【-屋上での攻防-】
着地はディルほどではないが、まずまずと言ったところ。続いてすぐさま前後左右を確かめ、続いて空を見上げる。
黒い点が周回し、止まったかと思うと物凄い速度でこちらに向かって突撃して来る。目にも留まらぬ速さだ。ただの点は塊に変わり、そしてあっと言う間にマッドブレイヴの姿形を視認できるまでの距離まで至る。そのときにはディルが斧鎗で彼の者を刺し殺していた。
「ボーっとしていたら死ぬって言っただろうが!」
我に返り、急いでその場から離脱する。屋上に居るアジュールを見つけて、駆け寄る。
「アジュールさん!」
「悪いね、情報を伝達する前に撃墜されちまったよ」
紅蓮の竜はそう言いつつ、突撃して来たマッドブレイヴを尾で叩き落とす。
「元来の翼は守ったが、義翼の方が壊れちまった」
「それ以外に怪我は?」
「このアタイが、鳥如きに鱗を貫かれると思っているのかい?」
どうやら、鱗で守られていない義翼を狙われたことで、施設の屋上に滑空する形で不時着したらしい。ケッパーと一緒に居たときの轟音は、アジュールが施設に降り立った音だったのだ。
「御免なさい、私が見て来てって頼んだから」
「いいや、あんたのせいじゃない。アタイが見に行かずとも、どうやらこの鳥どもはここを強襲するつもりだったらしい。なにせ、アタイが近寄っても全く逃げもしなかったコイツらは、ある時を持って、アタイごと施設に向かって特攻を開始したんだからね」
アジュールの右腕が、その携えている爪が突撃して来るマッドブレイヴを屋上に叩き付ける。
「ある時?」
「それがアタイにも分からない。戻ろうとしたところで不意を喰らっちまった。それも鱗で守られていない義翼側だ。鳥どものクセに、ドラゴニュートに喧嘩を売ったどころか、確実にこっちの弱所を狙って来やがった。だから、統率者が誰なのかは捉え切れていないんだ」
「それにしちゃぁピンピンしているなぁ、火竜!」
屋上の床を踏み締め、ディルが作り出した合金がアジュールの後ろ側を守るように展開する。これで彼女の死角から来るマッドブレイヴは一時的ではあれど阻止できることになる。
「だから、鳥如きに死ぬような竜がどこに居るってんだい?」
「それだけ啖呵を切れても、人型に戻るんじゃねぇぞ。人型に戻るとそれだけ鱗は収束するが、竜で居るときよりも硬さが無くなる」
「分かっているさ、それよりも」
「代わりの義翼ぐらいすぐにくれてやる。テメェが見に行かずとも特攻が始まっていたんだとしても、テメェが屋上に居座っていてくれたおかげで施設まで到達するマッドブレイヴの数は少なからず減ったはずだ。相応の礼はしなきゃならねぇからな」
空を見上げつつ、ディルはアジュールの言葉を先に汲み取り、彼女が気にしている義翼のことを話す。
「そりゃ良かった。あんたは人としてクズに見えるが、言ったことは守ってくれるようだからねぇ。これでアタイが、ここにまだ居座る理由くらいにはなるさ。アタイを盾にしてくれたって構わないよ?」
「そういう自己犠牲はあとで面倒なことになりやすいんだよ。大人しく、ここに留まっていろ。そうすれば、テメェは死なない。俺たちはどうかは知らねぇが」
竜の姿のまま、アジュールが大笑いをする。
「良いねぇ、クズの人間。こんなときでもアタイを笑わせてくれる。安心しな。もしものときは、あんたたちを守るぐらいはやってやる。“ただの鳥どもの特攻だけ”ならね。そこに別のものが加わったら、勘弁させてもらうよ」
アジュールはディルのことを気に入っているらしい。けれど「クズの人間」と言っているので、誠以上には気に入っていないことは分かる。そして心も許していない。やはり『竜眼』を継いでいる誠以外には、気を抜いた姿を見せることはできないのだろう。
「ちょっと遅れちゃったかなー?」
リコリスの声がして、続いて姿を捉える。直後、マッドブレイヴが彼女の体を貫いた――が、水として弾けて、すぐさま人の形に戻り、続いて彼女を貫いたマッドブレイヴはのたうち回り、絶命した。見れば、なにやら煙を放出している。しかし、フジツボや巻貝に覆われている彼の者に一体、どのような攻撃が行われたかは分からない。
