【-姿を見せるは-】
「みんな、っ!」
屋上に来た鳴にマッドブレイヴが襲い掛かるが、寸前で避けた。
「わっ、きゃっ、ひゃっ」
小さく可愛い悲鳴を上げながらも屋上で華麗に舞い踊りつつマッドブレイヴを避け、更には抜いた短刀で擦れ違いざまに引き裂いている。鳴の持つ短刀も竜の力を秘めている。巻貝やフジツボに守られていても刃毀れすることなく、彼の者の肉を引き裂くぐらいはできる。もっとも、あれほど高速に飛来する彼の者の勢いを受けつつ流し、そして弾かれないほど綺麗に切り抜くだけの技量があればの話だが。
「えい、やぁっ、っと! 雅! 大丈夫?」
首を縦に振ると、鳴はホッとしたような表情を見せ、それからまた踊り子のように舞いながらマッドブレイヴを相手に善戦している。
「あの感じだと、鳴はマッドブレイヴの動きが見えているのかな?」
「俺と同等に目が良いんだな」
「テメェのは勘で殴っているだけだろうが、飲んだくれ」
「ああん? それでも見えてねぇテメェよりマシだろうがよ?」
「っるせぇな、当たるギリギリまで引き寄せれば切ることはできる」
「切ることはできる、だぁ? 笑わせるな、ガキ。そりゃ死ぬか生きるかの細い線で辛うじて生き残っているだけじゃねぇか。討伐者なら確実に海魔を討ちやがれ」
「喧嘩すんなー、クソ男と飲んだくれー」
「テメェは黙っていろ、クソ女」
「“人で無し”に当たり散らしている場合か、ガキ」
状況が打開できず、そして反りの合わない生き残りが一所に集まっているせいで、なにやら嫌な雰囲気になっている。
「でも、あれが普通なんでしょ?」
「普通なんだろうな」
「普通だと思います」
二十年前の生き残りは揃ってネジがぶっ飛んでいる。一所に何人も居れば、軋轢を生むのも仕方が無いことだ。
しかし、どれだけ口悪く罵っても、生き残っただけの知識と戦い方がある。空を飛ぶ海魔への対抗策さえ見出せれば、ディルたちはすぐに纏まれる。
「疲れた、ちょっと、休憩」
鳴がアジュールの近くに滑り込む。
「ねぇ、見えているの?」
「音がするから。音速は越えていないけど、ヒュンッて音。わたしは『音使い』だから、その音さえあれば、どこに到達するのか、分かる」
『風使い』の雅には、風切り音を捉えることができても、それでマッドブレイヴの突撃方向まで見破ることは残念ながらできそうにない。けれど、鳴は『音使い』。風を切る音、そして彼の者の鳴き声にもなっていないノイズのような音さえあれば、突撃開始位置と到達点を把握できるらしい。
マッドブレイヴの突撃が中断される。妙な静寂に辺りは包まれ、何事かとディルも空を見上げて様子を窺っていた。
「ふむ、これで全員じゃったかのう?」
一際大きなマッドブレイヴの背に乗った海魔が、雅たちを見下ろしている。
その声を、その姿も、忘れていない。忘れるわけがない。忘れるはずもない。
リコリスよりも露出度の高い衣装を身に纏い、青い肌と青い鱗を晒す女。強膜は黒く、瞳は黄色。あのときと、変わらない。変わっていないその姿に、雅は怒りを押し殺すようにして拳を固く握る。
「ベロニカ!」
「ほぉ、なんじゃ? 人間の小娘の分際で、わらわの名を憶えておったか。ふ、ふははは、ふはははっ、よい。名を刻み付け、震え、そして逃げ惑え。わらわはそのように怯える人間どもを全て、狩る者なのだからなぁ」
「このっ!」
「挑発に乗るんじゃねぇ」
アジュールの下から今にもベロニカに飛び掛かろうとする雅をディルが制す。
「でも!」
この海魔は、ディルから“力の理”を奪った。そのせいでディルは、『金』以外の五行を行使することができなくなってしまった。
取り返さなきゃならない、絶対に。
「ふははははっ、人間とは威勢だけの分際よ。そして……弁えよ、人間。そなたらの力如きで、わらわたちの支配から逃れることは、不可能じゃ」
ベロニカがマッドブレイヴの背から施設の屋上に降り立ち、鋭利な爪の先端が空を切る。赤い軌跡が空中に残り、陣を形成する。
「ちと数が合わんようじゃが、先に動かれてもまずいのでなぁ」
「その小さな体躯で、一体、なにをする気だい?」
アジュールが吠え、ベロニカを威嚇する。
「ドラゴニュートに怯えなどせんよ。わらわは、それよりも更に上の、高みに居るのだからなぁ」
爪が陣を縦に裂く。中空で裂かれた陣から大量の蔓と蔦が伸び出て、屋上に貼り付くと、そこを土壌として木の根が鞭のように生え、雅たちを拘束するべく蠢き出す。
「散開するぞ、ガキども!」
ナスタチウムが叫び、走り出す。誠がすぐに反応してアジュールの背に乗る。
「あんな木の根に捕まるんじゃないよ!」
誠を乗せたアジュールが木の根を爪で引き裂きながら屋上を駆ける。雅と葵、鳴もまた、ディルとリコリスから離れ、全速力で駆け出す。
「このような狭い空間で、どこまで逃げ切れるかのう?」
「お前を討てば、逃げる必要も無くなる」
アジュールがベロニカの後ろに回り、そこから誠が跳躍して陽光の剣を手元に生み出しながら振り抜いた。
「陽の光を糧にする者。月の光すらも糧にする者。我が主は、貴様を最も危惧しておった。よって、相応の措置を取らせてもらう」
後ろ手に回した両手から生えている爪が誠の陽光の剣を受け止めている。しかし、誠の剣には熱の力も加わっている。どんな海魔でも爪がいつかは焼き切れるはずだ。
「っ、まずい! 離れるんだ!」
なにかに気付いたアジュールが誠に向かって叫ぶ。しかし、ベロニカに爪で弾かれ、屋上に着地し直した誠には、それに対処する暇が無い。
上空から飛来するマッドブレイヴ。それに加えて、ベロニカが乗っている彼の者と同等か、或いはそれ以上の体躯を持つ海魔が、目にも留まらぬ速さで誠の腹部に激突する。
「ぐっ……ぁああああ!」
恐らくはアジュールの声に合わせ、自身に陽光と月光の鎧を纏わせた。それでもマッドブレイヴの突撃を防ぐことはできず、その異常な加速から生み出された衝撃も殺すことすらできずに、腹部を刺し貫き通そうとする彼の者ごと、誠の体が吹き飛んだ。
「あとは任せるよ!」
アジュールが片翼だけで飛翔し、マッドブレイブごと屋上から地上まで落ちて行った誠を追い掛けて、滑空して姿を消した。




