【-エピローグ-】
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「これは……してやられたものだ」
影の王は手に取ったクイーンの駒を忌々しげに見つめ、力任せに握り潰す。
「クイーンとルーク。二つ奏上が成されたのじゃから、良いことではないのか?」
「結果的にはそうなった。だが、クイーンの言葉が一体、人間にどのような影響を及ぼすか、理解できない君ではないだろう?」
「ふむ、我が主よ。手を取り合った人間どもに、妾たちが負けるはずなかろうて」
「そうではない。負けるつもりなど毛頭無い」
影の王は苛立ちながらに続ける。
「人間はクイーンの言葉さえなければ、ずっと地位と欲に塗れ、安全な居場所を奪い合い、争い続けていたはずだ。しかし、あの言葉はこう告げた『人間と海魔の戦争』と。人間を最も脅かしている生物は同じ人間では無く、海魔であると諭した。内輪で揉め続けていた人間が手を組むのだ。ボクたちが世界を支配し、神を降ろす。それはもう決まっていることではあるが、今後、人間による邪魔立ては激化するに違いない。まさに、クイーンは戦争の火蓋を切って落とした。人間を扇動し、激励し、真に討たねばならない仇敵を、海魔に置いた」
「それが、さほど重要か?」
「これはボクが人間だった頃の記憶だ。記憶によれば、かつてジャンヌ・ダルクと呼ばれる聖女が自ら鎧を纏い、民を、軍を導き、敵に支配された地を解放した。その聖女も、志半ばで人間の裏切りに遭い、死んだのだが……この時代において、裏切りの代表格はもう居ない。『上層部』の人間をボクたちは殺してしまったんだから。地位に縋り、金に目が眩んだ豚共が居なくなった以上、人間が手を組むことは必定となってしまった。それも、裏切りの起こらぬ絶対遵守の軍隊の誕生だ」
「ならば、全てを屠れば良かろう?」
「そう上手くは行かないのが人間だ」
影の王は立ち上がり、部屋を歩いて出て行く。
「ビショップは封殺した。クイーンは自ら華々しく散った。ルークも因縁あるスルトの手によってその命を削り切った。しかし、未改良の人魔は使い物にならず、そしてクイーンの言葉は各地の人間を奮起させた。綺麗に奏上できたとは言い難い。何故、このような結果になったか分かるか、スルト?」
立ち止まり、廊下で待ち構えていたスルトに影の王は問う。
「己の未熟さが招いた結果だ。“戦神”との戦いを高尚なものと捉えるあまりに、他を見ずにただ本能のままに戦った。そして雑兵と決め込んだ人間を逃した。その中に、小鬼が混じっているとも見抜けずに、だ」
「良いや、君はよくやった。この結果を招いた全ての原因はボクにある。奏上すべき順番を間違えた。ビショップを早々に奏上させたことは良かった。だが、次にクイーンを狙ったのは早過ぎた。君が因縁を持つルークとの決着を先に回さねばならなかった。そう、ビショップ、ルーク、クイーンの順であったなら、このような事態にはならなかった。いや……むしろクイーンは最後に回すべきだったのかも知れない。ナイトとキングを重要視するあまり、このような奏上の順番を間違えるとは、全てボクに責任がある」
影の王はスルトの横を通り過ぎて行く。
「故に、次はボクが出る。部下に任せて待つは愚王の采配だ。そんなものになるぐらいなら、暴君に成り下がる方がまだマシだ」
そう言って、影の王は廊下の曲がり角を直進し、自らが作り上げた影の中に消えて行く。
「“戦神”の忘れ形見が、鬼となった。あの瞬間、己の拳をも越えて、奴の拳が己に届いた」
右胸にはナスタチウムが作った傷痕がある。そして、誠がスルトに拳を叩き込んだとき、あまりの衝撃と、拳から放たれた『光』の刃が、彼の者の左目を抉った。
その二つの傷痕を片手で撫でたのち、拳を握り、炎を揺らめかす。
「どこに居ても、己をその手で討つと、言ったな、鬼よ?」
ナスタチウムを殺したことで満ちるはずだったスルトの中にある器は、まだ満ちない。
「こうして生きているぞ、鬼よ。さぁ、貴様とまた相見えるときを、ここでこうして、待つとしよう。来るが良い。そして、己に飲み干されるが良い。そうして己の復讐と憤怒と憎悪の器は満ち、世界を壊すほどの力を得ることができるだろう」
スルトの隻眼の竜の瞳は、新たなる好敵手の登場に喜び、肉体はいずれ来たる再戦を望んで、打ち震えた。
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大樹の洞で薔薇の花が散る。
残った花弁はあと二枚。
その内の一枚が、自重に耐え切れずにまた散って行く。
残された花弁はあと一枚。
まだその花弁は落ちそうにない。
行く末を任された少女は未だ覚めない。
しかし、寝息は歌声の如く繊細で、そして可憐であった。
眠りに落ちている少女は寝返りを打つ。
それでも花弁はまだ落ちない。
しかし、心地良い眠りから目覚めたとき、幻想から現実に戻されたとき、
果たして少女は、その使命を知ることができるのだろうか。
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半球状の氷塊に海魔が、焼け野原にこんなものがあることに、奇妙さを覚えて近付く。
しかし、そこから放出される幾つもの花の芳香を混ぜ合わせた、なんとも言い難い匂いに鼻をやられて逃げて行く。
氷塊の中心に少女と少年の氷像がある。
少年の氷像には、僅かばかりヒビが入っている。
少女の氷像は、変わらず動かずにある。
しかしそれを確かめられる者はその場には居ない。
人間と海魔の戦争の火蓋は、切って落とされた。
しかし氷像と化した少女には、届かない。
そこに意識が留まっているかどうかも、分からない。
そして、果たすべき使命を背負えるかどうかも、定かでは無い。
少なくともまだ、その氷像は、動かない。
【To Be Continued】




