【-悪い条件では無い-】
『榎木 楓』の書類を女性に返し、ケッパーは両手をダランッと垂らして、猫背になりつつ、踵を返す。
「で、出没する時間帯は深夜?」
「被害者によりますと、夕方頃ということです」
その情報を頭に入れつつ、ケッパーは査定所を出て、ニタァッとした笑みを零す。
「さっさと捕まえて、『上層部』の情報をゲットして、あとはそうだなぁ……その『雷使い』が美少女だったなら、ちょっと考えても良いかなぁ」
そんな言葉を残しつつ、ケッパーは査定所をあとにしてフラフラと町を歩く。黄緑色のコートを揺らめかせながら、ズボンのポケットから幾つかの種を出す。
「捕らえるだけなら、君が一番都合が良いかな。今から君は都合の良い女だ。服も僕の手で纏わせてあげる。形だけだけど。夕方頃、町外れを君が歩く。新調したように見える服を纏い、僕の荷物を担いで、歩くんだ。良いね? ヒィッヒィッヒィッ、そこからは、僕と君との素敵な時間の始まりさ」
一粒の種だけを残してズボンに戻し、手で強く握って語り掛けたのち、それをその場に落とす。道路の上を転がった種が芽吹き、舗装されたコンクリートを根が砕き、たちまち急成長を遂げて、一輪の花を咲かす。そしてその花を髪の飾りのようにして、成長した木は形を独りでに整えて、よく見なければ区別することすら難しい木の人形と化した。成長する際に残された葉や、頭の飾りとなった花以外はケッパーが再び触れることで変質を繰り返し、木の人形を覆う衣服に変貌する。
無論、形だけのものだ。本物の衣類に変質したわけではない。しかし、色や形は触れなければ花や葉で作られたものとは到底思えないほどに細工は凝っている。
「学校の怪談を昔、聞いたことがあるなぁ。脅した相手が人形だったと知ったとき、“人形もどき”どもはどういった反応をするのだろうね」
言いながら指先に残る、人形と繋がっている細い蔓を千切る。まるで生命が宿ったかのように、人形がぎこちなくも、ケッパーの指示を待たずして歩き出す。いや、そもそも人形として誕生したときから、この人形は彼からの指示を受けている。だからこそ、人形は淡々と、その指示に従うまでなのだ。
時間を潰すのは嫌いでは無い。ケッパーはそう思いつつ、どんよりとした空を眺める。あの薄黒い雲の行く先を眺めていれば時間など、あっと言う間に過ぎるだろう。
そう高を括り、二時間が経過した。さすがにずっと雲を見ていると飽きていたので、夕方になるその二時間中の約半分は昼寝をして過ごしていた。その間、ケッパーを襲うようなゴロツキは一人も――奇妙で、薄気味悪いケッパーを襲えるような連中は一人も居なかった。
「どの辺りを歩いているのかな」
呟き、ケッパーは人形が歩いた足跡から生える木の芽を頼りに、町外れまで歩く。
そうして人形を見つけたときには、丁度、『雷使い』の集団がそれを人形とも知らずに襲い掛かっているところだった。メンバーのほとんどが十代。二十代は一人も居ないように見えた。
身を隠すまでもなく、ケッパーは引き笑いすらも隠すこともなく、ただ笑いながら子供たちに近付いて行く。
「さーてーっと、だぁれが『雷使い』なのかなぁ?」
「なんだこのひ、」
子供の一人に喋らせる暇も無く、先ほどまで女性の人形だったそれが、ケッパーが地面を踏み締めた直後、形を崩して大量の蔓に変貌する。悲鳴を上げる子供たちをその蔓が追い掛け、一人残らず絡め取った。
「君たち“人形もどき”が強盗しようとしていたのはねぇ、僕の人形だったんだよぉ? どうどう? 怖い? 驚いた? 小便でも漏らしちゃったかなぁ?」
子供の悲鳴に悦びを感じつつ、目を見開きながら一人の子供に気味悪さと気色悪さを前面に出しながら話し掛ける。
「ひっ」
「このまま、引き千切ってしまおうかぁ?」
子供の足を縛る蔓と、右腕を縛る蔓が逆方向にその身をしならせる。
「ぎぃっ!?」
「良い泣き方をする。けどねけどねぇ、殺さないよ。ギリギリのところで止めておいてあげる。だからさぁ、さっさと『雷使い』の子がどこに居るのか白状しなよ。数えて五人。この五人ともが僕の人形に引っ掛かった。でもさぁ、『雷使い』は、『榎木 楓』は君たち五人の中には居ないんじゃない?」
刹那、ケッパーの後方に殺意が降り立つ。続いてケッパーが振り返ろうとした直後、目に飛び込んで来た女の子は短剣を彼の首筋に当てた。
「みんなを解放してください」
「解放しなかったらどうなるんだい?」
「首には脳に血を送る大切な血管が通っていると聞いています。そこを、切ります」
「そりゃ、困った。ああ、困った困った」
「それと食料と水、あなたが持っている物全て、ここに置いて行ってください」
「……ヒィッヒィッヒィッ、良いよ?」
ケッパーは首筋に当てられた短剣に手を掛け、そして自分から短剣を動かして首を切る。その予想外の動作に驚いた『榎木 楓』を、ケッパーは躊躇わずに振り返り、蹴り飛ばして距離を置いた。
