Would you like a cup of tea?
東京拠点 共用スペース 午前十時五十七分
カイはソファに座り、煙草を吸っていた。
アルノはテーブルで、四日後の作戦資料を確認していた。飲み終えたコーヒーカップが、端末の横に置かれていた。
リヴァは地下の射撃場にいた。
アルノが左手首の時計を見た。
玄関のロックが外れた。
ユキナガが入ってきた。
昨日の夜に出ていった時と同じ黒いシャツだった。袖は肘まで捲られ、髪だけが濡れていた。片手にファミマのアイスコーヒーを持っていた。
「やっと帰ってきたんですか」
「間に合ったじゃん」
ユキナガはアイスコーヒーを飲んだ。
カイが煙草を指に挟み、顔を上げた。
「二人ともか」
「なんで分かんだよ。気持ち悪い」
「二人とも年上だった」
「……言うなって」
「次からは位置情報を切らないでください」
「…わかったよ」
リヴァが地下から上がってきた。訓練後シャワーを浴びて、髪がまだ濡れていた。
「リヴァ、遅いですよ」
「シャワー気持ちよくて」
アルノがペンをテーブルに二回当てた。
「……ごめん」
ため息をついて、アルノが話し出した。
「今回、外部協力者が一名加わります」
アルノが次のスライドを出した。
写真があった。
柔らかく癖のある金髪を中央で分け、鼻梁に薄いそばかすがあった。笑っていた。
「フィン・ハクスリー。27歳。元SAS、現在フリーランス。近距離制圧の専門家です」
「SAS?」リヴァは言った。
「英国陸軍特殊空挺部隊」カイが言った。「本物か」
「はい」アルノは答えた。「東京支部以外では何度か外部協力しています」
「どんな人」リヴァは言った。
「今夜来ます」アルノは端末を閉じた。「直接確認してください」
拠点のドアが開いたのは、夜の十一時半を過ぎた頃だった。
六月の東京は、夜でも蒸していた。
カイが先に入った。フィンが続いた。
キャリーケースを引き、もう片方の手にギターのハードケースを提げていた。
薄いベージュのリネンジャケットを着ていた。
柔らかな金髪は中央で分かれ、東京の湿気で毛先だけが少し浮いていた。ヘーゼルの目と、鼻梁の薄いそばかすは写真のままだった。
襟元が開いていた。それだけで何とかしている感じだった。
バースペースに明かりがついていた。いつもより調光が明るくなっていた。
アルノが立っていた。
「It’s been a while, Mr. Huxley.」アルノは言った。
「Still as dreadfully formal as ever, I see.」フィンは言った。ブリティッシュのアクセントだった。「変わってないね」
アルノは眼鏡を押し上げた。
「あなたのその、慇懃無礼な話し方よりはマシです。イートン校の教育が今のあなたに何を残したのか、甚だ疑問です」
「容赦ないね」
「言い回しが気に食わなかっただけです」
「……イートンって」ユキナガが言った。
「イギリスで600年続いている学校です。王族も首相も通った。授業料は年間500万を超えます」
「ひえ」
「制服は燕尾服でしたね」
フィンは肩をすくめた。「…まあ」
反応が薄かった。
「そんなことより」フィンは話題を変えた「長かった。ヒースローから十三時間の飛行機きつい」
「ご苦労様です」
フィンを連れてきて、バーカウンターにユキナガが入った。グラスを磨きはじめた。Marlboroを口の端に咥えていた。
リヴァはカウンターの端に座っていた。
フィンは部屋に入った瞬間、動きが一拍だけ止まった。入口、窓、廊下の向き、カウンターの位置。それだけを確認して、また動いた。
笑顔のまま動いた。
カイがそれを見ていた。
ユキナガもそれを見ていた。グラスを磨く手を止めないまま、見ていた。
「紹介します」アルノは言った。「フィン・ハクスリー。今回の任務に加わってもらいます。優秀な人です」
「光栄です」フィンはアルノを見た。「アルノがそんな紹介をするんだ」
「事実を言っています」
「嬉しいなぁ」
アルノは眼鏡を押し上げた。それ以上言わなかった。
「ユキナガ・トウマ」アルノは続けた。「情報と電子戦の担当です」
「よろしく」ユキナガは言った。「趣味はバーテン」
「歳下だよな」フィンは言った。「アジア人若く見える現象じゃないよな」
リヴァが会話を聞いて笑った。
「俺、機械は苦手なんだ。すごいよ」
「絶対適当なこと言ってるだろお前」
フィンはカウンターを見た。
「なんか趣味にしては本格的だね」
フィンは少し笑った。
「カイ・レオン」アルノは続けた。「護衛、およびスポッター担当です」
カイを見た。
「でかいね」
「ああ」
「スポッターか」フィンはカイを一度見た。それからリヴァを見た。「なるほど」
フィンが手を出した。カイが一秒見てから握った。
