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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第三章「境界圏 ― Threshold Zone」

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"Isa"




 執務室のドアが開いていた。


 アルノとオラヴルがいた。


 デスクの上に資料が広がっていた。アルノが端末に向かっていた。ジャケットを脱いでいた。白いシャツの袖が、左だけ折り上げられていた。


 JPSが灰皿に刺さっていた。吸いかけのまま、消えていた。


 オラヴルはソファに座っていた。Dunhillを指に挟んでいた。


 カイが入ってきても、二人とも顔を上げなかった。


「彼女の状態は」オラヴルが言った。


「寝かせた」


「わかりました」


 アルノが端末から目を離さなかった。


 カイが腕を組んで、アルノを見た。


「何がわかったんだ」


 カイの言葉で部屋の温度が冷えた。


「…座ってください」アルノは言った。


「立ったまま聞く」


 アルノが端末から目を上げた。カイを見た。


 間があった。


 先に目を外したのはアルノだった。


「……構いません」


 オラヴルが煙草を一口吸った。煙を吐いた。


「古ノルド語なら、íss。氷だ」オラヴルは言った。


「何と言った」


「Isa」


「静止や束縛を連想させる」


「仕込んだのはグレイか」


「彼じゃない」オラヴルが言った。


「誰だ」


 オラヴルは答えなかった。


 煙草を持つ指が、少しだけ強くなった。


「心当たりがあるなら言え」


「ない」


 カイはオラヴルを見た。


 数秒、そのままだった。


「……明日、リヴァには」アルノが言いかけた。


「状態を見てからにしよう」オラヴルが遮った。


「同席する」カイは言った。


「構いません」


 カイが顔を上げてアルノの顔を見た。


「俺が決める」


 アルノがカイを見た。目を細めた。


「何をですか」


「明日、リヴァに何を話すか」


「彼女はあなたの所有物ではありません」


 カイが一歩、アルノに近づいた。


「お前の所有物でもない」


 アルノの表情は変わらなかった。


 オラヴルはため息をついた。


 カイが続けた。


「グレイの部屋で起きたことを、お前は聞こえていた」


「途中からは」


 カイの顎が少し上がった。


「それでも止めなかった」


「はい」


 カイがもう一歩近づいた。


「正しかったと言ったな」


 オラヴルは足を組んで、煙草を吸っていた。動かなかった。


「同じ条件であれば、同じ判断をします」


 カイの手がデスクの端に置かれた。


「泣いてても」


「はい」


「助けを求めても」


 アルノが一拍置いた。


「生命に直接関わる兆候がなければ」


 カイの指に力が入った。


「本気で言ってるのか」


「私はあくまで、生存を優先しました」


 部屋が静かになった。


 カイがアルノを見た。


 アルノは視線を外さなかった。


「精神は回復出来ます」


 カイの手がデスクから離れた。


 アルノの胸元を掴んだ。


「情報が足りなければ、今後彼女を死なせる可能性だって--」


 カイの腕が動いた。


 アルノの身体が後ろへ飛んだ。


 背中から壁に当たった。


 鈍い音がした。


 壁際の額縁が跳ねた。


「……っ」


 アルノが息を詰めた。


 そのまま壁に背を預け、しゃがみ込んだ。


 アルノがカイを見上げた。


「……それで?」口角を上げた。「判断が変わると思いますか?」


 カイの目が細くなった。


 廊下から足音がした。


「アルノ、解析の——」


 ユキナガがドアのところで止まった。


「……何してんの」


 カイがもう一度アルノの胸ぐらを掴んで、立たせようとした。アルノがカイの腕を掴んだ。


 ユキナガの眉が寄った。オラヴルを向いた。


「なんで止めないの」


 オラヴルはただその様子を見ていた。


「アルノが悪いからね」


「……ええ?…そうなの?」


 ユキナガはカイを見た。


「カイ、待て」ユキナガが言った。「お前に殴られたら洒落になんない」


 カイは止まらなかった。


