東京拠点:要継続監視
東京拠点。午後二時。
ユキナガの作業室は窓がない。
壁際にサーバーラックが三台、低く唸っている。画面の青白い光と冷却ファンの音だけが部屋を満たしていた。
カズマが入ったのは、ユキナガが席を外した隙だった。
暇だった。理由はそれくらいしかない。
メインの端末が開いたままになっていた。十以上のウィンドウが重なって光っている。
カズマは画面を覗き込んだ。
指を伸ばして、一つだけ、ウィンドウを引き寄せた。
ドアが開いた。
ユキナガはしばらく、動かなかった。
マグカップを持ったまま、入口に立っている。視線がカズマの指先と画面を順に撫でて、止まった。
「出ろ」
低かった。
「別に、見ただけ」
「今すぐ」
カズマは肩をすくめて、指を引いた。
ユキナガの横を抜けて出ていった。
ドアが閉まった。
自室のソファに転がって、カズマは端末を取った。
アプリが、開かない。
もう一回。開いた瞬間に落ちる。電波もWi-Fiも生きているのに、SNSが、検索が、ブラウザが、全部白くなって止まる。
舌打ちして、財布を取った。
外に出て、自販機にカードを当てた。弾かれた。Suicaも、残高不足と出た。昨日チャージしたばかりだった。
クレジットも、QRも、全部はじかれる。
現金は持っていない。ここ何年も、ほとんど現金で払ったことがなかった。
通話だけが、生きていた。
一日が経った。
翌日、ユキナガが作業室のドアを開けると、カズマが廊下に立っていた。
「ねえ。機嫌直った?」
ユキナガはカズマを見た。目は笑っていない。
「謝りに来た」カズマが言った。
ユキナガはしばらく黙っていた。
カズマも、動かなかった。
「昨日の二十三時十七分」ユキナガが言う。
「なに」
「ファミマでなんか買おうとしたろ。ここから二番目に遠いやつ」
「……」
「弾いといた」
カズマが半笑いになった。
「監視好きだな、お前」
「お前が雑なだけ」ユキナガはカップに口をつけた。
カズマの半笑いが、少し硬くなった。
「謝罪は受け取る。三日で解除する」ユキナガは言った。「電話だけ残してんのは、初犯だからな。次は財布じゃない」
「じゃあ何」
「お前が困る順番に、消していく」
「…」
「次は、お前が一番触りたいものから遠ざける」
「例えば?」
「心当たりあるだろ」
カズマが廊下で一歩、前に出た。
ユキナガは動かなかった。
カズマがもう半歩詰めた。肩が触れる手前で止まる。背は同じくらいで、視線が真正面でぶつかった。
「まだ俺に勝てると思ってる?」ユキナガは言った。
「場所によるだろ?」カズマが言った。「お前喧嘩弱そう」
「弱いよ」ユキナガは即答した。「だから、お前みたいなのを殺さなくて済む方法だけ覚えた」
ユキナガは笑わなかった。
「外でそれ言ってみろよ」カズマが言った。
冷却ファンだけが回っていた。
「お前、外に出たら俺の手が届かないと思ってる?」
カズマの眉が動いた。
「お前が便利だと思って使ってるもん、大体俺の縄張り」
カズマは答えなかった。
間があった。
「でも刃物持たせりゃ、俺の勝ちだ」カズマが言った。
「端末一台ありゃ、俺の勝ち」
二人とも笑わなかった。
ユキナガが先に背を向けて、中に入りかけた。振り返らずに止まる。
「あと一つ」
「何」
「リヴァの左手の傷」
カズマの軽さが、そこで止まった。
「組織としての処分は、アルノから聞いてるだろ」
「……ああ」
「俺からも言う」ユキナガの声が、一段落ちた。「次に傷つけたら、スマホじゃ済まさない」
カズマが、不敵に笑った。
「もししたら?」
「する前にお前を消す」
ドアが閉まった。
「……ふうん」
カズマは閉まったドアを、しばらく見ていた。
その夜、ユキナガは作業室で端末を見ていた。
画面の端に、小さなウィンドウが一つ。カズマの行動ログだった。
しばらく見て、閉じた。
マグに口をつけて、また開いた。
いま、カズマがどこかへ電話をかけている。テキサスの番号だった。
ユキナガはカズマのファイルに、文字を打った。
「要継続監視」
カーソルが点滅していた。
「……リヴァとの接触に注意」
保存して、閉じた。
Marlboroに火をつけ、煙を吐いた。画面に戻って、別の仕事を始めた。
テキサス。ログハウスのキッチンで、リヴァはコーヒーを飲んでいた。
スマートフォンが鳴った。カズマだった。
出た。
「よかった、繋がった」
普段より少しだけ、元気がなかった。
「何」
「聞いてよ」カズマが言った。「スマホ使えないの。三日も」
「何があったの」
「ユキナガの端末、ちょっと触ったら、全部止まった。SNSも、カードも、Suicaも。現金ないから買い物もできない。コンビニも駅も無理」
リヴァは少し黙った。
「……そんなことできるの」
「意味わかんないよな」
リヴァはコーヒーのカップを置いた。
「わかんない」
「本当な」
「…なんで私に電話してきたの」
「お前は出るから」
テーブルの向こうで、アルノが端末を見ていた。通話を聞いている。
「カズマ」リヴァはアルノに向かってスマホを指で刺した。
「聞こえています」アルノは端末から目を上げなかった。
「ユキナガのパソコン触ったらしい」
「それで?」
「三日間、全部のキャッシュレスが使えなくなってる」
アルノが少しだけ止まった。
「……三日間で済んでいるんですね」
「え」
「以前、アルカにいた職員が似たようなことをしました」アルノは端末に戻った。「翌日、自ら辞表を書かれました」
通話の向こうで、カズマが黙った。
「……マジ?」
「ええ。その後、消えました。確かめようにも電話すら通じない」アルノは言った。「三日間で済んでよかったですね」
「……そっか」
「処分は伝えましたね」
「……ああ」
「三ヶ月、単独任務は凍結です」
「確認した」
「よろしい」
アルノが端末に戻った。
「カズマ」リヴァは言った。
「何」
「ユキナガに謝った?」
「謝った。腹立ったけどな」カズマが言った。「あいつマジ頭おかしい」
間があった。
「テキサス、楽しんでる?」
「楽しいかどうかはわからない」
「俺、父ちゃんメキシコ人らしいの。メキシコ料理食いてえ」
「らしい?」
「会ったことはなかった」カズマは言った。「俺もたまには訓練したいな」
「嫌だ」
「なんで」
「怖い」
カズマが笑った。軽い笑い方だった。
「じゃあな」彼は言った。「また電話していい?」
「好きにすれば」
「好きにする」
通話が切れた。
アルノが端末を閉じた。
「カズマという人間は」
「うん」
「あなたと仲が良いと思っているみたいですね」
「そうみたい」
「あなたはどう思っているんですか」
リヴァは少し考えた。
「んー」リヴァは言った。「怖いけど、嫌いじゃないよ」
「これ以上近づかないでください」
「わかった」
「本当にわかっていますか」
「うん」
アルノが端末をまた開いた。
コーヒーが冷めていた。
テキサスの昼の光が、キッチンの窓から白く入っていた。
"Hasta la Raíz" / Natalia Lafourcade




