カヌン
新拠点、共用スペース 午後四時十八分。
五月に入って、日はずいぶん長くなっていた。
新拠点に西日が入り始める時間帯、共用スペースの窓ガラスが橙色に染まっていた。フローリングの上に光の四角が落ちて、ゆっくりと伸びていた。
ユキナガはモニタールームから出てきて、ソファに横になっていた。煙草を天井に向かって吸いながら、煙が光の中に溶けていくのを眺めていた。
昨日からずっとデータを追っていた。アルバンの情報を掘れるだけ掘った。
「……まじで空白なんだよな」彼は天井に向かって言った。「名前が出たのは六年前が最初。それより前は何もない」
アルノが眼鏡のブリッジを押し上げた。
「でっかかった」リヴァが言った。
「210センチだ」カイが言った。
「バスケ選手だよなあ」ユキナガが煙を吐いた。
そこにインターホンが鳴った。
カイがモニターを見て、開けに行った。
「ヴィクトルだ」
ヴィクトルが入ってきた。
マセラティのキーを指に引っ掛けていた。
ヴィクトルはアルノを一瞥して、リヴァを見た。
「よ」
「うん」リヴァは言った。
ヴィクトルはリヴァの隣に座った。テーブルの上のリヴァのカップを一度見て、そのまま立ち上がった。キッチンに向かった。
「借りるぞ」
「どうぞ」アルノが答える。
自分のカップを出し、コーヒーを入れた。リヴァのカップに注ぐ前に、ポットを彼女の方へ持ち上げた。
リヴァが小さく頷いた。
ヴィクトルがカップをリヴァの前に置いた。
「昨日のこと、聞いた」ヴィクトルは自分のカップを手に持ったまま、軽い声で言った。「生きてて良かったな」
ユキナガがソファから起き上がって、煙草を灰皿に押しつけた。
「情報があるから来たんだろ」
「少しな」
「少し、ってどのくらい」
ヴィクトルは煙草を取り出した。真っ黒のシガレット、金のフィルター。一本抜いて指に挟む。火をつけた。
最初の一口を吸って、煙を横に流した。甘みのある煙の匂いが、コーヒーの香りと混ざって広がった。
「昔、仕事が重なった」
「どんな」
「内容は言えないが。本気で死にかけた」
「へえ」
「アルバンを雇った組織と敵対していた連中は、全滅した」
ヴィクトルは灰を落とした。
「俺はどっちの陣営か曖昧だったから、おそらく殺されなかった」
少し間を置いた。
「奴はアルバニア人だ。始末屋って呼ばれてる」
「…怖」
リヴァがカップを強く握った。
「仕事が終わった後に、残るものが少なすぎる」ヴィクトルが言った。
ユキナガが黙った。
カイがその言葉を聞いていた。腕を組んだまま、何も言わなかった。
「また引っ越すのか?」ヴィクトルが言った。
アルノが眼鏡を上げた。
「いえ。昨日の件は侵入ではありません。正面玄関から呼び出し、こちらが開錠しています」
「でも住所は割れてる」ユキナガが言った。
「その経路は調べます」
ユキナガが煙草の箱を指で押した。
「けどアルバン本人が敵対するとも決まってない、って?」
「ええ」
ユキナガがヴィクトルを見た。
「ま。住所割った方法がわからない以上、逃げた先をもう一度見つけられる方が面倒だ」
ヴィクトルは灰を落とした。
「それに、あいつが昨日ここを潰す気だったなら、インターホンは鳴らしてないだろ」
部屋が少し静かになった。
ヴィクトルが煙を吐いた。天井に上がって行った。
「…アルバニアの話になるが」ヴィクトルが言った。「古い慣習法がある。カヌンという。家や血、客、名誉、誓約を、個人の好悪より重く置く」
ヴィクトルは続けた。
「俺が見た限り、アルバンの考え方はあれに近い」
「どういうこと」
「欲しいとか好きとか、そういう軽いものじゃない。本人の中では義務に近い」
部屋が静かになった。
「……まあ、確証はないけどな」
「もしかしたらの温度感で言う話じゃなさそうだけど」ユキナガが言った。
「参考程度に聞いておけ」
「参考程度にするには重すぎる」
ヴィクトルが小さく笑った。
リヴァはMarlboroを一口吸った。煙を吐きながら、窓の外を見た。
空が赤かった。
「なんで私の言うこと、聞いてくれたんだろ」
「さあな」
ヴィクトルは煙草を灰皿に置いた。リヴァを見た。
「まあ、俺がいるからいいだろ」
カイが短く息を吐いた。
「お前がいる必要はない」
「いた方がいいだろ。俺の方が情報がある」
「数回会っただけだろう」
「お前は何回会った」
カイが黙った。
アルノが眼鏡を押し上げた。
「……情報提供は歓迎します」彼は言った。「ただしそれ以上の関与は、今のところ必要ありません」
ヴィクトルが肩をすくめた。それからリヴァを見た。
「お前はどう思う」
「助かる」リヴァは言った。
ヴィクトルが少し目を細めた。
「そうか」
「情報的な意味で」
「わかってる」ヴィクトルは笑った。
西日が窓の端へ寄った。部屋の光が少し弱くなった。
ユキナガが立ち上がって、照明をつけた。
白い光が部屋に広がった。さっきまでの橙色が消えて、全員の顔がはっきりした。
「次会った時、話できるかな」リヴァが言った。
ヴィクトルがリヴァの顔を見て、立ち上がった。
「そんな顔するな。今日はお前らにジェノベーゼ作りに来たんだ」
「わーい」ユキナガがキッチンに手伝いに立った。
「お前はオリ呼んでこい」
「ん」リヴァが立ち上がった。




