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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第十二章「閉鎖系の外乱 ― Disturbance in a Closed System」

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二年の飛び級




 レナートは台所のテーブルで、煙草を巻いていた。


 テーブルには、散乱した書類。走り書きのメモ。


 床にも書類が広がっていた。


 大半はルカの論文と解析結果だった。その間に、レナートが余白へ書きつけたメモが混じっている。


 紙の上へ葉を置き、指先で細く均す。巻き終えた一本を、開いたシルバーのケースへ収めた。すでに九本が並んでいた。


 煙草を巻く手つきだけが精密にそろっていた。


 レナートが手を止めた。


「……違うな」


 レナートが立ち上がって、首から下げていた眼鏡をかけた。


 乱雑に置かれた紙のもとにしゃがみ、拾わずにそのまま書き足した。


「あの群衆行動予測のデータで、どこで…」


 書き終えて拾い上げ、テーブルの別の紙の上へ置いた。口に人差し指をあてて、部屋を歩く。


 テーブルにあった別の紙を5枚、床に広げた。またしゃがんで書き始めた。


「日本の、査読で来てたやつか、」


 レナートは床に座って独り言を話した。


 立ち上がって、エスプレッソマシンのスタートボタンを押した。


 テーブルの上にはすでに四つのマグカップが置かれていた。


「……観察者を固定した方ですか」寝室からルカの声がした。


 レナートが床を見ながらまた口に人差し指を当てた。


「いや。反実条件を残した方だよ」


 ルカの方を見ずに答えた。


「あれ、サンプル偏ってます」


 レナートの寝室から、ルカが出てきた。


 レナートが眼鏡を下にずらし、ルカを一瞬見た。


 上半身には何も着ていなかった。


 床の紙を踏んだ。


「ん……」


 拾い上げた。


「あ。ここにあった」


 その一言を聞いて、レナートが言った。


「ルカ。床のものを片づけなさい」


 ルカは手元の一枚をベッドの上に放り投げ、足元の別の紙を拾った。


「これ、教授のです」


 レナートが一度見た。


「それは次の学会で使う。残しておいて」


「これも教授の」


「……それは、そこに置いておいて」


 ルカは二枚とも床へ戻した。


 ルカは部屋を見まわした。


「服は…」


「昨日君が寝室に放り投げていたのは、いま回しているよ」


「水色のシャツ、しりませんか」


「水色は無かったな」


「どこかいっちゃいました」ルカが言った。


 ルカは椅子の背に置かれていたレナートの白いシャツを取り、袖を通した。


「まだ洗ってないよ」


「…いいです、めんどくさい」


 レナートは十本目をケースへ入れた。


 ルカは、テーブルからはみ出していたメモを引いた。


「第三条件、外したんですか」


「潜在変数を一つ増やした」


 レナートの端末が鳴った。


 二人とも見なかった。


「それだと昨日の」


「残るよ」


「残らないです」


「君は兄を入れたからそう見えるんだ」


「……」


 レナートはメモにまた走り書きをして、エスプレッソを飲んだ。


「…帰ってから見よう」


 テーブルの端に、ルカの博士論文が置かれていた。


 ルカは博士論文を持ち上げた。


 余白に、黒い細字が増えていた。


「第三章が甘い」


「昨日、完成って言ってました」


「ああ。昨日の君には完成だった」


「今日は?」


「私が読んだから、完成ではなくなっただけだよ」


 ルカは論文を元へ戻した。


 その横に、常勤登用を前提とした研究員の公募要項と、応募書類の束が重なっている。


 書類には、経歴と研究実績がすでに入力されていた。


 空いているのは、署名欄だけだった。


「署名がまだないね」


 ルカはシャツのボタンを留めながら、書類を見た。


「まだ、決まっては……ないです」


「では、落ちると思っているのかい?」


 ルカは答えなかった。


 下から二つ目のボタンを留めた。


「住居の欄も、このままでいいね」


 ルカの手が止まった。


 応募書類には、レナートの家の住所が入っていた。


「まだ出してないです」


「だから確認をしているんだよ」


 レナートが何か書き終えて、ペンを置いた。


「おいで」


 ルカはレナートの傍に寄った。


 レナートは座ったまま、ルカの腰を引いた。


 ルカは膝の間へ一歩入った。


「屈んで」


 ルカが屈むと、首筋へ唇が触れた。


「愛しているよ」


 ルカは目を閉じた。


「……俺の才能を、でしょ」


「ああ。もちろん」


 レナートはルカの頭を抱き寄せ、唇へ口づけた。


 それからレナートの手が、シャツの背を一度撫でた。


「学部と修士を二年も縮めて、ここまで来たんだ」


 レナートがルカの袖を取り、手首が出るところまで二度折った。反対側も同じ幅に揃えた。


「セオでも飛び級が通ったのは一年だけだった」


 ルカは動かなかった。


 レナートはルカのシャツの胸ポケットへ、シルバーのケースを入れた。


「……一度研究室に寄って、ユキのとこに行きます」


 ルカは玄関に向かおうとした。


「待ちなさい」


 レナートが書類の下から、ルカの入館証を取り出した。


「昨夜、ベッドの脇に落ちていたよ」


 ルカは受け取った。


「外したの、教授でしょ」


「邪魔だったからね」


 ルカは目線を逸らした。


「…今日も遅くなります」


「帰ってくるなら構わない」


 レナートは自分のケースから煙草を一本出した。咥えて、火をつけた。


 ルカは応募書類を一度見た。


「もし俺が……帰らなかったら?」


 レナートは床の論文を拾った。


「君の物はここに全部あるよ」


 ルカは何も言わなかった。


 そのまま、玄関へ向かった。


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