五分で戻ります
日が落ち始めた。
西の海が、赤く染まっていた。
全員が外に出た。装備を着込んでいた。タクティカルパンツ、プレートキャリア。リヴァは黒のスナイパースーツに着替えていた。髪を後ろで結んでいた。
カイがダイビング装備を肩にかけていた。
「カイ」リヴァは言った。
「うん」
「海、気をつけて」
「ああ」
短かった。
車に乗り込んだ。レンタカーが二台。アルノが一台、ユキナガが一台、運転していた。
道が暗くなっていた。
西崎に向かった。
断崖の上に、施設があった。遠くから、薄く明かりが見えた。
車が止まった。
全員が降りた。
風が強かった。海の音が下から聞こえた。
「位置についてください」アルノは言った。
「了解」
全員が動き始めた。
二十一時三十分。
西崎の断崖は風が強かった。
リヴァは岩陰に膝をついた。AXMCを岩の縁に据えた。バイポッドを開いた。岩盤が冷たかった。昼間の熱を持たない島だった。
スコープを覗いた。施設が見えた。距離450メートル。明かりが二箇所。窓ではなかった。建物の外周にある誘導灯だった。
フィンが横で片膝をついた。MP5SDを胸の前に下ろしていた。
「視界どう」
「いい」
「風、すごいね」
「大丈夫」
無線でユキナガの声が来た。
『リヴァ、フィン、衛星から見えてる』
「了解」
カイは港の北側の砂浜にいた。
黒いウェットスーツを着ていた。ベルベットウェイトを腰に巻いていた。
左手首にいつものダイブコンピュータがあった。バックライトが青く光った。深度0、水温24度、潜水時間00:00。
タンクを背負った。HK416の代わりに、防水ケースに入れたコンバットナイフと、サブのP320。それだけだった。
マスクを下ろした。
砂を踏んだ。水が足首に来た。
「海に入る」
『了解』アルノの声。
胸まで入った。
マスクの下で息を吸った。レギュレーターの音が、自分の呼吸と一致した。
潜った。
カラムは断崖の南西側、施設から1500メートルの高台にいた。
L115A3を岩に据えていた。SVDではなかった。今夜は距離が長い方を選んだ。
風速計を取り出した。秒速2.8。南から。
スコープを覗いた。施設の屋根が見えた。月明かりだけで判別できる距離だった。
スコープの横に固定したサーマル単眼鏡を一度だけ確認した。
『カラム、準備は』
「できてる」
ジャケットの内ポケットからRothmansを出した。火をつけなかった。指に挟んだだけだった。
風が頬を撫でた。
頭の中で計算した。距離1500、風2.8、弾道降下11.4ミル、横流れ補正3.2ミル、地球の自転による偏差0.3ミル。
全部、覚えていた。
アルノは施設の東側、二百メートル離れた茂みにいた。
黒のタクティカルスーツ。靴は柔らかいゴム底だった。音を立てない設計だった。
WaltherPPKがホルスターにあった。
発砲戦より、見つからないことを優先していた。
夜の暗さに目が慣れた。施設の外周が見えた。建物は平屋。屋根が低い。窓が三箇所、すべてカーテンが閉まっていた。中の明かりは漏れていなかった。
眼鏡が月明かりを反射しないように、角度を調整した。
手元の端末を確認した。ユキナガが共有した施設の見取り図。覚えていた。確認は念のためだった。
「位置に着きました」
『了解』ユキナガの声。
耳のイヤピースにアルノの声が来た。
『全員、接続確認。Sniper』
「完了」リヴァは言った。
『Entry』
完了の代わりに水音が来た。
『Recovery』
『準備できてる』フィンの声。
『Overwatch』
『…うん』カラムの声。
『Control』
『完了』ユキナガの声。
『では』アルノが言った。『二十二時、各自定刻に動いてください』
二十二時。
カイが深度を下げた。
ダイブコンピュータが青く光った。深度5、水温23度、潜水時間00:02。
西側の海流が来た。秒速1.2メートル。事前情報通りだった。流れに乗った。蹴らなかった。蹴ると気泡が増える。気泡は水面で見える。
深度を10メートルに保った。海底の地形がわずかに見えた。月明かりがここまで届いていた。透明度が高かった。
ダイブコンピュータを確認した。00:08。残圧180。
施設の真下まで到達する予想時間は00:30。
リヴァはスコープから目を離さなかった。
外周を歩く見張りが二人いた。事前情報通りだった。ルートも同じだった。
「東側の見張り、八秒後に角を曲がる」フィンが小声で言った。
「見えてる」
角を曲がった瞬間、東側の壁が死角になる。アルノが進める時間が生まれる。
『アルノ』フィンが無線に出した。『東角、今』
『了解』
アルノが動いた気配があった。
カラムはスコープを動かさなかった。
1500メートル先で起きていることを、全部見ていた。施設の屋根、外周の見張り二人、アルノが進む茂み、リヴァとフィンの位置。
誰かが動いた瞬間に対応できる構えだった。
Rothmansは火をつけないまま、指に挟んだままだった。
『Sniper、Overwatch、見張りの位置を確認します』アルノの声。
「東側、外周をルート通り」リヴァが言った。
『南西から見える』カラムの声。『北側に追加一名。建物の影から出てきた』
「フィン、配置がおかしい」リヴァが言った。
「思ってた」フィンの声が低かった。「倉庫にしては、警備が軽すぎる。それで追加が湧く。数が、合ってない」
無線が一拍静かになった。
