【-襲撃-】
*
「簡潔に状況を説明するんだ」
資料室から出た雅は、廊下を威風堂々と歩くジギタリスを見つける。突然の轟音、それが一体、上階のどこから発せられたかを調べるために部下に命令を出している。
「ジギタリス!」
止め処ない命令を続けるジギタリスに駆け寄り、訊ねる。
「ここの資料には『上層部』のものもある?」
「今はそれどころじゃ、」
雅の気迫に押されて、ジギタリスが深呼吸をして、落ち着き払った声を発する。
「僕が独自に調査させた資料もある。その中には『上層部』から盗み取ったものも、存在する。秘匿文書として、君たちには資料整理のときにも触らせたりはしなかったはずだけど……どうして、それを知っているんだ?」
確かにあのとき、触ってはならない棚があった。決して触ってはならないと言われ、そして見ることさえも禁じられた。雅にとって、知識を得ることは趣味のようなものだ。好奇心にやられて、閲覧しようとも思ったのだが、鳴が傍で睨みを利かしていたため、それもできなかった。その後、一人で行動しているときに閲覧するのなら幾らでもその機会は与えられていたのだが、結局、雅の中の“嫌な予感”が彼女の好奇心を止めていた。それ以上に、自分自身に足りていないものを見つけ、訓練で自らを鍛え上げることの方が大切だったことも一つとしてあるのだが、ここに来て、最低最悪の書類を見てしまった。
「『上層部』は、“異端者”の使い手を親類を被験者という名の実験体に、使っている?」
「……それを見たのか。なら、そこに書かれていたことが全て事実だ」
「だったら、私のお母さんとお父さんも!?」
母は査定所の人に連行され、死刑に処されたと聞かされた。父は手紙を送って来たが、戻って来ることはなかった。そしてその手紙も、ディルを出会った直後から途絶えた。旅を始めたのだから、今後も手紙を受け取る機会は無いと言っても過言ではないのだが、旅を始めたから手紙を受け取れなくなったわけではない。月初めと月終わりの、月に二回、雅は父から手紙を受け取っていた。それがフィッシャーマンに襲われる数日前は、月初めだった。月終わりにも届かなかった。定期的に、毎月のように送られて来ていた手紙がプツリとやんだのだ。
もしも、自身を“異端者”と知る『上層部』の手によって、母は死刑では無く、実験体にされていたのだとすれば?
もしも、父もまた実験体として利用され、手紙が途絶えたのは父が死んだから、だとするならば?
「私が『風使い』だから、お父さんもお母さんも、実験を受けて……死んだ?」
「そういった記述があったのか?」
「無い……無い、けど! 楓ちゃんの両親が死んだことが、書かれていたわ!」
歯痒そうに、そしてとても言い辛そうにジギタリスが言葉を落とす。
「資料に書かれていることは全て事実だ。被験者という名の実験体であり、モルモット。五行に属さない摂理の使い手。君たちは、僕たちよりも法則に縛られずに変質の力を扱える。だから、その遺伝子の研究が、『上層部』にとっては急務だったんだろう。僕はその実態を知らないけれど……非人道的なこともやっていると、資料で読んだ範囲では、把握している。君の両親に関わる資料がもしも、『上層部』にあったとすれば――あったとすればだよ? 『上層部』に連行されずに、君に伝えられたことそのままに物事が起こったかも知れない可能性だってある。今から話すのは、あったとすればの話だから、落ち着いて聞くんだ。君の両親に関する資料があったとすれば……そこの資料に書かれていることが、きっと全てに、なる」
脱力し、雅は天井を仰いだ。
母が死刑に処されたことは知っていた。知ったときには、二週間は泣いた。ずっと泣いていた。そして感情は死んでいた。そんな状態から復帰するのに一ヶ月は掛かった。雅がなんとか、感情を取り戻し、前向きに進めたのは、まだ父が生きているからという支えがあったからだ。一体、どこにいるかは分からないけれど、手紙は届く。ディルに会うまでは、その手紙を支えにして来た。だから、旅を始めても、心のどこかでは「お父さんは心配していないかな?」と思う瞬間が、ほんの僅か、一秒にも満たない刹那に思うことがあったのだ。
それがどうだ? そんな心配が全て、無駄に終わっていたのだという事実が、あるのかも知れないと聞かされたならば?
