【-命が尽きる前に-】
「君は僕だけが敵だと思い込んでいる。この状況でディルは茶々を入れには来ないし、正義漢のジギタリスも、自分の“人形もどき”を気に掛けて、参戦はして来ないだろう。けれど、この屋上に植物が生い茂り、施設全体を僕の撒いた木の根が成長し、大樹が根を張った、今このときにおいて、君を襲うのは、君を心より憎む、全ての植物たちだ」
床から突出するのは鋭利な木の根。そして木々に絡む蔓や蔦は、木の根とともに蠢き、ベロニカを捕らえようとしている。
「ええい、まどろっこしいことばかりを!」
ベロニカは木の根や蔓、蔦を切り裂きながら跳躍し、木を爪の一薙ぎで切り倒す。
「残念、植物があるところに集まる“モノ”たちのことを理解していない」
倒された木の洞から、大量のハチが飛び交う。
「なんで……成長したのは、遂さっきなのに」
「植物の成長に益虫、害虫が絡むのは当然だ。ケッパーは『木』に重複して変質の力を加えることで、命を吹き込んでいる。その命は、植物に限らず、植物を頼りにして生きている虫たちも含む」
いつの間にかディルが傍にやって来て、ケッパーとベロニカの戦いを口惜しそうに眺めている。
「テメェとウスノロは馬鹿ガキのところに行け。あのクソ海魔がケッパーに隙を作らせるために、馬鹿ガキを狙うかも知れねぇ」
「ですが、ディルさんは?」
「俺は、ここで邪魔にならない程度に見届けさせてもらう。はっ、ケッパーと協力して殺せると判断したら、動かせてもらうが、今のケッパーとの共闘は、俺すら巻き込みかねないからな。おい、正義漢! テメェも馬鹿ガキのところで待機しろ!」
「要するに、鳴やその子たちのお守りだろう? 別に構わないよ。僕には、あれだけ激昂しているケッパーとは、そもそも話すらできそうにない」
ジギタリスが鳴を背負いながら動いたのを確認して、雅と葵も大樹の洞を目指す。
「知っているかい? 日本に棲息するオオスズメバチは世界最大にして最強のハチさ。その大きな羽音に紛れて、顎を叩く音が聞こえるかい? 威嚇音だよ。そして、君はそんなハチが巣を作り、住まっていた木を切ってしまったんだ。どうなるか、分かるよねぇ?」
ケッパーには目もくれず、オオスズメバチの群れはベロニカに襲い掛かる。
「高々、虫如き! 焼き払ってくれる」
陣を描いたベロニカが、爪でそれを引き裂くと炎が噴射される。
「君は、虫を馬鹿にし過ぎている」
炎を浴びて黒こげになる仲間を余所に、その炎を掻い潜って生き残ったオオスズメバチは一体となって、ベロニカへと纏わり付き、その青い肌に張り付く。
「火如きで虫は逃げない。逃げるんじゃなく燃やされるのを嫌って、退避するだけだ。飛んで火に入る夏の虫って言葉を聞いたことがないかい? むしろ虫は光源のあるところに寄って行くものなのさ。そんな、付け焼き刃な『火』如きで、ハチの生きようとする意志、女王バチを守ろうとする誇りを挫くのは不可能だ」
「くっ、なんじゃ! なんじゃなんじゃ!」
「オオスズメバチの毒針は強烈だ。そして、その顎の力もバカにしてはならない。バッタすら丸めて素に持って帰るんだからね。けれど、なにより、君が注意するべきは、」
ケッパーの言葉を遮り、ベロニカが両手で目を押さえて、悶絶する。
「毒液だ。発射された毒液が目に入れば、角膜を破壊し、人間ならば失明に至る。けれど、ねぇ、海魔? 君はすぐに再生するんだろう? だったら、これっぽっちも同情なんてする余地は、無いよねぇ? 最初から同情なんてするつもりなんてないんだけどさぁ!? ヒィッヒィッヒィッ!!」
いつも以上の引き笑いでケッパーはベロニカを挑発しつつ、触腕で床を叩いて距離を詰める。そうして天秤刀を振りかざすも、殺気と異様な存在感からベロニカはケッパーの接近を感じ取ったらしく、瞼を閉じたまま下がる。
「だからさぁ、君は嫌われているって言っただろ?」
下がり続けたベロニカが背中を打つ。彼の者の後退を妨げたのは、幹の太い木だった。
たたらを踏んだ彼の者を、ケッパーの天秤刀が袈裟に斬る。
「入った!」
雅は大樹の洞まで到達したところで、歓喜の声を上げる。
「いいや、まだだ」
