【-足跡-】
リコリスが居なくなったあと、しばし立ち尽くした雅は、砂を足で出来る限り整え直し、再び二本の短剣を使った鍛錬を始める。
強くはなりたい。けれど、ああはなりたくない。それが目標としているディルという男だ。それでもせめて、戦力に加えてくれるだけの強さにだけは達したい。ジギタリスと鳴を相手にしたとき、背中を預けてくれたのは、その方が勝率が上がるからに違いない。結局、あの男は雅のことなんてあのとき、信じてくれてはいなかった。そんな気がする。勝率を差し引いても、ディルに問えばきっと「二人を相手にするのが面倒だった」と言うはずだ。
「ディルなら、あの二人を相手にしても一人で勝てる。だって、リィのためなら、なんでもやる男だから」
自身を戒めながら、足場の悪い場所での身のこなし、そして動きのキレを上げて行く。
どうしてリィに拘るのか。どうしてリィなら、そこまで全力を出すのか。雅には分からない。
「ひょっとして、私、リィに嫉妬してるの?」
呟いて、動きを止める。靴が砂に沈み、中に砂が滑り込んで来る。そのなんとも言えない気持ち悪さなどお構い無しに、自分自身が呟いた言葉に、硬直していた。
違う、そうじゃない。嫉妬とはまた別だ。
「リィがディルのことをなんでも知っていることが、不満なんだ……」
ディルとリィの関係など、今更、雅が入って行けるようなものじゃない。けれど、好きになってしまった以上はその相手のことを知りたくなる。それがどうしようもない相手であったとしてもだ。リィは雅の好きな相手のことを、知っている。雅の知らないディルの過去を知っている。どこまでかは分からないが、雅以上に分かっている。そして、いざというときにはディルのために、その真の姿を晒すことすら厭わない。
それに雅は、憧れているのだ。
ディルにしてみれば、背中を預けているのは雅では無く、リィに違いない。ポンコツと馬鹿にしようと、どれだけ激しく罵声を浴びせ、痛め付けようと、最終的にはリィの選択と、行動を優先し、それに従い、遂行する。
それは互いのことを分かっているから。知り尽くした相手に背を向けても、決して襲われないという安心感があるからだ。
「強くなれば近付ける、わけじゃない。私がディルに近付くには、ディルのことを知らなきゃならない」
根本的なところで間違っていたことに気付く。そして変な笑いが込み上げ、続いて一気に肩の力が抜けた。
モヤモヤが晴れた。ディルとリィを見るたびに感じていたなにかの正体に気付けた。そしてそれが嫉妬ではないことを知り、これからもリィに同等の態度を取れるだろう自分自身に、安堵することができた。
新しい境地なんていらない。
デュオになりたいなんて思わない。
「ただ、私は、私なりに、私だけに与えられた力を使いこなすんだ」
短剣の片側に風を纏わせる。柄を握る強さは等しく、けれど振るときは軽く、そして鋭く。
纏わり付いていた風が噴射の役割を果たし、雅の剣戟に更なる鋭さを与える。先ほどは、変質させた力に耐え切れずに手放してしまった短剣が、静止してもまだ、手に握られている。そして足元に砂によって描かれた風紋は、先ほどの暴れたあとのような乱れなど一つも無く、水に石を落としたときに作られる丸い円の波紋のように綺麗であった。
「よし……感覚は掴めた」
殻に閉じこもっていたわけではないが、吹っ切れたことで雅は僅かながらに自信を取り戻す。
ディルのようになりたいとは思っていない。リィのようにならなくても良い。
自分は自分らしく、自分にしか備わっていない力を高めるだけで、命のやり取りをすれば良い。化け物みたいな力を求める必要は、最初から無かった。
「この風の噴出は、今日中に終わらせたいな」
呟きつつ、短剣に風を纏わせ、何度も何度も軽く、そして鋭い剣戟を繰り出す。やればやるだけ、安定して行く。
レイクハンターの弾は真正面から受けること前提で構えたが、あのとき雅には、微かではあるが弾道は見えていた。まだ、目は良い方だ。振った短剣から『風』が消えたとき、視線集中型の変質で、逆方向への噴射。これで剣戟の切り返しが成立する。ただし、二本同時にはできない。海魔がそこまで頭が良いとは思えないが、これを見抜かれた場合、三撃目が視線を向けた方向から来ると教えてしまうことになる。
上手く隠して行かなきゃ、な。
だからこそ、噴射の切り返しはここぞというときにしか使わないと決めなければならなかった。ジギタリスとやり合ったときには、まだ両手とも見る余裕があった。あの男が手を抜いていてくれたから、というのが大きい。今、手合わせをした場合は、そんな余裕も無いだろう。
「ん?」
足元に違和感を覚える。
普通なら、これほど強く踏み込めば、足が砂に沈むはずだ。けれど、雅が一連の剣戟を終えたのちに見た足元は、驚くほどに乱れていなかった。立っているだけで沈んでいた砂場で、雅の靴は埋もれることなく、目に映っている。が、それも数秒のことで、雅が気付いた直後からゆっくりと砂に足は沈んで行く。
ただ、気になることもあった。
「足跡が無い」
大きく動いたつもりだ。剣戟も実戦に近い形で繰り出した。なのに、足跡となる砂の乱れが微塵も見られない。あるのは先ほど綺麗に描いた風紋だけだ。この不思議な現象に、答えを見出せない。
無意識の内に力を使った、ということもあるだろう。しかし、雅の場合は今までそのような無意識下で力を発揮してみせたことが一度も無い。
耳の良さ。風の便りは全て、雅の意思では無い。人の話が雅の意図しない形で耳に飛び込むことはままあった。ただし、それは『影の王』が自身に潜んでいたからだ。『影の王』が、雅に掌の上で踊ってもらうために有用な情報となり得るものを、雅の力の一端に触れて、発動させていたに過ぎない。ディルを助けた『風』の力も、『影の王』が引き出した雅の強力な変質の力だ。だから、今の雅にはそのどれもが、扱えない代物になっている。
今更、それに縋ろうとも思ってはいないけど。
そう思いつつも、自らに起こった不思議な現象についての答えには辿り着けず、結局これも保留しておくことにした。もっと確実性が欲しい。一度や二度の現象では、比較要素が少なすぎる。練習、実験、それらには常に回数が求められる。この現象はまだ、雅の脳裏に浮かんだ、一つの現象の答えに達するには早いのだ。




