【-エレベーター-】
「辛かった?」
「なぁにを訊いている暇があるんだ、クソガキ」
軽く腹を蹴飛ばされ、雅は咳き込みつつ、少しフラ付きながらも立ち上がる。
「感傷に浸る暇なんて俺にも、テメェにも存在しねぇんだ。分かったなら、さっさと付いて来い。付いて来ないなら、引き摺ってでも連れて行かせてもらう」
約束は、破らない。
客船型戦艦の上での約束を、この男はまだ持っていてくれている。その後、離れ離れになったこともあったが、ちゃんと戻って来てくれた。そして、見捨てずに居てくれている。
雅は首を縦に振り、ディルと共に廊下を駆け出す。そうしてスイッチを押してエレベーターを開き、二人して乗り込む。
「リィは連れて来なくて良かったの?」
「あのポンコツに居られると危なっかしいこともある」
恐らく、リィはなにが起こっているか分かっている。そして、この状況でディルにどう言われるかも分かっている。「邪魔だ」と言われるだろうから、彼女は彼女なりに安全と思う場所に退避している可能性が高い。
二人とはなんだかんだで付き合いが長くなった。雅にもディルの言葉の端々に見える真意を察することぐらいはできるようになって来た。
ガゴンッという怖ろしい音と振動が合わせて訪れ、エレベーターが止まった。
雅は上階のボタンを何度も押してみるが、反応が無い。続いて、緊急時のボタンを押して外部と通信を試みるが、これも反応しない。
「屋上は十三階だったな?」
不吉な数字ではあるが、エレベーターの上部にある階数を調べ、十三階であることを再確認し、ディルに向かって肯く。そしてエレベーターは八階と九階の間で止まっていることも、点灯しているランプから分かった。
「ここから落ちたら、どうなるか分かるか?」
「死ぬに決まってるでしょ」
「八階から地面に叩き付けられるのと同義だからな」
クククッと笑いつつ、ディルはエレベーターの右側ドアに手を当てる。鎗への変質を完了させたと同時に、再びエレベーターの上部で大きな音がした。
なにかが上に乗っている。
「『金』で金属を貫くのは少々、面倒臭いんだが」
ディルの手に握られていた鎗が突如、けたたましい音を立てて穂先がドリルのように回転を始める。
「『金』と『金』で、機械に変えたの?」
道理でいつもの斧鎗に比べて、先端がどちらかと言えば尖鎗になっているわけだ。いつものディルなら、刺突、斬撃、リーチと使い慣れている斧鎗を使う。そうしなかったのはこういった理由があったからだ。
「頭から海魔の血を被る準備は出来ているか?」
「ちょ、待って!」
ディルは襤褸の外套に付いているフードを被っているが、雅はまだ準備ができていない。急いでゴーグルとマスク、更に身に付けていた白衣を脱ぎ、頭部に被せる。この白衣は、ここに居る間にジギタリスから支給されたものだが、着慣れない。なので、ここで有効に使い、あとは着こなした服だけで行動するのが得策だろう。
「“正義漢”のありがたい白衣をこんなところで廃棄処分しようっていうテメェは、性悪だなぁ!」
「ディルほどじゃないし!」
そう反論したところで、ディルが真上に向かって回転する穂先を備えた尖鎗を突き立てる。穂先は金属を抉り抜き、続いてエレベーターの上部に降りたであろう海魔をも抉ったのか、腐敗臭の強いヘドロのような液体が、尖鎗で貫いた穴から滴り落ちて来る。
「施設に海魔の侵入を許しているってこと?」
「どうだろうなぁ、コイツは」
言いながら、ディルは尖鎗を穴から引き抜き、それをエレベーター内に落とす。エンジン音を轟かせていた尖鎗は静かになり、ドリルのように回転していた穂先も停止する。そこには海魔を抉ったために付着したのだろう、見たくも無い肉片がこびり付いている。
