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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-決意の少女と狂気の男-】
246/323

【-それは一体何者か-】

 力を緩めて、抱き締めていたリィから離れ、小さく微笑むと雅は彼女の手を取る。


「待って、お姉ちゃん」

 リィにしては強めの発声であったため、雅はすぐさま足を止めて周囲を見回す。


「気配は……ある?」

 雅には分からない。しかし、リィが肯いたのだけは見逃さない。

「近い」


「でも、どこにも居な、っ!!」

 気を付けながら翻った雅の眼前に、景色と溶け込んでいても月の光の反射によって揺らめく彼の者が迫っていた。そして、彼の者は既に両手を頭上にかざして、手に握るなにかを雅の脳天に叩き付けようとしている。


 体が動かない。襲撃を予見していなかったのだから、当たり前だ。そして、この距離では反射神経に頼っても、一撃を貰う。それで体のどの部位が断裂するに違いない。


 ならば、どこを切断されることが、今後の生活と戦闘において正しい選択であるのか。まさに死の綱渡りとも言えるこの時間は怖ろしく長い。この感覚は、客船型戦艦での一件以来であり、思考の延長がこれほどまでに長引くのもまた、久方振りであった。


 だが、恐らくは髪の毛も入る隙間も無いほど短い、一瞬とも言い難い、一秒経ったかすらも危ういそんな針に糸を通すような僅かな隙間に、水流が割り込んだ。その水流は彼の者からの一撃を水の流れる勢いで弾き、雅を守るだけでなく、前方で渦を巻いて、続けて来るであろう二撃目、三撃目を受け止めるための盾となる。


「けれど、どこかには居るんだなー」

 そんな声が響いた次に、雅のすぐ隣に水が収束し、リコリスを形成する。

「気配、無かった」


「御免ねー、海竜。私には“気配が無い”からー。残滓を置いて、それなりに話は聞かせてもらっちゃったよー。なにせ、疑えってあのクソ男が言っていたからねー、仕方が無い仕方が無い。そして、ついでにー海竜がディルとクソロリ以外を信じていないことも分かっちゃったけどー」

 リコリスがそこで真顔になる。

「そういうのとは私、おさらばしているからこれっぽっちも気にしないのよ。けどね、そういうのを邪魔するような輩だけは、おさらばしている身であっても、許さない。それが大切だということは、ずっと前から分かっていることだから」


 渦を巻く水流の先端――即ち、水流の始まりであるが、リコリスの手の動きに合わせて蛇のようにうねり、蠢いて盾ではなく、単純にそこに抱かれている流れの勢いで、姿を景色に溶け込ましている彼の者を押し飛ばす。


「リィは気付いたみたいですけど、私は全く気付けませんでした」

「私もねー、クソロリが襲われる寸前まで気付けなかったー。こんな海魔、クソロリと海竜の知識の中に居るー?」

 姿を景色に溶け込ませ、襲撃して来る海魔。真っ先に思い浮かんだのはレイクハンターだ。カメレオンのように周辺に擬態する。だが、あのレイクハンターの習性は遠距離からの攻撃。そして極めて繊細な射撃だ。こんな近距離からの攻撃で、しかも手に握るなにかを振るうような海魔では無い上に、これほど高度な景色に溶け込む能力は持っていなかったはずだ。


 ならばストリッパーか。しかし、これも違う。あの海魔はヒレの皮を武器にして襲撃して来るが、景色に溶け込むような習性は持っていない。ストリッパーは人の皮を被ったり、草木のようなもので姿を偽ろうとするが、こんな、喩えるならば光学迷彩のような性質は持ち合わせていない。


「ヴェルベル」

「へー、ヴェルベル? ちょっと発音が難しいなー。でも、そいつなら私も聞いたことがあるよー、海竜? 私の記憶だと、夜行性で暗闇でも俊敏に動けて、隠れながら目標に近付いて、ほんの一瞬の油断を察知して、襲撃する海魔だよー? こんな、景色に溶け込むような習性は無かったはずなんだよねー」

「ヴェル、ベル?」

「『隠す(ヴェルベルヒゥン)』という意味から付けられた海魔。文字通り、隠れるのが得意。二等級海魔。日本での討伐報酬額は約八十万から百万。水は二ヶ月から三ヶ月」

 この気配が希薄で、姿すら光学迷彩のように隠す海魔が、二等級海魔のストリッパーと同額だというのか。それは、少なすぎる。一等級海魔のレイクハンターと同額ぐらいの支払いが無ければ割に合わない。


「だーかーらー、私の知っているヴェルベルはこれほど高度に姿は消せないってーの!!」

 リコリスがなにかしらの気配を感じたのか、自身と雅、リィを囲うように地面から水流を噴出させる。それは、雅がかつて見た公園にあった噴水が、更に強力になり、外側からではなく内側から眺めているような景色だった。


