【-次へ繋ぐという意思-】
「君たちはディルと共に首都を目指せば良い。その道のりは果てしなく長いかも知れない。けれど、辿り着けないわけじゃない。今のディルでも、君と同等の距離は進むことが出来るだろう。ここに死神と共に君たちより先に辿り着けたのがその証拠さ。けれど、だからって、なにも障害が無いわけじゃない。影の王は、ベロニカとスルトを僕たちを襲撃させている。ベロニカとスルトが単独で動いているとは考えられない。未完成ながらも人魔まで引っ張り出しているくらいだ。相当、首都へ向かわれることを嫌っているんだろう。もしくは、僕たちの中にある力を解放したがっている、とかね」
最後の一言は少し冗談混じりだった。
「一緒に行動した方が良くないですか? 戦力の分散は、危険だと思うんですけど」
「だから、僕が囮になるって言っただろう? 死神と共に首都を目指して、そこに襲撃があった場合、その時間は前に進めない。でも、二つにグループを分ければ、片方は襲撃されても、もう片方はずっと歩き続けることができる。そして、間違いなく影の王――『ブロッケン』は僕を襲撃して来る。こればっかりは、自信を持って言える。海魔は死神よりも、僕を優先して襲うはずだ。だから、囮は僕が相応しいんだ」
囮として適任である自信。そんなものは、雅にとってどうでも良い。
それよりも重要なことがあるからだ。
「つまり、ディルのために死ぬ、ってことですか?」
「勘違いされちゃ困る。僕は僕のため以外で死を選ばない。死神のためにだなんて、気色の悪いことを言わないでくれ」
「嫌です!」
雅が言おうとした言葉を鳴が先んじて言う。
「みんな、なんでそんなすぐに、命を投げ出すんですか!? もう、誰かが死ぬところも! 誰かを見捨てることも! 覚悟を見届けることも! もう嫌なんです! これ以上は、もう……耐えられません」
最後の言葉は掠れていて、鳴は今にも泣き出しそうだった。冷静沈着で、ポーカーフェイスの鳴がここまで悲痛な面持ちになるのには、他にも理由がある。彼女はジギタリスに好意を寄せている。なのに、ジギタリスは自ら囮になることを選び、死にに行こうとしているのだ。好きな相手が死のうとしていることを、受け入れられるわけがない。
「君にとって最重要なことはなんだい、鳴?」
「……海魔を、討ち滅ぼすことです」
「そう、その通りだ」
「だからって、ジギタリスさんが犠牲になって良いわけじゃありません!」
加勢するように雅も声を荒げる。
「だったら、誰がベロニカを討つ!? 誰がスルトを討つ!? 誰が影の王を討つ?! 僕たちは歳を取り過ぎた。二十年という月日は、僕たちの中にある変質の力と呼ばれる強い力にやられて、もうボロボロだ。デュオ、トリオ、カルテット、クインテット。誰もが“喪失”し“昇華”し、そして死んで行く。なのに、二十年は長すぎる。先駆者に申し訳が立たない。分かるかい? この力を見つけ、この力を発現し、この力を海魔打倒のために扱えるものだという事実の発見、そして実戦での確認。これらにどれだけの人が死に、どれだけの人が苦しんだか。最初に力に目覚めた使い手は、自ら実験体になることを選んだ。次に力を得た使い手は、自ら海魔に挑むことを決めた。そうやって目覚めと実験と死を繰り返し、僕たちが首都防衛戦に至るまでの歳月の中で、ようやく形ある戦いの切り札へと、まさしくこの力を変質させることができた。そんな多くの犠牲の中で、僕たちは長く生き過ぎている。変質の力を切り札に変えた彼らは第一世代、その切り札を自在に扱いこなす『五行』だけに属する僕たちは第二世代。この第二世代が幅を利かせ過ぎている。次の世代に、“異端者”と呼ばれる『五行』ではなく『摂理』に、或いはそれ以上のものに属している、第三世代に、全てを託すべきなんだ」
次世代に託す。