ディルは続いてエレベーターの左側のドアに触れ、変質を試み、今度は扱い慣れている斧鎗を握る。穂先は幾つもの刃を携え、それがエンジンの駆動に合わせて、チェーンソーのように回転する。それを穴の空いた上部に差し込み、荒々しく振るい、エレベーター上部を二回に分けて十字に裂く。あとは海魔の死体の重みで、内側に金属の天井は開いて行く。雅とディルが端まで避けて、落ちて来た海魔の死体を確かめる。
至るところに巻貝を纏い、尖りに尖った嘴には大量のフジツボのような固着動物が付着している。触れて少しでも肌を滑らせれば傷が付くだろう。それどころか、これほど鋭い嘴を持ってすれば、コンクリートで出来た建物など、容易に貫き、侵入できてしまうのではないか。
そう考えれば、この海魔がこうしてエレベーターの上部に降り立つだけでなく、上階にまで侵入するのもわけないように思える。
「マッドブレイヴか」
言いつつディルは手袋を嵌める。それに合わせて雅も頭に被っていた白衣を捨てて、手袋を嵌めた。
「狂った勇気?」
直訳するとそうなる。
「ウミネコの海魔だ。これほど大型のは一等級に値する。群れのリーダー格か」
「は、えっ?! この、プテラノドンみたいなのが元はウミネコだって言いたいの!?」
体毛などどこにも無く、あるのは鱗と巻貝とフジツボ、そして爬虫類が持つ独特の翼である。辛うじて鳥と思える部分は嘴だけだろう。
「恐竜の名前を覚える暇があったら、戦いを覚えろ、クソガキ」
「仕方が無いでしょ! 授業で習ったことがあったんだから!」
「ああー、うるせぇうるせぇ!」
出るぞ、と言ってディルは跳躍して穴に手を掛け、エレベーターの上に行ってしまう。
「あの、私、届かないんだけど」
「ちっ、面倒臭ぇな」
差し伸べて来たディルの手を掴むと、そのまま力任せに上へと持ち上げられてしまう。自分の力を介在させる暇など一切無く、その怖ろしい腕力に、仄かに「凄い」と思い、面倒なことにこんな場面においても心臓が一際、強く踊った。
エレベーター上部にある海魔の血液に肌が直接触れないように気を付けつつ、九階のドアと思われるところを見上げる。
「空いているってことは、あそこから入って来たってこと?」
「マッドブレイヴは、高速で飛行する。正面に障害物があろうと構わず突っ込む。そしてその鋭く尖った嘴で穴をこじ開けて、強引に突き抜けようとする。昔はたくさんあった高層ビルのガラスに正面衝突して死ぬ鳩や鴉の話を聞いたことはあるか? あれはガラスに映り込んだ空に気付かず、飛び込むが、コイツらは障害物があると分かっていて突っ込んで来る」
「嘴で貫くことができるから?」
「いいや、そんなことは関係無い。現にコイツらは嘴を突き立てたまま動けずに死んだり、貫いたは良いが、体が衝撃に耐えられずに汚ぇ肉片になって死んでいることがる。だから狂った勇気なんだ。無謀で、無茶で、命を投げ捨てる特攻海魔。それが、コイツらに付けられた名前の由来だ」
障害物があろうと無かろうと突撃し、そして生きるか死ぬ。狂った勇気。そう名付けるのも、分かる。
「『風』の力を使え。二ヶ所変質させて、まず俺が九階に上がる。次にテメェだ」
「なんでディルが先なの?」
「テメェが自分の力で跳躍しても、九階に手を掛けられる保証がどこにもねぇからなぁ。そのままエレベーターまで落ちるのも笑い話にはなるが、エレベーター共々地上階まで落ちて行ってしまったら笑い話どころじゃねぇからなぁ」
不敵な笑みを浮かべている。実は落ちるところを見たいと思っている。そうに違いない。だが、そんな期待に応えるつもりはない。
