【-花は鋭き棘を抱く-】
*
楓は泣き叫んでいた。ずっとずっと泣き叫んでいた。しかし、ケッパーが植物のベッドに倒れ伏したところを木々のドームの外から見届けたのち、その声はやんだ。
静寂が辺りを包む。ジギタリスは悔しそうに唇を噛み、ディルは忌々しそうにベロニカを睨んでいる。
「ようやく、じゃのう。さて、この木々を全て切り払って、残りの人間どもを全て殺し……うん?」
「え?」
ベロニカが首を傾げ、雅が声を漏らす。
木々のドームの一部が焦げて穴が空いている。そして、楓の姿は無い。
「まさか中、に、ぃっ?!」
凄まじい衝撃波が体を打つ。楓が泥沼の中心に着水した衝撃だと知るのは、その数秒後だ。足を取られれば溶ける泥沼。その水底すらあるのか分からない泥沼に飛び込んで尚、楓は全く動じずに立っていた。
見れば彼女の両足には膝に至るまでの金属で固められた長靴が履かれている。どうやらあの泥沼は金属だけは溶かさないらしい。天秤刀の刃だけが溶けずに残っていることを把握して、楓は飛び込んだのだろうか。
「次に殺されたいのは貴様か。なにやら、そこの人間が言っておったが、少しは妾を楽しませてくれるのだろうな?」
返事は無い。しかし、楓は動く。
右手に握る鉄の短剣を振るう。
同時に彼女の全身から、雅の元にまで届くほどの電撃の音が鳴り響いている。
鉄の短剣と、電撃が呼応する。そして、天秤刀の刃だった二つが泥沼から浮き上がり、風を切りながら回転を始め、浮遊する。
「なにが起こっているのでしょうか?」
葵がボソッと呟く。
「……ぁ」
楓が口を開いた。
「ぁあああああああああああああああああああああ!!」
鉄の短剣を振るった直後、泥沼の底から桜の花弁ほどの大きさの小さな鉄の刃が空高く舞い上がり、そのどれもが宙で浮遊して鋭く回転している。
「まさか、ケッパーの喪失が、馬鹿ガキを“昇華”させるってのか? あいつの隠し事はこれだったってのか?」
「私と同じことが、楓さんにも?」
隣に居る葵が呟く。
「“昇華”ってなんですか?」
「それは――」
葵に説明を求めたが、続けざまに放たれる楓の電撃が奏でる轟音がそれを遮る。
「鉄の刃が、宙を舞う。なんとも面白い光景ではあるが、羽虫と変わらんのう」
言いながらベロニカが爪で鉄の刃を落とそうとする。
「コネクト」
楓の一言で、爪を避けるように鉄の刃が動き、続いて刃の一つ一つが連結して、不規則で長大な剣身を構成したかと思うと、鞭のようにしなりながら楓の手元にある鉄の短剣へと収束して行く。その収束は素早く、そして鋭い。何事かと立っていたベロニカの背後から、完全なる死角を突くようにして剣身は揺らぎ、回り込み、彼の者の頬に鞭の剣身が触れ、深く切り裂いた。迸るヘドロのような血液を眺め、同時にベロニカは傷口を押さえて悲鳴を上げる。
「妾の! 妾の美しい顔が……!!」
痛みにではなく、自らの頬に傷を付けられたことに激しい怒りをベロニカは見せる。
傷口は塞がった。しかし、頬にはそれとは違う明らかな“傷を負った”ということを周囲に知らしめる痕が残っている。ケッパーに切り裂かれても再生したその体に、“傷痕”が残っていることにベロニカ自身が驚きを隠せずに居る。
「何故、じゃ!?」
「分かんねぇのか、クソ海魔。傷口は癒えても電紋は残る。切り裂いたと同時に、電撃を奔らせたんだ」
電紋は、体を電流が奔ったときに残る痕のことだ。本来なら雷に打たれた際に残るものだが、どうやら楓の鉄の刃に触れると、傷口という局所的な部位を縫うように電紋を残すらしい。ならば、鉄の刃一つ一つに電撃を帯びさせ、そしてそれらは触れれば電紋を残すほどの凶悪性を秘めていることになる。
電紋は“傷”ではなく、“痕”。決して癒えることのない痕跡。つまり、ベロニカの頬に刻まれた電紋は、彼の者の再生力如きでは消え去らないということだ。
「絶対に後悔する。ケッパーはそう言いましたよね?」
「おのれ……わらわに痕を残したこと、許さぬ。その体、引き裂いてくれる」
「ケッパーは!! そう言ったんです!!」
泥沼を物ともせず、楓は恐るべき瞬発力でベロニカへと接近する。その素早さ、身軽さ、そして加速は、泥で足を取られている者とは思えないほどの代物だった。当然、ベロニカもその素早さに疑問を感じ、同時に彼女の鋭く光る眼光に危機を感じ、爪で前方を守りつつ下がる。
「コネクト」
宙を舞う鉄の刃が楓の短剣のたった一振りで、なにかを繋ぎとして連結し、鞭のようにしなる剣身を作ると、下がるベロニカを回り込むように配される。
「この小娘! わらわが繋げた泥沼に、己が走れるほどの浅く鉄板を敷いて、おるのか!?」
素早く陣を描いて引き裂き、ベロニカは後方を陣が繋げた金属の板、前方の楓の短剣を爪で弾き返す。
