Valerian Resource Group
東京拠点、共用スペース 午前八時二分。
リヴァが共用スペースに出ると、そこにいた全員の動きが止まった。
アルノが端末から顔を上げ、キッチンにいたオラヴルも手を止めた。カップを持っていたカイまで視線を外し、三人揃ってリヴァを見ている。
「……おはよう」
「おはようございます」
アルノの返事が、いつもより一拍早かった。
通信室のドアが開き、端末を二台抱えたユキナガが出てきた。目の下には隈があり、Marlboroを口の端に咥えている。
「お、生きてる」
「何その言い方」
ユキナガは端末をテーブルに置くと、そのまま椅子に座った。
リヴァも椅子へ向かった。腰を下ろす頃には、オラヴルがハーブティーを運んできていた。ミントとカモミールの香りがして、まだ湯気が立っている。
いつの間にかそばに来ていたカイが椅子を引き、オラヴルがマグカップを差し出した。
「飲んで」
「まだ起きたばっかりだよ」
リヴァはカップに手をかけた。掌に温かさが移った。
続けて、カイがブラックコーヒーを前へ置いた。いつも通りの濃さだった。アルノからはアプリコットジャムを添えたトーストが出され、最後にユキナガが煙草の箱とライターをその横へ置く。
ほとんど同時に四方から出され、リヴァは思わず笑った。
静かだった共用スペースに笑い声が響いた。
オラヴルが正面へ回った。腰を落とし、椅子に座るリヴァより低い位置まで目線を下げる。いつもの笑顔はなかった。
「リヴァ」
「うん」
「見なさい」
リヴァが灰がかった青い目を見る。
オラヴルは右側で一度、左側で一度、指を鳴らした。音を追う視線を確認すると、今度は両手を出させた。
「手のひらを上に。指を広げて」
言われた通りにすると、オラヴルの目が指先から肘までを辿った。震えを確認してから手首を取り、そのまま脈を測る。
動作は早く、迷いがなかった。手を置く場所も、指にかける力も決まっている。
リヴァは黙って手を預けていた。
脈を取り終えたオラヴルが立ち上がりかけた。
そこで止まり、もう一度屈んだ。
「……」
「何」
「もう一度」
リヴァが顔を向けると、オラヴルは今度は両側で同時に指を鳴らした。
リヴァが驚いて首を引く。
手を戻す時、オラヴルの右手が一瞬、頬に触れた。
リヴァはその手を見た。
「問題ない。薬もほとんど抜けてるとみていい」
オラヴルは立ち上がり、ユキナガが置いた煙草とライターをまとめて持つと、そのまま本人のところまで運んだ。
「あとでにさせてね」
そう言ってカウンターへ戻る。
その間も、カイはテーブルの端で自分のコーヒーを持ったまま立っていた。
「カイ」
「ああ」
「座れば」
「立ってる方がいい」
「なんで」
「見える」
リヴァはトーストを手に取り、一口食べた。
「……昨夜、カイの上で寝ちゃった」
「覚えてたのか」
「…温かかった」
アルノが端末へ視線を落とした。
画面を見てはいなかった。
ユキナガがそんなアルノを一度見たが、何も言わなかった。
「ありがとう」
「気にするな。疲れてた」
リヴァはコーヒーを一口飲み、トーストを途中まで食べたところで四人を見た。
「他に話がある顔してる、四人とも」
アルノの動きが止まった。
オラヴルがカップを置き、カイは窓の外へ目を向ける。ユキナガは端末の画面を開いた。
「落ち着いてからでも」
「落ち着いてる。何も分からないまま時間が過ぎる方が嫌」
アルノはリヴァを見た。
「本当に、今話しますか」
「うん」
アルノがオラヴルへ目を向けると、オラヴルは頷いた。
「……わかりました」
端末を開き直したアルノが、リヴァへ向き直る。
「では、昨夜の件の続きから」
ペンを取り、メモ用紙に一語を書いた。
”Isa”
その紙がリヴァの前へ置かれた。
「声に出さないでください。念のため」
リヴァは文字を見た。
