第十六話 時には感情任せに
ゴールデンウィーク初日から遊びに出かけた結芽だったが、その後は遊べる友人がおらず、家で課題を進めたり本を読んだりして過ごしていた。
そして最終日。
待ちに待った舞とのお出掛けの日になった。
「ハンカチは持った? ティッシュは忘れてない?」
「お姉ちゃんに対する信頼というものがないのかな結芽ちゃん!?」
「そう言ってお財布忘れて一日中散歩した時のこと忘れてないよ。あれはあれで楽しかったけど」
他に特にすることもなかったので、結芽の方は学校の課題をとっくに終えている。
舞の方も魔法少女のあれこれが忙しかったが、今日の分は同じチームの仲間に任せたとのことなので、出先で黒奴が現れたり何か事件が起こったりしない限りは何の心配もないだろう。
「結芽ちゃんの方こそ、防犯ブザーは忘れてないよね?」
「もちろん。お姉ちゃんに貰ったものを失くしたり忘れたり壊したりなんて、するわけがないよ」
「あ、うん。そっか」
鉄子のことや、ゴールデンウィーク初日のことについては、ここ二日間ずっと考えていた。
といっても、いつの間にか消えていたIineの連絡先を見て余計にどうすべきか分からなくなっていたが、今日くらいは忘れてもいいだろうかと結芽は思っていた。
出かける先はついこの前鈴乃と桔梗と一緒に行った新都心。
舞がリリィとして協会に提出しておかないといけないものがあるらしく、それを出しに行くついでに遊ぼうという話で昨日まとまったのだ。
ちなみに旧都心というのは、最初に黒奴が現れた裂け目が今も残っている瓦礫と廃墟の街となった東京の東部エリアのことである。
新都心はそこから大企業や行政が逃げ移った東京の西部エリアの山々を切り崩して強引に作った平野に位置する都市だ。
海までやや距離があるので若干の不便はあるものの、黒奴の影響で海外との交流は半ば途絶えているのであまり問題はなかった。
人々の暮らしにも、それほど大々的な変化はなかった。
「じゃ、行こっか!」
「……流石にこの年にもなってお姉ちゃんと手繋いで歩くのは恥ずかしいよ?」
「えっ、去年までは喜んで握ってくれたのに!?」
「嫌なんじゃくて、恥ずかしいってだけ。それに協会に行くなら、どうせ一度別れるでしょ」
特に何事もなく新都心に到着し、結芽は協会の建物が見える位置で携帯を弄って時間を潰していた。
協会の建物に入るには色々厳しいセキュリティを魔法で突破する必要があり、まずそもそも結芽には入れないのだ。
それに魔法少女同士でも身バレしないよう舞が常に細心の注意を払っているのに、妹が同伴してしまったら何の意味もない。
あくまで何のソースもない都市伝説の話だが、不法侵入しようとしたバカは魔法で記憶を消されて脳みそだけになって家に宅配されるらしい。
魔法という力が完全に超常の現象なので、そういう話はいくらでも存在するのだ。
新都心のシステムは魔法少女が管理しているだとか、政府は既に協会の傀儡だとか、三権は分立しててもそれを管理する絶対者がリリィだとか、そういう話が。
「……あら」
「……あ、こんにちは」
そんなものがあるわけがないだろうという思いで楽しみながら、そういった都市伝説をまとめたサイトを眺めていると、突っ立っている結芽の前で誰かが立ち止まる。
何かの邪魔になっていただろうかと視線を上げてみると、そこに立っていたのは以前和菓子屋で出会った金髪の少女だった。
「お久しぶりですね」
「ええ。世間というのは意外と狭いものですね」
前に会ってからほんの二週間。本当に世間というのは狭いものだ。
とはいえまた偶然会ったという以外には特にこれといったこともなく、そのまま気まずい沈黙がしばし続く。
何か話したものかと口元をもぞもぞとさせる少女に対して、結芽の方は少女の容姿をじっと観察していた。
明らかに日本人らしい顔立ち。にもかかわらず眉毛やまつ毛まで金色。それでいてどこにも違和感はなく、完全に調和しているように見える。
別に魔法少女なら皆が皆髪色がおかしくなるわけではないが、違和感をどこにも感じないという所が肝な気がした。
変身すると認識阻害がデフォでかかるのだ。長年魔法少女をしているうちに、普段もわずかに滲み出てしまうようになっていてもおかしくない。
「……あの、今日は誰かと待ち合わせているんですか?」
「あ、はい。待ち合わせというか、お姉ちゃんが今ちょっと用事があるとかで外してまして。そろそろ戻ってくると思いますけど」
「え゛っ」
無遠慮に少女のことを観察していた結芽に対し、特に何も気にした様子がないといか気づいてすらないような様子の少女は、じっと突っ立っている結芽に誰かを待っているのかと訊ねる。
しかし聞いておきながら、そろそろ待っている姉が来ると言った途端に様子がおかしくなる。
それはまるで、舞を恐れているような様子だった。
