【-待っているから向かうのか、それとも-】
「行くぞ、テメェら。『バンテージ』の気配はこっちだ」
「首都から真逆ねー……そんなに私たちに首都に近付いてもらいたくないのかしらー。まー飲んだくれの勘が外れることもないだろうからー、取り敢えずは行ってみようかー」
東に向かえば首都に着く。しかし、ナスタチウムは真逆の西に向かって進路を取った。リィが土の家に入って行くのを見届け、そしてアジュールが未だ気を失っている誠を担ぎ出したところで、雅は鳴に目配せをし、葵の肩を叩いて、共にナスタチウムのあとを付いて行く。
「ん……なんだ、なにがあった?」
後ろから追い掛けて来たアジュールの背に乗せられていた誠が目を覚まして、すぐさま男らしくない状況であることを察して、アジュールの背から降りる。
「説明はアジュールにしてもらうから。今はナスタチウムのあとを付いて行くだけ」
「ナスタチウム……? クソ、思い出した。昨日、散々な目に遭わされたんだった」
全身から来る痛みに誠は悶えている。
「なにを、されたの?」
「暴力だよ暴力。訓練と言って、ボコボコにされたんだよ」
「でも、あなたは、陽光と月光の鎧を纏えるんじゃ?」
「だけど、それでもナスタチウムに殴られて、死に掛けた。僕の月光は打撃に強いはずなのに、貫いて来た」
「それで、反撃もできなかった?」
「したさ。でも、剣は使うなと言われて、体術だけで倒せって言われた。拳と蹴りだけで打ち負かせって言われた。正直、わけが分からなかった」
ナスタチウムは確か、誠の変質は一工程多いと言っていた。陽光と月光の剣を作ることが、一工程多いことなのだろうか。しかし、それでは誠は戦えない。あの大男は一体、誠になにを求めていたのだろうか。
「アタイには、あの男の理屈が理解できるけどな。あんたの変質は一つよけいだ」
「その一つよけいってのが分からないんだよ。クソ……ただ鬱憤を晴らしたかっただけじゃないのかよ」
相当、ボコボコにされたことを根に持っているらしく、ブツブツと文句を言い続けている。普段からナスタチウムに対する文句は多い方だが、今回ばかりは誠の堪忍袋の緒も限界だったらしい。
「アジュール、説明をお願い。私たちは先に行くから」
ただ、ずっと誠の相手をしているわけにも行かない。雅はアジュールが肯いたのを見て、鳴の手を取って葵の元へと戻る。
「大丈夫ですか?」
「へっ?!」
変な声を出し、両肩をびくりと震わせて、青褪めた顔で葵は雅を見る。
「だ、大丈夫です」
「そういう風には、見えないけど」
鳴が恐る恐る葵の手を取る。
「とても冷たい。温めて、あげる」
そう言って、葵の手を更に強く鳴が握っているのが見えた。
「私も」
雅は葵のもう一方の手を取る。氷のように冷たい葵の手を強く握り締め、少しでも彼女の心を補佐できるよう努める。
「ありがとうございます」
「気にしないでください」
「……雅さんと鳴さんに訊きたいんですけど、人を殺す感じ、って……どう、でした?」
雅と鳴は葵を挟んで顔を見合わせる。
「どうもこうも、最悪です」
「私も、嫌だった」
「その嫌で最悪なことを、あたしはしないと、行けないんですね」
葵は更に塞ぎ込む。だが、本音を吐かなければならない場面だった。ここで嘘などついたら、葵は発狂でもして雅と鳴を糾弾しただろう。殺人を犯した者に罵詈雑言を浴びせるのは物の道理なのだから、それぐらいは言う前から想像が付いた。
「それで、東堂が助かるなら、やるしかないんです」
「分かっています。分かっていますよ? でも、嫌なことには変わりが無くて、不安で不安で、この場に蹲ってしまいそうになるんです」
それでも、と葵は続ける。
「あたしは前に、進むんです。東堂君のために、全てを捧げて、前に進む。蹲るくらいなら、雅さんやディルさんを見て、討伐者になんてなりません。そう、雅さんたちと会ったときから……これくらいの覚悟は、持っておかないと駄目だったんです。遅すぎますけど、ちゃんと、私の手で……」
「葵? 『慈善』も行き過ぎると、ただの傲慢になるんだよ。なんでもかんでも救い出そうなんていうおこがましさは、『慈善』じゃないの。選んで、救い出す。本当の『慈善』は、そんなちっぽけなもの。全員を救い出すことは、それはもう『慈善』じゃなくて『救世主』って呼ばれる存在。そんな存在は、この世界には居ない。分かるよね?」
リコリスの言葉に、葵が嫌そうに、しかし静かに肯く。
