【-人と魔が混じっている-】
ベロニカのように、スルトもまたドラゴニュートから更に上の、人に近しい進化を遂げているということだ。だからこそ、焼け野原の中心に立っていることに異常性が増すのだが。
「その雑魚どもは、人間に海魔の血や心臓を移した、半端な生命体だな?」
「ああ。己も使えると踏んだのだがな。およそ十匹は居たのだ。しかし内、二匹は互いに喰い争い死んだ。三匹は血を吐いて、自ら左胸を掻き毟り、心の臓を抉って死んだ。更に三匹はここに至るまでに体が持たなかったようだな。ボロボロと体を崩れさせ、肉片も残らず塵となって死んで行った。残ったのはこの二匹だけだ」
「二匹、だけ」
鳴が反芻するように呟く。
スルトの前方には一匹の人魔が立っている。しかし、もう一匹の姿は無い。
「ああ、一匹は与えた血が複数混じっていてな、いや、それに耐える人間の体も大したものだと褒めてやりたいところだが、己の片腕だけで捻じ伏せられそうなほど弱くては、話にもならんよ。ああ、話が逸れたか。即ち、ここに居るには居るが、“戦神”ならば、その往年の知識から引き出せるだろう? 景色に溶け込む海魔の血が入っているが故に、やや見えにくいということだ。もう一方は、ご覧の通りだ。一匹の海魔の血液を完全に取り込んだ。取り込んだは良いが、精神をやられたようだ。この日までよくもまぁ持ち堪えたものだと関心はするものの、やはり一捻りで死に絶えそうな者に、褒美の言葉など不要だろう」
見えている人魔の立ち位置からして、等間隔に雅から見て左側に、景色に溶け込んだ東堂が居るに違いない。
「見えている方じゃなくて、見えていない方です」
早めにナスタチウムに告げておく。
「はっ、ならさっさと始末をつけるんだな。もう一方もさっさと半殺しにして寄越せ。そうしたら、そこの『バンテージ』――スルトと争う中でぶち殺してやるよ」
「なんだ? 己と貴様との戦いに水を差す存在だったか? 己の主から貸し与えられた以上は使いこなそうとも思ったのだが、この有り様では己の主も笑うだろう。なんならば、今すぐここで己が二匹纏めて殺し、貴様との命のやり取りをその後始めても良いのだが?」
「いいや、その二匹は残しておけ。でなけりゃ、俺の後ろに居る連中が、俺とテメェの殺し合いに水を差しに来る。後ろの連中が俺たちの命のやり取りを邪魔しないように、相応に使ってやれ」
「“戦神”が言うのであれば、それが良いのだろうな。己と同量の復讐と憤怒、憎悪を飲み下した者の言葉だ。これに従わぬ道理は無い。ならば、死に態の実験体どもが己と貴様との間に飛び込んで来たならば、それを己か貴様が始末する。無論、その始末をしている隙を突きはしない。これで良いか?」
ナスタチウムは黄土色の外套を脱ぎ捨て、肩を回す。
「構わねぇ」
「よし、ならば殺し合いの段取りは整ったな」
スルトは淡々と述べ、人魔に近寄る。
「己と、“戦神”の殺し合いに混ざるな。己は一対一を所望している。貴様らが相手をするのは、“戦神”の後ろに立つ者どもだ。これを反故にするならば、相応の苦痛を与え、貴様らを消し炭にする。理解せよ」
姿の見える人魔は、スルトの言葉に肯いたように見えた。見えただけで、その声が果たして本当に届いているかどうかは不明であるが。
「それでは始めようか、“戦神”。己の復讐の炎は、憤怒の炎は、憎悪と混じり、もはや誰にも止められはしない災禍のマグマとなり、渦巻いているのだ」
スルトの両手から炎が溢れ、そこからポタポタと液体状のものが落ちて行く。それは焼け野原となった大地を更に焼き、常温に触れたことから即座に冷やされ、鉄の粒となって転がる。
溶かした鉄を纏った炎。それはもはや、『火』とは呼ばない。そして『金』ですらない。あんなものを纏った拳を一撃でも浴びれば、どんな人間でも死んでしまう。
なのに、ナスタチウムはその拳を見ても怯えもせず、むしろ歓喜に打ち震えているように見えた。
「そうだ。それで良い。良いぜ、高まる。殺し合いってのはよぉ、分かりやすいくらいが丁度良いよなぁ!!」
ナスタチウムは叫び、両肩から両手の指先に至るまでの皮膚を自らの『土』の変質によって、岩の肌に変える。岩の肌を馴染ませるように手を開いたり閉じたりを繰り返し、納得したところで拳を作り、嬉々とした表情でスルトへと駆け出した。
スルトは躊躇わず拳を振るう。ナスタチウムも構わず拳を叩き込む。
「馬鹿じゃないの。鉄の融点は1500強で、岩は1100から1200弱よ? 岩で固めたって、スルトの拳に叩き付けたら意味なんて」
リコリスにとって、スルトのあの拳は脅威だ。一撃で人間も死ぬが、リコリスもまた一撃で全身の水が蒸発してしまうだろう。だからこそ、この女はディルと同等に物の融解する温度を把握している。
しかし、そういった理屈は通らない。ナスタチウムの拳とスルトの拳は筋力、そして振るわれた勢い、どれもこれもが同格であったかのように互いの腕が自身の振るった方向とは逆に弾かれる。