「よろしく」フィンは言った。「利き目は左?」
「…」
「やっぱり」
握手が終わった。
アルノがリヴァの方を向いた。
「リヴァ。狙撃手です」
「うん」フィンは言った。「聞いてた」
「何を」リヴァは言った。
「変わったスナイパーが入ったって」
フィンは一歩だけ近づいた。二人の間が、腕一本分になった。
リヴァの右手を取り、人差し指の腹に触れた。硬くなった皮膚を親指で確かめ、離した。
「アルノが珍しく詳しく説明してくれたんだよ」
「アルノが?」
「珍しいよね」フィンはアルノを見た。「君が情報を盛るタイプじゃないのは知ってる」
「必要な情報を共有しただけです」アルノは言った。
「詳しかったよ」フィンはリヴァに視線を戻した。「一度一緒に仕事してみたかった」
そこに、ミントが来た。
廊下から出てきた。おそらく、オラヴルの部屋から出てきた。
全員を見た。
フィンを見た。
近づいた。
匂いを嗅いだ。
ふん、と鼻を鳴らした。
踵を返した。
リヴァの足元に戻って、丸くなった。
「……嫌われた」フィンは言った。笑っていた。
「珍しい」ユキナガは言った。「わりと誰にでも懐くのに」
「猫は正直だから」フィンは言った。「仕方ない」
ミントがリヴァの足に頭を押しつけた。
部屋を出て行った。
フィンがポケットからジッポを取り出した。
煙草を咥えた。蓋に指をかけた。
アルノが動いた。
カウンターのリヴァに一度だけ目をやってから、コンビニのライターを差し出した。
「これを」
フィンが止まった。アルノを見る。蓋にかけた自分の指。
差し出されたライターと、リヴァ。
眉が上がった。
何も言わず、ジッポをポケットに戻した。アルノのライターでCamel Menthol One Boxに火をつけた。
フィンがカウンターに来た。
窓から離れた席を選んだ。壁を背にした。
「TEAはある?」
ユキナガが止まった。グラスを磨く手が止まった。
「……貴族かよ」茶化した。フィンは特に反応しなかった。
「なんかお茶でいいんだけど」フィンは言った。屈託がなかった。「長いフライトの後はアルコールより温かいものが飲みたい」
「お口に合うのは無いかも」ユキナガが言った。
「国際問題だなあ」
フィンはそういいながら、壁際の鏡に映った入口を確認した。
「ほうじ茶があるかも」リヴァは言った。「おいしいよ」
「ほうじ茶」フィンは繰り返した。「なにそれ、日本っぽい。飲んだことない」
「入れてやる」ユキナガがケトルを手に取った。
「この辺ならどこで紅茶売ってる?」
「成城石井でも行けば」ユキナガは言った。「貴族っぽいしあそこ」
「明日行く。ユキナガ、連れてって」
「…イトーヨーカドーに行こう」
「変わったお店の名前だ」フィンは言った。「助かる」
ユキナガはほうじ茶を準備しながら、フィンを横目で見た。
陽気というより、過剰に整っていた。
しばらくして、リヴァがフィンの隣に来た。
「SASで何してたの」リヴァは言った。「すごいって聞いた」
「いろいろ」フィンはほうじ茶を一口飲んだ。「対テロ。人質救出。あとは言えないやつ」
「言えないやつ多そう」
「多いよそりゃ」フィンは認めた。「でもそれが仕事だったから」
「怖くない?」
「怖い状況には入らないようにしてた」
「すごい」
「すごいかどうかは、見る人によるよ」フィンは言った。「でも、やることは徹底してる」
「何が?」
「待つこと」フィンは言った。「動くタイミングを、絶対に間違えない。それだけ」
リヴァは少し間を置いた。
「待つのが得意なの」
「得意というより」フィンは窓の外を見た。「待てないと生き残れない」
東京の夜が、窓の外にあった。
フィンが窓を見ていた。
笑っていなかった。
ユキナガがそれを見ていた。
見て、グラスを磨く手だけを動かし続けた。
何も言わなかった。
フィンがカップを置いた。
「ギター、弾いていい?」
ケースを開けた。取り出した。
深いヘリテージ・チェリーサンバーストだった。ギブソンのハミングバードだった。
フィンが動いた瞬間、香りがした。微かだった。気づくか気づかないかの境界にある香りだった。ウッディで、少し塩気があった。
チューニングを確認した。
「何の曲?」
「Anji. サイモン&ガーファンクル」
弾き始めた。
最初の一音で、場が変わった。
音楽は繊細だった。
低音が先に床へ落ちたようだった。次に中域がその上に積み上がる。
遅れて高音が、わずかに遅延しながら輪郭をなぞる。
旋律は前に出ない。
代わりに、音の層が時間差でずれていく。
バーカウンターの照明の下で、その曲が静かに広がった。
ユキナガがグラスを磨く手を止めた。
音だけが綺麗で、人がいなくなったみたいだった。
”Anji” / Simon & Garfunkel




