第二十四話 厄介な立ち位置の人たち
体育祭の練習があった二日後、美音が学校を休んだ。
こっそり千風に聞いたところ深夜に出現した黒奴の対処で体力を消耗し、そこに寝不足が重なって欠席しただけとのこと。
なら何で千風は平気で登校してるのかと聞けば、戦闘時のポジションの違いでそこまで疲れていないからだとのこと。
「そ、それじゃあ、大きな怪我とかはしてないんですね……?」
「ブチカが私に隠してなければ、これが全てですよ」
「……関係ない話ですけど、チカちゃんのことブチカって呼んでるんですね……」
そしてその日の放課後、結芽は先生に資料を運んでほしいと言われてついて行った先の空き教室で、美音が休んだ理由について問い質されていた。
家を出る時間が違う都合で美音のことをちゃんと見てやれないと言っていたのだが、どうにも話を聞く限り美音はまだ先生に自分が魔法少女であることを隠しているようだ。
つまり黒奴に対する憎しみだけではなく、何やら複雑そうな家庭環境まで抱えているらしい。
流石にこの話の流れでそこまでは踏み込まないが。
「……そういえば、先生って協会とはどういう関係にあるんですか? お姉ちゃんについて知ってるなら、浅からぬ関係がありそうですけど」
「えっとぉ……あー……でも舞さんの妹なら……」
「いや言えないならそれでいいんですよ? どうしても聞きたいことってわけではありませんし、正直協会とは距離を置いておきたいところですし」
そう言って結芽は空き教室からさっさと立ち去ろうとするが、ドアを開けて外に出るという動作にはどうしても数秒のロスが生まれてしまう。
その隙に先生は、がっしりと結芽の手首を掴んでいた。
振り払うことは容易いが、教師という職業上あまり健康的な生活を送れていないと思われる先生の手はかなり弱弱しい。力づくでいけば折れてしまいそうなほどに。
結芽は苦虫を噛み潰したような顔で、仕方なく教室に残ることを選択した。
「せ、先生ね、実は協会の人なんですよ……!」
「はあ、それは何となく予想できてましたが」
「これ実は明かしたらダメなことなんですよね! 聞いた側の安全も保障されないやつです!」
「なんてことを明かしてくれたんですか」
よく見ると、先生の目の下には化粧で誤魔化しているが割と濃いめの隈があった。
学校を休むべきなのはこの人も同じなのではないだろうか。
「でも先生泡沫さんに取り入って弱みでも握るか信頼関係を築くかして、舞さんを日本に留めろなんて任務を請け負ってるんですよ!」
「なぜそれを今ここで私に明かすんです!?」
「何ででしたっけ! 色々考えてましたけど、こうしてみたら忘れちゃいました!」
「何なんですか貴女!?」
先生の話は要領を得ず、眠気と疲労で錯乱しているようにも見える。
ここで結芽は千風に話を聞いた時に、欠席を公欠扱いにするためには学校の方ではなく協会の方に連絡を入れてどうこうすると言っていたのを思い出す。
そして、この学校に通っている魔法少女の人数と務めている教師の人数を考えてみる。
教員全員が協会の息のかかった人間であるというのは考えにくいが、まさかこの先生以外に協会からは派遣されていないとでも言うのだろうか。
黒奴なんて年中現れるものなのだから、そりゃあ過労にもなる。
ダイマは割と離れた場所から通っている生徒もいるので、毎日のように欠席を公欠に帰る仕事を追加でさせられているとしたら。
「なんでしょう。もう何も言えませんねこれ……」
「あははっ、泡沫さんお肌綺麗ですねー! すべすべもちもちー! 先生もう三鉄目で、スキンケアとか気にしてる余裕ないですよー!」
「誰ですかこんなになるまで働かせたの」
最早立ってもいられないのか、結芽の方にもたれかかってくる先生。このまま床に転がしたらそのまま眠ってしまいそうなほどに衰弱している。
普段であれば舞以外にべたべたと触られるのは嫌がる結芽だが、先生が哀れ過ぎてやめてくださいの一言も出てこなかった。
「先生、疲れてるんですよ。保健室に行きましょう」
「髪もさらさらー……私のはごわごわー……周りの先生方からも、最近心配されてるんですよねー……」
「……ああもう! 面倒なんでさっさと寝てくださいっ!」
結芽のデコピンはほんの僅かにだが、確実に脳を揺らした。
既に疲労と眠気が限界だった先生にその衝撃を受け止め切れるはずもなく、意識はゆっくりと闇に落ちていく。
そんな中でも、うわ言のように呟いたのは仕事についてのことだった。
「うぅ、お仕事……まだ残って……」
「……後でお姉ちゃんに電話しておこうかな……」
舞と協会の間に貸し借りができてしまうかもしれなかったが、これは流石にそのままにしておけない。