その喜びを、鳴を背中から降ろしたジギタリスが冷静に諭す。
「このまま、終わるわけが、無い。そういうこと、ですよね?」
震えた声を発しつつ、葵が息を呑む。
「ふ、ふふふ、ふははははっ。わらわを斬った……斬った、か」
刹那、大きく瞼を開いてベロニカが眼球をギョロギョロと動かす。耽美さ、優雅さを捨てたベロニカは肩から入れられた傷から噴き出すヘドロのような色をした血液を手や腕に塗りたくり、それでも溢れる血液を周囲に散らす。
生い茂っていた緑は、血に触れると茶褐色に染まり、枯れて行く。
「この美しいわらわの体に傷を入れたこと、後悔させねばならんのう!」
「なにが美しい、だ。傷付いても治るんだろう? 僕らは傷付いたら、痕が残るんだ。だからこそ、僕ら人間は君たちよりも、美しいんだよ」
「それは貴様の理論であろう?」
雅は瞬きをしただけだ。注意力を散漫にしたわけではない。視界では常にベロニカを捉えていた。なのに、まさに一瞬。一秒にも満たない時間で、彼の者はケッパーの懐に入ってみせた。
「そういった回りくどい言葉には、もう飽いた。あとは貴様の悲鳴を聞かされもらおうぞ?」
爪が逆袈裟にケッパーの体を引き裂いた。恐らく、あの男自身もベロニカの異常な移動速度に反応できず、そして体も防衛に移る暇が無かった。
触腕はケッパーの意思で動く。ケッパーが動けないのなら、触腕もまた動かない。だからこそ、その一瞬の一撃を止める術が、そのとき、無かったのだ。
「っ……ふ、ひっ!」
大量の血液が傷口から噴き出る。しかし同時に、ケッパーは笑っている。訪れているだろう激痛に悦び、全身を震えさせている。
「そう来なくっちゃねぇ!! この世に無傷で得られるものは無い!! それは勝者だろうと敗者だろうと変わらないんだ!! ああ、僕はようやくこの三次元に!! 二次元に等しき価値を見出せたよ! ありがとう、ありがとう、ありがとうありがとうありがとう!!」
感謝の言葉を口にしながら、ベロニカの怒涛のように押し寄せる爪を天秤刀で受け流し、触腕を振り回して、彼の者を捻じ伏せようとしている。
「……っ、ケッパー!!」
薄れていた意識をギリギリのところで回復させて、楓が起きて、洞から出ようとする。雅が体を押さえて、その行為を止める。
「行かせてください!」
「駄目だよ!」
「どうしてですか!?」
「見たら分かるでしょ!? あんなところに加勢に行っても、足手纏いになるだけだよ!」
悔しく思うことを、雅は口にする。
そう、悔しくて悔しくてたまらない。
あの場所に行けない。
あの戦いに参加することすらできない。今の雅も葵も、鳴も楓も、誠ですらも、あの戦いに入れば、まず間違いなく餌食になるどころか、ケッパーの足を引っ張る結果になる。
強くなっている実感はあったのに、それでもまだまだ遠い。そして、あのベロニカという海魔の強さもまた、怖ろしいほどの高みにある。
逃げ出したい。そんな意識の方が大きい。それがとても歯痒く、苦しく、腹立たしく、悔しい。そんな感情を剥き出しにした表情で雅は必死に楓を押さえる。
「じゃぁ、このままケッパーが勝つと思いますか?」
「それは」
「勝たなきゃ、どうなるか分かりますか?」
「だから、私たちは見ているだけしかできない」
「ただ、ケッパーの死を私に見届けろって言うんですか!?」
その悲痛過ぎる叫びに、雅は言葉を詰まらせる。返答できない。声が出ない。そもそも、どういう言葉を投げ掛ければ良いのだろうか、それすらも分からない。
ディルは言った。ケッパーはこの生い茂る木々、そして植物の数々の急速的な成長と、意思すらも感じる自発的な蠢きは、全てあの男の寿命をエネルギーに変えることで成り立っているのだと。
寿命を木のエネルギーに変質させ、命を吹き込む。それがケッパーが『木』の力を重複させたことによって得た変質の力。虫すらも急速に成長させる深緑の癒し、輝き、景色、生命力。
この施設の屋上には、自然の力が満ち溢れている。
でも、この自然の力の代価は、必ずケッパーの体を蝕む。背中に突き刺さっている木の根はひょっとすると、あの男の体の内にある命を吸い取る役割を果たしているのかも知れない。