エレベーターシャフトにあるワイヤーロープは軋み、今にも千切れそうな悲鳴を上げている。
四の五の言っている暇は無い。雅は意識を集中させ、視線の先にある空間に変質を行う。距離の調整は、いつも通り右手の人差し指だ。
「まだ目測での変質ができねぇのか?」
「切羽詰まっているときはできるわよ!」
「はっ、どうだか。言っておくが、『風』の力もコントロールしろよ? 俺を九階以上に打ち上げたら、テメェを連れて行くどころか、首根っこを掴んで、マッドブレイヴの囮にしてやる」
口だけではなく、怒ったら本当にやるかも知れない。それで雅が死ぬようなことはきっとしないだろうが、死に掛けはするだろう。この男はそういったギリギリの、他人の生死を垣間見ることに至高の悦びを感じるのだ。
「一ヶ所目、終わり。二ヶ所目と被ったら駄目だから、先に行って」
「その辺りは細けぇなぁ」
エンジンの音を立てなくなった斧鎗を手に、ディルが雅の指差しているところへと跳躍する。到達する前に壁を一度蹴り、変質した空気を真上から踏み締めた。溜め込んだ風がディルを跳ね上げる。目に見えないトランポリンを経由して、ディルは九階のエレベーターのドアの前方ギリギリに着地し、マッドブレイヴの空けた穴の縁に手を掛けて、バランスを整える。その間に雅は自身の跳躍で届くところの空間に変質を行う。
ディルのときは軽くで良かった。あの男の体重も考慮はしたが、それでも壁を蹴って九階までの距離を稼いだ分、『風』のアシストも弱めで済んだ。けれど自分はそこまで高くは跳べないし、壁を蹴って距離も稼げない。だとすれば、先ほど込めた力よりも、一回り大きな力で跳ね上がるしかない。ワイヤーロープは悲鳴を上げているが、雅一人程度ならまだ保っていられるようだ。しかし、『風』での跳躍補助は同時にエレベーターシャフト内を風力が駆け抜けるということにもなる。ディルのときの『風』は弱めであったため、ワイヤーロープも千切れなかった。が、雅を打ち上げる『風』が駆け抜ける場合、悲鳴を上げているそれが耐え得る可能性は低い。
チャンスは一度切り。けれど、雅は決して動じない。こういった場面には何度も遭遇している。なにより、海魔と命のやり取りをするよりも簡単だ。戦闘では相手の動きにまで気を回らせなければならないが、これは自分自身の力を信じるだけで良い。そして、九階のところには、怖ろしくも頼もしいディルが居る。どうせ片手でしか受け止めてくれないだろうし、抱き止めることはきっと無い。が、居ないよりはずっとマシなのだ。
雅は意を決して、力強く跳躍する。そして自らが変質させた空気に両足の靴の裏で踏み締め、真上に吹く風の後押しを受けて跳ね上がる。駆け抜ける風にワイヤーロープが千切れ、エレベーターが地上階まで轟音を奏でながら落ちて行く。それを耳で感じ取りながら、雅の手がディルの伸ばしている手を掴み、そして引き寄せられることで九階に着地を完了させる。
「はっ、ちったぁマシになったみてぇだな」
最終的にはディルの手を掴むことになってしまったが、距離、角度はほぼ完璧。もう少し詰めることができていれば、手助けも必要無かったぐらいに変質の出来が良かった。なので、ディルも雅を嫌々ながら褒めざるを得なかったらしい。
「私を最初に会った頃と変わっていないとか思わないで」
そう言うと、ディルはさっさと手を放してしまう。少し高飛車が過ぎただろうか、とほんの少しだけ後悔したが、いつまでも手を繋いでいたいなどという女の子染みた幻想を、こんな非常事態に抱いている場合では無いのだと、なんとか納得させる。
「そんな自信はどこからやって来てんだ、クソガキが」