「自分から、死ぬ気ですか!?」
「死ぬと思う?」
そして、笑いを絶やさない。首筋から噴き出す血が、ケッパーの一言と合わせて止まった。
「死なないんだなぁ。僕の体は、そういう風にできている」
右手で押さえていた傷口を榎木 楓に見せびらかす。そこには、傷口に合わせて、木の芽が吹き出している。
表向きに見える傷口、そこから体内に伝った木の芽の根は、ケッパーの血管に絡まって、血管の切られた部位を圧迫することで強引に止血している。
「“人形もどき”が僕が持っている物全部を置いて行けって言うからさぁ、言われた通りに差し出してあげるよ」
ポタッ、とケッパーの首筋から落ちた血液に混ざっていた種の数々が一斉に芽吹く。芽吹いたそれはすぐに蔓や蔦に成長を遂げて、ウネウネと蠢き、その先端は榎木 楓に向けて奔り出す。
「なっ、んですか、この力は?!」
「『木使い』だからって、暢気に木ばっかり生やしていると思うなよ、“人形もどき”。あと、僕は、ある物を置いただけだから。“体内に入っている物”は置こうとはしなかったんだけど、全部って言うからさぁ、仕方が無いじゃない?」
しかし、ケッパーの予想に反して、榎木 楓はすばしっこい。蔓や蔦の奔走を物ともしない速度で、俊敏に体を動かし、時には身を捩じらせて、まるで捕まらない。それどころか迫って来る蔓、そして蔦を手にしている短剣で切り裂いて少しでも侵攻を止めようとすらしている。
「……合格だよ、『榎木 楓』。けれど、それ以上は不合格だ。まだ、ね」
ケッパーはズボンの中の――薔薇の棘のように尖った種を逃げる榎木 楓に向かって投擲する。鋭く、そして精確無比に投げられた種は、彼女の右手首に突き刺さる。
「ぐっ!?」
右手首から来る痛みから、彼女の動きが鈍った。蔓と蔦は構わず奔り、遂に彼女に辿り着き、その全身に絡み付く。
「『雷使い』と聞いていたけど、どうしたの? 僕に電流を流しもしなかったね」
「……力がブレるので、あまり使いたくないだけ、です。というか、放してください」
「嫌だね。君の下着を確認するまでは解放しない」
「はっ!?」
「場合によっちゃ、脱がさなきゃなぁ。僕の想像に合わない物を履かれていると迷惑だから」
「は、え、ええっ!?」
迷わずケッパーはスカートを捲り、そして溜め息をついた。
「ああ、やっぱり三次元に期待した僕が馬鹿だった」
「なんなんですか!? なんなんですか?!」
同じ言葉を二回吐き捨てて、榎木 楓が暴れる。
「ねぇ、“人形もどき”? 僕の言うことを一から百まで利いてくれれば、君のメンバーはみんな解放してあげる」
「こんな変態なことをしている人の言うことなんて利きませんよ!」
「んー、そうだねぇ。僕は二次元にしか興味が無いから、君に多くは求めないよ。ちょっと動けば下着が見えるくらいのミニスカートと、あとは僕が認める下着を履いてくれれば、まぁ妥協してあげよう」
「意味が分からないんですけど!! って言うか、利かなかったらどうなるんですか!?」
「……どうも? どうもしない。僕は君たちを解放して、まぁ査定所でこっぴどく怒られる。すみません、僕には解決できそうもありませんと言って、今日あったことを明日には忘れているつもりだよ。査定所からは殺してでも連れて来いと言われているんだけど、こんな子供を殺せるほど僕は気狂いじゃないし、なにより、まだ殺す価値にすら至っていない。それどころか、殺しを僕は認めていないから」
そうなると、『上層部』の情報も手に入らないなぁと思いつつ、ケッパーは榎木 楓の太もも辺りに指先を滑らせる。
「この、変態っ!」
「否定はしないよ。僕は二次元しか愛せない変態だし」
ケッパーは僅かに下がり、植物に絡め取られている榎木 楓を見上げる。
「こんな生活をずっと続けたくないとは思わない? 君の仲間には、半年は飢えと渇きに困らない、瞬く間に果実を成らす種と、水を提供する。その代わり、君はさっき言った通りに従い、そして僕に付いて来て欲しい。もう、人を殺したくはないだろう?」
最後の言葉に、榎木 楓は怯え、そして脱力する。
「嫌……殺す気なんて、あったわけじゃ、無いんです。殺すつもりじゃ、無かった、んです」
「そう、君は『雷使い』としての力を振るうも、動じずに向かって来た相手を、思わず短剣で突き殺してしまった。それは、君の罪だ。その罪に恥じない生き方をしたいのなら、その罪に少しでも向き合う覚悟があるのなら、そしてコテンパンにされた僕をその手で仕返ししたいと思うのなら、誰にも負けない強さを得たいのなら、僕は君に相応しい力の使い方を教えてあげるし、君に“殺し”を強要することは決してしない。強盗はちょっとやらせるかもね」
悪い条件じゃないと思うんだけどなぁ、と呟きながら、ケッパーは全ての植物から子供たちを解放した。