 噴出する水流に数度、なにかがぶつかっている。爪、ではない。水の裂け方がまばらならそれもあり得たが、これは鋭い刃物――剣や刀のような一本の軌跡を描く代物だ。


「リィ、ヴェルベルは武器を使うの?」

「使わない。主な攻撃手段は爪。あとは、暗がりで人を背面から襲うことが多いから、爪自体それほど大きくならない。お姉ちゃんの持っている短剣よりも短い――食事で使うナイフ? ぐらいの長さの、はず」

「そーその通り。海竜の言っていることはほとんど当たりで、ほとんど間違ってない。嘘をついていないってことがこれで分かった。だから変な疑いを掛けていたけれど、こうして守っているわけー」

 このような場でありながら、そこでリコリスは改まる。


「疑って御免ね。あのクソ男への疑いはまだ晴れていないけど、少なくとも海竜が、あのクソ海魔と繋がっている線は消えたと判断したわ。クソロリとの会話を盗み聞きさせてもらったことも大きいけど。でもまー安心してよー。女の約束事を外に吐き出すほど、私ってまだ薄情じゃないのよねー。これが男だったなら、真っ先に暴露しに行くところよ。二人とも――一人と一匹? 女と雌? まーどっちでも良いやー、股間に付いて無くて良かったねー」

 下世話なことを混ぜ込んで来る辺り、まだリコリスは本気になっていない。こうして自身を含めて、雅とリィもまとめて天に向かって噴き出す水流で囲っているからこその余裕である。

「さてさてー、これでちょっとはいざこざも解消できたとしてー、できたってことにしてー、できたってことにしなさいよー? あとはこのヴェルベルなのかどうなのか分からないのをー、どう対処するのかってところよねー」

 そう言いながら、噴出する水流の全体を眺めるようにリコリスが視線を動かす。雅も、この女に合わせて水の流れ一つ一つに気を配ろうとしていたとき、リィだけが空を向いていることに気付く。


「リコリスさん、上からです!!」


 一本の斬撃は水流に囲われてから数度繰り出されたのち、消えた。それはどの方向から斬撃を繰り出しても、水に阻まれると分かっていたからだ。そして、この水の防御をどうやって突破するかを彼の者は考えた。そして、水流の届かない空高く――まさに台風の目の如く、中心に“水流を飛び越えるようにして”、景色を揺らめかせながら彼の者が降って来る。

「りょーかい!」

 水流が止まり、続いてリコリスはキャップ帽を目深に被りつつ、天を指差す。空気中の水分が一塊になり、そしてリコリスの指先から高密度の水流となり――切れ味鋭い光線が天を射抜いた。

「当たりました?」

「掠っただけー、あのさー質問なんだけどー、中空に浮いてて進行方向って変えられるものー?」

「わた、しはできますけど」

 『風』の力を使えば、自らの体を風圧で跳ね飛ばして強引に中空での進んでいる向きを変えることぐらいはできる。

「それがヴェルベルにできるかなー? でも今のはー、進行方向を変えたんじゃなくてー、体を捻って掠らせたんだよねー!!」

 雅とリィがリコリスの体から放出された波濤に押し流される。と同時に、二人が先ほどまで居た箇所に、彼の者が着地したのが着水音と水の跳ね上がりで分かった。そのまま彼の者はリコリスに、自らが握っている武器を突き立てる。

「あははー、残念。私の体は、そんなことじゃ傷付かない!」

 そう、リコリスの体は水で出来ている。武器による剣戟、斬撃、刺突などは通じない。それどころか高いところから落ちても怪我をしないし、大岩などに潰されても死ぬことすらない。唯一、怖れるのは、水分を奪って来る熱だけだ。

「さー、良い子だから姿を現しなさい。あまりの駄々っ子なら、このまま体中の水分を吸い取って、っ?!」

 リコリスが目を見開き、即座に彼の者から離れた。その突然の動きに付いて行けなかったキャップ帽が地面に落ちて、綺麗な金の先に白のメッシュが掛かった髪が踊る。しかし、そんなことにはお構いなしに、武器のようなもので貫かれた自身の腹部をリコリスは片手で押さえている。


「なにかあったんですか!?」

 なにかあったのだから、リコリスは怪我をしたときのように刺されたところを押さえているのだが、事態を呑み込めず、そのまま訊ねてしまった。


「こいつ、内側から熱を送り込んで来て、私を構成する水を蒸発させて来た」

「え?」

「分からないの?! こいつは武器に『熱』を持たせていたってこと! 武器が接する空気を“変質”させてね! あなたが短剣の片側が触れる空気に『風』の変質を行って、噴射力で剣戟の勢いを強めるみたいに!」

