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『リヴァ・アルカ ―世界を確定させるアンカーと最強たちの執着譚―』  作者: Ilir Noct
第四章「乾いた地平線 ― The Dry Horizon」

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32/50

バーベキューハウス

 

 夕方になっても、空はまだ明るかった。


 テキサスの日暮れは遅い。午後7時を過ぎても地平線がオレンジで、影が長く伸びていた。


 レッドのSilveradoが街に入った。


 レッドのSilveradoは、乗り込んだ瞬間から匂いがした。革と、煙草と、微かにガソリン。シートは使い込まれていて、助手席の背もたれに浅いへこみがある。何度も同じ姿勢で誰かが座った跡だ。ダッシュボードの上にLucky Strikeの箱が一つ、無造作に置いてある。カップホルダーにコーヒーの跡が残っているが、カップはない。後部座席の足元に、折りたたまれたジャケットと、ロープが一本。理由は聞かなかった。


 助手席にリヴァ、後部座席にカイ。イーサンのF-150が後ろに並んだ。信号待ちだった。


 助手席にアルノがいた。


 アルノははじめSilveradoに乗りこもうとしたが、ログハウスを出た直後にイーサンが「お前はこっちに来い」と言った。理由は言わなかった。アルノが少し止まってから乗り込んだ。


「なんでアルノを連れていったんだ」とレッドがイーサンに無線で言った。


「一番静かだから」とイーサンは返した。


「俺がうるさいとでも言いたいのか」


「言いたい」


「ひどいな」


 無線が切れた。


 カイがバックミラーでF-150を確認した。


 F-150の車内は外から見ても整然としていた。ダッシュボードに何も置いていない。シートが直立に近い角度だった。アルノは乗り込んだ瞬間から端末を開いていた。イーサンは何も言わなかった。2人とも、沈黙が苦ではない種類の人間だった。


「なんか、合ってるね」とリヴァが言った。


「あの2人か」レッドはウィンカーを出した。「余分なことを言わないな」


「レッドは言う方?」


「俺は言う方だ」レッドは少し笑った。「だからイーサンとは長続きしてる。俺が全部しゃべって、あいつが全部聞いてる」


「それ、友達?」


「そうじゃなかったら何なんだ」


 リヴァは少しの間考えた。


「確かに」


 F-150が同じタイミングでウィンカーを出した。


「どこ行くか、2人で決めたの?」とリヴァが言った。


「知らない」とレッドは言った。「俺も決めてないから」


「なのについてきてる」


「ついてきてる」


「……イーサンって」


「ああいう奴だ」とレッドは言った。「説明しようとすると余計わからなくなる」


 カイが窓の外を見た。


「どこで飯を食うんだ」


「今決める」とレッドは言った。「リヴァ、何食いたい」


「なんでもいい」


「なんでもいい、は答えになんない。テキサス来たんだから、テキサスのもの食え」


「テキサスのものって」


「肉だ」


「肉」


「肉しかない」


 無線が入った。イーサンだった。


『俺が知ってる店がある』


「どこだ」とレッドが言った。


『ダウンタウンの裏。煙が出てる店』


「それだけか」


『充分だ』


 レッドが笑った。


 少し間があった。アルノの声が入った。


『……煙が出ている店というのは、衛生的に』


『問題ない』とイーサンが遮った。


『根拠は』


『何度も行って死んでいない』


 無線の向こうで、アルノが一拍置いた。


『……わかりました』


 レッドがまた笑った。今度は声が出た。


「イーサンの店に行くか」とレッドはリヴァに言った。


「煙が出てる店」


「旨い証拠だ」


「そういうもの?」


「テキサスではそういうもんだ」


 F-150が前に出た。先導し始めた。


 Silveradoがついていった。


 


