【-怒りを滾らせて-】
「誰じゃ?」
「うるさい」
屋上の扉を開けて、炎で焼けた木の根を忌々しく踏み締めながら、ケッパーがユラユラと体を揺らしつつ、楓の元まで歩いて行く。
「ほぉ、『木使い』の人間か。ここまで姿を現しておらぬようだったから、貴様はここにはおらんのではないかと思っておったが、」
「黙れ、薄汚い声を発するな」
ベロニカが口を噤む。彼の者が声を発することに、一抹の不安を覚えるほどに、今のケッパーからは全身から怒気が溢れ出ている。
「まったく……“人形もどき”。行くな、と言ったというのに……君が今のままでは、足手まといになるだけだと、強く言い聞かせたのに……君はそれを僕の冷たさだ、僕のワガママだと思っていたんだろうね。反抗し、反発し、そうして独断でディルの邪魔になるタイミングで、飛び出してしまった……」
ケッパーが意識をどうにか保たせようとしている楓の体に触れる。
「だ、って……私は、強く、なりたいんで、す」
「ああ、分かる。分かるよ……君は強くなる。だから、安心して見届けるんだ」
楓が立ち上がれることを確認したケッパーが、外套を翻して全身から発する怒気を殺意に変えて、ベロニカに向ける。
「君が殺そうとしたんだろう?」
「殺し合いに水を差したからのう」
「君が殺そうとしたんだな?」
「じゃから、そうだと、」
「死ぬ気で来い、海魔」
ケッパーの血管一つ一つが脈打ち、そして木の根となって全身から芽吹く。
「君が僕の希望を絶とうとしたと言うのなら!! 僕に殺される覚悟はできていたということで良いんだろう?!」
木の根は屋上の床に張り付き、そしてそこを土壌として植物が生い茂って行く。生い茂った植物は施設全体を覆い尽くし、一本、大樹を築く。やがてケッパーの腕から伸びる木の根は太く、絡み付き、その先端は男の背中に突き刺さり、尚も、生え続ける木の根は第三、第四の腕――触腕の如く、蠢いている。
ベロニカが見せた『木』の力も相当であったが、ケッパーのこれは雅の想像を絶している。
「建物全てに根を張ったんじゃねぇだろうな、ケッパー」
「そうした方が、瓦解をギリギリで止められるだろう? 僕のやり方に文句を言う筋合いは無いよ。そこの海魔が、僕の“人形もどき”に手を出した時点で、これは僕の戦争に変わった」
「……それで良いのかよ。それでテメェは、満足できんのかよ?!」
珍しくディルが他者の身を案じている。二十年前の生き残りは大嫌いだと言っていたディルが、ケッパーの臨戦態勢を見て、なにやら思うところがあるらしい。
「止められないよ、“死神”。止めたところで、もうどうにもならない。彼は、ここで終わらせるつもりなんだ」
鳴を背負い、雅の傍まで気を張りながらやって来たジギタリスが呟く。
「ここで、命を終わらせるつもりなんだ」
「え……どういうこと!?」
「植物――大樹ともなれば樹齢は百年、或いは千年を超える。それほどの年月を掛けて育つ木々を、そう何度も生やすことなんてできるわけがないだろ。木々を高速で生やすそのエネルギーのほとんどは、自分自身を栄養にして作られている」
苦々しそうにディルがケッパーの状況を説明する。
「コイツは全身に種を埋め込んでいる。血液の中にも、極小の、血流を阻害しないほどの微細過ぎる種を流している。それらはケッパーの意思で自在に生え、空気に触れると自生し、そしてコイツの血液を栄養にして育つ。この施設が瓦解しないような、こんなとんでもない根の張り方をさせたなら、もうコイツはここで残り全ての寿命をエネルギーに変えて、死ぬつもりだ」
「そんなの……そんなの駄目! それじゃ楓ちゃんはどうしたら良いんですか?!」
雅はケッパーに強く語り掛けるが、全く表情を変えることなくケッパーはベロニカを睨んだままだ。その間に木の根の主――大樹は屋上で着実に成長を続ける。生い茂る植物の数々が足元を満たし、まるで地上に居るかのような錯覚すら覚えるほどに、辺り一面は緑に覆われている。しかし、辺り一面が緑であるということはそれだけのエネルギーがケッパーの体から放出されたことを意味しているのだ。こんな力を雅は素直には認めることができない。
「構わない」
「構わないって、なにがですか!?」
「もう、“人形もどき”には全てを伝えてある。僕が教えることは、ここで最後になる」
「なぁにを強気に息巻いておるんじゃ!」
ベロニカが爪で陣を描く。
「このような緑、全て焼き払ってくれるわ!」
陣を爪で引き裂こうとした、その瞬間にケッパーの触腕となった木の根が陣に真正面から激突し、ぶち壊す。
