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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第八章「夜間係留 ― Night Mooring」

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観測ログ:オラヴルの朝

 

 東京拠点 オラヴルの自室 午前七時四十分。



 目が覚めた。


 胸の上が重かった。猫のミントだった。


 昨夜も勝手に乗ってきたらしい。


 起き上がろうとした。


 動かなかった。


 ミントが起きない。


「……ミント」


 耳だけ動いた。


 寝たふりをしていた。


 床に降ろした。


 ステンレスの餌入れに、餌を入れた。


 ミントは来なかった。


 三秒後、缶詰の棚を開けた音がした。


「待ちなさい」


 ミントを抱き上げた。




 常温の水を一杯飲んだ。


 端末を開いた。


 夜のあいだに、アルノから連絡が入っていた。任務の依頼だった。立川付近。近場だった。


 来週も入っていた。


 再来週も入っていた。


 その次も入っていた。


 アルノからの一言が添えられていた。


『空いていたので入れておきました』


「……」


 端末を閉じた。


 着替えた。麻の混じった生成りのシャツ。皺はそのままにした。




 中庭に出た。


 梁の高い、古い建物の真ん中に、四角く切り取られた空があった。


 ハーブの鉢が並んでいた。スペアミントが伸びすぎて、隣のレモンバームに葉を被せていた。指先で摘んだ。青い匂いが立った。


 カモミールは元気だった。胃薬と相性がいい。


 摘んだミントを、何枚か手のひらに乗せた。




 処置室に下りた。自室とは別の階にある。


 明かりをつけた。


 消毒用アルコールの匂いに、乾いた薬草の匂いが混ざった。




 薬棚を開けた。


 フィンの抗生剤、アルノの頭痛薬、リヴァの痛み止め。


 全員減っていた。


 カラムの睡眠導入剤だけ、一錠も減っていなかった。


「頑固だな……」


 元の位置に、元の向きで戻した。


「……はぁ」




 茶葉を出した。


 摘んできたミントに、棚の乾いたカモミールを少し足した。湯を注いだ。


 一杯飲んだ。


 胃が重かった。


「まだ誰とも話してないのに…」




 ドアが鳴った。


 フィンだった。


「おはよう。アルノに、見てもらえって言われて」そう言って腕を上げた。


 二の腕の外側。ガーゼが当ててあった。


 マジックで笑顔が描かれていた。


「誰が描いたの」


「ヴィクトル」


「…なるほど」


 剥がした。縫っていない。縫うべき深さだった。


「…昨日バーに行ってなかったかい」


「飲んだ。トレーニングも今朝出来たから、深くないと思う」


「……それは、僕が判断するべきなんだけど」


「あはは」


 麻酔を打って、針を持った。


「痛むかい」


「うーん、そこまでじゃないよ」


 縫った。フィンは天井を見ていた。


 ガーゼを当て直した。今度はちゃんと留めた。


「次は、その日のうちに来るんだよ」


「はぁい」




 フィンが出ていって、しばらくして、また入ってきた者がいた。


 カイだった。


 手の甲が切れていた。黙って差し出した。


「いつ切った」


「覚えていない」


「覚えていない?」


「三日前かもしれない」


 消毒して、テープで留めた。縫うほどではなかった。


「問題ない」カイは言った。


「……放置はよくないからね」


 カイは答えなかった。手の甲を一度握って、開いた。


「助かった」


 出ていった。





 いつのまにかテーブルに付箋がついていた。


 謎の猫のシールと、『がんばれオリ』と書かれていた。ユキナガだった。


 捨てようか迷った。


 引き出しの鍵を開けて、リヴァのカルテを取り出した。


 一枚ずつ、角を揃えて綴じ直した。順番を確かめた。日付の抜けを確かめた。


 テーブルの端に、もう一つメモが置いてあるのに気づいた。


 メモには丸い魚の絵があった。


 筆跡から、リヴァが書いたものだった。


 カルテをもう一度整えて、仕舞った。コピー機は共用スペースにある。




 共用スペースに出た。


 金魚の水槽があった。二匹が元気に泳いでいる。


 餌を一つまみ落とした。金魚が上がってきた。


 


 アルノとヴィクトルがいた。揉めていた。


「だから、外部協力でも清算書は上げてもらうと言っているんですが」アルノの声だった。


「面倒だ。いいって言ってるだろ」


「朝だよ」オラヴルが言った。二人は止まらない。


「関係ありません。動いた以上は記録が要る。何度言えば――」


「いい加減にしろ。紙を出すために動いてるわけじゃない」


「朝だよ」オラヴルがもう一度言った。


「だったら勝手に動くな。こっちが被るんだ」アルノが声を荒げた。


「朝だよ」オラヴルは二人のあいだに立った。


 二人は止まらなかった。


「……胃が痛い」オラヴルの一言で、二人が黙った。


「……すみません」


「悪かった」


 ヴィクトルがこちらを見て、笑った。


「おはようオリ」


「おはようじゃないよ全く」


 オラヴルはシャツの胸から箱を出した。Dunhill International Blue。一本くわえた。


 ヴィクトルがライターを鳴らして、火を寄せた。


 一口吸った。煙を吐いた。


「相変わらず痩せてるな、お前は。ちゃんと食ってるのか」ヴィクトルが言った。


「……はぁ」


 ため息が、煙と一緒に出た。


 オラヴルは煙草を灰皿に置いた。


 シャツの胸ポケットから、小さな瓶を出した。胃薬だった。一錠、口に入れた。ミントの残り香のする茶で、流し込んだ。



 ユキナガが入ってきた。目の下のくまが濃かった。


「オラヴル、あとでちょっと」


「…なんだい」


「昨日の花火大会。SNSの写真と動画洗ってる」


「僕もやれと」


「たぶんこの中で1番抜け漏れ無いから」


「…どのくらい」


「……AI追いつかなくて残ったのが8000件くらい…暗くて花火で誤判定ばっか…助けて…」ユキナガが泣きそうだった。


「……わかったよ」


 胃薬を飲んだ。



 フィンが入ってきた。


「オリー」


「なんだい」


「縫ったところ開いた」


「……」



 カイが入ってきた。


「肩を脱臼した」


「数分で何があったんだい」


 カイが目を逸らした。


「ベンチプレス追い込みすぎ」フィンが横から言った。「俺も頑張ってハメようとしたんだけど」


「そのせいで傷が開いたのか」


 フィンが目を逸らした。


 胃薬を飲んだ。




 リヴァが入ってきた。

 

 オラヴルが顔を上げた。


「オラヴル、ミントどこにもいない」


「……」


 胃薬の瓶を握ったまま天井を見て目を閉じた。


「お前それラムネじゃないぞ」ヴィクトルが言った。


「知ってる」


 金魚が、水面で口を開けていた。





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