結芽はそれを見て、そういえば以前テレビの企画か何かで戦闘後の魔法少女を捕まえてインタビューしてリリィについて聞くというのがあったのを思い出す。
その企画の途中で、ワルプルギス寄りのチームに所属する魔法少女がそのインタビューに答える時、ちょうどこんな顔をしていた。
「そ、そうでしたか。なら、私はこの辺りで失礼させてもらって……」
「あれ、結芽ちゃんその人知り合い?」
「あっ」
そしてその時、少女にとっては不幸なことにちょうど舞が戻ってきた。
どういうわけか協会の建物がある方とは反対の方から。そういう話は聞いたことがないが、建物の地下がどこかに繋がっていたりするのだろうか。
戻ってきた舞は、少女と目が合った途端にいつも浮かべている微笑みが消え去り、睨んでいるわけではないものの明らかに友好的ではない視線を向けていた。
そんな視線を向けられた方の少女も、ここで会いたくはなかったというような目で舞を見ている。
状況を呑みこめない結芽は、昔の知り合いだったのだろうかと呑気に考えていた。
「……えっと、お姉ちゃん、この人知り合いなの?」
「質問を質問で返しちゃうけど結芽ちゃん、そいつとはどこで会ったの?」
「この前お団子買いに行った和菓子屋」
「……そう」
少女は何も喋らずに、じっと結芽と舞のやり取りを観察している。
「そいつに何もされてない? 変なことでも、普通のことでも何でも」
「いや、むしろ私の方から絡みに行ったくらいなんだけど……大学の知り合い? 昔馴染?」
「……強いて言うなら、昔馴染が当てはまるかな」
「……」
舞の昔馴染。やはり魔法少女関係だろうか。
それでいて明らかに友好的ではないので、敵対するチームなのだろう。
舞の口からワルプルギスが嫌いだとかどの魔法少女が嫌いだとかという話は聞いたことがなかったが、舞だって人間だ。好き嫌いくらい存在して当然だろう。
結局全て推測に過ぎず、証拠になるようなものはどこにもないのだが。
「……信じるかどうかは貴女の勝手だけど、これまでのは単なる偶然だから、変に深読みしないでよね。……それじゃ」
少女は舞の言葉を肯定も否定もせず、結芽に一言別れを告げると去って行った。
その背中をじっと見つめる舞の目は、以前知り合いに見ていたアニメのネタバレをされた時のような目だった。
結局、あの少女について舞から説明をもらうことはできなかった。
どうやら話題にすら挙げたくない様子で、結芽が問い質せないものかと視線を向ける度に近くの店を指さして話題を逸らす始末だった。
二、三回ほどそんなことを繰り返していれば、少し気になるが無理に話させるべきではないと理解し、問い質すのは諦めた。
「今年はどう? 夏、余裕持てそう?」
「え、えっとね……その……」
「……今年も厳しいみたいだね」
とりあえず今は、新都心に来た当初の目的である夏に備えた服の購入を優先しようと、適当なデパートの中の衣料品店に来ていた。
服は買ったので水着のコーナーまで来たのだが、舞の手がハンガーに伸びては引っ込められてを繰り返しているのを見て、結芽は察した。
最強の魔法少女は忙しい。
特に夏場は旅行に行く人が多いので、そこで黒奴が現れると被害が大きくなってしまうのだ。
観光地の警備は深夜まで欠かすことができず、最強の魔法少女に呑気に旅行を楽しんでもらう余裕もないというわけだ。
「私は大体暇だからなぁ」
「……ご、ごめんね……?」
「謝ったところで、黒奴は止まらないし協会の方針も変わらないでしょ」
生き残る人間は一人でも多く、犠牲になる人間は一人でも少なく。
そのためなら何だっていい。それが協会の方針だ。
少数の犠牲を厭わないこの方針は、魔法少女は多少過労気味でも休みなんてないし、魔法少女の家族にも多少の負担がかかっても気にしないということである。
舞は一人でもその気になれば国を滅ぼせるので、そうならないようにと協会も多少の融通を利かせているが、夏休みなんてものが貰えるとは結芽は最初から思っていなかった。
例えこれまでは、毎年家族旅行に行っていたとしても。
「……水着は要らないかな。どうせ去年のやつとか、学校のやつとかあるし」
「ちょっと待っててね! 今から協会の方に電話しておくから!」
「それはやめて」
手にしていた水着を棚に戻すと、舞はどこかに電話をかけようとするので、すぐに止めた。
仮に協会が舞に自由をいくらか与えたところで、そうすれば今度は人が大勢死ぬだけだ。
そんなことは、結芽にも舞にも許容できない。
そもそもリリィの代わりは、例え飛華里の変身する魔法少女ダイヤモンドでも務まらないのだ。
たった一人が魔法少女全体の戦力の過半を占めている現状は、とてもではないが良いとはいえない。
しかしこの状態で既に九年が経過してしまった。
九年間、戦力の過半を舞が占めたまま日本はある程度の平穏を維持し続けてきてしまったのだ。