こんなに、虚しく、悲しいことはない。なにより、騙されていたという感情に心が染め上げられて、なにもかもがどうでも良いような、そんな自暴自棄に陥りそうにまでなる。
「おい、正義漢! テメェは部下に指示を出して、原因究明後にここを離脱するように言いに行け。こんなところで油を売って……おい、クソガキ? なに呆然自失していやがる?」
荒々しく廊下を踏み歩き、ジギタリスに文句を言いながらディルがやって来る。
「君に任せて良いかい、“死神”?」
「ガキの面倒事を押し付けられても困るんだが?」
「なら、君が僕の代わりに命令を出すかい?」
「ちっ……さっさと行け」
ジギタリスが「すまない」と一言、ディルに残して廊下を駆け出した。そして、ディルは呆けている雅の服の襟を掴み、床擦れ擦れを滑らすように放り投げる。受け身も取らず、雅は床を転がった。
「立てよ、クソガキ」
「うるさい」
「ほぉ? 俺に楯突くってわけか?」
「どうでも良いでしょ!」
雅は上半身を起こしつつ、叫ぶ。
「母親が、父親が! お父さんだけは生きていると思っていたのに! そうじゃないかも知れないって知って! 一体、どうしたら良いのよ!?」
「どうしようもねぇだろうが。なぁにを甘いことを言っているんだ」
「っ! ディルなんか! 両親のことを大事にして来なかったんでしょ!? だからそんなことが言えるんだ!」
そこでディルの表情を見て、雅は「言い過ぎた」と自戒する。
「良いか、クソガキ。俺は、お前を今、全力で殴り殺してしまいたいくらいに、怒っている。だが、そうしないのはどうしてか分かるか? テメェみたいな、周囲に当たり散らすだけのクソガキを殺したって、無意味だからだ。俺と、テメェは、この世界で、ここで、この場所では、居れば戦力、居なければ戦力外っていう扱いで生きている。テメェ一人を殺したところで、この現状に揺らぎは起こらない。俺一人が居なくなっても、なにかが大きく変わることはない。俺たちはちっぽけで、醜くて、哀れで、虚しい、人間だ」
ディルは声を押し殺し、怒りを押し殺しながら続ける。
「俺の人生を知らねぇクセにグチグチと! テメェの人生なんざまだ良い方だろうよ!! テメェに語るほどでもねぇがな! たった一つの出来事で! それまで愛されていたにも関わらず、突如として両親に煙たがられて! 気付いたら子供一人残して、天国か地獄に行った両親だって居るんだぜ!?」
何故だか、それは雅に向けてではなく、ディル自身に言い聞かせている言葉のように感じられた。そして、彼女に初めて見せた、ディルの過去でもあった。
幻想なんて捨て去れ。甘い考えは成立しない。だから、ただ前だけを見ていろ。
ディルの生き様はまさに、雅が感じ取ったことそのままだ。いや、それ以上かも知れない。この男から語られた過去は、彼女の想像を絶している。
そう、雅と違ってこの男は親に愛されずに育っただけ、だと思っていたのだ。だが、その程度でこの男が、こんな風にイカれてしまうわけがない。
親に愛されていたが、親に愛されなくなり、果てには親に見捨てられ、親に先に死なれた。どれだけ自分自身の境遇を呪ったことだろうか。どれだけ、男が語った“たった一つの出来事”が無ければ良かったのにと願っただろうか。どれだけ、昔に戻ることができたなら、と想像しただろうか。しかし、そのどれもこれもが後悔であり、元には戻せない時間の歯車だ。




