【-ケッパーが冷たい-】
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「最近、ケッパーが冷たいんですよ」
「冷たい? 喜ばしいことじゃ、なくて?」
同室で服を着替えている中、楓が鳴に向かって愚痴を吐いていた。
『下層部』の施設での一件から二週間弱ほど経って、ここにある資料のほとんどの整理が終わった。どれもこれも役に立つ資料ばかりではない。一部は『上層部』からの指令が記された紙束で、他にも資料として置いておいても使えないような情報の数々ばかりだった。
しかし、“正義”を振りかざす男――ジギタリスが独自に研究し、調査し、見出した情報の数々はディルたちにしてみると有用な物も多かったらしく、曰く「ジギタリスの署名が入った資料は保持、『上層部』からの指示書や、ここでやっていた馬鹿げた実験データは一部を残して放棄」という話に至った。そこからの整理でまさか二週間弱も掛かるとは思いもしなかった。この『下層部』の施設に詰め込まれた資料の山々には、気が滅入ってしまったほどだ。
それもようやく終わり、本格的に今後、どうして行くかの方針を決める会議、のようなものが開かれることになって、雅たちもそこに参加する形になった。二十年前の生き残りが五人も居るのだから、五人だけでも話は纏められそうなのだが、リコリス曰く「私たちの頭ってぶっ飛んじゃってるからー、常識人が何人か居ないと話し合い自体が成立しないのよねー」らしい。
なので、雅たちはこれから着替えを終えてその会議が開かれる一室に向かうところなのだ。
「なんて言うか、私に卑猥なことを言う機会が減ったと言いますか、気味の悪いことも言わなくなったと言いますか」
「……喜ばしいこと、じゃない、の?」
鳴がチラリと雅を見た。二週間弱で互いの関係を深めることはできたが、鳴にはまだ雅の助け船が必要のようだ。
楓ちゃんは空気は読まないけど、反応や返事はちゃんと待ってくれるから、そこまで困らなくても良いはずなんだけどな。
と、遠目から様子を窺っていたのだが、どうにも無理らしい。
「セクハラ発言が無くなったんでしょ? 気色の悪いことを言われなくなったんでしょ? だったら、嬉しいんじゃないの、普通?」
「違うんですよ、そりゃ嬉しいんですけど違うんですよ」
なにが違うのか雅と鳴にはさっぱり分からない。
「私が強くなったから冷たくなっただったら私もなにも言いませんよ? だって、やっとケッパーを黙らせられるくらい強くなったって実感できますから。でも、今のところケッパーに敵うところなんてどこも無いのに、いつものノリがぶつけられないのが、なんだか冷たく感じてしまいまして……私に興味が無くなった、んじゃないかなとか、考えたりしてしまって」
「……ケッパーのこと好きなの?」
「はぁ?! そんなわきゃ無いですよ! なんで私があんな人を好きにならなきゃならないんですか! あー気持ち悪い! 想像しただけで吐きそうです!!」
この反応は、強がりから来るものではないと雅でも言い切れそうなものだった。誠の話題を出すときよりも顕著である。本当の本当に、嫌いらしい。
「興味が無いってのはつまり、私を強くする気が無くなったんじゃないかってことです。限界が見えて来たから、もうポイ捨てする感じでこのまま放置するつもりだったらと思うと、どうにも、腑に落ちないわけですよ」
雅はいまいち分からないので、自身とディルの関係で当てはめてみる。あの男が唐突に「もう訓練はやめだ」などと言い出して来たら、と。
これは青天の霹靂だ。確かに雅も楓と同じように混乱してしまうだろう。そして、ディルに恋慕の念を抱いていることもあって、楓以上に取り乱してしまうかも知れない。
「興味が無いんじゃなくて、距離を置いているんじゃないでしょうか?」
「それ、どう違うんですか?」
葵の言葉にすぐさま楓が反応し、返答する。表情はあからさまな不満に染まっていた。
「えーっと、興味が無いんだったらケッパーさんがここに居残る理由、無くないですか? だから、距離を置いて楓さんが、ケッパーさん抜きでどこまで成長できるか、その度合いを確かめている……じゃ、駄目ですかね?」
自信無さ気に葵が雅を見る。鳴もそうだが、葵もなんだかんだで雅に発言の是非を問おうとして来ることが多い。それはこの二人に限らず、楓や誠でさえ雅の見解を仰ぐことがある。
自分はそれほど期待されるような人物でも無く、カリスマ性を持った、リーダーシップを発揮するような質ではないのだが、この四人から向けられるものを雅は邪魔臭く感じることはなく、むしろ擽ったく、もっと言えば心地良ささえ感じてしまっている。
それは雅のことを認めてくれている、理解してくれている、分かってくれていることから来る安堵感に他ならない。リィを助けてくれた恩もある。できる限り、期待には応えて行きたい。そんな風に、雅は思えるほど人間関係の素晴らしさを学んだ。
「葵さんの意見に賛成です」
「むー、葵さんと雅さんがそう言うんだったら、鳴さんもそうなんですよね?」
鳴に楓は問い掛け、彼女がしばしどう反応した良いものか困っている様をジッと待ち、僅かに首を縦に振ったことを確かめる。
やっぱり、楓ちゃんは答えを待ってくれる良い子だな、とこのやり取りの中で再度、雅は思うのだった。
「はー……ケッパーが冷たいと、なんだか張り合いが無いんですよね。誠さんと手合わせしても、勝てませんし、それで自分のどこが悪いか訊ねても、はぐらかすだけで指摘もしてくれなくなりましたし……なにが必要で、なにをしなきゃならないのか、分からないんですよ」
ふて腐れ混じりの言い方を見て、なにか気の利いた言葉を掛けてやれないものかと、雅は誠が以前に語っていたことを話してしまいそうになった。しかし、“気付き”こそが大事なのだ。自分に言い聞かせ、言葉になりそうだったそれらを全て喉の奥へと押し込んだ。
「楓ちゃんは、なにが足りないと思っているの?」
「速度……ぐらいしか見当たらないんですよ」
「じゃ、その速度重視で、誠には勝てた?」
「勝てませんでした。なら、もっと速く動かなきゃならないんですかね?」
「うーん……」
速さに固執しているため、他に目が行かないらしい。楓ちゃんの戦い方は速度あり気で、その俊敏さで今までを乗り越えて来ている分、最も大切なことだと思い込んでしまっているのだろう。実際の戦闘では、速度以外にもたくさん、必要なことがあると分かっていても、それ以外に気付けないのだ。
だが、それを話してしまったら、彼女の成長を殺すことになってしまう。雅は悩んでいるフリをしながらお茶を濁すように「難しいね」と言うことしかできなかった。




