第二話 黄昏の楽園
昔から童話が嫌いだった。
人間たちの勝手な解釈で歪曲された物語を読むたびに、滑稽すぎて思わず冷笑が漏れるほどだ。
いつの時代もなにかと人々に慕われている童話であるが、その中でも特に嫌いな物語があった。『王と妃と魔女』という童話で、内容はいたって簡素。
魔女に愛する妃の記憶を奪われた王が真実の愛を思い出すまでの物語で、最後は記憶を取り戻した王が、愛する妃と共に魔女を処刑し、死ぬまで二人は添い遂げるというどこにでもありそうな物語だ。
しかし、いつの時代も純愛を好む民衆たちの間では一際人気の童話であることも事実だった。
実際にあった物語だから尚更民衆の興味を惹いたのだろう。今では祖母から母へ、そして母から子へと受け継がれている伝統的な童話となっていた。
そのせいか、今では傲慢大陸に住む者なら誰でも知っている有名な童話だ。
もちろん童話になる本当の真実を知っているだけに、物語の題材にされた魔女――エレアノーラの苛立ちを募らせる要素にしかならなかった。
そもそも思い出を愛でるのは好きだが、感傷に浸るのは性分ではない。
短命な人間とは違い、悪魔と契約した魔術師は長寿だ。
特にエレアノーラのように『傲慢』の称号を持つ大悪魔と契約した魔術師ともなると、年齢の桁が違ってくる。
齢何千歳などざらで、現にエレアノーラは千歳を超えていた。しかしその美貌は損なわれることなく、契約した当時のまま、若々しさを保っていた。
黄昏の楽園と呼ばれる世界――ヘスペリデスでは、魔力が強い者ほど色素の薄い髪色になる傾向がある。そのためか、総じて魔力を持つ者は金髪や銀髪が多い。
エレアノーラもその例に漏れることなく、燦然と輝く夜の女王の如く美しい銀髪を持っていた。癖一つない絹のような柔らかい髪質は女性なら誰もが憧れるほどであった。
もちろんその美貌ゆえに、数多の女性から妬みを買ってきたエレアノーラだったが、傲慢すぎるその性格も祟り、更に敵を多く作っていたのはいうまでもない。
嫉妬と羨望の視線を一身に受け過ぎた結果、あのような童話が作られてしまったのもまた事実だ。
そして高慢な魔女として傲慢大陸に知られ渡った結果、他の大陸に住む同胞たちの元にまでくだらぬ噂が届く始末。
態々人の顔を見に来るためだけに傲慢大陸へ訪れたかと思えば、笑いのネタにするほどなのだから本当に暇人たちなのだろう。
中には哀れみの視線を向ける魔術師もいたが、それも遠き過去。数百年も顔を合わせていないと、記憶が曖昧になってくるところも多く存在するものだ。
哀れまれるのは好きではないが、愚弄されるのはもっと許せない。少なくとも彼女を指差して笑った愚か者――フランチェスカとクラウディオにだけは、特別にエレアノーラ自慢の拳を振るった。
その結果、彼等の自慢の美貌を二目と見られぬほど青く晴れ上がり、彼女の恐ろしさを物語っていた。
盛大に腫れた顔を前にしながら冷たく微笑むエレアノーラに、頬を引きつらせながら情けない顔でひたすら平謝る二人。これも過去に刻まれた、くだらない思い出の一つだ。
ゆっくり捲っていると、開け放った窓から冷たい風が入りこみ、手元のページをさらうようにぱらぱらとめくっていった。
古本特有の、むせるような独特な匂いが鼻孔をくすぐる。黄色く痛んだページがめくれる度に、静寂な部屋の中に乾いた音が鳴り響いた。
いつもならうるさいほど屋敷をにぎわす輩がいないせいか、耳を澄ませば小さな物音ですら聞こえてくるほどであった。
乾いた紙が擦れるたびにこぼれ落ちる音は、まるで誰かがさめざめと泣いているようにも聞こえ、エレアノーラは使い込まれた飴色の机に視線を落とした。
金色の眼差しの先には一冊の古びた本が開かれたまま置かれてあった。量産する技術などなく、手書きで記された時代の古本だ。
初版から数百年を経て、いくどとなく改訂されたこの童話はどのような物語になっていることだろうか?
出版された当時ですらこれだけ物語に食い違いがあるのだから、今では原型すら止めていないのではないのではないだろうか。
そう考えるだけで胸の奥で何かがつまるような、ぎゅっと握りしめられるような鋭い痛みを感じた。
そっと胸元を手のひらで撫でるが、何ともない。気のせいだと言いきかせながらエレアノーラは風にもてあそばれている本を閉じた。
確かに長い時を生きる魔術師にとって、数十年も数百年も対して差などない。短命な人間にとっては長い一生も、魔術師であるエレアノーラにとってはほんの瞬き程度でしかなかった。
だからこそ人は得た知識、歩んだ人生、歴史を忘れぬために書物につづり、後世へと残し、自らの名を歴史に刻むのだ。
それは魔術師にはない概念だった。魔術師にとって名誉だの、歴史に刻まれる名など二の次で、自身の得た知識や魔力などを子孫に残すことの方を重要視する節がある。
特に己の血筋を重視する魔術師を純血主義というのだが、由緒正しき名門の家柄に限ってそういう者が多い。
同じ大魔術師で名を上げるとしたら、『憤怒』と『強欲』、あとは『暴食』の辺りだろう。
『憤怒』は根っからの純血主義者だし、『強欲』は己が一番でなければ気に入らない主義のため、より純度の高い血縁者を好む。『暴食』に至っては血筋とかにはあまり興味を示さないくせに、誰よりも自身の美貌に対しては貪欲なため、エレアノーラが知る中である意味欲望に忠実な魔術師だ。
そう考えると、本当に自分の周りにはろくな連中がいないと思う。自己中の塊で、唯我独尊を貫き、我が道を迷うことなく歩んで行く者たちばかりだ。
そんな魔術師の一人であることを自覚しながら、エレアノーラは傷だらけの色褪せた表紙を撫でた。明るい茶色の革張りされた表紙に金箔で綴られた題名。綺麗に装丁された本は並ならぬ意匠のこだわりを感じるほどだ。
昔から本は比較的高価なものだったが、他の本に比べこの本だけは大切に扱っていなかったと思う。
むしろはじめてこの童話の存在を知った時には、怒りのあまり本を床に叩きつけたほどだ。
それほどまでに何もかも歪曲された物語はエレアノーラの神経を逆なでした。
自分たちの都合のいいように書き変えた物語など誰が好むというのだ。
だが、それと同時に彼女の心を占めたのは「この本を彼も読んだのだろうか?」という言いしれぬ不安だった。
僅かな時間だったが、同じ時を共有しあった相手を思い出し、エレアノーラは瞳を伏せた。
彼との出会いは彼女に大きな変化を与え、また一生癒えぬ深い傷を心に負わせた。
確かに共にすごした時は微々たるものであったが、一緒にいる時間はとても心地が良く、心を満たすほど充実したものだった。
魔術師にとって流れる時は刹那でしかないが、色褪せることのない思い出は永遠であった。
だからエレアノーラは童話が嫌いだ。
真実を都合よく書き換えてしまう人間がもっと嫌いだ。
この世から消し去ってしまいたいほど大嫌いであった。
――だが、そんな彼女が愛した相手もその大嫌いな人間だったのだ。




