかり齟齬が生じているようだ。二度と現れるなとは言っていない。現状、標坂 鳴に比べて君の力が大きすぎるように見えるんだ。君を内包する器は大きくとも、酷使すればその器は割れてしまって、使い物にならなくなる。だから、器となる標坂 鳴の力が君と同等か、或いはそれ以上になるまで、奥底に隠れていてもらいたい」
「力が同等、そしてそれ以上になったら出て来て良いの?」
「ああ、そのときはきっと……僕が断罪することになるだろうけれど、それは仕方の無い話だ。僕は『音使い』に興味が湧いた。混合型の使い手という少女に興味が湧いた。なにもかもを吸収するという君の言葉に興味が湧いた。だからここから標坂 鳴を出す。けれど、君はずっと標坂 鳴の中に居続けろ。標坂 鳴が君を認識できるぐらいに強くなるまでは」
少女はしばらく悩んでいるような仕草を見せたが、次にはニタァッと笑って舌を出す。その舌の中央には、悪魔を表す羊のような、又は山羊のような紋章が見え、それが徐々に消え始めた。
「その話、信じることにしたのよ? ほんとよ?」
舌を見せたまま、少女は喋る。
「この紋章は私。私が私になったときに鏡を見て、舌を出したらこの紋章が出ていた。だから、次にあなたの前でこの紋章が見えるようになったときには、標坂 鳴じゃなく、私が出て来ていると思ってくれて良いわ。それまではなーにをしよーかなー。鳴の中で、鳴の外を眺めながら、面白おかしく、嗤っていようかしらー」
「そうしていろ」
「悪魔を飼う少女。でもねでもね、私って本当に悪魔かしら? ひょっとすると、鳴の中に宿った“もう一つの魂”なのかも知れないわよ? だとしたら、鳴は本当に『音』だけしか使えないのかしら。それを重々理解しておいてもらいたいわ。私だって、“いつまでも中で燻っているのは嫌”だから、そのときが来たら、どうなるかなー」
あはははっ♪ と最後に笑い、舌に見えていた悪魔の紋章は消えてなくなる。すると立って嗤っていた少女から力が抜けて、そのまま檻の中に倒れた。
「言った通りに引っ込む辺りは、どうにも悪魔っぽくない気もするんだけど」
頭を掻きつつ、男は呟く。思ったよりも、抵抗されることなく受け入れられてしまった。それほど標坂 鳴の中に居るマジョラムという人格は、彼女を戦場に立たせられるほど強くしてもらいたいらしい。
「……戦場はともかく、僕の全てを賭して、出来る限りの知識を教えてあげよう。ただ、悪魔の言うようにただ戦場に立ってもらうつもりはない」
彼女にはこれから描く法の基礎となってもらおう。
男はそう思った。




