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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-決意の少女と狂気の男-】
236/323

【-欲求が満たされていない-】

 基本的に、ディルたちの行動全てを気にする必要は無い。あの男たちは勝手にどこかに行って、勝手にしれっとした顔で戻って来る。なにをしていたか問い掛けても、一番大事なところだけは隠し通す。そんな男たちと話すことにはもう慣れた。このイカれた男たちと話す場合は、ある程度の諦めが肝心なのだ。

「アジュールさんに偵察のお願いをして来ましょうか?」

 雅の顔色を窺うように葵が訊ねる。

「いや、『下層部』で空の調査をお願いして、それで義翼が壊されてしまったので……今回は無理にお願いできません。アジュールさんも、そんな扱いはきっと嫌うでしょうから」


 そしてなにより、誠の目を盗んでお願いに行くタイミングなどきっと無い。過保護ではあるが、マッド・ブレイヴの一件があった以上、あの過失は雅にある。これ以上、罪悪感を無視してお願いには行けない。そして、アジュールはドラゴニュートとしての誇りがある。偵察などの細かいことを淡々とこなしてはくれない。むしろ、ドラゴニュートのアジュールのために雅たちが偵察をしておかなければならない。特級海魔のご機嫌を損ねては元も子もない。立ち位置は、常々に逆であることを刻む。


 強行軍を始める前に誠とアジュールと合流した際には、ディルはすぐに義翼を作り、アジュールに再び飛翔できるだけの力を与えた。恐らくは、雅に対する皮肉、或いはイヤミの一種だろう。『俺の知らないところで勝手な行動を取るな』という意に、雅は捉えた。


 リィに任せるのも、ディルが許さないだろうなぁ。


 現状、アジュールとリィのどちらかを偵察に出すのが安全を確保する上では得策である。なにせ、この二人――二匹とも数えても良いが、それではきっとアジュールもリィも機嫌を損ねるので二人と数える。とにかく、この二人は人間を超越している特級に属する海魔だ。気配だけで下級の海魔は逃げて行く。そして、もしも窮鼠猫を噛むが如く襲撃されても、それを跳ね除けるだけの力も備えている。不意討たれたところで、雅たち人間のように絶命する危険性はほぼ無い。


 が、両者揃って壁が立ち塞がる。アジュールの場合は『下層部』における雅の過失と、それに伴う誠の存在が、リィの場合は問答無用でなにもかもを力でねじ伏せ、却下に追い込むディルの存在がある。


「結局、小回りの利く私たちが動いた方が良い、ってことになりそうです。葵さんは休んでいてください」

「ですが」

「鳴と私で、なんとかなりますから。葵さんは休んで、いざと言うときに備えてください。あとは、水の確保が必須ですし」

 これだけ疲れている葵を連れて、辺りを探りに出掛けることはできない。雅もほとほと疲れているのだが、それでも彼女に比べればまだ体力が残っている。決して体力の不足を指摘しているわけではない。彼女には少しでも休んでいてもらわなければならない。

 なにせ、リコリスが真っ当に『活きた水』を寄越してくれるか分からない。強行軍に伴い、喉は渇き、水筒は空になった。非常用の水が入った小瓶も底を尽き掛けている。それは雅だけではないはずだ。


 でも、ナスタチウムさんはお酒を飲んでいたんだよね……。


 ひょっとすると、水分補給が必要なのは雅だけなのかも知れないという、不安がよぎる。が、そんなものはすぐに首を横に振って、誤魔化した。なんにしたって、もう『活きた水』が無いのだ。困窮しているのが自分自身だけなのだとしても、葵に『水使い』として『活きた水』を変質してもらわなければ、喉が渇いて夜も眠れないだろう。

「申し訳ありませんが、葵さんに『水』の変質をしてもらいたくて……歩き疲れて、水を一杯飲んじゃいました、から」

 この世界では水は貴重なものだ。査定所にはそれなりに蓄えがあるが、旅をしていれば利用できない期間も訪れる。そうと分かっていながら、その貴重な水をがぶ飲みしてしまった。