 Silveradoがダウンタウンの裏通りに入った。


 レンガ造りの建物が続く通りで、看板に英語とスペイン語が混じっている。駐車場は砂利で、入口に大きな鉄のドアがある。


「ここだ」


 降りると、肉の焼ける匂いがした。


 スモークの香りが通りまで漏れていた。木とヒッコリーが混ざった、重くて甘い煙の匂いだった。


 ドアを開けると、騒がしかった。


 天井が高い。むき出しの梁に照明が吊るしてある。テーブルは大きく、見知らぬ人間が相席で座っている。壁際にカウンターがあって、そこで肉を選ぶ仕組みらしかった。


「テキサスのバーベキューハウスだ」とレッドは言った。「並んで選んで、好きなだけ取る。値段は重さで決まる」


「システムがある」とリヴァが言った。


「ある。ただ難しくない。見て、指さして、乗せてもらう。それだけだ」


 カウンターに向かった。


 大きなスモーカーから切り出された肉が並んでいた。ブリスケット、リブ、プルドポーク、ソーセージ。全部が茶色く、表面に黒いクラストがついている。スタッフが大きなナイフを持って待っていた。


「何にする」とレッドがリヴァに聞いた。


「全部」


「全部か」


「全部気になる」


「それでいい」レッドがスタッフに向かって顎で示した。「ブリスケットとリブを厚めに。ソーセージも二本。あとサイドは全種類」


 スタッフが迷わず切り始めた。


 カイが隣に来た。


「ブリスケットをもっと」と彼はスタッフに言った。英語が短くて正確だった。


「何グラム」


「見た目で多い方」


 アルノが後ろから来た。カウンターを見た。


「……これは全部豚と牛ですか」


「そうだ」とレッドは言った。


「野菜は」


「サイドにコールスローがある」


「それだけですか」


「あとコーンブレッド」


 アルノは一拍置いた。


「……コールスローをください」とスタッフに言った。


「それだけでいいのか」とレッドが言った。


「当面は」


「食ってみてから考えろ」


「考えてからにします」


 イーサンが無言でカウンターに来た。ブリスケットを指さした。「厚め」それだけ言った。


 



 テーブルに座った。


 大きなトレーに肉が山になっていた。クラフトペーパーが敷いてあって、ソースが小瓶で三種類来た。


 リヴァはブリスケットを一口食べた。


 止まった。


「……なにこれ」


「旨いだろ」とレッドが言った。


「今まで食べたやつと違う」リヴァはもう一口食べた。「スモークの味が中まで入ってる」


「12時間かけて燻す。それだけだ」レッドがリブを手で持って食べ始めた。骨ごと持つ食べ方だった。「テキサスのバーベキューは時間で作る。急がない」


 カイがブリスケットを切った。音がしないナイフの使い方だった。


 イーサンが無言で食べていた。


 アルノがコールスローを一口食べた。フォークを置いた。ブリスケットを見た。


「一口だけ」とリヴァが言った。


 到底彼女には食べきれない量の肉の山を察し、アルノが言った。


「……一口だけ」とアルノは言った。リヴァはかなりの量の肉をアルノの皿にのせた。


 切った。食べた。


 何も言わなかった。


 もう一口切った。


「アルノ」とリヴァが言った。


「何ですか」


「顔が変わった」


「変わっていません」


 アルノはブリスケットをもう一口食べた。フォークを置いた。スタッフを呼んだ。


「ブリスケットを、もう少しいただけますか」


 レッドが声を出して笑った。


 


