【-黒い点-】
「ウォーミングアップはこれくらいかな。あとは鳴、楓ちゃんか、葵さんを捕まえて……まぁ最悪、誠でも良いか」
と言いつつ、雅は砂場の施設をあとにする。空はどんよりと曇っている。しかし一雨来そうな雰囲気は見られない。これもここまでの道程で培った経験によるものだ。あの二十年前の生き残りほどではないが、雅もそれなりに、この腐った世界を生き抜いて来た。空を見れば、天候の良し悪しは分かる。
曇り空にポツポツと黒い点が見えた。それらは、地上に居る雅には形状がハッキリと読み取れるものではないが、『下層部』施設の上空を旋回し続けている。
「鳥?」
渡り鳥や留鳥の類だろうか。ひょっとするとドラゴニュートかも知れない。しかし、そのどれもが旋回を続けるだけで下降して来る様子は見られない。
雅は歩き出すと中央の施設に戻って、ある部屋に足を運ぶ。
「アジュールさん」
部屋は怖ろしいほどに散らかっている。そしてベッドの上には爬虫類の尾、そして義翼を持ったドラゴニュート――アジュールが寝転がっていた。起きてはいるが、動く気になれないといった具合らしい。
「なんだ、あんたか」
「体調でも悪いんですか?」
「いんや、これっぽっちも悪くはないねぇ。むしろ、良すぎて困るぐらいさ」
「だったらなんでそんなにダラけているの?」
「空を飛ぶことを禁止されているからだよ。しかもこんな狭苦しい部屋に入れられて、もう苛々が収まらない。が、その苛々を発散するための鍛冶道具も、ここには無いんだよ。こいつが、フラストレーションってやつなんだな」
「禁止って、誠に言われたんですか?」
「あいつ以外の命令なんざ、アタイは耳にする気すらないね。この義翼をくれた男には、それなりの義理はあるが、それもここに来たときに返したつもりだからさ」
誠と一体、どういう関係にあるんだろうか。気高いドラゴニュートが、竜眼を受け継いだ人間の言葉に従うことに、雅は驚きを隠せない。
「なんだい、その顔は? アタイもねぇ、支配するしない関係無く、人と関わってみたいとも思うのさ。まぁ、なんだ、アレだ。いわゆる、一つの好奇心ってやつさ。この経験は、他のドラゴニュートの誰も味わわないだろうから、一生分の価値になる」
アジュールが作り笑いでもなんでもない、裏表が一切無い笑顔を見せる。
「誠の言うことは絶対ですか?」
「まぁ、それなりに言うことは利く。なんだい? アタイに秘密の用事かい?」
「空にこの施設の上空を旋回している黒い点が見えるんです。私の目には、そこまでしか分からない。それぐらい高いところを飛んでいます。アジュールさん、見て来てくれませんか?」
「はっ、人間がドラゴニュートにパトロールをさせるなんざ、聞いたことがないねぇ。あんた、アタイを馬鹿にしてんのか? あんたたちに付いてはいるが、犬のようになんでも言うことを利くつもりはないんだよ」
「違います、これは私がお願いしているんです。人がドラゴニュートに――翼を持たない下等な種族が、翼を持つ優秀な種族に、黒い点の正体を見抜いて欲しいって、頼み込んでいるんですよ」
雅は頭を下げて「お願いします」と続ける。
「物は言いようじゃないか。しかも、あんたみたいな頭を下げることを極端に嫌いそうな人間が、そうやってお願いをするんなら……悪くない。仕方無い、翼を持つ者が、少しばかり様子を見て来ようじゃぁ、ないか。けど、それならあんた、それなりに誠への言い訳を考えておくんだ。アタイはあんたに言われて飛んだと言う。正直に、そして嘘偽りなく、ね」
「分かりました」
「選定の町に居たときよりも肝が据わり過ぎだよ、あんた」
アジュールが身を起こして、窓を開く。
「あと、試して悪かったね。普段はもっと優しいんだよ、アタイは。ただ、二つの竜の加護を持つ人間がどれほどの器か、また見たくなってしまったってだけなんだ」
「ありがとうございます」
「ドラゴニュートの気高さが穢されないことなら、引き受けるさ。ただ、それ以外は他を当たることだね。今回のこれは、アタイにしかできないことだから、やってやる」
