【-リィへの疑い-】
「俺も『上層部』に居たのはずっと昔の話だ。最重要施設に身を寄せていた頃も無い。ただ場所だけはテメェの言うように、首都にある。で、二十年前からあそこには一度も立ち寄っていねぇ。そこの人で無しがそうであるように、俺もあの場所がクソ海魔どもに占拠されているかどうかなんて知らねぇよ。なのに、なぁ餓鬼? テメェはなんで、その可能性があると踏むことができる? どうしてその可能性を確実と思って、今、目指している?」
「『上層部』は『活きた水』で日本からまず、腐り切った水を洗い流そうとしている。それが正義漢から聞かされたことだ。だが、そんな大々的なことをすぐには出来るわけがない。日本全土を洗い流すためにどれほどの水が必要で、どれほどの建物が必要になるか分かったものじゃない。ならば、まずは首都から始めるのが、小汚い上の人間たちが考えることだ。自らの住まう都市部だけを一時的に、ともかく安全にするために実験台にする。そうなると、まず天高くから、水を流す施設が無ければならない。日本一高い山でも良いが、あそこには日本一高い電波塔が建っていたはずだ。山で試す前に、まずそこから始めるだろう。無論、昔よりも雲を貫くほど高く、そして頑強な電波塔ではなく“塔”として」
「でも、二十年前にその電波塔は海魔に潰されたはずよ」
「そう容易く壊されてたまるか。そんなものはフェイクだ。俺だったら、二つ用意する。一つは日本一高い電波塔、もう一つは、日本一高かった電波塔。どちらか一方が壊れても良いように、どちらか一方を隠す。隠し方は、非常に簡単。地下に埋める」
ディルの言葉に対して、ジギタリスが薄い笑いを零す。
「地下に収納させるって? ははははっ、そりゃ良い考えだ。良い考え過ぎて、笑えて来るね」
突拍子も無い話だ。誰だって呆れ返る。そして、ジギタリスはその呆れを笑って示したのだ。しかし、笑い終えたあとに言葉を零す。
「意外にも――甚だ、アテにならない話と笑い飛ばしていた部下の報告にね、あるんだよ。三つほど、気になるものがね。天を仰ぐ頂点の園、海を貫く深淵の庭、地を穿つ根底の苑。『上層部』は天を仰ぐ頂点の園と海を貫く深淵の庭を造り、隠しているという報告さ。まったく、“死神”の勘は怖ろしい。その話に可能性があるのなら、天を仰ぐ頂点の園とやらが地下に隠されている、ということになるじゃないか」
「地下に隠されている? だったら、地を穿つ根底の苑じゃないのかい?」
ここに来てアジュールが会話に入り込む。
「天を仰ぐ頂点の園から水を流しただけでは、衝撃で地上に穴が空く。洗い流す気なんだから、そんなことを気にしてどうなるんだって話だろうけどね。でも、それを受け止める器があれば? そして器から溜め込んだものを改めて、全方位に流すのだとすれば? 天を仰ぐ頂点の園を覆うように地を穿つ根底の苑を造り、そして流した水を海を貫く深淵の庭で回収する。頂点から落ちた物体は、衝撃を受け止め、役目を終えたところで回収箱に落ちる。そういう仕組みを考えているのなら、強ち、“死神”の話にも確実性が増すんだ」
日は暮れた。パチパチと火の弾ける音だけが響く。
「つまり、クソ男の言っていることは、そして私たちが行かなければならない場所はどう足掻いても、あの場所――首都になるってことかしら? 最悪……最悪よ。一番、行きたくない場所に行かなきゃならないなんてねー」
「『上層部』をクソ海魔どもに占拠されているならば、それを悪用することだって出来てしまう」
薪をくべながらディルは言う。
「悪用、だと?」
「つまり、『活きた水』を流すのではなく、この世界を満たしつつある腐った水を流すことだって出来るってことだ。洗い流すことを知って山に逃げても、逃げることができたとしても、腐った水に染め上げられた地上に、生きる場所は、無い」
そう言った瞬間、ナスタチウムがまだ中身の入っている酒瓶を地面に叩き付けて割った。
「許さねぇよ、そんなことは。絶対になぁ」
否定気味だったはずのナスタチウムが、ここに来て妙にやる気を見せている。心情の変化が極端過ぎて、雅には付いて行けなかった。
なにかを隠している?