九年間、黒奴について何も分からないままでも。
魔法についても、魔力についても、何も解明できないままでも。
「私が少し我慢すれば、人類が少し助かるんでしょ?」
「……」
結芽の言葉に、舞は何も言い返せなかった。
たった一人二人が人類の命運を握っているようでアレな表現ではあったが、事実としてリリィが出なければ確実に全滅していた黒奴というのは山ほどいた。
結芽がもっと我儘であれば、果たしてどれほどの数の人が死んでいたか分からない。
申し訳なさそうな顔でじっとしている舞の横で、結芽は何でもないような顔をして棚を見渡すが、そんな顔をさせるつもりはなかったのにと後悔していた。
半端に知恵を持ち、どうにもならないことは理解しているのに、いつもこう余計なことばかり考えてしまうのだと。
「……と、とりあえず、そろそろご飯にする?」
せっかくゴールデンウィークに取れた休日をこんなことで浪費してしまうのは嫌なので、結芽はそう提案してみるが、舞は黙って俯いているだけ。
やらかしたなと理解し、わたわたと舞の機嫌を直そうと話題を変えたりとっておきの一発芸を披露してみせたりしたものの、舞は黙って懐から何かを取り出すだけだ。
「……結芽ちゃん」
取り出したのは、百合の花の髪飾りのようなもの。
魔法少女リリィの、モチーフだ。
「黒奴が出る。下がってて」
服屋の真ん中あたりの空間に、亀裂が走った。
「少しは……少しは空気を読めえええぇぇぇえええ!!」
そして、舞の堪忍袋の緒が切れた。
ストレス発散とばかりに、黒奴は出現して二秒で消し炭になった。
結芽の目には辛うじて何が起きたか分かったのだが、アレは確かに最強の魔法少女だ。
黒奴の程度が低かったのもあるかもしれないが、出現後に動かれるよりも早く手のひらから放たれた光弾で消し飛ばされた。
しかも、着弾と同時に光の壁を黒奴の周囲に展開することで店内に一切被害を出さなかったのだ。
よく見れば少し離れた場所の空間も揺らいでおり、保険もかけていたものと思われる。
遅れて到着した魔法少女や協会への説明や報告を適当に済ませると、人目も監視カメラもないことを確認した場所で舞は変身を解いた。
「……お昼ご飯にしよっか!」
そこはちょうど非常階段だったので、混乱に乗じてそのまま下に降りて外に出て、適当な店に入った。
注文を済ませてしばらくは会話が続いていたものの、すぐに沈黙が場を包み、気まずさだけが残ってしまった。
いつもならすぐに仲直りできているはずなのだが、食事が終わってもずっと時間だけが過ぎていく。
「……前に言ったっけ。危ないことに首を突っ込まないでとか、すぐに感情的になるなとかって……」
「三日前の朝と去年の八月に言ってたね」
「あ、うん」
しばらくして、舞がようやく口を開いた。
「そう言ってたお姉ちゃん自身、黒奴を見た時にはいっつも冷静じゃいられないんだ」
「……そりゃあ、人類の敵だし。お姉ちゃんの仲間も、友達も、たくさん……やられてきたんでしょ?」
「まあね。たくさん見てきた。ここ数年は出撃すれば死傷者はゼロ、戦えば全戦全勝でやってるけど、昔は負けないだけだったから」
どんな相手であっても負けないだけでも十分なように思えたが、問題なのはその負けないまでの過程なのだろう。
仲間の犠牲か、民間人の犠牲か、あるいはそのどちらもか。
最初期から戦い続けているということは、それだけ長く地獄を見てきたということ。
美音や千風も十分地獄を味わってきているが、舞の場合は濃さも密度も段違いだ。
「それはそれとして、だよ。私が言いたいのは、結芽ちゃんはもっと我儘でいいんだってこと。そりゃあ暴力はよくないけど、たまには感情的になっちゃっていいんだよ」
「…………」
「私がこんなことだから、結芽ちゃんにとっては我慢することも何かを切り捨てることも当たり前になっちゃってる。でも、それだけじゃ掴めないものも時にはあるの」
「言ってることがよく分からないんだけど」
かつての戦いのことについてはあまり掘り返したくない記憶ばかりなのか、すぐに話題を変えて先ほど黒奴が出現する直前までしていた話の方に戻った。
しかし我儘になっていいとは言うが、我儘になれば誰かに迷惑がかかってしまう。
その誰かには、身近な人が入るかもしれないし、知らない人が入るかもしれないし、それが少数か多数かも分からない。
「いつか言ってたよね。私に相応しい妹がどうとかって」
「お姉ちゃんに相応しい妹。……なれてない? どこが悪い? 何が足りない?」
「……結芽ちゃんは結芽ちゃんのままでいいんだよ。私を結芽ちゃんが縛り付けてるんじゃなくて、きっと私が結芽ちゃんを縛り付けてる」
やはり結芽には言っていることがよく分からなかったが、舞はそれ以上語らずに席を立った。
何でも協会に寄って報告書を書かないといけないとのことで、結芽は一人で家に帰ることになった。
 