 楓を置いて行ったストレスもあるのかも知れない。ディルが正常で無いように、自身もまた正常に振る舞っているようで、客観的には異常な状態にあるように見えるのかも知れない。


 それら全部を恥と感じつつ、雅は葵に頼み込む。


「構いませんよ。誰だって、水は必要なんですから。あたしは、水を求める人に水を与えられる力を持っています。だから、気にしないでください」

「ありがとうございます」

「それに、友達なんですから、そう気構えないでください」

「言われてみれば、そうですよね」

 状況が状況であるため、そのことを忘れてしまいそうになっていた。一番、大事なことを忘れ掛けていたのだから、やはり自身は正常では無いのかも知れない。


 雅はそう思いつつ、ジギタリスと話を終えた鳴の元に行く。


「鳴は疲れてない?」

「大丈夫」

「だったら、一緒に辺りを見回ってくれないかな。安全を確保する上でも、周辺の状況を知っておきたいから。それとも、ここで休んでおく?」

「行く」

 鳴がパッと表情を明るくする。リィと同じく分かり辛い表情の変化だ。ただ、それが雅にしか分からないくらいの小さな変化であることは『下層部』に居た頃の葵とのやり取りで判明している。葵には、そして誠や、楓でさえも鳴の僅かな表情の変化は分からない。分かるのは雅と、恐らくはジギタリスだけだろう。更に言ってしまうと、鳴以上に表情の変化が乏しいリィの表情から喜怒哀楽を読み取ることができるのはディルと雅だけだ。


 どんな表情も見逃さない眼は、同時に戦闘における観察眼となる。現状、雅以上に物事を見破るのが得意な者はこの中には居ない。それでもディルの過去については点と線を繋ぎ合わせることさえ困難なのだが。


「ありがと」

「それで、あの、私……水、飲み過ぎ、て」

「ええと、それは安心して。私が一緒に葵さんに頼むから」

「ほんと?」

「うん」

 鳴は表情を綻ばせる。ただし、雅やジギタリスが分かる範囲だけで、だ。


 顔を見ていれば、分かるんだけどなぁ。


 と、鳴やリィの僅かな喜怒哀楽を読み取れる雅は思う。鳴もリィが時折見せてくれる小さな笑顔は、楓の可愛さ以上の、母性を擽るものがある。「可愛い」ではなく、「守ってあげなきゃ」と思ってしまう。リィはともかく、鳴はほぼ同年齢だというのに。

「でも、一人でお願いできるようにならなきゃ駄目だよ」

「分かっている、けど……友達、とか、まだ実感、湧かなくて」

「私とは話せているじゃん」

「雅のこと、好きだから」

「へ?」

 妙な間が空く。そして雅は頭の中がヒートアップして行く。

「ち、違う、違う!」

 雅の分かりやすい変化に鳴が察したらしく、首を横に、そして手をぶんぶんと振って否定を表す。

「に、人間として、好き、ってだけ、で……それ以上、深い意味、は、無くて。私は、同性も肉体的に好きになれる、わけでもなく、て」

「あ、うん。分かってるから、気にしないで。ほら、行こう」

 肉体的になどと付け足すものだから、雅の中で妄想が更に加速してしまった。が、深呼吸を繰り返して、自らを落ち着かせる。鳴はジギタリスのことが好きだ。ならば、同性の自分に向ける「好き」は、そういったこととは全く異なるものであることは明白だったはずだ。それなのに、互いに裸になって体を重ね合わせているところまで妄想が進んでしまった。


 ひょっとしなくとも、欲求不満なのだ。


 ディルに恋をしていると自ら認めた頃から、性的な感覚に悩まされるようになった。ちっとも興味の無かったその手の行為について考えるようになり、眠る前には自らを慰めようとすらした。それがなんだか罪であるかのように感じて、ギリギリのところで止まっているのだが、いつか爆発して、この衝動に身を委ねてしまいかねない。それも全員が野宿しているその横で身悶えさせるかも知れないと思うと、不安を通り越して怖気すら走る。


 ディルに恋心を寄せ、自分が女であることを理解し、そしてリコリスが雅と鳴に男女の営みについて語った。その三つの要因が重なったことでようやく露呈したその感情に、その精神の要求に、辟易している。

