第1話 過労死した勇者、500年後に宿屋を開く
皆様、こんにちは。本作をお読みいただき、誠にありがとうございます。作者のつきゆかりです。
本作は私にとって実質的な3作目となります。極めてテンプレな転生設定を採用しつつ、今回挑戦したかったのは「スローライフ」ものです。
実は、私がこれまでに触れたスローライフ作品といえば『異世界のんびり農家』と『スライム倒して300年』くらいで、しかも漫画版しか読んだことがありません。
さらに、今回は一人称視点での執筆にも挑戦しています。
前作の『事後処理班』の書き方だと、どこかキャラクターの「演技」を見ているような感覚になり、その演技の描写が拙いと、作品全体が薄っぺらく感じてしまうという課題がありました。
一人称であれば、特定の状況において「もし自分だったら何を考え、どう行動するだろうか」と想像を膨らませて書くことができます。
加えて、キャラクターに少し口癖も持たせてみました。これらの要素を揉み込んで出来上がったのが、本作のスタイルです。
最後に一つ。作者本人はスローライフとは完全に無縁の生活を送っているため、スローライフを描こうとすると、どうしても精神的な葛藤が生じてしまいます。
いつの日か、読者の皆様が文章の端々からそんな私の葛藤をも読み取って楽しんでいただけたなら、作者としてこれ以上の幸せはありません。
改めて、クリックして読んでくださったすべての方に感謝申し上げます。
【歴史にはこう記されている。全能の光輝勇者アルディミウスは、弱冠二十五歳にして魔王と引き分け、奇跡的な和平協定を結んだ。
しかしその後の半世紀、勇者は各国に人魔共存を受け入れさせるため、東奔西走し心血を注いだ。
そして七十六歳の時、過労がたたり、ついに病の床に伏した、と。】
「どうやら……その時が来たようだ。俺も……ようやく休めるってわけだなぁ」
そのため息とともに、俺は静かに息を引き取った。
再び目を開けた時、視界に飛び込んできたのは果てしなく広がる純白の空間だった。
そして、目の前には女神リリアが立っていた。
「おお……女神様。旅立ちの前に夢で召喚されて以来ですが、またお会いできるとは思いませんでしたな」
「勇者アルディミウスよ、畏まる必要はありません。ここは既にあの世。私がここに来たのは、あなたの意思を問うためです」
「意思、ですか?」
「勇者として、あなたは十二分に責務を果たしました。数十年もの間、人魔の平和のために奔走し、一日たりとも安らぐ暇がなかった。だからこそ、あなたにもう一度、転生という形で新たな命を与えることにしたのです」
確かに。勇者になってからというもの、この重圧から解放された日は一日たりともなかった。
俺自身が切り開いた人魔共存の平和な世界で、普通の人間として生き直せるなら……それは悪くない話だなぁ。
「そのご厚意、深く感謝いたします」
「受け入れてくれるのですね。あなたが勇者になったのは二十歳の時でした。今回はその二十歳の姿で転生させましょう。時代は……そうですね、五百年後にしましょうか」
「五百年後、ですか?」
「ええ、まさにあなたが望んだ平和な世界です。それと、他に何か願いはありますか?」
願い?