大人というのは大変なのだなと思いながら、結芽は先生を保健室まで運んだ。
保健室に先生を置いたらそのまま帰ろうと思っていた結芽だが、保健室のソファに座っていた先輩になぜか呼び止められてしまった。
「先生は寝不足? 過労?」
「……見たところ、どっちもですよ」
「そう……貴女は確か、一年二組の生徒よね? ここのところ先生は忙しそうにしてたの?」
「……」
その先輩とは初対面だったが、見たことがないわけではなかった。
生徒会からの圧力が強まり、入学したての頃に舞に貰った資料をちゃんと見返したからこそ、その顔には覚えがあった。
「……はあ、そんなに警戒されると凹んじゃうわ。そんなに生徒会が信用できない?」
「文句なら貴女の上司に言ってくださいよ、生徒会副会長さん」
「ちゃんと予習してきてるのね。良いことよ」
生徒会副会長、定原 立規。あの会長の補佐を務めている、魔法少女だ。
書かれていても見るべきではないだろうと思いモチーフや専用魔法については詳しく調べていないが、チームの中でもナンバーツー的な立ち位置の実力者だと記されていたのは記憶していた。
不幸にも保健室の位置というのは他の教室から微妙に遠く、千風たちや鉄子からの救援は期待できなさそうな状況だ。
加えて、先生から呼び出された時点で伊呂波は下校してしまっている。
躊躇えばやられる。ならば、魔法を使われるよりも早くぶちのめすしかない。副会長の向かいの席に座るついでに、結芽はさりげなく机の上の鉛筆を一本くすねた。
ついでに結芽は退路も確認しておいた。ドアは閉めてしまったが、窓は開いている。そちらからなら校庭に出られる。
「……逃げないのね」
「背中を向けたくなかったので」
「……まず、一つ勘違いしてほしくないのだけど、多分貴女が貴女のお姉さんから知らされているほど、私たちは悪いチームじゃないのよ。……躊躇いなく眼球を狙いに来たわね」
「チッ……!」
ほぼノーモーションから放った鉛筆は、魔法で形成された不可視の壁によって阻まれる。
立ち上がりながら椅子をぶん投げてぶつけてみたり、椅子で視界が塞がれているうちに回収しておいた鉛筆を間髪入れずに放ってみたりもするが、魔法の前には無力だった。
副会長はお手本のような姿勢でソファに座ったまま、微動だにしていない。
といっても結芽の人間離れした挙動には流石に驚いたような素振りは見せたが、それ以上には何も動きを見せなかった。
動きがないからといって安心できるとは思えず、結芽は友人の姉に対してすることではないと思いながらも、先ほど副会長が先生のことをやたらと気にしていたのを思い出して人質のように首筋に残り一本となった鉛筆を突きつける。
「素晴らしい身体能力ね。鍛えてるのかしら」
「目的を言え」
「平和的にお話がしたいわ」
「……は?」
「先生にはゆっくり休んで欲しいもの。私たちのせいで負担をかけているのだから」
それには結芽も同意したいところだったが、こうしている理由が副会長にあることは理解してくれていないのだろうか。
しかし思えば、鉛筆や椅子を投げつけた時、副会長はわざわざ魔法のバリアで受け止めたものを音がしないようにそっと床に置いていた。
ひとまず鉛筆は危ないので鉛筆立てに投げ込んで、先生には静かに布団を被せた。
「本当に姉妹なのね。感情的になるとそっくりよ」
「……どこまで知ってるんです?」
「簡単なことだけよ。ざっくり言うと貴女があのリリィの妹で、協会やらワルプルギスやらに狙われる厄介な立ち位置の存在ってことくらいかしら」
以前の鉄子との一件を知っていれば身体能力が高いことも把握しているはずだが、先ほどの動きについては本気でドン引いている様子。
伊呂波のように知っていてもドン引きだっただけか、それとも紬義から少し聞いていただけだったからこうなのか。
考えても分からない。逃げようにも背中を向けるのは危険。そもそも相対している時点で手遅れのように思えたが、ひとまず話くらいは聞いてやろうと、結芽は椅子を拾い直して副会長の斜め前に座った。
「正木 紬義にしつこく勧誘するように唆した理由は?」
「あの子には申し訳ないことをしたと思っているわ」
「貴女が欠片も罪悪感を抱いていないことはどうだっていいんですけど」
「あら、失礼ね。まるで私の人間性が死んでるみたいじゃない」
「そこはどうでもいいと言ったんです」
結芽は今更になって気づいたが、普段は常駐しているはずの養護教諭が今はいなかった。いないならそれはそれで保健室のドアに何かかけているはずなのに、記憶が正しければそれもなかった。
