【-棘は全てを傷付ける-】
「終わった、んですか?」
「多分……」
「ん……」
鳴が意識を取り戻し、辺りを見回して楓を捉える。
「なにが、あったの?」
「楓ちゃんが、今まで見せたことのないような力を発揮して、ベロニカを追い返した」
「今までに、無い、力? でも、なら、どうして……ジギタリス!!」
「ああ、君も見て分かるだろう? あの子の殺気は未だ、消えていない」
ジギタリスが大樹まで戻って来て言い放ち、続いてディルもやって来る。
「あとはテメェと、ウスノロ、そしてお前がやれ。ガキは施設から落ちちまったから仕方がねぇ。三人で止めろ」
「え、止める? なんで私たちが楓ちゃんを止める?」
「強者である僕たちに怒りの矛先は向かない。向くとすれば、傍観することしかできなかった君たちに、だ」
「でもそれは、あたしたちでは戦いの妨げになると思っていたからで」
「馬鹿ガキはそうは思わない。“昇華”の最中は、頭が狂う。狂っているときにやることは責任転嫁か、殺戮か。どちらにしたって、テメェたちが止めなきゃ意味がねぇ。グダグダ言っていねぇで」
ディルは葵の首根っこを掴み、楓の傍まで投げ飛ばし、続いて鳴は胸倉を掴まれて同じく投げ飛ばされる。
「テメェも投げてやろうか?」
「なにがなんだかよく分からない、けど」
雅は立ち上がり、歩き出す。
「それで楓ちゃんが、落ち着いてくれる、なら……やる」
「死ぬかも知れないとしてもか?」
「仲間のために死ぬことぐらい、友達のために命を代償にすることぐらい、惜しくない」
そう答えて、雅は葵と鳴の元まで走る。
「あ、ケッパーが死にそうだったときになんにもしてくれなかった人たちだぁ」
ゾッと背筋が凍る。到底、楓が見せるわけがないような、相手を貶めるニタァッとした笑みを作ったからだ。
「あーぁあ、ケッパー死んじゃいましたよぉ……それもこれも、なぁんにもしてくれなかったあなたたちのせい。あなたたちの、あなたたちの……あなたたちのせい!!」
楓を中心に溜め込まれた怒りの発散とばかりに放電が行われる。バチッバチッと電気の弾ける音がそこかしこで起こった。
三十分と、ケッパーは言っていた。
なんのことだか分からなかったし、こうして楓と対面するまで思い出すこともしなかった。しかし雅は、ケッパーが言い残したその「三十分」に意味があるのでは、と考える。
「ここに来るまでに五分。ケッパーが粘って二十分」
つまり、二十五分前後は経過している。ひょっとすると、もっと短いかも知れない。だから六分か四分という僅かなズレは生じているのかも知れないが、五分。
五分だけでも持ち堪えることができたなら――無論、五分を待たずして楓を止められれば一番良いのだろうが、ケッパーの言い残した三十分が経過したとき、ひょっとすると楓は元に戻ってくれるかも知れない。そんな淡い希望を抱いても良いじゃないか。
どうせ、大した希望を持っても、叶えてくれない世の中だ。一縷の望みを胸に秘めていたって誰も文句は言わない。
「葵さん、『水』ではなく『氷』で。『水』よりも電流の通りは悪いはずです」
「はい。ですが、体のどこかにあの短剣が少しでも触れれば」
「わたしたちは、黒焦げに、なる、かも」
「うん、だから五分。五分だけ頑張って……五分経てば、なにかが変わる。そんなの希望じゃなくて願望でしかないけど、ケッパーは三十分って言っていたから。あと五分前後で、三十分になる」
「分かりました」
「分かった」
葵が水の爪を両手に生やし、力を込めてそれを氷の爪に変質させる。鳴は二本の灰色の短刀を抜いた。雅もまた、黒白の短剣を構え直す。
「全員、ここで! ケッパーに謝りながら、死んじゃってください!!」
鉄板を踏み締めた楓の足から、目でも分かるほどの電撃が迸る。質量があるのかないのか、判然とはしないが光速ではない。鈍く重い電撃。けれども動きが不規則で避けるのはそう容易いことではない。
葵は左に、鳴は右に、そして雅は真っ直ぐ、電撃を避けつつ楓の元へと走り出す。『風』の力は『雷』に貫かれる。それは、楓と手合わせをしたときに分かったことだ。だから、『風』の変質は主に自身の回避や跳躍、そして噴射による腕力の補助に回すことが求められる。相手を吹き飛ばすといったような、単純な変質では楓には通用しない。
「私の話を聞いて、楓ちゃん!」
「ケッパーを見殺しにした人の話なんてぇ、聞く必要があるんですかぁ?!」
鉄の短剣を紙一重でかわす。続いて、楓の足。これも避ける。けれど、懐には入れなかった。そもそも、楓の短剣と自身の短剣をぶつけることすら許されないこの状況で、懐に入ること自体が困難を極める。
「そこ!」
左側から氷の爪を葵が振るう。楓が振り向きもせずに鉄の短剣を片手で振るい、受け止める。
氷は絶縁体とは呼べないが半導体。電撃の流れはある程度、軽減される。それでも鈍く重い電撃が目に見える形となって、音を立てながら氷の爪を昇って来る様に葵は恐怖を感じ、両手から氷の爪を剥いで、離脱する。
雅だってそうして逃げるだろう。目の前に、確実に人が浴びればただでは済まない電撃が這い上がってくるのだ。葵の立場で考えれば、今の判断はむしろ正しいのだ。雅だって、短剣と短剣をぶつけることを嫌って、距離を詰められずにいるのだから、安易に葵を責めることもできないし、力押しで攻めることも良しとは思えない。
「吹き飛べ」
鳴が楓との直線状に立ち、短刀の峰にある弦を重ねて、音を奏でる。音波は目に見えない波動となり、楓へと突き進んでいるはずだ。
「コネクト」
楓の右側に鉄の刃と砂鉄が収束し、蕾となって花開く。鉄の花弁が音の波動を受け止め、彼女を守る。
「綺麗だね、その力」
「綺麗? ケッパーに褒められなきゃ、私は嬉しくもなんとも無いんです」
鉄の花弁が一つ一つ刃に変わり、中空を回転しながら浮遊する。そしてそれらは楓が短剣を振るうと同時に、ほぼ全方向から雅に向かって射出される。
右手の人差し指は頭上に、そして一回転。視線集中型での空気の変質、そしてそれでは補えない頭上は接触型での変質を行うことで作り上げた風圧の壁で、攻め寄せて来た全ての鉄の刃を弾き飛ばす。
「コネクト」
弾いた刃の全てが砂鉄と磁力を繋ぎにして連結し、刃の鞭と化す。脅威以外のなにものでもない。楓の手元に収束するその間、予想も想像も絶した不規則な動きで切り裂きに掛かって来るのだ。そして刃は電撃を帯びている。電紋が残るだけで済まされていたのは、ベロニカが海魔だからだ。それも特級や深海級を越えた異常種だから。人間である雅や葵、鳴が喰らえば生死にすら関わる。
どうする?
どうするでもない。避けるしかないのだ。雅はその場から駆け出し、迫り来る刃の鞭を器用にかわした。




