【-鳴の謝罪と準備を終えて-】
「雅さん雅さん、リィちゃんのお着替えが終わりました」
葵が微妙な空気を吹き飛ばすため、隣の部屋で着替えを終えたリィを連れて来る。新調された白のワンピース。服装のことを雅以上に分かっていないリィには、こういった清楚で着心地も良く、動きやすいものが似合う。が、下着はともかくアンダーウェアを初めて着たらしく、その違和感に慣れていないのか、顔には少し戸惑いの色が見えた。脇から見えないようにという配慮なのだが、特級海魔のこの子を狙うような馬鹿な男も居ないだろうなと、提案した雅自身、今になって思い至る。
「ギ…………リィ、その、あの」
鳴がリィの傍まで歩き、彼女の目線に合わせるように屈みつつ、言葉を紡いで行く。
「御免、なさい。あなたを、捕まえたことも、それと、海竜のときに収集した『穢れた水』を使って、実験した、ことも……全て、謝り、ます」
分かりやすいくらいに鳴は頭を下げた。下げすぎなほど、下げた。
「……でも、お姉ちゃんはディルを助けてくれたんでしょ?」
「それも、自分の、エゴのせい。助けたくて、助けたわけじゃ、ない」
「でも結果的に、ディルは助かった。そしてワタシも生きている。だったらワタシ、お姉ちゃんのこと嫌いになんて、ならないよ?」
「あり……がとう」
ここに来てようやく、鳴はリィに謝罪した。雅と葵はともかく、鳴はジギタリスに言われてやることも多く、なによりディルが見張っているリィの元に一人で直接行くような勇気も持ち合わせていなかったのだろう。あの男のことだから、リィに謝罪している彼女に一発は間違いなく蹴りを入れる。師事している相手だからこそ、雅には想像が付いてしまう。あの暴力にはどうやら鳴も耐えられないらしい。
これだと、私のマゾヒスト疑惑がどんどん酷くなっちゃうような……。
『ディルさんの訓練って、根を上げる前に立ち上がれなくなるんですけど、雅さんがめげないのは、そういう気質だからですか?』
『あんな怖い人に説教を喰らって、ついでに蹴られて、それでも付いて行きたがるとか雅さん、随分とクレイジーな方ですよね』
『あの人、見ただけで分かるんだけど暴力的じゃない? なんでそれで逃げ出さずに師事し続けられるのかな、怖いよ、君』
『ディルの蹴り、物凄く痛い。三日ぐらい、痛みが、引かなかった。雅は、なんで、大丈夫なの?』
『下層部』で一息付いたあとの、この散々な言われようである。雅が居ないところでひょっとすると、『マゾヒスト疑惑』について話し合っているのではと思うほどに、四人が四人、揃って雅をマゾヒストと思っているのだ。払拭したいがために色々と言ってはみたが、それもこれも火に油を注ぐが如くで、未だに解決できていない。
そして、この四人だけでなく、ディルを除いた二十年前の生き残りの四人すらも、雅をマゾヒストと決め付けている。もう雅の唯一の心の拠り所というべき存在はリィだけである。彼女だけは雅にそのような視線も、言葉も投げ掛けない。なので、リィと二人切りのときは、ディルと一緒に居るときと同じぐらいに心安らぐのだ。
「そー言えば、葵さんはケッパーの訓練を受けていましたよね? もしかして、葵さんのスタイルの良さにやられて、私なんて眼中に無いって感じなんですかね」
「なんでスタイルの話になっているんですか」
いや、だって……と、葵以外の全員が胸元に視線を向ける。
「ケッパーさんから教わったのは再変質ですよ! 水から氷、氷から水! ここで雅さんと再会する前の旅の中で、リコリスさんにも教わったんですけど、『アガルマトフィリアの方がこういうのは向いているんだよねー』って仰って、結局、ちゃんとは教えてもらえなかったので――というか、ケッパーさんの教え方でもあたし、習得できたか分かりません」
鳴を捕らえる決定打にもなった、氷爪に見せ掛けた水の爪。更にはそれらを解いて、彼女を濡らすことによって靴や服を凍て付かせて動きを止める。確かにディルは「物体が人間の変質を受け入れるのは一度まで。二度目以降は難しい」みたいなことを言っていたな、と雅は思い出す。
「しかも、これは0℃以下になると凍り付く水の特性を利用したものなので、再変質と呼ぶよりも、『水』と『氷』の特権みたいなものだってケッパーさんは言ってました。だから楓さんのように、一つの物質をずっと変質させ続けるようなコツは、最後まで分かりませんでした。『水』も、雅さんの『風』と同じで流動的なものだから、二度目の干渉に甘いところがあるとかなんとか、言っていましたし!」
謙遜はしているが、ケッパーのおかげで葵は自身の力の使い方について新しい境地に達することができたのだ。けれど、聞いていると益々、『水使い』というのは特権階級的な能力だなぁと思ってしまう。