『……増えています』アルノが言った。少し間を置いた。『リヴァ、東側二名から処理。カラム、北側の動きを継続監視。動いたら知らせてください』
「了解」
『フィン、東角でカイの上陸を待機。合図でカイの正面合流に動いてください』
『了解』フィンの声。
リヴァはスコープを覗いていた。距離450メートル。風、南南西、秒速2.4。横流れ補正0.4ミル、弾道降下1.2ミル。AXMC、.308Win、初速820。
見張りが角を曲がった。
もう一人が反対側の角を曲がっていた。二人の視線が、同時に切れた。
『今です』アルノが言った。
吸った。半分吐いた。止めた。
引いた。
北東の見張りが崩れた。
「ヒット」フィンが言った。
ボルトを引いた。薬莢が落ちた。次弾を送り込んだ。
スコープを動かした。
「南西、距離430、風変わらない」リヴァが自分で呟いた。いつもカイが言うのと同じ言い方だった。
引いた。
南西の見張りも崩れた。
「ヒット、いいね」
『北側、移動開始』カラムの声。『東に向かう。リヴァの射線。あと六秒』
『リヴァ、東に来ます』アルノが続けた。『先読み入れて、待ち構えてください』
「うん」
リヴァはスコープを東に振った。
六秒目に、見張りが視界に入った。歩き方が急いでいた。先ほどの銃声で異常を察知していた。
引いた。
崩れた。
「ヒット」
三発。十二秒。
『確認。外周クリア』アルノの声。『ユキナガ、カメラ処理を』
『……カメラ処理、北側だけ動きが遅い。三十秒もらう』
深度7メートル。
カイが施設裏に浮上した。マスクを上げた。
タンクとフィンを外して岩陰に隠した。コンバットナイフとP320だけを持った。
ダイブコンピュータを見た。00:14、深度0。
時計のモードを切り替えた。タイマーが動き始めた。
「上陸した」
『了解。フィン、東角から正面玄関に向かってください』アルノが続けた。『ユキナガがカメラ処理を完了次第、玄関を解除します』
「いってきます」フィンが笑顔でリヴァに言った。
「うん」リヴァは返した。
カイが裏口に近づいた。ドアは閉まっていた。
『鍵、電子じゃなくて物理。ピッキング必要』
「わかった」
カイが小さなツールを取り出した。慣れた手つきだった。三秒で開いた。
中に入った。
短い廊下。電気が薄く点いていた。左に部屋、右に部屋。
カイが左の部屋に入った。
ナイフ。右後ろから一人目の首の動脈。同時に膝が二人目の後頭部を打った。倒れる前にナイフが入っていた。
四秒。
二人とも音を立てなかった。
『左の部屋、クリア』
『右の部屋、三人いる』ユキナガの声。『熱源で見えてる』
『カイ、フィンが正面に到達次第、両側から挟みます』アルノの声。『ユキナガ、玄関の鍵を』
『開けた』
フィンが正面玄関から入った。
ロビーに二人。フィンに気づいた。動きが遅れた。
フィンがMP5SDを構えた。
二発。サプレッサー越しの低い音。
二人とも崩れた。フィンは表情を変えなかった。普段の軽さが、完全に消えていた。冷たい目だった。
「カイ、奥の三人」フィンが言った。声が低かった。
「同時に行く」カイが答えた。
二人が同時に右の部屋に入った。
三人が動いた。一人が銃を構えた。
フィンが先に撃った。一人目を倒した。
カイがナイフで二人目に入った。手首を取って、首に押し当てた。倒した瞬間にナイフを抜いて、立ち上がりながら三人目に体ごとぶつかった。ナイフが三人目の脇腹に入った。
四秒。
「制圧」カイは言った。
『確認。建物内の熱源、ゼロ。完了』ユキナガの声。
「任務開始から十八分」
『回収を始めてください。リヴァは狙撃ポジション維持、カラムは外周監視継続』
「了解」
「フィン、書類と端末の回収を」
『了解』フィンの声。
フィンが部屋を回った。机の上、引き出し、書棚。手元が早かった。
カイは別の部屋を確認していた。地下への入口があった。
「地下、確認する」
『お願いします』アルノの声。
カイが階段を降りた。地下も静かだった。誰もいなかった。
保管庫が一つあった。端末が三台。書類が棚に整理されていた。
「端末三台、書類多数。回収にはもう少しかかる」
『フィン、地下に合流してください』
『今行く』
二人で回収を進めた。
ユキナガが無線で言った。
『データ、リアルタイムで送ってくれれば俺がこっちで分類する』
「ケーブル繋いだ」フィンが言った。
『来た』
数分が経った。
ユキナガが端末の前で動きを止めた。
『……アルノ』
『何ですか』
『この記録、ヘリの離発着スケジュールっぽい。日時、回数、周期。定期的に島外から人が来てる。最後の離発着は今日の早朝』
アルノが一秒、黙った。
『……パターンを』
『過去六ヶ月で十一回。間隔が短くなってる。最後の離発着が今日の早朝なら、次は』
『数時間以内』
『その可能性が高い』
アルノは少し間を置いた。
『屋根を確認します。痕跡が残っているうちに記録します』
『今から?』
『はい』
『……なんか嫌な感じするな』
『今しかありません。コアへの一次報告に、現地の物理証拠が要る。カイとフィンは回収中、リヴァは狙撃ポジション、カラムは1500m先。動ける人間がいない』
『……一人でいくの』
『五分で戻ります』
無線が、一秒だけ静かになった。
本来なら二人で確認する場面だった。
ただ、今は配置を崩せなかった。
『カラム、外周の最終確認を継続してください』
『…待って』カラムが言った。『北側、さっきから見えない区画がある』
アルノは一秒考えた。
見えない区画がある。
それでも、今確認しなければ痕跡は消える。
『五分です』




