【-桁違い-】
「これで、一人は片付けたかのう。ついでに、声ばかり大きいドラゴニュートも退散させることができたようじゃ。あとは、貴様らよのう?」
誠のことを気に掛けている場合ではない。恐らく無数の、計り知れないほどの速度で屋上に木の根が生え、そしてその全てが屋上で逃げ惑っている雅たちを捉えようと蠢いている。走っても走っても数は増える一方で、そして徐々に逃げ場所すら失われて行く。
「このままだとジリ貧どころの騒ぎじゃないんでなぁ!」
ディルの雄叫びに加え、エンジンを吹かす音が聞こえた。チェーンソーのように刃を回転させる斧鎗を振り乱し、木の根を断ち切って行く。それだけでなく、生えて早々の、まだ蠢き出していない木の根すらも寸断し、退路を断つ大きな木の根を一気に切り倒している。
「ふははははっ! それでどれだけ持つと言うのかのう?」
雅は足を止めて、ベロニカを見やる。爪でまた陣を描いている。血のように赤い、魔法の陣を縦に引き裂くと、今度は木の根ではなく火炎が噴射される。蠢く木の根が火を纏い、捕縛から殺人に意味を変貌させて、襲い掛かって来る。短剣を引き抜き、先端を裂く。しかし、木の根は構わず雅を捉えようと蠢いている。
「この、クソ海魔!」
リコリスの人差し指が天を向く。周囲一帯の湿気を集約させ、大粒の雨粒が屋上一帯に降り注ぐ。
「面白い! そうでなくてはならんよなぁ、人間!」
ベロニカが屋上に降りた直後、陣を描いて縦に裂く。足場になっていたマッドブレイヴが炎を帯びて、動きを止めたリコリスへと突撃する。間にあった木の根を粉砕し、迷わず、ただリコリスに向かい、そして貫いた。
「私の体を構成する水を蒸発させるために、このクソ鳥を火あぶりにしたって言うの?!」
姿は見えないがリコリスの声はする。姿形をすぐに構成できていないということは、リコリスを構成していた大部分の水が、炎を纏ったマッドブレイヴの熱によって蒸発してしまったということだ。
「これで一匹と二人目。次は、誰がわらわの相手をしてくれるのかえ?」
「うるせぇ海魔だ。さっさとその口を閉じろ」
「おぉおぉ、威勢の良い人間よ。貴様のことは、スルトから聞いておる」
「スルト? 知らねぇ名前だなぁ!」
ナスタチウムの拳を見切り、避けて、あしらうように爪を振るって距離を開かせる。
「バンテージと呼んでおったドラゴニュートのことじゃよ。まぁ、彼奴も次の高みに既に立っておるのだがのう」
拳を手の平で受け止めたベロニカは、おおよそ、その体躯からは想像できない腕力と筋力でもってナスタチウムの体を持ち上げ、その勢いのままに投げ飛ばし、屋上から落とす。
「これで、人間は三人目じゃのう」
蠢く木の根が、ベロニカの手の合図によって制止する。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、クソ海魔」
「ふむ……キングを取るのは後回しなのじゃが、キングを守るべき駒がこうも弱くては、笑えんのう」
キング? この海魔は一体、なにを喋っているんだ?
雅はベロニカの真意を読み取ろうと、ジッと睨み続ける。
「みんな、伏せるんだ!」
「……混乱に乗じて首を取ろうとしても無駄じゃ、『火使い』」
ベロニカがそう呟いた直後、伸びに伸びた炎の刃が屋上の木の根を薙ぎ払う。しかし、討つはずであったベロニカは跳躍し、炎の刃を避け切っていた。
「ジギタリス!」
鳴が叫び、姿を現したジギタリスに駆け寄ろうとする。
「来るな!」
そのジギタリスの声も虚しく、素早く鳴の後ろに回ったベロニカが爪を振るう。振り返りざまに短刀で防ぐも、次に腹部を蹴り抜かれ、ジギタリスに受け止められるまで吹き飛んだ。意識を失ったのか、鳴は動かない。
「これで、四人目。しかし、その四人目を気遣って『火使い』は碌に動きも取れんと考えると、これで五人目と言ったところかのう?」
「良いか、クソ海魔。テメェはなにをどう計算してんのか知らねぇが」
ディルは怒りの炎を片目に見せる。
「俺から奪った“力の理”は返してもらう。そして、テメェはここで、狩らせてもらう」
刃の回転する斧鎗を捨て、改めて普段から使っている斧鎗を変質の中で生み出し、ディルが駆け抜ける。
「貴様から奪ったのではない。わらわたちが返してもらっただけじゃ」
「どっちが加害者でどっちが被害者みてぇな会話を海魔とするつもりなんかねぇんだよ!」
爪と斧鎗が振るわれ、ディルとベロニカが互いに踏み抜き、下がり、体を逸らしながら互いの攻撃を流し、懐に入る機会を窺っている。それこそ、浴びせれば必ず殺す必殺の一撃を浴びせんとするかの如くだ。その高度な戦いの中に雅も、葵ですら入ることができない。
いや、むしろ見ていなければならない。あの中に飛び込むのは無謀すぎる。ディルも邪魔だと思うだろう。
けれど、これまでの戦いの全てを見て来なかったただ一人には、その無謀さを理解することはできなかった。
「ここ!」
ディルと雅が空けた大穴から飛び出した楓が短剣でベロニカの背中を引き裂こうとする。
「く、こんなときに!」
罵る言葉すら出て来ないと言った具合で、ディルは怒りを露わにしながらベロニカの注意を自身に惹き付けようとわざと大きな隙を見せる。
「後ろの小娘の方が邪魔じゃのう。戦いに水を差すものではないぞ、小娘」
ベロニカの片腕が異様に伸びて背中に回り、楓の短剣を爪が受け止める。
「奔れ」
短剣に込められた電撃が爪を通じて、ベロニカの体を駆け抜ける。
「ええい、その程度の電撃など通じんわ!」
短剣を弾き、そして振り返ったベロニカが楓を蹴り飛ばし、更にディルの斧鎗による斬撃をもう一方の手で止める。
「行かせねぇ」
「あの小娘は殺す。貴様との面白い殺し合いに、つまらん水の差し方をしおったからのう」
「だからそうはさせねぇと言ってんだろうが」
「貴様が言おうとも」
ベロニカが天空を仰ぐ。
「わらわが決めたことは絶対じゃ!!」
上空で旋回していたマッドブレイヴの群れが制止し、そして狙いを定めたらしく一斉に、弾丸の如く加速する。
どこに? などと考えなくても分かる。雅は急いで楓とマッドブレイヴの降り注ぐ方角にある空間に視線で干渉し、大きくて強い『風』の力を展開させる。
マッドブレイヴがその空気に触れる。弾けて巡る風圧。それも絶対に雅が止めるという想いを込めた変質の力。
それに僅かばかりマッドブレイヴの速度は削がれたが、突撃は止まらない。風は左右に弾け、避けることも受け止めることもままならず、動けないでいる楓にマッドブレイヴの嘴が突き刺さ――その先は想像したくないため、瞼を閉じて俯く。
全身を震撼させるような、大きな揺れを感じた。その後、閉じていた瞼を、恐る恐る開いて顔を上げる。
網目状に組まれた木の根がマッドブレイヴの嘴だけを外側に出しつつも、楓の体ギリギリのところで彼の者を押し止めていた。続いて突撃するマッドブレイヴも、どれもこれも網目状の木の根に体を引っ掛けて、命を捨てた特攻を無理やり止められている。