 食べ始めて30分が経った頃、レッドが立ち上がった。


「ちょっと待ってろ」


 奥のカウンターに歩いていった。スタッフと何か話していた。笑い声が上がった。


 戻ってきた時、瓶ビールを5本持っていた。


「店の人が「レッドが連れてきたなら特別に」って言ってた」とリヴァが言った。


「知り合いか」とカイが言った。


「ここら辺の奴はだいたい知ってる」レッドは瓶を配った。「生まれてからずっとテキサスだ。顔が広くなる」


「ダラス出身なのか」


「ダラスの少し外。小さい町だ。名前言っても知らないと思う」


「今も家があるのか」


「ある」レッドはビールを一口飲んだ。「一人で住んでる」


 少し間があった。


 リヴァがレッドを見た。


「一人で?」


「ああ」レッドは瓶を見た。「4年前まで2人だった」


 テーブルが少しだけ静かになった。


「奥さん?」とリヴァは言った。


「ああ」レッドは短く言った。「病気だった。早かった」


 誰も何も言わなかった。


 イーサンがビールを一口飲んだ。それだけだった。言葉はなかったが、知っている、という静けさだった。


「悪い話をした」とレッドは言った。「忘れてくれ」


「忘れない方がいい気がする」


 レッドがリヴァを見た。


「……そうか」と彼は言った。少し間を置いた。「じゃあ覚えておいてくれ」


「覚えておく」


 レッドがビールを一口飲んだ。


「お前に会えてよかった」


「任務と訓練で来ただけ」


「それでもいい」レッドはビールを持ち上げた。「来た理由がなんでも、今夜ここにいる。それで充分だ」


 リヴァは少しの間、レッドを見た。


「さっきも同じこと言ってた」


「本当のことだから何度言っても同じだ」


 リヴァが少しだけ、口元を動かした。


 カイがビールを置いた。力強い。


「レッド」


「何だ」


「それくらいにしろ」


「してる」


「してない」


「カイ、お前も飲め。顔が怖い」


 カイは何も言わなかった。ビールを一口飲んだ。


 アルノがブリスケットを3切れ目に切りながら、眼鏡を押し上げた。


「……賑やかですね」と彼は言った。


「テキサスはそういうとこだ」とレッドは言った。


「東京も似たようなものです、このメンバーでいると」


「そうか」レッドが笑った。「じゃあ俺たちは合うかもしれない」


「どうでしょうか」


「悪くないだろ」


 アルノは答えなかった。


 ブリスケットを口に入れた。


 それが答えだった、とリヴァは思った。


 テキサスの夜は長かった。


 


 ログハウスに戻った頃、夜の10時を過ぎていた。


「明日の予定を確認します」とアルノが言った。


 ブリーフィングルームは5月だというのに、肌寒かった。


「午前は近距離戦の訓練。レッドが担当します」


「俺か」とレッドが言った。


「あなたの専門領域です」


「まあそうだが」レッドはリヴァを見た。「転ぶかもしれないぞ」


「転ばない」


「まあ、やってみろ」


「午後は射撃場の続き」とアルノは続けた。「イーサンとカイの訓練も並行します」


 イーサンが頷いた。


「夜は」とアルノは言った。一拍置いた。「カジノです」


 空気が少し変わった。


「情報収集」とリヴァが言った。


「はい。密輸ルートの関係者がよく使う店があります。ダラスのダウンタウン、ハイアットの地下。ユキナガが事前に確認しています」


「俺たちの役割は」とカイが言った。


「リヴァが場に入ります。私が関係者に近づいて情報を取る。カイとイーサンは護衛で外周」


「俺は」とレッドが言った。


「あなたはリヴァの側にいてください。土地勘があるので、何かあった時の動線を頼みます」


「わかった」レッドは少しだけリヴァを見た。「ドレスアップだな、嬢ちゃん」


「そうなりますね」とアルノが言った。


「似合うだろうな」


「レッド」とカイが言った。


「何だ」


「それくらいにしろ」


 レッドのため息。


 イーサンが空を見た。


「風が変わった」と彼は言った。


 全員が空を見た。


 南から来ていた風が、少しだけ北に振れていた。


「明日の午前、気温が下がる」とイーサンは続けた。「補正が必要になる」


 イーサンが建物に向かって歩き出した。


 レッドが伸びをした。「早く寝るか」と独り言みたいに言って、後に続いた。


 カイがリヴァの隣に来た。


「明日、転ぶな」


「転ばないよ」


「レッドの訓練は加減しない」


「カイもしないでしょ」


「怪我をするかもしれない」


「カイって心配性だね」


「事実を言っている」


 リヴァは空を見た。星が多かった。


「カジノ」と彼女は言った。「ドレス、何があるかな?」


「アルノが把握してる」


「アルノに聞く」


「明日でいい」とカイは言った。「今日は寝ろ」


「うん」


 カイが建物に向かって歩き出した。


 リヴァは少しだけ、星を見た。


 東京では見えない星が、テキサスにはある。


 それだけで、少し遠くに来た気がした。

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