「あの最初に泥沼に着水したその刹那に! そんな髪の毛一つも入らぬ時の狭間に! 足から次元を超えて、『金』の力を流し込み、わらわの沼に沈まぬようにしたとでも?!」
「ぁあああああああああああ!!」
短剣を振るえば鉄の刃が踊る。踊る鉄の刃は全て回転し、そしてベロニカを追撃するかのように宙を駆け抜ける。
「喚くな、すぐに静かにしてやろう」
ベロニカが腕を動かすと、上空で待機していた黒い点――マッドブレイヴの群れが旋回をやめて、静止した。
「邪魔臭い、邪魔を、しないで。コネクト」
回転する鉄の刃が一つ二つと繋がり、複数の巨大な鉄の刃に形を整え、マッドブレイヴが突撃を開始するより早く、楓の意思によって射出し、黒い点の全てを断ち切り、撃墜した。即ち、楓の動作としてはたった一振りで、多数のマッドブレイヴを屠ったということになる。
まず、体術など差し置いて、使い手としての力が段違いに高められている。それこそ、“おかしい”くらいに。
「小娘如きに遊ばれるわけにも行かん! なにより、わらわの顔に痕を付けた! その罪だけは、ここで死でもって償ってもらわねばならんのだ!!」
斜め上に跳躍したベロニカが陣を宙に描く。陣は中心から広がり、そして赤く煌めいた。
「落ちよ、火炎の星よ!!」
紅蓮の炎に包まれた極大の火球が陣と繋がった次元の先から現れて、落ちて来る。その極大さは施設全体を覆い尽くすほどだ。そして錯覚かと疑うほどの距離感で、雅たちが急いで逃げたところで、火球との激突は免れない。
「コネクト」
しかし楓は驚きもせず、そして乾いた声で、冷静に、その光の灯っていない瞳で極大の火球を見上げながら短剣を突き出す。
全ての鉄の刃が収束し、そこに砂状のなにかが加わる。
「砂鉄? じゃぁ、楓ちゃんの短剣と刃の繋ぎは、磁力だ」
雅の答えを形にするかのように、鉄の刃は砂鉄と磁力の繋ぎを得て、蕾状に整う。そして、楓が短剣を振り下ろすと、鉄の蕾は美しく、気高く咲き誇る。
極大の火球を極大の鉄の花弁が真正面から受け止め、更に楓が短剣を振るうと花弁の端々から刃が次々と離れ、砂鉄と磁力を繋ぎにして鞭のようにしなり、火球の後方に回り込んで、真っ二つに切り裂いた。
二つから四つ、四つから八つ、八つから十六、十六から三十二。それ以上は数えられなかった。何故なら、鞭の剣身はあまりにも速く動き過ぎて、一体どれだけ火球を切り刻んだか判断できなかったからだ。
細切れにされた火球は、その一つ一つを極大の鉄の花弁に受け止められ、そして花弁が蕾へと形を変えることで内包され、蕾が刃に散ったときには、礫ほどの大きさになって、バシャバシャと泥沼の中に落ちて行った。
「有り得ん……次元の向こう側から引っ張って来たものを、こんなにも容易く防ぐ、など」
「ケッパーは後悔するって言いましたよね?」
動揺するベロニカの真正面に楓が立ち、声を発する。無表情で淡々としていて、彼女が持っていたはずの無邪気さや快活さ、溌剌さはどこにも無い。
「私は、あなたを、許さない」
「っ!」
楓の短剣がベロニカを捉えたと思ったその直後、彼の者の体が上半身と下半身に自ら真っ二つに割れる。
「いや、あれは割れたんじゃなくて」
よく見ればベロニカの体は陣の中に徐々に収まり始めている。楓が火球を砕き、受け止めたところを見て、彼の者はここからの離脱を決め込んだのだ。自らの腹部から横に真っ二つに体が割れるように陣を描いて、そうであるように見せ掛けているが、実のところは次元の向こう側で繋がっている。
「逃げるな!!」
「許さんと言ったな、小娘」
楓の剣戟は消えて行くベロニカに届かない。
「わらわも、お主を許すわけには行かない。この傷痕を付けたことを、必ず後悔させてくれる。しかし、どうやら状況は芳しくないようじゃ。目標を一人、達成させてもろうたが、わらわも本調子では無い。ならば、次に小娘……お主と見えたとき、どちらが後悔し、どちらが這い蹲るか、決めようではないか」
「負け犬の遠吠えにしか聞こえねぇなぁ!」
「そうじゃ、わらわは貴様が言うように負け犬じゃ。哀れで、悲惨で、なんとも醜い敗退よ。しかし、次にこうはならんよ。じゃから、貴様の言葉など、どれもこれもわらわには届かん。そこの小娘の言葉だけを、除いては」
ベロニカの姿が陣の中に完全に消え去り、そして陣そのものもゆっくりと消えて行く。
「ああ、なんとも醜く悔しい負け戦じゃ! 小娘、お主の顔は覚えさせてもろうた。その顔、わらわが必ず引き裂き、その肉、必ず食卓に並べてくれるわ、努々、忘れるでないぞ。わらわとお主の確執を」
声だけが辺りに響き渡り、泥沼が消えて、床にあるのは楓の作り出した円状の鉄板だけ。その周囲には未だ、ケッパーが残した植物たちが生い茂っている。




