【-風紋-】
「それで、どこに行くんですか?」
「こっちだ」
ジギタリスは会議室を出て、そして廊下を歩き、エレベーターに乗り一階まで降り、続いて連絡通路を渡って、五角形の施設の一角まで雅を無言のまま連れ歩いた。これはジギタリスが話し掛けて来なかったことも要因の一つとしてあるが、純粋に雅のコミュニケーションの弱さによるものでもある。やはり、ディルや友達と呼べる仲間たちに比べると、この男との距離感が曖昧なのだ。内情を理解しているつもりではあるが、その理解がこの男の逆鱗に触れかねないことでもあるため、変に刺激したくない。それが、この沈黙に繋がった。
「雅、こっち」
連絡通路を渡った先の施設には鳴が先に来て、待機していた。施設の中は、先ほどまで利用していた中央の施設をやや小さくし、更に階層も減らした、いわゆる実験データを取るためのような空間があった。
鳴に呼ばれて一歩を踏み出すと、靴が砂に沈んで見えなくなった。眺めてみれば、床一面に大量の砂が敷き詰められているらしい。ただし、それほど深くもなく、嵌まってしまって動けなくなるといった事態には至らない。あくまで、靴全体が隠れるほどの深さしかない。ただし、動きにくいことには変わりはないが。
雅は靴の中に入った砂の感触に頬を引き攣らせつつ、砂を踏み歩いて鳴の元に辿り着く。
「ここは、どういう施設なんですか?」
「足場の悪い状況でも、通常時と変わらない素早い変質と、身のこなしを学ぶための施設だ。砂の量は別の階層で調節する。場合によっては水であったり、草木であったり、金属の破片を散らばせることもあるが、今回は砂で良い」
ジギタリスが砂に足を取られることなく、軽い足取りで雅たちから距離を取った。
「君と戦ったのは一度切りだが、その一度切りで君の弱点が見えた。そして鳴、君の力の弱点にもこれは繋がる。だから、試しておきたい上に、確認を取っておきたい」
そして雅たちに向き直ると、十字を切って炎の大剣を作り出す。ただし、その熱の放出や炎の勢いはここで初めて戦ったときよりも規模が小さいものになっている。純粋に力を見るために用意したのだろう。
「弱点、ですか?」
「君の、短剣を投擲し、風で加速させる方法は実に面白い。角度も自在で、加速に加速を加えれば音速を超える。それも素晴らしい力だ。だから、その弱点を理解してもらいたい。投擲による加速でも、真空を作り不可視の刃でも構わない。この僕に、その力を撃ち出してみてくれ」
雅はチラッと鳴を見る。
「大丈夫、ジギタリスは私との訓練でも、よくこうやって、教えてくれた。本気でやっても、大丈夫」
つまり、雅が本気で挑んでもジギタリスには敵わないということなのだが、そこについては重々承知している。この二人に勝てたのは圧倒的にディルの存在が大きいのだ。だからこそ、その強者の言葉を素直に聞くことは非常に重要なことだ。
「加速、一回分で構わないですか? それでも、結構な速さになるんで」
「ああ」
「じゃぁ、私の正面一メートル先の空気を変質させて、そこに向かって短剣を投げます。そのまま真っ直ぐ加速して、ジギタリスさんに向かいますから」
「分かった」
戦闘ではない。そして訓練でもない。これはジギタリスによる講習だ。だからこそ事前に伝えるべき情報は伝えておく。
雅は自身から約一メートル先の空気を変質させるために右手を動かし、基点を指差す。視線集中型の変質は未だに、この基点決めができなければズレてしまう。それも雅の弱点なのだが、それ以上にジギタリスが言う弱点が知りたい。
「行きます」
「ああ」
雅は左手で白の短剣を引き抜いて、砂に足を取られつつも重心を前方へと傾がせることで、力の込められた狙い通りに空を貫く投擲を行う。投げられた短剣は変質した空気に触れて、更に加速し、ジギタリスの胸部へと突き進む。
が、次の瞬間、男が炎の十字大剣を軽く振るい、雅が投擲し、『風』の変質によって加速までされた短剣が真横に弾かれてしまった。
「……え?」
「やはり、こういった足場、或いは水場となると、この現象は致命的になるな……」
「今の、見えていたんですか?」
「見えてはいない。あれだけの加速をこれだけしかない距離でやられると、さすがの僕でも目では追えない。ただ、その現象に集中さえしていれば到達する瞬間が分かる。足元を見るんだ」
「足元?」
雅は視線を斜め下に向ける。先ほどまで綺麗に均された砂地が、ほんの僅かではあるが左右に開けて、小さな山々を作っている。
「風紋と呼ばれるものだ。風が通ると、砂が風に押されて作られる。これを見ていると、どれほど強烈な『風』の力が加えられていても、到達する瞬間が分かる。砂を掻き分け、対象を貫くまでの一秒にも満たない猶予を、僕に与えてくれる。勿論、これは水場でも同じだ。水の波紋が、君の『風』による攻撃が今、どの辺りを進んでいるかを教えてくれる。君は今まで、こういった場所での戦いをして来なかったんじゃないかい? だから、僕が弾いたことに驚いていると思うんだけど」
「……はい。こんな、真正面から弾かれたのは、初めてです」
「これは、鳴の『音』にも関わることだ。音圧もまた、強ければ強いほど砂を動かす。水にも波紋を描く。ベロニカ、『バンテージ』、『ブロッケン』には恐らく、見抜かれる。この弱点を消すなら、地上ではなく空中から対象に向かって撃ち抜くことが必要になって来るが……そうであっても、到達点が自身だと分かっているなら、奴らはきっと受け流してしまうだろう。僕のような人の知識で、ではなく、人智を超えた感覚で、だ。だから、この弱点を熟知し、そして利用する手立てを考えて欲しい。弾かれた程度では動じない精神力で、むしろ弾かれたことを次の一手に変えてしまうような算段を組めるのなら、君も鳴も、力に応用が利くようになる」
海魔と散々、戦って来たが、今の今まで気付くことができなかったのは、浜辺での戦闘を極力避けて来たからだ。フィッシャーマンのときも、シーマウスのときも、浜辺では一切、力を行使していない。ストリッパーやフロッギィに至っては山道での戦いだった。唯一、水辺のある場所で戦った海魔はレイクハンターだが、これは逆に相手の作る波紋から射線、射角を割り出して跳ね返すことで対処した。本来ならそのときに気付くべき弱点だったのかも知れない。
「これからは気を付けます」
「ああ、それで良い。あと、もう一つ」
ジギタリスが人差し指を立てて、続ける。
「君は、鳴の音圧が見えたりしないのかい?」
「……ええ、と」
「一戦交えたときには見えていなかったことは理解している。それでも僕は、この可能性を示唆したい。鳴、頼めるかい?」
「はい」
鳴が砂場をなんのそのと突き進み、雅から距離を取った。
「威力は弱めるんだ。これは訓練でも戦闘でもないから」
「分かって、います。雅、今から不協和音じゃない純音に近い音を奏でる。その音圧を、視認できるかどうか確かめて」




