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【討伐者】  作者: 夢暮 求
【-決意の少女と狂気の男-】
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【-強行軍-】


「ディル、ちょっと休もうよ。リィも疲れているみたいだし」

「休んでいる暇なんてねぇだろうが。ついでに、ポンコツがそう簡単にへこたれるかよ」

 足早に先を行くディルは、雅の話を一切聞こうとはしない。手を繋いで同じペースで歩いているリィを見る。表情は硬く、しかし明らかに歩く速度は落ちていた。顔には出さないが、疲労がそれだけで感じられる。


 そして雅も、疲れていた。ここ数日の強行軍は常軌を逸している。朝も昼も夜も、ただ歩き続けている。休憩するとしても、それは食事のときだけ。そして町に寄ることがあっても、食料と水の確保、そして非常食類の確保に限られている。靴だって碌に良い物を選ばせてもらえない。


 いつも通りのディルではない。いつも通りのディルなら、どこぞで休息を取ることを決めるはずだ。無理な行軍は決してしない。それは、途中で海魔に遭遇した際の体力を温存するためであり、そして精神的疲労を取り除く必要があるからだ。雅だって一人旅をしていたときには、これほど無茶な行軍はしなかった。自分の限界を見極め、近くに町があれば寄り、入念に目的地に向かうための進路を探るための休憩を取った。


 雅でも出来ていることが、ディルに出来ないわけがない。第一、ディルとリィと一緒に旅をして来た雅には、こんな無茶苦茶がこの男らしくないことはよく分かっている。


 乱暴で、横暴で、暴力的ではあるが、旅の基本は守る。リスクマネジメントはしっかりと練っている。

 なのに、この歩みは異常過ぎる。


「ちょっと休んだ方が良いんじゃないかなー、クソ男。まぁ私は大丈夫だけどさー、きっと飲んだくれも正義漢も大丈夫だけどさー、それ以外が続いていないよー。あー、火竜も問題無いみたいだけどー、竜眼の子を気にして無茶に進んでないみたいだしー」

「黙れ、人で無し」

「あーそーいうこと言っちゃうんだー……クソ男ってー、意外とメンタルが弱いんだねー。アガルマトフィリアが死んだだけで、馬鹿ロリがリタイアしたってだけでそうなっちゃうんだからさー」


 振り返ったディルがリコリスを掴もうとするが、その体は水で出来ている。そのため、手はただ体を構成している水を貫くだけだった。


「クソ女が、俺に命令をするな」

「そーいうこと言うなってーの。これ以上、先走るようだったらー、私と葵は抜けさせてもらうからー」

「勝手にしろ」

 そう言って翻り、再び前を向いたディルの正面に土で出来た壁が突出する。

「なんのつもりだ、飲んだくれ?」

「止まれ、餓鬼。テメェのそれは生き急いでいるようにしか見えねぇなぁ。どこぞの低俗な海魔に狩られたいんじゃねぇのか?」

「ふざけるな。立ち止まっている暇がねぇことはテメェも理解してんじゃねぇのか」

「少しばかり上で人を指示する側に居たんでなぁ、効率的か非効率的かでしか物事を判断することができねぇ。ああ、臆病者って罵ってくれても構わねぇ。だが、それで命が救われて来たことだって少なからずあるんだ。なぁ、餓鬼? 二十年前のように、また痛め付けられたいか?」

「二十年前の俺と今の俺を一緒にするなよ、飲んだくれ」

「そりゃ俺が言うことだ、餓鬼。テメェだけが年喰っているわけじゃねぇんだ。あの頃と同じように戦って、同じように狂って、同じように暴れ回るだけの能無しじゃねぇ。あの人形好きの餓鬼も、二十年前とは違う戦い方をしていただろうが」


 空気が張り詰めている。ケッパーを喪った痛みをまだ誰も受け入れられていないからだ。雅たちに比べ、二十年前に死線を潜り抜けた、ディルたちはそう易々とケッパーの死を、感情から切り捨てることができないだろう。


 ただ、それで雅たちが正常で居られるというわけではない。ケッパーの死は重く受け止めているし、なによりもこのメンバーの中で唯一無二の快活さと溌剌さを持ち合わせていた楓を大樹の洞に置いて来た。死んではいないが、眠り続けている彼女が目覚めるまで、もうあの笑顔も、あの可愛らしい無邪気な姿も、見ることが敵わない。

 楓はある意味でムードメーカーだった。そしてケッパーは、こうして居なくなってから分かって来ることだが、二十年前の生き残りたちにとっては緩衝材だった。


 ディルとジギタリスは反目している。ナスタチウムは年長者としてのプライドがある。そしてリコリスは、自身が背負うべきもの全てを放棄している。


 狂っていても、間違っていても、おかしくても、そこにケッパーが加わればディルは態度を緩めていた。それは、ディルが彼の死に際に「友達だ」と言った通りの関係であったからに違いない。

 ディルが態度を緩めれば、ジギタリスも己を見返す。ナスタチウムはそのタイミングで締めに入る。リコリスはケラケラと嗤って場を誤魔化す。不思議で仕方が無いが、それで安定していた。