「声に出したら」
「発動するか、不明です」
「……イサ?」
口に出した瞬間、アルノが息を呑んだ。
ユキナガの手も止まった。オラヴルは動かない。カイがすぐに距離を詰め、リヴァの瞳を覗き込んだ。
「……大丈夫みたい」
リヴァが四人を見上げる。
アルノが息を吐いた。
「いい加減にしてください。心臓に悪い」
「他人に言われるのと、自分で言うのが同じか確かめたかった」
「びびった…」
ユキナガが言った。
リヴァはもう一度、メモ用紙に目を落とした。
「この反応を」アルノが続けた。「制御できるようにしたい」
「制御できるの?」
「わかりません。発動しても、戻れるように。あるいは、発動しないように抵抗できるように」
「皆と特訓?」
「いえ。今回は」
アルノが眼鏡を押し上げた。
「訓練に向かいます」
リヴァが首を傾げる。
「アルカのアメリカ支部に、教官の経験がある二人が所属しています」
「テキサスか」
カイが言うと、アルノが頷いた。
「勿論、あなたの体調や意思を考慮したうえでですが――」
「行く」
「ただし、僕が許可するまで動かないこと」
オラヴルが口を挟んだ。
「オラヴル」
「いいね」
リヴァはオラヴルを見た。
「……わかった」
アルノが端末の画面を切り替えた。
「それと、今回は訓練だけではありません」
表示された資料を開きながら続ける。
「ちょうど現地で動かしている案件があります。あなたの訓練と、地理的にも、時期的にも重なります」
画面に地図が出た。
テキサス州、ダラス郊外。二箇所に赤いピンが立っている。
「武器密輸ルートの中継拠点の特定と、証拠の回収です。半年で三回、同じ経路の形跡がある。中東からメキシコ経由でテキサス入り。規模は大きくありません。ただ」
アルノが一拍置いた。
「三週間以内に、次の輸送の準備が始まる。逃したら証拠が消えます」
ユキナガが端末を操作すると、地図の上に赤い線が引かれた。
「中継拠点はここ。ダラスの北、倉庫地帯。証拠は輸送記録とサンプル」
「誰が行くの」
「リヴァとカイとアルノ。アメリカ支部の元軍人の二人」
ユキナガは経路を表示したまま言った。
「俺は日本に残る」
「どんな人?」
アルノが眼鏡を上げた。
「まず、レッドは状況の読み方は正確です」
「うるさいくらい喋る」
カイが付け足した。
「イーサンは元狙撃手です。あなたの射撃データを見て、会いたいと言っていました」
「そう」
カイが腕を組んだ。
「リヴァしごかれるかも」
ユキナガが笑う。
「移動について」アルノが言った。「商用便は避けます。ヴィクトルに連絡を取りました」
リヴァはアルノを見た。
「チャーター機を出すと言っていました。快く、とは言いがたい言い方でしたが」
「どんな」
アルノが一拍置いた。
「……可哀想だから出す、と」
リヴァはしばらく黙っていた。
「ヴィクトルらしい」
「同意します」
ユキナガが鼻で笑った。
カイはその場から動かなかった。
「最後に」
アルノが端末の画面をもう一度切り替えた。
会社名が表示された。
”Valerian Resource Group”
「この密輸ルートの資金源です。軍需と資源開発の複合企業。表向きはスイスに本社を置く合法的な会社です。ただ、密輸との資金の繋がりが、複数の経路から出ている」
「スイス」
リヴァはその単語を口の中で繰り返した。
アルノがこちらを見ていた。
「レオンハルト・ヴェルナー。今は、名前と会社の繋がりが出ているだけです。直接の証拠はありません」
リヴァの指先が止まった。
画面に出た名前を見る。
覚えのない名前だった。耳にした記憶もなく、読み方も初めてだった。
「リヴァ」
カイの声がした。
「……平気」
「詳細は追って共有します」アルノが言った。「今は、名前として覚えておいてください」
窓から入る朝の光が、さっきより強くなっていた。




