コキュートスの住人2
「……?君は親戚のエルガー・ハートじゃないか。この場に一体、何しに来たんだね?」
怪訝そうに尋ねるセシリアの父親に、襟を正したエルガーがニヤリと笑って一礼した。
「伯爵、ご無沙汰しております。……いえ、実はですね。今回の騒動から今日までこちらのアリア様とベルトラン子息を保護していたのが私でして。それに伴って、今回、提案があってこちらの婚約解消の話し合いに参加させてもらった訳ですよ」
「……ああ、そうなのか」
含みのある言い方だが、関心のないセシリアの父親は気の抜けた返事をしただけだった。
「伯爵に交渉させて頂きたいのです。――以前よりこちらのアリア様の話を知り合いの使用人から聞いていたのですが、どうもセシリア嬢の元で同居されている間、あまり良い待遇をされてはいなかったようでして……。いえ、食事が足りないとか虐待されているとかでないのですが、ドレスを着せてもらえなかったり、家庭教師をつけてもらえなかったり、侍女も付けてもらえなかったそうで」
「は……?」
「同じあなたのご息女なのに、アリア様が何とも気の毒に思えましてね……かねてから力になりたいと考えていたのですよ」
何の話だ?と隣の妻を見やるハート伯爵に、セシリアの母親は行儀悪く鼻を鳴らした。
「執事のブルックから報告を受けてますわ。居候の癖にセシリアに張り合ってワンピースでなくドレスを着たいと我が儘を言い、セシリアのドレスをコッソリ着たらサイズが合わずにドレスを破いて再起不能にしたのよね。宝石は盗むし、手癖が悪いのは誰に似たのかしらね?それから、家庭教師をつけようとして実力テストをしたら、6歳児よりお粗末な能力しか無くて家庭教師に教えるのは無理だと匙を投げられて。それに伯爵の子でもない平民の子に侍女なんて必要ないと思いません?だってアリアさんは伯爵家の令嬢ではありませんもの。ねえ、そう思いませんこと?旦那様」
妻から聞くアリアの所業に、セシリアの父親が唖然とする。
「いやいや、奥様のお話には誤解があります。それに、きちんと教育を受ければ違いますとも。アリア様もセシリア様と同じ伯爵のお子様じゃありませんか。そんな言われ方は可哀想だと思いませんか?……そこでですね、伯爵。セシリア様に遠慮してアリア様を認知されていなかった事情はお察しします。でも、伯爵の血を引くアリアお嬢様を少しでも不憫と思われるなら、この際、認知されませんか?義理の姉や母と一つ屋根の下で暮らすのは何かと問題になるでしょうし、私がご協力致しますよ。ハート本家のお子様は大切に扱わなければ――責任持って私がアリア様を引き取り、後見人となりましょう」
どうだ、と言わんばかりに胸を張るエルガーの熱のこもった言葉から彼の魂胆が透けて見え、セシリアの父親は頭痛がしてこめかみを押さえた。
かつてのハート伯爵の下町の愛人とその子供の溺愛ぶりを知るエルガーは、アリアを認知しないのはセシリアの母とセシリアが何かしら邪魔しているからだろう、と言っているのだ。
エルガーの目的は、セシリアに何かあった時に第二子へ移る相続権だろう。
ハート伯爵家の財産は一子のみに継承されるが、その一子が亡くなれば第二子へ移譲される。
セシリアが暴漢に襲われたと思ったエルガーが、別居し家庭崩壊しているセシリアの父親の代わりにアリアを保護して、セシリアが後継者としての務めを果たせなくなる場合は伯爵家の財産を管理してやろうと、堂々と言ってのけているのだった。
愛人の子可愛さに言う事を聞くと思われているあたり、相当舐められている。
「なに、ベルトラン子息はアリア様の婚約者として我が家が歓迎いたしますよ。ですから、ご心配なく。お二人共つつがなく暮らせるよう、私が責任を持ってお預かり致しますとも」