「そうだ、それでこそ“戦神”だ!! この炎を持ってしても、己の拳を止める者! やはり、貴様でなければなぁ!!」
筋肉を震わせて、スルトが喜びを表しながら毛のように逆立った鱗を辺り一面にばら撒く。さすがに傍観していては危険だと察知し、雅たちは大きく距離を取った。ナスタチウムは自身に落ちて来る鱗を全て拳で弾き飛ばして防いでいた。
そして、地面に落ちた鱗はドロドロと溶け、続いて急激に冷やされ、鉄となって地面に張り付いている。
「鱗が溶けて、鉄になった?!」
そう雅が言った瞬間、今まで動いていなかった目に見える人魔が口を開き、カメレオンの如く長い舌を伸ばす。先端は尖っており、絡め取るのではなく穿つように舌が進化しているのが分かる。咄嗟に避けることはできたが、続いて視界に入っている人魔は両手を地面に付け、ゴキッバキッと骨格を変えるような音を立てたかと思うと、四足で這って移動を始める。人が両手足を地面に付けたにしてはあまりにも体が地面に近付き過ぎており、そして両手足はあまりにも人とは思えないほどに伸び、関節の位置も異なっている。
喩えるならば、足の少ない蜘蛛。
「昆虫が海魔になった事例は無いんじゃ!?」
這う姿は凄まじいほどの嫌悪感を雅に与え、鳥肌が立って全身に怖気が走る。
「入れられた海魔の血はクリープかなー」
目前まで這って進んで来た人魔に対処し切れないでいる雅の代わりに、リコリスが水の弾丸を腹部に当てることで、撃ち飛ばす。
「クリープってなんですか?」
「『這うように動く』の意味があるクリープだよ。蜘蛛のようだけど、蜘蛛じゃない。クリープ自体はあんな形態を取らないけど、恐らくは人間が混じることで、あの格好じゃないと本来の習性を引き出せないんじゃないかな。フィッシャーマンのように舌を使って獲物を貫くこともするけど、問題なのは、あの両手足」
その説明をそのまま形にするかのように、撃ち飛ばされた人魔が両手足を異様な距離から“伸ばして”、指先から生える爪でリコリスを引き裂こうとする。しかし、全身が水で出来ているリコリスにその攻撃は通じない。
それで安心などできない。尋常ならざる距離から、人間ならざる長さの腕が、足が伸びて来たのだ。ただただ気味が悪く、気色が悪く、嫌悪感は拭えない。
「クリープは、イカが海魔になったような姿をしていて、ほぼ軟体動物に近いんだけど、人間が素体になると両手足の骨が邪魔になる。きっと、あの形態を取ることで骨と骨の距離を取り、関節を限界まで引き伸ばし、皮膚と筋肉を伸縮させることができるんだよ。じゃぁ、普通の人間がそんなことできるかって言うと、できないよねー。皮膚と筋肉の伸縮にだって限界がある。クリープよりもその限界は早い。だったら、これだけ伸びるってことは皮膚も筋肉も、クリープのそれと同等まで変化してしまっているってことー」
人間らしさが遠のいて行く。海魔の性質に呑まれ、もはや人の形すら捨て去ってしまっている。これならば、罪の意識をそう感じずに、人魔になってしまった一般人を救うんだという気持ちで、戦えるかも知れない。
雅は二本の短剣を引き抜きながら思う。
「……け、て」
人魔の口が動いた。
「タズ……ゲ、テ」
決意が一気に瓦解した。瞬間、その隙を狙って人魔は両手足をおぞましいほどに伸ばし、高々と跳躍すると、中空で体を捻り、そして口を開いて、長い舌を一直線に突き出す。
「危ない!」
動けない雅を守るために鳴が前に出て、引き抜いた短刀で舌の先端を切り落とす。人魔は呻き声を上げて舌を戻すも、着地して口を開いたときには、断ち切ったはずの舌は再生を完了しており、ボタボタと涎を垂らす。
「迷ったら、駄目」
「う、ん」
少しでも迷いが生じると死ぬ。それはどんな海魔を相手にする場合でも常に付き纏うことだ。しかし、人魔ともなれば、それは更に危険性を増す。リィやアジュールのような等級の高い海魔は理性も持ってはいるものの、大抵の海魔は本能で動く。恐らくはクリープと呼ばれる海魔も本能で動く部類の海魔だろう。
だがそこに人間が混ざり、人魔となることで元が本能でしか動けない海魔であっても、理性を働かせられるようになる。それは先ほどの、雅の隙を狙った動きと、昨夜の東堂の行動からも分かる。
これほど嫌な相手が居るだろうか。本来ならなんの気も無く、それ相応に注意を払えば討伐できる下等な海魔の血が、人間に入ったというだけで、こうも容易く戦う意思が削がれて行く。
たとえば、あの「助けて」という言葉も雅を動揺させるための手段の一つだったのだ。なにせスルトが「精神がやられた」と言っていたぐらいだ。もはや、この人魔となった元人間に「助けて」と言えるだけの精神は死んでいるだろう。その代わりに、理性を貰った海魔の本能が脳を動かしているのだ。