『水』と『氷』の使い手である葵は気体、液体、固体を掌握している。『水使い』だけで気体と液体の二種類を扱える。しかも、流動性を持っているため再変質し易いらしい。雅は空気にしか干渉できないが、葵は物質にだって干渉できる。それを言ってしまえば、五行に属する使い手は誰もこれも一つに限らず二つ三つに干渉する手段があるわけで、“異端者”でしかない雅にはただただ羨ましい。
「ほんとですかぁ? 私に気を遣って、実は再変質のコツをしっかり掴んじゃったりしているんじゃないんですかぁ?」
楓は普段は明朗快活な女の子なのだが、ここ最近の手応えの無さからか、葵の発言に疑い深くなっているばかりか、若干だが葵に嫉妬している。これはきっと、彼女がケッパーの訓練を受けたから、だろう。
「ほんとですって! それにケッパーさんも言ってましたよ? あたしみたいな子より、楓さんの方が相手をしていて楽だって」
「それ、褒められてる、の?」
鳴が雅に是非を問うて来るが、苦笑いで返す。
「リィさんはどう思いますぅ? 私、ケッパーに飽きられてないですかねぇ?」
「……多分、だけど」
リィが楓を見つめながら続ける。
「甘やかされている、と、感じる」
「……甘やかされている、ですか?」
「うん、甘やかされている。ケッパーは、あなたに甘い」
「……うーん、分かりませんけど、分かりました。この問題は、もう少しだけ措いておくことにします」
リィの「甘やかされている」や「ケッパーが甘い」という発言に楓に限らず、リィ以外の全員が疑問符を付けつつ、首を傾げ、答えも見出せないままにこの問題を放棄することにした。
リィは時折、辛辣な言葉を口にする。そして、小難しい言葉を遣うこともままある。それは恐らく、ディルの感覚や経験を目にしている分、直感的に思うものあるのだろう。その言葉の正当性は、雅が一番よく知っている。
だから「甘やかされている」も「ケッパーが甘い」のも、全て事実に違いないのだ。雅たちにはさっぱり、その感覚が理解できないのだが。
部屋から出ると、廊下で待っていた誠が項垂れる。
「君たち、どれだけ人を待たせるのが好きなんだよ」
「部屋の前で待っているとか変態なんじゃないの?」
「だったら君、一人であの五人が待っている会議室に行けるのかい?」
誠を貶してやろうと思った発言を、正当な理由で黙らされてしまった。言う通り、あの五人が揃っている会議室に、一人だけで行く勇気は雅にも無い。
「アジュールは?」
「君、僕より先にアジュールを探すのやめてくれないか? なんか僕がアジュールの腰巾着みたいじゃないか」
そのようなつもりはなかったのだが、どうやら無意識的に誠に精神的苦痛を与えるような言葉を発してしまったらしい。これには謝罪すべきなのか悩んだが、小さく「御免なさい」と発してわだかまりをともかく発散しておく。
「アジュールの義翼を、まだちゃんと見てないから」
「あー、君の師匠が造ったものだから、か」
なにやら含みを持たせた言い方をされたが、先ほどの無意識の発言に対する仕返しなのだろうと、不満を感じつつも堪える。
「竜になるときには大きく広がって、人の姿になると、相応の大きさまで折り畳まれる。幾つも折り畳むための節があって、それが実際の翼と同様の柔軟性を実現している、みたいだ。触らせてもらった限りでは、そう簡単には壊れない造りにもなっていた」
「へぇ、あの気高いドラゴニュートが、人に翼を触らせるなんてねぇ」
「義翼だからだろ。もう片方の翼に触れたら、僕は焼き殺されているよ」
続けて、誠はディルの異常性を語り出す。
「アジュールに訊いたら、君の師匠が即席で『金』の力で造ったらしい。信じられないほど精密で精巧だ。なんで自分の義眼を自分自身の力で造らないのか、不思議なくらいだ」
雅もディルがそんな力を隠していたなんて初めて知った。恐らくは、狙って隠し続けて来た力なのだ。ベロニカとの戦いで『金』を除く“力の理”を奪われてしまったから、仕方無く表に出すようにした奥の手に違いない。
「義眼を武器にするからだよ。そのとき、自分の力で変質させて造った義眼だったら、再変質になっちゃうから、手間が掛かるんじゃない? 訊いた限りだと、できないことはないけど、時間が掛かるって言っていたから」
「なるほど、君の師匠は化け物だな。ナスタチウムも相応に化け物だと思い続けて来たけど、君のところのには敵わない。あんなのと訓練し続けて来たなんて、本当にマゾヒストじゃないのか?」
「そろそろマゾヒストを禁句にさせてもらおうかなって思っているから。誠に限らず、みんながそれを言ったら、私、怒ろうかなって」
満面の笑みで言ってみたが、そこに孕んでいた殺気と怒気をしっかりと全員が感じ取ったらしく、毛を逆立たせていた。
「行こっ」
ただし、リィはすぐに立ち直り、雅たちを先導するかのように歩き出した。
リィがマゾヒストって言っても、私は怒る自信が無いなぁ。
色々な意味で、リィには敵わない。それが分かっているからこそ、彼女の口からその言葉が出て来ないことをただ祈るばかりである。