 アルノも退かなかった。


「彼女が泣いた。それで、あなたは何を変えろと言っているんです」


 カイの指に力が入った。


「その結果、必要な情報を失って、次に彼女が死ねば」


 一拍置いた。


「あなたは責任を取れるんですか」


 カイの腕が動いた。


 アルノの後頭部が、もう一度壁につく寸前で止まった。


「……お前」


「取れないでしょう」


「アルノ、煽んなって!」ユキナガが言った。


 アルノはカイから視線を外さなかった。


「あなたは彼女の泣き声を聞いたから怒っている」


「……」


「私は、その後に彼女を生かす方法を考えています」


 カイの表情が変わった。


 ユキナガが息を呑んだ。


「短絡的ですね」


 カイがアルノを壁へ押しつけた。


 鈍い音がした。


「もう一度言え」


「何度でも」


 アルノの息が乱れていた。


 カイの拳が握られた。


 アルノがその拳を横目で見て、目を細めた。汗が頬を伝った。


「待て、カイ」ユキナガが一歩出た。


「ユキナガ」


 オラヴルが言った。


「そこにいなさい」


 ユキナガが振り返った。


「いや、でも」


 オラヴルがソファの肘おきを二度叩いた。


 ユキナガが止まった。


 アルノはカイを見ていた。


「彼女に必要なのは、正しい判断ではなく、あなたに慰めてもらうことだったと?」


 カイが拳を握った。


 オラヴルが立ち上がった。


「カイ」


 カイがオラヴルを見た。


「怒ってる君に、明日のリヴァのことを決めさせる気はないよ」


 カイの眉が動いた。


「俺は守るだけだ」


「違うだろう?」


 オラヴルは煙草の火を消した。


「それは彼女を守ることじゃない。彼女の代わりに決めてる」


 カイは何も言わなかった。


 アルノから手を離した。


 オラヴルはアルノを見た。


「アルノ」


 アルノが顔を上げた。


「君はもっと悪いよ」


 アルノの目が止まった。


「自分の判断が正しかったと確認するために、まだ仕事を続けてる」


「違います」


「喋るな」


 アルノが止まった。


 オラヴルの声は変わらなかった。


「僕は今、君の言い訳は聞いてない」


 アルノは黙った。


「彼女は薬を入れられた。自分でも理解できない反応を引き出された。泣いて、震えて、今やっと眠った」


 オラヴルは二人を見た。


「どちらが正しかったか決めるのは、今やるべきことかい?」


 誰も答えなかった。


「くだらない」


 オラヴルが言った。


 沈黙があった。


「カイ、もう終わりにしなさい」


「でも、--」


「終わりだ」


 カイが少しの間、オラヴルを見た。


 カイが視線を外した。ドアに向かった。


 ユキナガが道を空けた。


 ドアが閉まった。


「……俺、解析結果置いて帰っていい?」ユキナガが言った。


「もう寝なさい」


「うん」


 端末をデスクの端に置いた。


 ユキナガも出ていった。


 ドアが閉まった。


 部屋が静かになった。



 アルノは壁際に座ったままだった。


 片膝を立てていた。


 顔を少し伏せていた。


「馬鹿だろ、お前」オラヴルが言った。


 アルノはしばらく何も言わなかった。


 空調の音が響いた。


「……もっと早く、止めてください」


 アルノが言った。


「一度は痛い目見るべきだと思ったよ」


「……」


「言い方」


アルノが両膝を立てて、顔を伏せた。


「…彼女を守るために、彼女の情報が必要です」


 オラヴルは下を向いた。


「彼女は何者なのか、どうしても知りたい」


 オラヴルは新しい煙草に火をつけた。


 一歩アルノに寄った。


「みせて」


 アルノは顔を上げた。


「オラヴル、私は……」


「立ちなさい」


 アルノは一拍止まってから、壁に手をついて立ち上がった。


 アルノに自分の口にあった煙草を咥えさせた。


 オラヴルはアルノの背中を軽く触った。


「痛いところは?」


「…ありません」


 アルノは煙を吐いた。


「よし」


「オラヴル、-」


 アルノはオラヴルを見上げた。


「ヴィクトルみたいになるな」オラヴルは言った。


 アルノは目を伏せた。

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