アジュールが窓の外へと身を投げる。雅が窓の傍まで寄ったときには、アジュールは赤い鱗を身を包んだ竜へと姿を変えて、咆哮を上げて天高くへと飛翔して行った。
「おい、雅」
一分と待たずに誠が部屋にやって来た。
「なに?」
「アジュールを空にやったのは君だろ?」
「当たり」
誠が溜め息をつく。
「今の状況を分かっているんだろ? 下手に動いたら、大事になる。空を飛んでいるアジュールが海魔に襲われたら、責任は取れるのかい?」
「じゃぁ、このままが良いって、思う?」
雅は誠にそう返答する。
「このまま、この場所に引きこもり続けることが良いことだって思う? 楓ちゃんはなんのために誠と手合わせをして、強くなろうともがいているのよ? 二十年前の生き残りたちはどうして、今後のことを考えて動き出していると思っているの? 全て、これからのことを考えてのことでしょ? それとも、誠はアジュールさんを戦力外だとでも思っているのかしら?」
「そんなわけないだろ。けれど、もしものことがある」
「ドラゴニュートが、やられると?」
「……ああ、分かったよ。君のその目で分かる。過保護だって言いたいんだろ。でも、アジュールが死んだら、あの里の全てのドラゴニュートに伝わる。そうなったら、敵が増えることだけは理解しておくべきことだと、僕は思う」
「分かってるわ。でも、見える?」
雅は誠を窓際に誘う。特に抵抗もせず、誠は窓の外を眺める。こうして口論になっても、抵抗せずに相手の言葉に従う誠の姿勢は、ひょっとすると見習うべきところなのかも、などと思いつつ雅は指で空を指す。
「黒い、点?」
「そう。あなたの竜眼でも分からない?」
「ああ、別に竜の眼は視力を上げるための代物じゃないからね。あれを確かめるために、アジュールを飛ばしたのか」
「飛びたがっていたし、あとは哨戒のため。黒い点がなんなのか分からないと、私たちはここでジッともしていられないわ」
「君の言葉はもっともだ。僕もあれに気付いたら、アジュールに飛んで、確かめに行ってくれと頼んでいた、な」
「分かってくれて助かった」
誠は窓を閉め、雅から大きく距離を空ける。
ああ、まだ異性との距離感が分かってないんだ、こいつ。
ちょっとした動きだけで分かってしまう誠のヘタレている部分に、顔や態度には見せないが呆れる。これで、二十年前の生き残りが鍛えているメンバーの中で一番、強いのだ。世の中とはなかなかに理不尽である。
「アジュールさんは無茶をしないかしら」
「遠目で見るだけだろう。まぁ、アジュールなら焼き払うことも考慮するだろうさ。『低俗な海魔なんて、アタイの炎で丸焼きだ』とでも言って」
口癖は似ているが、声真似は似ていない。けれど、アジュールのやりそうなことであったので敢えてツッコミはしなかった。
「最下級に近い海魔なら良いんだけど、あの黒い点を、誠はどう思う?」
「渡り鳥にしてはここをずっと旋回し続けている意味が分からない。留鳥にしても、旋回の理由が見当たらない。蝙蝠……いや、イナゴ……か?」
「でも、昆虫に近い生態を持った海魔は見つかっていないってケッパーは言っていたわ」
「なら、鳥か蝙蝠か……その程度なら、アジュールは焼き払ってくれると思う。僕たちの不安要素を排除したことに、対価を求めて来るかも知れない。ただ、焼き払わずに報告に戻って来るだけなら……アジュールにも手に負えないような海魔である可能性が高い」
「誠はあれを海魔だと思うんだ?」
「他に考えられない。君は?」
「私も、そう思う。そして多分だけど、アジュールさんにも手に負えない、下劣極まりない海魔のような、気がする」
「女の子が下劣極まりないって言うところを僕は初めて目にしたよ」
「誠になら、幾らでも汚い言葉を吐けるけど?」
「勘弁してくれよ。こっちもこっちで疲れているんだから」
言いつつ、アジュールが寝ていたベッドに誠は腰を掛けた。