「焼き払えるほど、君は『火』を理解していない。『火』の怖さを知ってはいない。たとえ、ここに『火』を放っても、僕の『木』は決して燃えない。正義漢ほどの『火』で無い限り」
ブチブチと血管が破れるような音がしたのち、ケッパーは腕から生えて来た木の棒を触腕で引き抜く。
「ディル」
「……だからテメェは下の階でジッとさせておきたかったんだ。そこの馬鹿ガキが、出て来さえしなけりゃな!」
言いながらディルは木の根の一つに手を当てて、金属の刃を二つ作り、それらをケッパーに向かって投げ付ける。ケッパーは木の棒の先端と、そして反対側で刃を受け止め、その刃は成長する木の棒の幹が深く、外れることがないように銜え込んだ。
穂先と石突に刃が二つ。鎗とも剣とも呼べない片刃の武器だ。
「少し形は違うけど、あれは天秤刀に近い武器だ。ケッパーが今まで使って来た武器の中で一番気に入っていて、自分が本気で戦うと決めたときにしか出さない代物。しかも今回の刃は、“死神”の特注品だ。刃毀れなんて決してしない」
「天秤刀……」
その両端に刃を携えた天秤刀を触腕が荒々しく振り乱しながら、ケッパーは普段と変わらない殺意を込めた視線をベロニカに浴びせつつ、普段の気怠い雰囲気を発している男とは思えないほどの速度で、距離を詰める。
「わらわを前にして逃げ出した腰抜けが、心を奮い立たせて向かって来ているのかのう?」
爪で天秤刀を弾きつつ、ケッパーにベロニカは問い掛ける。
「逃げ出した? ああ、確かに逃げ出したよ。でもあれは、そうするしか手立てが無かったからだ」
素早くケッパーの横に付いたベロニカだったが、振るわれた爪は触腕が遮る。
「なにせ、ディル以外に僕には、生きて帰さなければならない“人形もどき”が二人も居た。僕はディルに言われた通り、その使命を全うしたまでさ」
軽やかに天秤刀をかわしたベロニカが、自身の爪を折って中空でケッパーに投げ付ける。触腕が床を叩き、ケッパーの体は反転しながら浮き上がり、これをかわす。そうしてベロニカが着地する間際に、もう一方の拳のように先端が固められた触腕が激しく伸びて、彼の者を打つ。
「どうにもこうにも、ままならぬものよのう」
吹き飛んではいたが、ベロニカに触腕の拳が直撃した様子は無い。寸前で爪、或いは陣を描いて防御したのかも知れない。
「その言葉を発して良いのは、君たちのような薄汚い海魔じゃ、ない」
触腕が床を叩き、ケッパーが跳ねるようにベロニカを追う。
「僕らはいつだって、このままならない世界で、君たちに怯え、苦しみながら、生きている。君たちにその苦しみがあるとでも? 無いだろう? 無いよねぇ?!」
左の触腕は打撃を、右の触腕は天秤刀による斬撃を担当しているらしい。その両方から来る攻撃をベロニカは明らかに忌々しそうな表情を作りつつ凌ぎ、ふとした瞬間に触腕の範囲外となっているケッパーの懐に滑り込む。
「しまいじゃ」
「そんな簡単に終わらせないでよ、海魔」
床から付き出した木の根がベロニカの更なる進出を遮り、更にはケッパーの前方に展開したことで攻撃すら中断させた。触腕が天秤刀を落とし、それをケッパーが掴み、後退するベロニカの腹部を僅かに薙ぐ。
「君は二つ勘違いをしている。一つは僕が弱虫だと思い込んでいる点。もう一つは、僕としか戦っていないと思っている点だ」
「ここぞとばかりになにを言っておるのやら、分からんなぁ。のっぴきならぬ状況になってようやく出て来た者を弱虫と呼んでなにが悪いのじゃ?」
ケッパーが付けた傷は浅い。そして、ベロニカの回復力は凄まじく、すぐに塞がってしまった。
「君は浅はかだ。僕がここに来なかったのは、“人形もどき”が付いて来ると言って利かないだろうと踏んでのことだ。アレにはまだ時間が必要だった。そのために、動かない方が得策だと思っていた。けれど、現実はこうも上手く行かないものさ。あの動いていなきゃ死んでしまう、回遊魚のような“人形もどき”は僕の制止すら振り切って、お荷物になりにやって来てしまったんだからね」
いつの間にか、ケッパーの生い茂らせた木の根が楓を大樹の洞にまで、運び込んでいる。『木使い』はこんなことすらやってのけるのかと驚いてしまう。
いや、そもそも『木使い』の戦いを雅はあまり知らない。姫崎 岬ですら、ここまでの木の根、そして植物を生やすようなことはして来なかった。
つまり、ここに居るケッパーは、世界中のどこかには居るだろうどんな『木使い』よりも、桁が違うのだ。
寿命をエネルギーに変換していることさえ、目を瞑ることができれば、だが。