この態度の変化には、ナスタチウムがディルたちに隠しているなにかがあると、雅は読み解いた。
たくさんの人を見て来た。そしてたくさんの海魔も見て来た。果てにはディルのようなネジのぶっ飛んだ相手とも長く接して来た。だからこそ培われた観察眼が、ナスタチウムに隠し事があると訴え掛けて来るのだ。
けど、それはきっと話してくれない。
隠し事とはひけらかさないからこその隠し事なのだ。バレてはならないこと、明かされてはならないこと、明るみになってはならないこと。ナスタチウムはそれを踏まえている。雅がそれとなく訊き出そうとしたところで、ボロは出さない。逆に訝しまれてしまうだろう。
話すとすれば――
雅の視線は誠に向かう。しかし、その誠はこちらを見向きもせず、その場の雰囲気の悪さに呆れ、溜め息をついている始末だ。そんな彼を見ていると、ナスタチウムが自らが隠していることを明かすことなど、連れ歩いていた誠であっても無いのではないかと思えて来る。
「餓鬼、ちょっと来い」
そうやってナスタチウムを観察していると、なにやら機嫌を悪くしたのか立ち上がり、誠の傍まで歩いて行く。
「どこに行くつもりですか?」
誠がナスタチウムに問い掛ける。今更ながらに、ナスタチウムに対してだけは敬語を崩さない彼は、とことんまで従僕させられているんだなと思う。ディルは決して口調に文句は言わなかったが、ナスタチウムはそうではなかったのだろう。ケッパーが楓ちゃんに丈の短いスカートを履くことを強制させたように、ナスタチウムもまた自身にだけは敬語を遣うように強制させているのかも知れない。たまに忘れて、その後に怒りを買う光景もしばしば見受けられるのだが。
「テメェの戦い方を根本から叩き直す。でなきゃテメェがこの先、生きて行けるとも思えねぇからな」
「僕が? 僕以外の誰か、の間違いじゃないんですか?」
「臆病さは抜けて、傲慢さが前に出始めたか。力があると過信して、性格の根幹が捻じ曲がりつつあるのが丸分かりなんだよ。『竜眼』を手にして、更には驕りまで拾っちまったようだなぁ、餓鬼。その傲慢さを取り除いてやるって言ってんだ」
誠は、二十年前の生き残りが連れている討伐者の中で一番強い。それは雅も分かっていることであるし、周知の事実である。鳴ですら、誠を強者と認識している。
けれど、雅と会う前の誠はもっと臆病で、もっと慎重で、ヘタレな男だった。それがグレアムの『竜眼』を受け継いでから、一気にではなく徐々に変わって行った。強く在らなければならない自分を求め続け、そして一定の強さに達しているからこそ、そこで満足している。
雅は楓との手合わせをしていたときのことを彼から直接、聞いたこともあった。そのときは違和感を覚えることは決して無かったのだが、ナスタチウムの言い方から歪みが見え始めた。
雅たちの誰よりも強いという慢心が、誠の中に渦巻いている。無論、もっと強くなりたいという意思はあるだろう。しかし、下を見れば“自分よりも弱い討伐者が居る”という認識が出来上がってしまった。それが彼の成長を妨げている。ひょっとすると、楓以上に誠は、『竜眼』を継いだときから成長できていないのではないだろうか。対等に渡り合える相手が居ないことが、力を腐らせている。かと言って、この中で誠以上の強者は二十年前の生き残りとなってしまう。力の差は歴然としていて、その差を埋める気には到底、なれない。“まだ自分は強い”や“まだ自分は一番弱くない”といった、見下しの感情が生まれ出ているのだとすれば、ナスタチウムの推察は見事に的を射ていることになる。
「僕はこれ以上、強くなる必要性をあまり感じないんですが?」
「そこがディルの連れている餓鬼との違いだなぁ。おい、火竜。テメェが文句を言っても、餓鬼を連れて行く。構わねぇな?」
「あいよ、どうぞお好きにしてやってくれ。アタイも、ずっとお目付け役で居られるのは肩身が狭くて困っていたところさ」
わざわざアジュールに許可を得る必要も無いのだが、誠の口実を先回りして塞ぐ。これに観念し、誠はブツブツと文句を言いながらナスタチウムと一緒にどこかへと歩いて行った。
「誠と私の違いってなに?」
「知識への貪欲さ」
「戦闘に対する執念だね」
「アタイは食料と水への執着を推す」
「女の子っぽくない根性論もだよねー」
ディル、ジギタリス、アジュール、リコリスの順に喜ぶべきなのか凹むべきなのか分からない答えが返って来て、微妙な顔を作って、この場を乗り切ろうと試みる。
「人の顔を窺うってところもだな。テメェの場合は、“人の心を窺う”みてぇなものだが」
「そうそー、たまに表情が険しくなって、目が怖いときがあるけど、あれって絶対に私たちの内側を覗き込んでいるんだよねー、仕草から始まってなにからなにまで呑み込んで、それが一体どういった意味を持つのかを自分の中で掻き混ぜて、推測し、答えを導き出す」
「年齢に見合わない観察眼は、褒めるべきなのか捨てろと言うべきなのか」
