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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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東京拠点:要継続監視



 東京拠点。午後二時。



 ユキナガの作業室は窓がない。


 壁際にサーバーラックが三台、低く唸っている。画面の青白い光と冷却ファンの音だけが部屋を満たしていた。


 カズマが入ったのは、ユキナガが席を外した隙だった。


 暇だった。理由はそれくらいしかない。


 メインの端末が開いたままになっていた。十以上のウィンドウが重なって光っている。


 カズマは画面を覗き込んだ。


 指を伸ばして、一つだけ、ウィンドウを引き寄せた。


 ドアが開いた。




 ユキナガはしばらく、動かなかった。


 マグカップを持ったまま、入口に立っている。視線がカズマの指先と画面を順に撫でて、止まった。


「出ろ」


 低かった。


「別に、見ただけ」


「今すぐ」


 カズマは肩をすくめて、指を引いた。


 ユキナガの横を抜けて出ていった。


 ドアが閉まった。




 自室のソファに転がって、カズマは端末を取った。


 アプリが、開かない。


 もう一回。開いた瞬間に落ちる。電波もWi-Fiも生きているのに、SNSが、検索が、ブラウザが、全部白くなって止まる。


 舌打ちして、財布を取った。


 外に出て、自販機にカードを当てた。弾かれた。Suicaも、残高不足と出た。昨日チャージしたばかりだった。


 クレジットも、QRも、全部はじかれる。


 現金は持っていない。ここ何年も、ほとんど現金で払ったことがなかった。


 通話だけが、生きていた。


 一日が経った。




 翌日、ユキナガが作業室のドアを開けると、カズマが廊下に立っていた。


「ねえ。機嫌直った?」


 ユキナガはカズマを見た。目は笑っていない。


「謝りに来た」カズマが言った。


 ユキナガはしばらく黙っていた。


 カズマも、動かなかった。


「昨日の二十三時十七分」ユキナガが言う。


「なに」


「ファミマでなんか買おうとしたろ。ここから二番目に遠いやつ」


「……」


「弾いといた」


 カズマが半笑いになった。


「監視好きだな、お前」


「お前が雑なだけ」ユキナガはカップに口をつけた。


 カズマの半笑いが、少し硬くなった。


「謝罪は受け取る。三日で解除する」ユキナガは言った。「電話だけ残してんのは、初犯だからな。次は財布じゃない」


「じゃあ何」


「お前が困る順番に、消していく」


「…」


「次は、お前が一番触りたいものから遠ざける」


「例えば?」


「心当たりあるだろ」


 カズマが廊下で一歩、前に出た。


 ユキナガは動かなかった。


 カズマがもう半歩詰めた。肩が触れる手前で止まる。背は同じくらいで、視線が真正面でぶつかった。


「まだ俺に勝てると思ってる?」ユキナガは言った。


「場所によるだろ?」カズマが言った。「お前喧嘩弱そう」


「弱いよ」ユキナガは即答した。「だから、お前みたいなのを殺さなくて済む方法だけ覚えた」


 ユキナガは笑わなかった。


「外でそれ言ってみろよ」カズマが言った。


 冷却ファンだけが回っていた。


「お前、外に出たら俺の手が届かないと思ってる?」


 カズマの眉が動いた。


「お前が便利だと思って使ってるもん、大体俺の縄張り」


 カズマは答えなかった。


 間があった。


「でも刃物持たせりゃ、俺の勝ちだ」カズマが言った。


「端末一台ありゃ、俺の勝ち」


 二人とも笑わなかった。


 ユキナガが先に背を向けて、中に入りかけた。振り返らずに止まる。


「あと一つ」


「何」


「リヴァの左手の傷」


 カズマの軽さが、そこで止まった。


「組織としての処分は、アルノから聞いてるだろ」


「……ああ」


「俺からも言う」ユキナガの声が、一段落ちた。「次に傷つけたら、スマホじゃ済まさない」


 カズマが、不敵に笑った。


「もししたら?」


「する前にお前を消す」


 ドアが閉まった。


「……ふうん」


 カズマは閉まったドアを、しばらく見ていた。




 その夜、ユキナガは作業室で端末を見ていた。


 画面の端に、小さなウィンドウが一つ。カズマの行動ログだった。


 しばらく見て、閉じた。


 マグに口をつけて、また開いた。


 いま、カズマがどこかへ電話をかけている。テキサスの番号だった。


 ユキナガはカズマのファイルに、文字を打った。


 「要継続監視」


 カーソルが点滅していた。


 「……リヴァとの接触に注意」


 保存して、閉じた。


 Marlboroに火をつけ、煙を吐いた。画面に戻って、別の仕事を始めた。





 テキサス。ログハウスのキッチンで、リヴァはコーヒーを飲んでいた。


 スマートフォンが鳴った。カズマだった。


 出た。


「よかった、繋がった」


 普段より少しだけ、元気がなかった。


「何」


「聞いてよ」カズマが言った。「スマホ使えないの。三日も」


「何があったの」


「ユキナガの端末、ちょっと触ったら、全部止まった。SNSも、カードも、Suicaも。現金ないから買い物もできない。コンビニも駅も無理」


 リヴァは少し黙った。


「……そんなことできるの」


「意味わかんないよな」


 リヴァはコーヒーのカップを置いた。


「わかんない」


「本当な」


「…なんで私に電話してきたの」


「お前は出るから」


 テーブルの向こうで、アルノが端末を見ていた。通話を聞いている。


「カズマ」リヴァはアルノに向かってスマホを指で刺した。


「聞こえています」アルノは端末から目を上げなかった。


「ユキナガのパソコン触ったらしい」


「それで?」


「三日間、全部のキャッシュレスが使えなくなってる」


 アルノが少しだけ止まった。


「……三日間で済んでいるんですね」


「え」


「以前、アルカにいた職員が似たようなことをしました」アルノは端末に戻った。「翌日、自ら辞表を書かれました」


 通話の向こうで、カズマが黙った。


「……マジ?」


「ええ。その後、消えました。確かめようにも電話すら通じない」アルノは言った。「三日間で済んでよかったですね」


「……そっか」


「処分は伝えましたね」


「……ああ」


「三ヶ月、単独任務は凍結です」


「確認した」


「よろしい」


 アルノが端末に戻った。


「カズマ」リヴァは言った。


「何」


「ユキナガに謝った?」


「謝った。腹立ったけどな」カズマが言った。「あいつマジ頭おかしい」


 間があった。


「テキサス、楽しんでる?」


「楽しいかどうかはわからない」


「俺、父ちゃんメキシコ人らしいの。メキシコ料理食いてえ」


「らしい?」


「会ったことはなかった」カズマは言った。「俺もたまには訓練したいな」


「嫌だ」


「なんで」


「怖い」


 カズマが笑った。軽い笑い方だった。


「じゃあな」彼は言った。「また電話していい?」


「好きにすれば」


「好きにする」


 通話が切れた。


 アルノが端末を閉じた。


「カズマという人間は」


「うん」


「あなたと仲が良いと思っているみたいですね」


「そうみたい」


「あなたはどう思っているんですか」


 リヴァは少し考えた。


「んー」リヴァは言った。「怖いけど、嫌いじゃないよ」


「これ以上近づかないでください」


「わかった」


「本当にわかっていますか」


「うん」


 アルノが端末をまた開いた。


 コーヒーが冷めていた。


 テキサスの昼の光が、キッチンの窓から白く入っていた。

"Hasta la Raíz" / Natalia Lafourcade

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