そこで同時に思い起こされるのは、副会長の言っていた自分たちのせいで負担をかけているという言葉。
結芽は不機嫌そうな様子を隠すこともなく、片足を組んで頬杖をついた。
「そう怒らないでよ。カルシウム不足かしら?」
「私がお姉ちゃんのご飯で栄養バランスを気にしていないとでも??」
「これでも怒るのね……」
頭の回転が速い方というわけではない結芽だが、こうも露骨に仕組まれていれば、流石に理解できる。
この女はわざわざここでこうして話すために先生に負担をかけ、その上で妹のことで結芽に相談してくるタイミングを待ったのだ。
相手が魔法少女でさえなければ、ここが保健室であることも構わずに躊躇いなく拳を顔面に叩きつけていただろう。
既に椅子やら鉛筆やらを投げつけた後だったが。
「答えないならもう結構です。私に固執する理由を教えてください」
「それは、貴女が一番分かってることじゃないの?」
「私が求めたのは回答なんですけど」
そもそも結芽には、姉が狙われる理由がよく分かっていない。
最強の魔法少女がいることの何が悪いというのか。リリィが毎日朝から晩まで戦っているからこそ、今でも日本は九年前とそこまで変わらない日常を送れているというのに。
リリィがいなければ日本どころか世界が滅んでいてもおかしくないと、結芽は誇張も家族補正も無く考えていた。
事実、ダイヤモンドやローズといったリリィと肩を並べる魔法少女がいたところでどうにもならなかった事態は、過去にいくつも存在している。
結芽に手出しするということは、結局自分と世界の寿命を縮めるだけだというのに、副会長はこうして接触してきた。意味が分からない。
「……魔法少女も一枚岩じゃないってことよ」
「それは理解してるつもりです」
「当事者じゃなければ、それは所詮つもりでしかないのよ」
「……貴方たちはお姉ちゃんをどうしたいんですか。世界をどうしたいんですか」
副会長は答えずに、いつの間にか取り出していた定規で器用にペン回しならぬ定規回しをしていた。
黒奴との戦いは、九年間続いている。九年だ。リリィも含めた数々の魔法少女が戦い続けて、既に九年が経過した。
そしてその戦いに、終わりは見えていない。
黒奴の正体でさえ、誰も知らない。
だが副会長の様子は、全てに絶望してヤケになったと言うには少し違うし、世界を滅ぼしてやろうという悪役のようにも見えない。
「……私も魔法少女なら、何か分かったんですかね」
「……良いものじゃないわよ。魔法少女なんて」
「それとも何ですか。これまでの話全部、同情させて油断させるためだったとかですか」
「終始その調子ね……悪いこととは思わないけれど」
ここでようやく、副会長はソファから立ち上がった。
結局目的は分からないままだったが、生徒会にも何か事情があって結芽を狙っているようなことは分かった。
つまり、特に進展はないということである。
一応正木が生徒会に利用されていそうな感じのことは分かったが、それだってはっきりしないことだ。
「じゃあね。次に会うのは、多分体育祭の日になるかしら」
「二度と会いたくないんで、当日休んでもらえません?」
「あらあら、随分と嫌われたものね……」
そう言って、副会長は保健室から立ち去った。去り際に、思い出したように布で隠されていた養護教諭退出中の看板を廊下に出しながら。
「……無事かい?」
「無事だよ。何事もない。多分。……というか、帰ってなかったんだ、伊呂波」
「もちろん。君の護衛を命じられているからね。……このザマだけど」
そして足音も聞こえないくらいに副会長が離れると、開いていた窓からひょっこりと伊呂波が顔を出した。
制服ではないなと思えば、それは魔法少女としてのコスチュームのようだった。まさかの臨戦態勢。
冷静に考えれば確かに大分危険な状態だったなと思いながら、それでもどこか他人事のように、結芽は今すぐにでも後を追って斬りに行きかねない伊呂波を抑える。
「私には何事もなかったんだから、それでいいんじゃないの?」
「魔法を甘く見てはいけないよ、結芽。認識阻害というのは便利なものでね、実力差次第では発動したかどうかも誤魔化せてしまうんだ。……そして私と彼女では、悔しいが彼女の方が強い」
「何かあったらお姉ちゃんが気づくと思うし、多分大丈夫だよ。今はそう信じよう?」
「……ここで斬ってしまうのが一番早いと思うのだけどね」
結芽が帰ると言うなら護衛としてそれを放っておくわけにもいかず、伊呂波は結局副会長の排除を諦めた。
帰り道、ふと結芽はまさか休日まで見張っていたりしないだろうかと思ったが、まさかねとすぐにその思考は忘れてしまった。




