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リヴァ・アルカ ―特殊部隊は、一人のアンカーを檻に乞う―  作者: Ilir Noct
第八章「夜間係留 ― Night Mooring」

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隅田川花火大会

 


 夕方の共用スペースだった。


 テレビで花火大会のCMが流れていた。隅田川。打ち上げ数の数字。浴衣の女性がラムネを持って笑っていた。


 ユキナガがソファに沈んで半分寝ていた。右手に持った端末の画面だけが、せわしなく動いていた。


 リヴァはキッチンにいた。コーヒーを淹れていた。


 フィンが床に座ってギターを弾いていた。カイがカウンターで煙草を吸っていた。


「…隅田の花火でも行かない?」


 ユキナガが言った。


「花火大会、行ったことない」


 リヴァがふと言った。


 ユキナガが目を開けた。


「マジ?」


「たぶん」


 ユキナガが黙った。


「行きたい」リヴァが言った。


「じゃあ行こう」ユキナガが起き上がった。「今週末。でも隅田の日は雨降るんだよなー」


「俺も行くー」フィンが指を止めて言った。


 カイが息を吐いた。


「何が決定なんですか」


 声がした。


 ソファの奥、一人がけの椅子にアルノがいた。端末を見ていた。


「花火大会」ユキナガが言った。


「却下です」


「なんで」


「人混み」アルノは端末に視線を戻した。「ユキナガも解析終わってないでしょう」


「俺のはもう終わる」ユキナガが端末を見た。眉をひそめた。


「……警備を増やせばいい」カイが言った。


「どういうことですか」アルノが顔を上げた。


「全員で行けばいい」


「それ警備じゃなくて包囲じゃない?」フィンが言った。


 ユキナガが笑った。


 アルノが額に指を当てた。


「行きたい」


 リヴァがアルノを見た。


「……動線は私が組みます」





 当日の拠点。


 浴衣はヴィクトルが用意していた。リヴァが連絡してみたら、次の日には揃っていた。全員分あった。


「浴衣、かわいい」


 リヴァが言った。広げられた淡い紫色の生地を見ていた。赤い金魚が散っていた。


 フィンがすでに濃紺の浴衣を手にしていた。


「和服って初めて着る」フィンが言った。


 帯を持って、しばらく考えていた。


「紐と布じゃん」


 ユキナガは苦戦していた。黒地に銀の流水。帯がぐちゃぐちゃになっていた。


「これ無理。どうなってんの」


「待ってろ」カイが言った。


 カイはもう着終わっていた。深緑の無地。帯も黒。自分で着付けていた。


「カイ、時代劇出てきそう」ユキナガが笑った。


 カイが一番近くにいたカラムに向かって、黒い浴衣を肩にかけた。


「……いい」カラムが言った。


「せっかくだから」リヴァが言った。カラムは下を向いた。「ヴィクトルがでかいの特注って言ってたよ」


「手」カイが言った。


 袖を通させた。前を合わせた。グレーの帯を巻いた。


 カラムは、されるがままだった。抵抗も協力もしなかった。ただ立っていた。196センチの男が、黙って着せられていた。


「カイ、着付けできるんだ」ユキナガが帯と格闘しながら言った。


「ああ」


 カイが、カラムの帯を後ろで締めた。


 カラムが長い溜息を吐いていた。


 それから、カイはリヴァのところに来た。


 リヴァは自分で着ようとして、帯の段階で止まっていた。


「貸せ」


 カイがリヴァの後ろに回った。


 帯を取った。一度ほどいて、巻き直した。手際がよかった。帯の形が整っていく。


「動くな」


 カイが言った。


「カイ、なんでできるの」


「弟も妹もいた」


 帯が、後ろで結ばれた。カイの指が、最後に形を整えた。


 リヴァが、鏡を見た。


「……苦しい」


「緩めるか」カイが言った。


「多分…大丈夫」


 鏡越しにリヴァを見て、カイの表情が緩んだ。