「ドラゴニュートのアタイから言わせてみれば、いずれ身を滅ぼしかねないほどの代物だ。あんたの眼は『竜眼』以上に、変質の力に呑まれて、奇妙な“眼”になりかねない。努々、気を付けるべきだよ。物事を深く観察すればするほど死にやすいのがこの世界さ。直感も残っているようだから、それを大切に磨き上げるのも忘れないことだねぇ」
本当の本当に、褒められているのか貶されているのか分からなくなって来た雅は眩暈を覚え、その場に座り込む。
「なんか、もう少しイメージの良いことを言ってくれると思っていたのに」
「食料と水、金にガメつい女なんざ最高じゃねぇか。利用する分にはこれ以上ない相手だ」
利用する分には、はよけいだと雅は心の中でツッコミを入れる。
「で、正義漢? あの飲んだくれは、テメェに命令されるまで、一体どこでなにをしていた?」
「……さぁ? 君が知る必要は、無いんじゃないかなぁ」
「殺すぞ」
「脅したって僕は機密情報は守る主義さ。そこのリコリスと違って、ギブアンドテイクの精神も持ち合わせちゃいない。勿論、君たちに最優先で伝えなければならない機密情報は全て提供したつもりさ。けれど、ナスタチウムに関しての情報、或いはリコリスについての情報、そしてケッパーや、君、そして僕のような特定の人物に関する情報は、手にして頭に入れていても誰にも提供するつもりは無いんだよ」
「私にもですか?」
「え……あー……うん、時と場合による、のかな」
あのジギタリスが鳴の一言でタジタジになっている。意外と鳴とジギタリスの仲は良いのではないだろうか。
「クソ女は知っているんじゃねぇのか?」
「おあいにく様ー、私を便利屋みたいに思わないでくださーい。飲んだくれの情報なんて一つも手に入れていないわよー。私にだって、手にしておきたい情報と頭に入れたくもない情報を選ぶ権利ぐらいあるんだからねー」
そこでリコリスは一呼吸置く。
「まー、置いた残滓によっては正義漢の居場所を知ってしまったりだとか、そういった仕方の無い情報の収集が行われることもあるんだけどさー……ねー、クソ男? あんたの情報はどこの残滓も拾ってくれないわー。二十年前から今日に至るまでの足取りなら掴んでいるけれど、あんたの出自や、首都防衛戦に至るまでの十数年間については、さっぱりよ。あんた、一体どこで産まれて、どのように育って、どのように生きて、どのように心を砕いて、どのようにして首都防衛戦に参加する討伐者の集まっていた、あのプレハブの町に辿り着いたのよ? 答えなさい」
「俺の過去を晒す理由はどこにもねぇなぁ。それで俺の弱みを握りたいってだけなんじゃねぇのか? だったらよけいに、話すことも無い」
「違うわ、クソ男。私はねー、出生が不明なあんたを、少しばかり疑っているのよ」
「疑っている?」
「そう。『上層部』の最重要施設? 塔、受け皿、器? なんであんた、ここに来てそんなことが分かるのよ。私には分からないわ。その直感も、その感覚もなにもかも、ね。ひょっとしてあんた、クソ海魔の一人と通じているんじゃないの?」
雰囲気は更に険悪になる。
「ディルが海魔と通じているわけないじゃないですか」
答えようとしないディルに、たまらず雅が擁護の声を上げる。
「だってディルは海魔を殺すことだけを考えて生きて来たんですよ? どんなときだって、その殺意はあって、私が怯えるくらいに放たれていて……なのに、どうして殺す対象の海魔と通じる必要があるんですか?」
「そこの、海竜」
「リィが……なにか?」
「クソ男の言うことを利いて、クソ男も海竜の言うことは絶対に利く。おかしいと思わない? 特級海魔のギリィが、人間と一緒に居るなんてさー。ドラゴニュートだって、理由が無ければ人とは関わらないじゃん。そうでしょー?」
「まぁ、そうだけど」
アジュールが言い辛そうに答えた。
「だから、海竜は理由があってクソ男に関わっている。クソ男もまた、理由があって海竜に関わっている。大体、ハーブの名前を偽名で私たちから出会った頃から遣っていた時点からして怪しいのよ。だって、『ブロッケン』は言っていたわよ? 『実験対象者名、フェンネル』。私たちがハーブの名を遣っているのは、クソ男がそうだったからだけど、クソ男自身は一体どうして、それを偽名に遣おうなんて、思ったのかしらー? それもこれも、あんたが『フェンネル』という存在を――『ブロッケン』という存在を、首都防衛戦の前から知っていたからなんじゃないのー?」
「待ってください! 仲間を疑うようなことを言ってどうするんですか! ただでさえ、二人も居なくなったんですよ!?」
葵が仲裁に入ろうとするが、リコリスは尚も続ける。
「そう、クソ男が通じていたからケッパーは死んで、馬鹿ロリは眠りに落ちた。クソ男が海魔に居場所を伝え、襲わせたから。そうも考えられたりしないかしら?」
答えなさい、とリコリスは最後に続け、ディルの返答を待つ。
もしも、だ。もしも、ディルが海魔と通じていたなら? と雅は必死に頭を回転させる。
『下層部』の施設に居ることを知らせ、襲撃させ、大事な戦力を――ケッパーを喪わせ、楓ちゃんを失わせることで、私たちの戦力を削いで行くことが、できる?