 緩衝材が無ければ、その不思議な安定感は、簡単に瓦解した。それがこの有り様だ。ディルはジギタリスに苛立ちを隠せないし、ナスタチウムの話を聞こうともしない。そしてリコリスとは相も変わらず、「クソ男」と「クソ女」と罵倒し合っている。

 なにもかもが上手く行くわけがない。それでも、これほど立ち行かない状況になってしまったことには、さすがの雅も想像することができなかった。

「大丈夫ですか?」

 肩で息をして、今にもへたり込んでしまいそうな葵さんを気遣う。リィも雅から手を放し、彼女のことを心配そうに見つめていた。

「あたしは、運動神経が鈍いですから……その、皆さんのお荷物になっているのでは、と……思ってしまいます」

「そんなことありませんよ。私だって、ギリギリですから」

 葵は自らを恥じているようだが、雅の足もそろそろ限界に達しようとしている。歩けと言われれば歩けるが、それであとどれくらい持つかは分からない。ひょっとすると歩けと言われた一分後には棒のようになって、一歩も前に進めなくなってしまうかも知れない。

「無茶苦茶」

 ボソリと鳴が呟く。それはディルの強行軍に対しての一言だとすぐに分かった。ジギタリスに特訓を受けていた鳴ならば、これぐらいでへこたれることはないのかもと思っていたが、リィと同じく表情には出してはいないが、体力的な限界を感じていることがその呟き一つで手に取るように分かった。

「大体、どこに行こうとしているのかも分からないってのに……僕らは、あの人たちを信じて良いんだろうか?」


 誠も、足を止めてそう発した。ナスタチウムに鍛えられたのだから、それなりに体力を備えているだろうさすがの彼も、この歩みには根を上げてしまっているらしい。それをドラゴニュートのアジュールが気遣うような視線を向けている。アジュール自身は、圧倒的な体力を持っているのだから、これぐらいで疲れることなど無い。それでも歩を合わせるのは、『竜眼』を受け継いだ誠を見届けるためだ。


 なんにしても、このままでは駄目だ。


 雅は悲鳴を上げる足を動かし、ついでに震える体を奮起させるために頬を自分の手で叩きつつ、尚も先を行こうとしているディルの行く手を遮るようにして前に出る。

「なんのつもりだ、クソガキ?」

「今日はここまでで、あとは休憩」

「それを決めるのはテメェじゃねぇ」

「だとしても、ここで休憩しないと誰かが倒れる」

「なら置いて行く。野垂れ死んでしまえば良い」

「それが私であっても?」

 雅は恐れず、ディルの睨みに睨みで返す。

 これは一つの賭けだ。ケッパーを喪って、なにもかも無茶苦茶な言動を取ろうとしているこの男が、客船型戦艦で雅とした約束をちゃんと果たすかどうか。


 子供との約束事なんて、すぐに破ってしまいそうなディルだが、今の今まで、この男は約束を破っては来なかった。雅の前から姿を消したことはあったが、最終的にはまた雅の前に現れた。リィのためであったのかも知れないが、ジギタリスの『火』で渇き切った喉を潤すためにリコリスに声を掛けた。あれは、雅を見捨てないという約束を守ったからだ。


 そう、約束だ。ディルは約束に拘る。だから今回だって――


「……ちっ、ここまでか」

 ディルは呟き、襤褸の外套を翻す。

「今日はここで終わりだ。明日まで休息を取る。野宿の用意はテメェらがやれ。その代わり、夜の番は俺が引き受ける」

 はぁ、と深く息を吐いて雅はその場に座り込んだ。全身から力が抜けた。先ほどまで体を支えていたはずの足は、もうまるで言うことを利いてくれていない。マッサージをしてみても、痺れに似たダルさがただ立て続けに引き起こされるだけだ。

「ありがとう、ディル」

「はっ、なにがありがとうだ。約束なんざに、頼りやがって」

「でも、ディルは約束に拘ると思ったから」

「……それで俺を分かった気になるのは、何十年も早ぇんだよ、クソガキ」

 ディルは一人、林の向こうに行ってしまう。林の中に行ったところで、野生の動物は穢れた水を飲んで、食べられたものではないし、木々の果実だって同じだ。だとすれば、火にくべるための薪を拾い集めに行ったのだろう。火はジギタリスの変質によって引き起こせるけれど、それを維持するためには、やはり燃える物が必要になる。ジギタリスに火を変質させ続けさせるのも、手ではあるが現実的では無いというディルなりの判断だ。労わりとも取れるが、恐らくは信じていないだけだ。


 ディルは約束に拘っている。それは分かる。でも、どうしてなんだろう?


 自分でそれに賭けておきながら、雅は疑問が頭から消え去らない。ディルに訊けばはぐらかされ、そしてナスタチウムやリコリス、ジギタリスに訊ねたところで「分からない」という答えが返って来るのが関の山だ。

 本当に、ディルが約束に拘っている理由を、ケッパーは知っていたのかな?

 もうここには居ない、強者を思う。そんな風に考えたところで、決して答えは出て来ないのだが、もしもここにケッパーが居たならば、ディルのことをもっと知ることができたのではないだろうか。


 『たられば』なんて、想像するだけ無駄、か。


 雅は疑問を放り出し、自身の想像も放棄する。そうしなければ動けない。特に、結論が出るまで考え込んでしまう自分自身は。

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