今の本音を言えば、ただゆっくり眠りたいということで頭がいっぱいだ。前世の数十年間、毎日の睡眠時間が五時間を超えたことなんてほとんどなかったからなぁ。
だが、女神様に向かって直接「ただ眠りたいです」なんて言えるわけがない。
そういえば……旅に出たばかりの頃、辺境の宿屋に泊めてもらったことがあったなぁ。あの温かい夕食と、ふかふかのベッド……。
「それなら、宿屋を開きたいです」
「宿屋? それだけでよろしいのですか?」
女神様は少し驚いたようだ。
「はい、それ以外に望みはありません」
「ふふっ……分かりました。では、あなたに一軒の宿屋を授けましょう。大切に営んでくださいね。それと餞別として――その宿屋の中にいる限り、あなたは勇者としての力をそのまま使えるようにしておきます」
「本当に、ありがとうございます」
温かい白い光が体を包み込んだ。
俺と女神様の姿は、次第に薄れていった。
再び意識がはっきりした時、足元に柔らかな感触があった。俺は青々とした草原の上に立っていた。
「これが五百年後の世界か。んーっ、空気が美味いなぁ」
思い切り伸びをする。体が軽い。これが二十歳の肉体か。今ならなんだってできそうな気がする。
振り返ると、後ろには一軒の木造小屋がポツンと建っていた。
決して豪華とは言えず、むしろ少し古びている。これが女神様から授かった宿屋だろうか? 入り口の上には何も書かれていない看板が掛かっている。どうやら俺に名前を付けろってことらしいな。
名前、か……。名付けのセンスには絶望的に自信がないんだよなぁ。
ひとまず名前の件は後回しにして、ドアを押し開けて中に入ってみる。
客室が二部屋に、古びたカウンター。家具どころか、ベッドすら一つもない。これじゃあ、営業を始めるまでにかなり準備が必要になりそうだなぁ。
まあいい。今の俺には腐るほど時間があるんだ。細かいことは後でゆっくり考えればいい。
俺は小屋を出て、周辺の環境を確認することにした。
宿屋は小高い丘の上に建っており、見渡す限り人っ子一人いない。不幸中の幸いか、目の前には未舗装の田舎道が伸びていて、かろうじて人や馬車が通る道は確保されているようだ。
陽の光は暖かく、そよ風が心地いい。
この草地を見ていると、思わず仰向けに寝転がって、空をぼーっと眺めたくなった。
女神様がくれた二度目の人生……今度こそ、悠々自適に生きてやるんだ。
……いつの間にか、俺はまぶたを閉じていた。
こんな風に何のしがらみもなく、ぐっすり眠るのは、一体いつ以来だろうか。
次に目が覚めた時、太陽はすでに西へ傾きかけていた。
夕風が頬を撫で、心地よい涼しさを運んできた。
「本当に涼しいなぁ……」
涼しい……そうだ、宿屋の名前。
「『涼爽亭』にしよう」
その言葉を口にした瞬間、目の前の小屋が突然柔らかな光を放った。
まるで魔法でもかけられたかのように、外壁の汚れが消え、屋根の穴が自動的に塞がっていく。そして、入り口の空白だった看板に『涼爽亭』という文字がゆっくりと浮かび上がった。
俺は驚いて中に入ってみた。
室内のランプにはすべて火が灯っていた。何より、さっきまで空っぽだったカウンターの上には宿帳と羽ペンが綺麗に置かれている。客室には清潔なベッドとテーブルが備わり、奥の食堂と厨房の設備まで完璧に揃っていた。
なるほど、名付けが機能解放の条件だったのか。女神様も相変わらず謎掛けが好きだなぁ。
これで、宿屋としての基本機能は整った。
俺はカウンターの奥に座ってみた。
「いらっしゃいませ、涼爽亭へ。ご宿泊ですか? それともお食事ですか?」
接客のセリフを練習してみる。前世では数え切れないほどの大物と交渉してきたが、こんな風に客をもてなすのは初めてだなぁ。
そうだ、営業中の札も作らないとな。満室になったらそれ用の札も必要だし――。
カタッ。
カウンターの引き出しから小さな音がした。開けてみると、そこには丁寧に作られた二枚の木札が静かに収まっていた。
一枚には「営業中」、裏には「準備中」。もう一枚には「空室あり」と「満室」と書かれている。
至れり尽くせりだな。改めて感謝しますよ、女神様。
その頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。
女神様のサービスは本当に手厚く、厨房には基本的な食材と調理器具まで揃っている。
ここは一つ腕を振るって、五十年ぶりの手料理を味わってみるかなぁ。
「ぐぅ〜、きゅるるる……」
腹の虫の抗議音が、俺の思考を遮った。
さすがに腹が減りすぎた。横にちょうど備え付けのパンがあるし、料理なんて面倒なことは明日にしよう。
俺はふかふかのパンを手に取った。そして、最初の一口をかじろうとした、まさにその時――。
「ドサッ!」
人っ子一人いないはずの田舎道から、何か重たい物が倒れるような鈍い音が響いた。