 会場に着いた頃には、日が暮れていた。晴れた。


 人が多かった。とにかく多かった。


「リヴァ、大丈夫?人酔いしない?」オラヴルが後ろから言った。白シャツにスラックスだった。


「オラヴルが一番具合悪そう」フィンが笑った。


「だからVIP取るかって聞いたんだが」


 ヴィクトルが言った。いつものボルドーのシャツだった。


「雰囲気味わいたかったから」リヴァが言った。


 川沿いの道が、人波で埋まっていた。屋台の灯りが、両側に続いていた。ソースの匂いがした。


 八人で歩いていた。リヴァを内側にした隊形になっていた。前にカイ。後ろにカラム。横にフィンとユキナガ。少し離れてアルノとヴィクトルとオラヴル。


「アルノも、浴衣着れば良かったじゃんか」ユキナガが言った。


「似合わないので」


 アルノが言った。いつものシャツを肘まで折っていた。ネクタイまでしていた。


 リヴァが屋台を見つけた。


 りんご飴の屋台だった。赤い飴が、灯りを反射していた。


 リヴァの足が止まった。


「……あれ、何」リヴァが指をさしてユキナガに向いた。


「りんご飴」ユキナガが言った。「食う?」


「食べたい」


 ユキナガが買ってきて、リヴァが受け取った。赤い飴を、灯りにかざして見ていた。


 その時だった。


 近くにいた若い男が二人、リヴァを見ていた。


「ねえ、一人?」声をかけてきた。「俺らと——」


 言い終わらなかった。


 カイがリヴァの前に半歩出た。


 アルノが二人の間に割り込んだ。「連れなので」


 後ろからカラムが、静かに出た。


 見下ろしていた。


「……あ、すいません」


 逃げるように、消えていった。


 それを後ろから見ていたヴィクトルが、笑った。


「包囲だな、本当に」


 リヴァはりんご飴をなめていた。


「あまい」


「聞いてた?」ユキナガが言った。「今危うく身長差だけで倒すとこだったよ、民間人」


「ガラスみたい。りんご飴」


 ユキナガが息を吐いた。


 浴衣の子供が、金魚の袋を振り回しながら走っていった。


 リヴァが、それを見ていた。




 少し歩くと、別の屋台があった。


 水の上に、ゴム風船が浮いていた。色とりどりだった。


 リヴァが止まった。


「ヨーヨー釣りだって」フィンが言った。


「やる」


 こよりを受け取った。水面に垂らした。赤い風船のゴムに、輪を引っ掛けた。


 ゆっくり持ち上げた。


 切れなかった。


 赤い水風船が、釣り上がった。


 屋台のおやじが、口の結び目に指を引っ掛けて手渡した。


 リヴァが受け取った。ゴムの輪を指にかけて、揺らした。水の中で、光が動いた。


「変なの」


「変だね」フィンが言った。


 しばらく歩いた。しばらく遊んでいた。


 それから、カイに差し出した。


「はい」


 カイが受け取った。受け取ってから、リヴァを見た。


「……」


 カイは指に、赤い水風船を提げたまま歩いた。




 次の屋台は、射的だった。


 棚には駄菓子や景品が積まれ、その前にコルク銃が並んでいた。


 カイが一本取ると、フィンも隣から銃を取った。


「やる」


 フィンはそのまま構えて撃ったが、外れた。続けてもう一発撃って、それも外す。


「メンテ悪い」


 カイが構え、引き金を引いた。棚の駄菓子が後ろへ落ちた。


 カイはフィンを見た。


「言い訳するな」


「すごい」リヴァが言った。


 カイの口角が少し上がった。


 リヴァの視線は別のところへ向いていた。


 棚の一番上に、茶色いくまのぬいぐるみが置いてあった。他の景品より大きく、高い位置に飾られている。


 リヴァはくまを見ていた。


「やる?」


 フィンが差し出した銃を、リヴァが受け取った。


「わかってますね」


 アルノに言われ、リヴァは頷いた。


 銃を構える。さっきまでとは顔つきが変わっていた。真剣に、くまへ狙いを定める。


 撃った。


 外れた。


 もう一発も外れた。