「――お父様、お久しぶりですわ。私、お姉様の所では落ち着いて暮らせませんでした……それは仕方無い事だと思うんです。仲良くしようとしても、どこかでやっぱりお互いギクシャクしてしまって……ですから、よくして下さるエルガー様の元へ行こうと思います。でも、私、お父様の子だと実感したいんです。私、お父様の子ですよね?だから、お願いします、私の存在を認めて下さい……!」
シモンにべったりと寄り添っていたアリアがエルガーのセリフに合わせた様に、急にしおらしく俯いて声を震わせた。
――何とも分かりやすい茶番だ。
プッ、と吹き出して、セシリアの母親が言う。
「私はアリアさんがエルガーさんの養子になっても構わなくてよ。シモンもどうぞ、お好きになさって頂戴。ねえ、旦那様」
あっさり許可を出したセシリアの母に、エルガーが目を輝かせた。
「……そんな……僕はまだそうしたいとは言ってないのに……」
焦り始めるシモンの腕を掴んで、アリアが勝ち誇った顔をする。
「シモン様、大丈夫よ!エルガーさんに任せて。全部上手くいくから……!」
なおも困惑しているシモンを強引に説き伏せ、アリアは上機嫌で辺りを見回した。
不快感を露わにしているミラやベルトラン伯爵の事は眼中に無いらしい。
自分の思い通りになりそうな流れに、アリアは喜びを隠せないでいる。
――――セシリアが寝込んでいる深刻な状況で、何を期待して浮かれているのだ?
義理とはいえ姉が危機的状態の時に、姉の婚約者と腕を組んで笑顔でいるアリアが信じられない。
人間として大切な物を失っているのではないのか――――セシリアの父親は、久しぶりに会う娘の異様さに鳥肌が立った。
「――――そんなことは出来ない。諦めろ」
断言したセシリアの父親のセリフに、アリアとエルガーがキョトンと意外そうな顔で瞬きする。
「……何故ですか?伯爵家の後継者に相応しいのは私だと、よく言っていたのはお父様ではないですか」
その話をしていたのは相当に幼い頃だ。
だがそれも、アリアに家庭教師をつけたのだが、能力が低すぎて次第に言わなくなった話だ。
領主はままごとではない。
親戚たちの横領を見て見ぬ振りした自分が言える事ではないのは承知だが、領民の命がかかってくるとなれば話は別だ。
領主教育も受けていないのに、何故、自分が後継者に相応しいと思えるのか?増々アリアの事が理解できず、怪物でも見る様な眼でセシリアの父親はアリアを見つめた。
「伯爵。セシリア様だけが後継者では万が一と言う事もございます。大切な方の忘れ形見なのですよ?アリア様は今は亡き方との愛の結晶ではありませんか」
妻がいる前でずけずけと無神経な事を口にするエルガーに、セシリアの父親はカッとなって怒鳴りつけた。
「……その口を閉じろ!出来んと言ったら出来んのだ、いい加減に諦めろ!」
激昂するセシリアの父親を、驚きの表情でアリアが見返す。
エルガーも予想外の抵抗にあって、困った様に半笑いで取り繕った。
「これは失礼。奥様がいらっしゃる所では遠慮すべきでしたか。しかしですね、アリア様は13年間も認知されずに悲しみを耐えておられて――――」
「お父様!どうして認知してくれないのですか⁈お母さんと一緒に仲良く暮らしていたあの頃を思い出して下さい……!あの時みたいに、大事な娘だと言って欲しいんです……!」
言い募るアリアの声から耳を塞ぎ、それを掻き消さんばかりの大声でセシリアの父親が叫ぶ。
「五月蠅い五月蠅い、何と言われようと認知などせん……!」
「お……お父様⁈」
「――は、伯爵、どうされたのですか?奥様やセシリア様に遠慮せずに認知できるいい機会でっ……」
セシリアの父親の手を握ろうと駆け寄って来たアリアから離れ、ソファから立ち上がるセシリアの父親の嫌悪感に満ちた形相にアリアが呆気に取られる。
その顔に、幼い頃からアリアを溺愛していた父親の面影は無かった。
なおも手を伸ばして言い募ろうとしたアリアの手が叩き落される。
「――――認知など出来ん!何故なら、お前は私の子ではないのだから……‼」