 体が疼くような感覚に今後も度々襲われるのであれば、恋とはなんと気色の悪い代物なのだろう。これは、腐った世界の中で生き残るために必要な要素では無い。


 だからこそ、苦しい。苦しいからこそ、同じ感覚を分かち合えているだろう鳴に救いの手を求めてしまった。それが今回の見回りの提案に繋がっていることには、恐らく気付かれてしまっているだろう。


 ならば、どこまでの人に見抜かれているのか。恐らく、誠やリィは気付いていない。葵やアジュールには気付かれているかも知れない。鳴とリコリスは見抜いているはずだ。ディルやナスタチウム、ジギタリスにはまだ、知られていないはずだ。なにせディルは雅の恋心にすら気付いていないのだから。

 そもそも、こんな欲求を異性に見抜かれてしまえば、半狂乱になって暴れ回る自信が――あっても仕方が無い自信がある。


「鳴は、その、困ることない?」

 周辺を二人で見回りながら、雅が切り出す。

「なにに?」

「その、えーと、ほら、好きな人を思い浮かべると、体が、なんか変な感じになる、でしょ?」

 鳴のように言葉を大切にして発声しているわけではなく、恥ずかしさを誤魔化すために飛び飛びになってしまう。

「それは、ある、けど」

「鳴はどうしてるのかなーって……私、ちょっと参っているから」

「誰にも、言わない?」

「言うわけない。こんな、恥ずかしい話、誰にも、言えない」

 雅がそう言うと、鳴がコソコソと動き、耳元でボソボソと囁く。

「……ほんとに?」

 恥ずかしそうに鳴はコクンッと肯いた。

「やっぱり、そうするしか、無いのかなぁ」

「そうするしか、無いと思う。一度、終わらせれば落ち着く、し。そうしたら、私、まだ、来てないから」

 一度終わらせれば、一時的に性欲は満たされる。鳴の言い方からすれば一、二ヶ月はそんなことで困ることも無くなるだろう。

 たった一度。たった一度だけで、ともかくも欲求不満でふしだらな妄想ばかりをせずには済む。ただし、一時的な解決にしかならないのも確かである。

 しかしながら、性欲などそう永続的に続くものでもないだろう。今はこうなってしまっているが、次が来るか来ないかはそれこそ人それぞれだ。中学では性についての授業はあった。小学校のときに月経についても学んだ。しかし、女性の性欲の強弱や、訪れる欲求の周期については教わらなかった。


 自分自身の、女としての感覚が昔よりもリアルで、近くに感じられて、けれど雅自身はそれを拒んでいる。だからからなのか、よけいに気色が悪い。今はこの自分の体に起こっている現象に、憤りすら覚えるのだから。


「……手伝う?」

「はっ?! いやいや、手伝わなくて良いし!」

「見張るから、その間に、という意味、だったんだけど?」

「どっちにしたって、鳴を煩わせるのは悪い気がするし」

「でも、自分を落ち着かせないと、いつまでも邪念が、付き纏う、よ?」

 邪念とまで言い切るのだから、鳴もほとほと参っていたのだろう。

「うん……そうなんだよねぇ、なんとかしようとは思っている、けど。話を聞いてもらうだけでも楽にはなれるし、さすがにそれ以上の迷惑は掛けたくないから」

「迷惑じゃない、よ?」

「うーん、でもほら、逆の立場だと鳴もちょっと嫌でしょ?」

 しばし首を傾げ、その後、首を縦に小さく振った。これでどうやら感覚の共有はできたらしい。そして、こんな猥談はもう終わりにしたい。でないと、リコリスがいつ聞き付けてやって来るか分かったものではない。


 既にどこかで残滓から聞いている可能性は否めないが。


 そんな嫌な予感を抱きつつも、雅と鳴は本来の仕事である見回りを淡々とこなす。日が沈まない内に野宿する場所を中心として約百メートルから二百メートル圏内には、できることなら海魔を寄り付かせたくはない上に、発見もしたくないところだ。

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