「難しい」


 リヴァは真顔で言った。


「構え方ガチすぎる」ユキナガが笑った。


 残りは一発。


 リヴァはもう一度、くまを見た。向こうも自分を見ているような気がした。


 欲しかった。


 奥からその様子を見ていたカラムが、目を細めた。



「……」


 リヴァは引き金に、指をかけた。


 カイが何か言おうと、口を開きかけた。


 リヴァは息を吸って、吐くときに止めた。


 撃った。


 コルクが、まっすぐ飛んだ。


 屋台のコルクがまっすぐ飛ぶはずは、なかった。


 くまの、額に当たった。


 大きなぬいぐるみが、棚の一番上から、ゆっくり傾いた。


 落ちた。


「この馬鹿」アルノが言った。リヴァから屋台の銃を取り上げた。


 その場が、固まった。


 フィンの笑いが消えた。カイがリヴァに一歩寄った。


 リヴァが、アルノを見た。


「……後でしっかり話しますからね」


「………」リヴァはアルノから目線を逸らした。


 リヴァが、くまを受け取った。


 両手で抱えた。大きかった。顔が隠れた。


 リヴァが、くまをカイに渡した。


 カイがくまを片腕に抱えた。もう片方の手には、赤い水風船が提がっていた。




 その時、最初の一発が、上がった。


 大きな音だった。


 空が、白く光った。


 音に反応して、リヴァの呼吸が、半拍遅れた。


 足が止まった。心臓が跳ねた。


 カイが半歩前に出ていた。手が腰のあたりに行きかけた。


 カラムが夜空を見た。視線が一瞬だけ遠くなった。そのまま一周、周囲を見た。


 ヴィクトルが、周囲の人の密度に視線を上げた。


 それぞれが、一歩前に出ていた。


 リヴァが息を吐いた。


「……大丈夫」


 二発目が上がった。


 今度は遅れなかった。


 空を見上げた。


 大きな光が、開いて落ちていった。


「……でかい」


 リヴァが言った。


「そこ?」フィンが笑った。




「写真」ユキナガが言った。


 端末を出した。


 全員が、横を向いた。


「……ごめんごめん」


 ユキナガが端末をしまった。


「まあ」ヴィクトルが言った。「バーテンのおかげで俺らも歩けてる」


「ライブ配信、監視に回してて危険なのは止めてるから…」


「完全ではありません」アルノが言った。


「大丈夫大丈夫、主要なのは潰せる」ユキナガが言った。


 その時、屋台の方から女子高生五人がカラムを指さした。


「え、見てみてやば。モデル?」


「外人さんだ」


「え、顔見てえぐ」


 スマホを向けた。


 アルノが背中を割り込ませてカメラを塞いだ。


 咄嗟に、カラムの腰に手を当てて人混みに流した。


 当てた手の下から小さな金属音がした。


「……もう少し静かに携行してください」


「……」


「あと、縮んでください」


「…それは無理」


 アルノが、カイに向いた。


「カイ、あなたの仕事でしょう。こういうのは」


「うん」カイが返事した。


 カラムの方に近づいて、人混みの内側に回した。


 カラムが押された先にオラヴルがいた。その隣にカイが来た。


 また屋台の方から若いカップルの声がした。


「は?なんかコスプレ?」


「なにあれでっか。バスケ選手?」


「MBA来てんじゃね」


 またカメラを向けられた。


「歩け」カイがカラムに言った。





 花火が終わった。


 人が引き始めた。


 帰りの人波は、来た時よりひどかった。全員が一斉に駅へ向かっていた。道が人で詰まっていた。


 その中でふと、リヴァが見えなくなった。


「……リヴァは」カイが言った。声が低くなっていた。


「さっきまで右にいた、けど…」フィンが言った。すでに人混みの上に視線を走らせていた。


「端末」アルノが言った。


「拾ってる」ユキナガがもう端末を操作していた。指が速かった。「……南、川寄り。いや、人多すぎて定かじゃない」


 カイが、人混みをかき分けて動き出していた。体で道を作っていた。


 フィンが屋台の方に見に行った。