「安心してよ、葵。私もなにも、あなただけに全てを任せる気はないわ。だってあの子、ちょっと手強そうだったもの。簡単には、殺させてはくれないと思う」
昨日の一件以来、リコリスは飄々とした雰囲気を薄めさせている。言っていることは非常に真面目で、真っ当で、そして正しい。間違っていることを言っているようにも聞こえるが、どれもこれも最終的には、正しさに変わる。
本当のリコリスさんは、もっと気品があったのかな。どこから、狂ったんだろ。
「二十年前に私、死んでるんだよー。そう思えば、ちょっとは楽なんじゃない? ねぇ、クソロリ?」
「……私、また過去を探るような視線をしていましたか?」
「ええ、はっきりと分かるくらいには。だから、その答えが二十年前に私は死んでいると思えば、私の過去を探ったりだとか、私の言葉に翻弄されたりだとかせず、楽になるんじゃないかってこと」
「過去を知らないと、死んだ人の想いだって分からないじゃないですか」
そう切り返すと、リコリスは少し物思いに耽る。
二十年前に死んでいると言うリコリス。けれど、そこに至るまでの想いや感情は、まだ残っている。そしてなにより、全身を水に変えても尚、ここにこの女は存在しているのだ。ならばまだ死んではいない。
死んでいないのならば、少しはリコリスのことを知りたいと思うのが筋じゃないだろうか。ここまで巻き込まれてしまっているのなら、尚のことだ。
「そっかー、うん、そういう言い方もできちゃうのかー」
そう呟いてから、リコリスは語り出す。
「騒乱の中で生きる女。そこが生活の全てだった女。でも、紛争に巻き込まれる前は……地雷の道や銃弾の雨、手榴弾の爆音轟くような場所で生活できるようになる前は、もう少しだけ、正義漢ほどじゃないけど、正義を貫きたいとは、思っていたかな。清いままでは居られなかったけれど、せめて正しく、美しく在りたいとは思っていたんだよ。小さな、願望で……壊されちゃったけど。ねぇ、クソロリ? 葵みたいな人間ばかりだったなら、こんな腐った世界でもきっと、みんな手を取り合って、紛争なんて起こらずに、国境線なんて関係無くて、きっと優しい世界が、あったんじゃないかなって思うことはあるんだよ? でも、現実はそうじゃない。私たち人間は、いつも争ってばっかりで、そこに海魔まで加わって、もうどうしようもないくらいに手を取り合うなんてことはできなくなっちゃっている。心が荒んで、生きることに精一杯で、他人のことを思いやる余裕なんてまるでない。それがこの世界……なんで、こんな世界なんだろ、って思ったことはあるけどね。それも昔のこと……遠い遠い、残滓だよ。私が各地に零して来たものだよ。もう拾い集める気も、無いけどね」
その後、ケラケラと嗤ってはいたものの、リコリスが心の底から嗤っているかどうかは分からず、雅にはその無理な嗤い方が、痛々しくも見えた。
「でー、飲んだくれー? ほんとに行く先はこっちであってんのー?」
「焦んじゃねぇよ。俺の知っている『バンテージ』なら、待っている」
「待っているー?」
「行けば分かる」
その異様な自信に、雅たちは疑問符を漂わせながら道を進み、林の中に入り、そして草木を掻き分けたその先には大きな焼け野原が広がっていた。
「なに、ここ? ここだけ、燃やし尽くしたみたいに」
呟きながら視界を動かして行くと、焼け野原の中心に、彼の者が立っていた。
「四度目か、“戦神”。どうにも来るのが遅いではないか。仕方無く己が、貴様の墓標となるよう、戦場を用意せねばならなくなった」
「うるせぇ、復讐と怒り、憎悪に塗れたクソ海魔を待たせてなにが悪いってんだ? 俺じゃなく、我欲でドラゴニュートを殺しに掛かったテメェと拳を交えるのも、なんだかつまらなくなっちまったなぁ。そんな、雑魚どもまで従えて、偉くなったつもりか?」
「従えたつもりはない。己の主に貸し与えられた。適任と思い、進言したのは己であるが、貴様と拳を交える際に邪魔立てをするのならば、すぐに殺すつもりだ。そして、己は『バンテージ』などではない。己は、スルト。よく覚えておけ。死した先でも忘れぬよう、魂に刻み込むことだな」
『バンテージ』――スルトは人間に近い体躯をしている。以前に遭遇したときは、ドラゴニュートの一面が残っていた。しかし、切り落とした尾は再生しておらず、翼をもがれた傷痕もほぼ消えている。そして、全身に至っていたはずの鱗は筋肉の隆起でのみその形を示し、そもそもの肌も褐色に染まっており、より人間らしさが際立っていた。