「もー、これだから出会って早々にスキンシップをしたがる海魔は嫌いなんだよねー」
「体を貫いた直後に硫酸を浴びせたな?」
だからマッドブレイヴはのた打ち回り、絶命したのだ。煙が出ているのは、硫酸が彼の者の体を焼いているからのようだ。
「だって挨拶も無しに人の体を貫いたんだよ? それぐらい普通でしょ。正確には、嘴が触れた直後から、あの海魔が私という水を浴びながら通り抜ける、その間に硫酸に変質させて、浴びせてやっただけー。安心してー、今は水だから。飛沫も水だよー、私は局所的に、一部だけ、或いは部分的に変質させるのだけは得意だからー。葵、早く早く!」
リコリスに急かされ、葵がマッドブレイヴの突撃の合間を縫って、雅の元に滑り込んで来る。
「無事ですか、雅さん?」
「あたしは問題ありません。葵さんは?」
「なんとか、ってところです。リコリスさんの手助けがあって、屋上まで来られたので」
「私と葵は『水使い』。葵は『氷使い』でもあるけど、クソ男と違って、頭の悪い海魔の純粋な突撃には無力なのよねー。特に今回のマッドブレイヴは水で覆い尽くして、搾り取ったり水圧で殺すこともできないくらいの速度で突っ込んで来るからー」
「ウスノロはできなくて、テメェはできるだろ、さっきのように」
「あのねー、私もか弱い女として扱ってよねー、クソ男」
「クソ女のどこにか弱い点があるか言ってみろ」
「か弱いでしょー、超か弱いじゃんかー!」
「香水混ぜ合わせて悪臭を漂わせるクソ女にか弱さなんて一欠片も見えねぇよ。周囲一帯に臭い付けはしたんじゃねぇのか?」
「空からは無理でしょー。これだからクソ男は察しが悪い」
呆れ返るリコリスの言葉に、雅はなるほどと肯く。
リコリスは施設の周囲一帯に海魔が逃げるほどの悪臭を放つ、水に溶けた香りをばら撒いた。だから地上からの襲撃は防ぐことができても、空からの襲撃には、この香り付けは無力なのだ。しかも、このマッドブレイヴは死すらも超越して突撃して来る海魔だ。臭いなんて概念をそもそも、その脳に有しているかすらも怪しい。
「さぁて、ガキどもは生きているのか? まぁ、この程度で死んでいたら二十年前に野垂れ死んでいるだろうな」
暢気に屋上のドアを開けてナスタチウムが現れる。直後に彼目掛けて飛んで来たマッドブレイヴだったが、寸前で身を逸らしてかわし、更にナスタチウムは両手に巻いていた包帯を土に変質させて、その硬い拳でマッドブレイヴを叩きのめす。
「あの様子だと酔ってるな? 酔ってんのに勘で叩き落としているのかよ。どういう勘を働かせればあれだけ的確に殴れるんだよ、あの飲んだくれ」
「今更言うこと? 化け物が化け物に驚いても、私はなーんとも思わないんだけどー」
連続して突撃するマッドブレイヴを片っ端から叩きのめしながらナスタチウムが雅たちと合流する。そして、その後方から誠がやって来る。彼はマッドブレイヴを叩きのめしはできなかったが、ギリギリのところで避けて、なんとか凌ぎ切ったという様子だ。
「アタイが見て来た黒い点は、今、あんたがどうにか避けていた海魔どもだったよ」
「その報告はここに来たら分かるから大丈夫。まぁ、君が無事ならそれに越したことはないかな。というか……斬撃でも打撃でもなく、突撃か。激突すること自体は打撃でも、嘴自体は斬撃に含まれるから、刺突関連とは関わり合いになりたくないのに……それに、陽光と月光を重ねた鎧で防げるかも分からない速度だし」
「誠もそう思う? 私も風で停滞も反射もさせられそうにない」
「しかも、相手は空を飛んでいます。厄介にも程があります」
三人で話し合ってみるが、この状況を好転させるような案は出て来ない。
「防衛に徹すれば、数は減らせるんじゃなーい?」
「減っているようには見えねぇな。その前にこの施設が瓦解する」
「だからって、ここから撤退すりゃ、そこを串刺しにされんだろ? 面倒臭ぇな、酒を飲まなきゃやってらんねぇぐらいに面倒臭ぇ」
ディルたちも考えは纏まらない様子だった。