 余裕は消え去り、リコリスはただ揺らめく景色の中に潜む彼の者を睨み付けている。

「ヴェルベルなんかじゃないわ。確かにヴェルベルの性質を持ち合わせているけれど、コイツは、使い手の性質も持ち合わせている」

「そんな……」

 雅が声を発して動じたそのとき、揺らめいていた景色が膨らみ、弾けて、中から水が溢れ出して行く。

「なにをしたんだ?」

「武器が私の体を貫通した。そのとき、私はあなたの手に振れたわよね? そこから、あなたの皮膚を全て水に変質させてもらったわ」

 彼の者の足元にはふやけて破れ、千切れた皮膚らしきものが何枚も落ちている。転んでもただでは転ばない。武器で体を貫かれたとき、てっきり雅はリコリスが油断していたものだと思っていたが、実際にはしっかりと次への一手を仕込んでいた。


「へー」

 リコリスが小さく声を零す。

「しばらく見ない内に、ゲスい男に成り下がったみたいじゃーん……?」

 なんのことかと雅は、景色から姿を現した彼の者の顔を確かめる。

「……え?」

「うっ、ぐ……っ! 頭、が……っ!」

 蹲った彼の者に、リコリスはここぞとばかりに右手でピストルを(かたど)って、引き金に引っ掛けているかのように中指をゆっくりと動かす。撃鉄を表す親指が鋭く曲がり、人差し指の先端からは高密度に圧縮された水の弾丸が放たれる。


 しかし、蹲った彼の者が豹変したかの如く顔を上げ、右手に持っていた刀で水の弾丸を弾き飛ばした。

 野獣のように舌を出し、唾を垂らし、両目はギラギラと獲物を捕食する海魔の如き姿勢を見せると、左右にブレながら、そして大きな声で唸りながらリコリスへと駆ける。


「そーやって、止まってくれないなら!」

 リコリスが嬉々とした表情を作る。

 両手を重ねて、そこから左右に力を込めながら腕を開く。両手の間に生じた空間に水の玉が一気に膨れ上がり、両手をまた閉じながらピストルを象ると膨れ上がった水は先ほどよりも更に密度の高い水の塊となって、両手の人差し指の先端に止まる。

「もー殺しちゃうしかないよねー!!」

 彼の者は動きを止めない。左右にブレてはいるが、リコリスが照準を外すようには思えない。まず間違いなく、ここで討たれる。


 だが、雅は「どうして彼が」という思いから来る感情が熱となって、全身から汗を噴き出させるほどの焦りに変わっていた。そして、リコリスの射撃を止めなければ“彼”が死ぬという事実が、とんでもないほどの気持ちの悪さにまで発展している。


「待って、くださ、」

「待たないよ! 私はそーいう女だからさー!!」


 けれど、その言葉とは裏腹に超密度の水の弾丸は発射されず、そして同時に後方に跳び退ってリコリスは距離を置いた。

 まさに撃とうかという刹那に、葵が飛び出し二人の間に割って入ったからだ。そのまま葵は手を覆うほどに巨大な氷の爪で“彼”の刀による斬撃を受け止めている。


 息は荒く、「ゼェゼェ」と呼吸を整えるのも後回しにして、彼女は“彼”の顔を確かめる。


「どうし、て?」

「残滓が連絡した通りだよー、葵。もう殺すしかない」

 頑なに、リコリスは「討つ」ではなく「殺す」という言葉を遣う。普段から「殺す」と言っているのかも知れないが、今回ばかりは語意に強みを感じる。

 二十年前の生き残りは全員が殺しを嫌う。一時期、ジギタリスは殺しを容認していたようだけど、改心してからは鳴にそんな言葉を向けたことは一度も無い。だから、そう感じてしまうのだろう。

「だって、彼は!」

「う……っ、が、ぎ、うぼぇっ……!!」

 葵の声に激しく苦しみ、刀を下げて“彼”は離れると、吐血する。


 けれど、その血は赤では無く、ヘドロのような、どうみても“人間”のものとは思えない液体だった。吐瀉物であるという可能性もあるにはあるが、しかし、液体を吐く行為を見て、“血を吐いたように見えた”のなら、それはきっと真実なのだろう。


「東堂君!!」


 葵の悲痛な叫びで、雅はようやっと“彼”を、“彼”であると認めなければならなくなった。今までは、そんなことはあるはずが無いと心の中で言い聞かせていた。見間違いだろうと思い込ませようとしていた。なにより、海魔が“彼”に似せた顔をして、こちらを動揺させようとしているのではないか、とありもしない習性に全てを押し付けようとした。

 葵さんが、そう言うのだから、間違いないんだ……。

 彼の者、或いは“彼”――東堂 幹雄は口から零れたヘドロのような血を、リコリスとの僅かな戦闘において、びしょ濡れになってしまった服の袖で拭い去る。

 衣服はボロボロで、そして、ボロボロだからこそ体のあちこちに見える肌の色は、限りなく薄い青色である。

「白銀……あお、い……い、や……そうじゃ、ない。俺に、命じられ、た、こと、は……」

 東堂は持っていた刀で自身の左手の甲を貫いた。噴き出す血液はやはり、赤ではなくヘドロに近い液体だった。

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