 カラムは無言で人波の隙間を縫っていた。周囲の人間がぎょっとしていた。


 アルノが、全体の動線を頭の中で引いていた。「カイは正面の観客席、カラムは南の屋台の方に行っています。ユキナガは座標を流し続けてください」


「なんか買ってるんだろ。そのうち戻ってくる」ヴィクトルが言った。


 オラヴルが、人波の上を見ていた。視線が、ゆっくり動いていた。


 数十秒だった。


 カラムが最初に着いた。


 止まった。


 リヴァはしゃがんでいた。


 金魚すくいの屋台の前だった。


 ポイを片手に水槽を覗き込んでいた。真剣だった。赤い金魚を、追っていた。


 カラムが見下ろしていた。


「いた」


 リヴァが顔を上げた。


「あ」


 ポイがやぶれた。


「金魚」


 中で白と黒の金魚が二匹、泳いでいた。


 ちょうど全員が着いた。


 全員が黙った。


 オラヴルが、しゃがんでいるリヴァに近づいた。膝をついた。リヴァの顔に手を当てて、顔色を見た。呼吸を見た。


 オラヴルの肩が、落ちた。


「…それどうするんですか」アルノが言った。


「飼う」


 アルノが、自分の眉間をつまんで下を向いた。


 フィンが笑った。ユキナガが笑った。


 カラムは、笑っているリヴァを見ていた。


「……誰の仕事になるのかな、それ」オラヴルが言った。




 帰り道、人の流れに押され、リヴァがまた見えなくなりかけた。


 今度はすぐだった。


 カイがリヴァの腰に腕を回した。そのまま持ち上げた。


 人混みの上に、リヴァの視界が出た。


「おお」


 リヴァが目を丸くした。


「目立ちます馬鹿」


 アルノが言った。


 カイがリヴァを下ろした。


 下ろしたが、腰の手は離さなかった。人波が落ち着くまで、引き寄せたままだった。


 しばらく歩いて、リヴァの足が止まった。


 下を向いた。慣れない鼻緒が、足の指の間に食い込んでいた。歩き方がおかしくなっていた。


「足、痛むかい」後ろからオラヴルが言った。


「……ちょっと」


「車、停めてある」


 オラヴルが言った。駐車場の方を指した。


 ユキナガが、振り返った。


「え」


「車?」フィンが言った。「いつの間に置いてあったの」


 ヴィクトルが、声を出さずに笑った。


「俺たちはタクシーでいい」ヴィクトルが言った。「向こうに待たせてる」


「早くいきましょう。このまま居たら渋滞で帰れません。洒落にならない」アルノが言った。


 カイたちが、黙った。


 リヴァを見て、止まっていた。


「狭いけど」オラヴルが言った。「……あと三人乗れるよ」


 オラヴルがアルノを見た。


「アルノ、乗りな」


「俺もボルボ乗る」ユキナガが即答した。「V90広いだろ」


 カイもそっちに進んだ。


 リヴァがオラヴルを見た。


「なんでアルノ?」


 オラヴルが、にこやかに言った。


「お説教、あるでしょ」


 リヴァが固まった。


 オラヴルのボルボが停まっていた。リヴァが助手席に乗った。後部座席に、カイとアルノとユキナガが詰め込まれた。


「よくこんな都心にでっけー車回したな」ユキナガが言った。


「道が狭くて大変だったよ」オラヴルが言った。


 ユキナガが、真ん中だった。


「やっぱカイいると狭い…」ユキナガが言った。「くまどけて…暑い…」


「黙ってろ」カイが言った。くまとヨーヨーをユキナガに押し付けた。


「こっちに傾かないでください、ユキナガ」アルノが端末を触りながら言った。


 オラヴルの車が、走り出した。


 残りは路地の方へ歩いていった。


 助手席でリヴァが、膝の上の金魚の袋を見ていた。


 黒い金魚と、白い金魚の2匹だった。

 

「リヴァ、楽しかったかい」オラヴルがハンドルを握りながら言った。


「うん」リヴァは言った。「また行きたい」


 金魚が街灯の光の中で、ゆっくり泳いでいた。

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