そのような話をケッパーやリコリスもしていたような気がする。ひょっとするとナスタチウムも誠に語っていたかも知れない。
けれど、そこには雅たちの感情は介在しない。
「それはジギタリスさんの意見であって、私たちの気持ちを一つも汲み取れていません」
特に鳴の気持ちがないがしろにされている。
そして、雅も鳴と気持ちは同じなのだ。これ以上、なにかを喪いたくない。なにも喪いたくない。誰も居なくなって欲しくない。
「それとも、ジギタリスさんは……死にたい、んですか?」
まるで的を射たかのように、ジギタリスの顔は凍り付いていた。
「それ、本当ですか?」
鳴が強めに追及する。
「……死にたいわけじゃ、ないさ。誰が死にたいと言った? ただ、長く生き過ぎていると言っただけだ」
「それが、死にたいってことなんじゃないんですか? こんな世界を投げ出して、放り出して、自分だけ楽になりたい。そうなんじゃないですか?」
ジギタリスは脱力し、しかしそれがフェイクであったかのように全身の筋肉を働かせて、雅の反応速度を軽く超えて、彼女の首を掴んでそのまま壁に背中を叩き付けて、追い込む。
「口が、過ぎるな……君は」
首を絞める力が強く、雅は声を出せないどころか、呼吸すらできない。
「僕は理論を述べる。けれど、君は感情論を述べる。感情論は往々にして、最適解を見失う。君は賢しい子のはずだ。心の中では分かっている。けれど、それを邪魔しているのが居る」
ジギタリスは雅の首に込めていた力を緩める。突然の解放と、意識が飛び掛けていた雅はそのまま床に崩れ落ちる。
「君だよ、鳴」
「え?」
「ひょっとすると、鳴と君が出会ってしまったのは間違いだったのかも知れない。冷静さは鳴も君も同等だ。でも、違いはある。君は激情に溢れ、熱く、そしてその熱を放出するだけの力がある。けれど鳴は、冷ややかに、時に冷酷に、冷たく、全ての熱を跳ね返す力だ。『風』は全てを受け入れる。『音』は近付く者を拒絶する。似ているようで似ていない。そんな力を持った同士が出会ったことは奇跡だと思っていた。なのに、ここまで君に鳴が影響を受けるなんて、思いもしなかった」
ジギタリスは赤い瞳で雅を見下ろす。
「冷静さを欠いた感情論を語るような性格じゃ無かっただろう、鳴は? 雪雛 雅が人間らしさを与えた。僕が人間らしさを良しとした。恐らく、そうしなければ僕は更なる間違いに足を踏み込んでいたかも知れなかったからだ。でも、最たる間違いは、僕が死神に拘ったこと、か」
「私と、雅が、会ったことが、間違い……?」
「僕と死神は相容れない。それは異名通りに、そして性格も、考え方もまるで違う。反りの合わない相手だ。分かり合うことは永遠に無い。だから、死神が連れていた雪雛 雅と出会っても、君は変わらないと思った。君は、レジェから標坂 鳴に戻っても、そのままだと思っていた。なのに、変わった。だから、ここに至って、君は感情論を口にし、僕の案を受け入れようとしないんだ」
雅が鳴の感情に影響を与えたことは本当だ。それは雅もよく分かっている。初めて出会ったときには、今のように共闘できるとは思っていなかった。ずっと反りの合わない、分かり合えない相手になるのではと、リィを救いに行き、打ち倒し、協力関係であってもそのままであると思っていた。
だが、雅はそれを選ばなかった。自分から鳴に関わりに行った。
それをジギタリスは間違いだと言った。鳴が変わったことを間違いだと言い切った。
そして、死神に拘っていた自分自身すらも間違っていたと、言った。
「私を拾わなければ良かった」
鳴が小さく呟き、ジギタリスが深奥に隠そうとしてたことを引きずり出す。
「そう、言いたいんですか?」
「……答えたくは無い」
しかし、それは答えになってしまった。
項垂れた鳴を見て、ジギタリスは病室を出て行く。リィはその場で、動けなくなった鳴と雅をただ見つめていた。




