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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-f. -それが全能結晶の無能力者-
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f-9  逢うては離れず<前>

f-9 逢うては離れず<前>


 エレベーターはゆっくりと屋上に向かって進む。

 狭い空間に雪哉と逢離は二人きりだった。しかしお互いに声を出すこともなくただ黙っていた。

 そしてエレベーターが停止し、扉が開くがそこには何も無い広い世界が広がっていた。雪哉は開閉のスイッチを押したが反応が無い。

 どれだけスイッチを押しても動かない。

 雪哉と逢離は顔を合わせ、頷くと一斉に飛び出した。

 警戒しながらエレベーターを出たが、何かが襲い掛かってく来ることもなく拍子抜けだった。

「……どうなってる?」

 そこで初めて雪哉が言葉を発した。

 エレベーターのスイッチは確実に一番上を押していた。だが屋上に辿り着かず、途中で停止した。あからさまな罠にも見えたが、何一つそこには設置されていない。

「センパイ……」

 今度は逢離が口を開いた。

 照明の無い暗影の空間を前に逢離が先に進み、雪哉を制した。

 人影。

 それはゆっくりと雪哉と逢離に向かって近付いて来るのが解った。二人は更に警戒を強め、その影を凝視した。

 そして、その影が――二人の前に現れる。

「あ、逢離……」

「り、理愛?」

 その影の正体はなんと雪哉が奪還しようとしていた妹――理愛だった。

 疲弊しているのか腕を押さえたまま足元はおぼつかずフラフラとこちらへ向かって近付いて来る。

「助けて、たすけ……て、逢離……」

 ゆっくりと理愛は逢離の名前を呼びながら近付いて来る。そんな理愛を受け止めようと雪哉が一歩前に出たのだが、

「……何を、するの?」

 雪哉の手は理愛に届かなかった。

 逢離が雪哉の手を阻み、そして攻撃したのだ。刃と化したその腕を理愛に目掛けて振り下ろしていた。

 だが理愛はそんな逢離の攻撃を回避していた。あれだけ疲労困憊していたはずの理愛がまるで息を吹き返したように激しい動きを見せたのだ。

 突然のことに雪哉は何が起こったのか解らなかった。

 そして理愛は唐突に攻撃した逢離の行動を理解出来ず、ただ声を上げた。

「どうして? 逢離……わたしよ? 理愛よ……お願い助けて――」

「理愛なら当然助けるけど……あたしが助けに来たのはアナタじゃない……アナタは誰っすか?」

 逢離は理愛を睨みつけ、ギュっと手を握り締める。

 何ら変化の無いその手に今は禍々しい程の敵意が篭められている。逢離の身体は刃。刃と化して、敵を切り裂く力。そしてその力は理愛の小さな身体など数秒で細切れにすることが出来る。

『……上手くいかないモノだなぁ』

 理愛が喋る。しかしそれは理愛の声ではない別の声。

 だが逢離は驚かない。まるで最初から解っていたかのように、そして……、

「一つアドバイスをしてあげるよ贋物(うそつき)――理愛は間違い無くセンパイの名前を呼んだよ……絶対に、あたしは二の次だ。順序を間違える時点でアンタは理愛じゃない」

『ああ、そうだったねぇ……』

 逢離の言葉が引鉄になったのか、理愛の姿をした何かが笑った。雪哉はその表情を見てすぐに理解した。これは理愛ではない別の何か。贋物であるということを。

「あの異常性を……無視したのが失敗だったかぁー!」

 そしてグニャりと身体がまるで溶け落ちたとかと思えば、その中から現れたのはまさかの人物だった。

「お前は……」

「お久しぶり、かな? そうですよ……海浪密世(うみなみみつせ)と言うべきかな? 名前なんてどれでもどうでもいいんだけど――まぁ、君たちとはこの名前を名乗ってたわけだし、それでいいや」

 海浪密世(うみなみみつせ)

 それは雪哉の通う学校の――理愛と逢離の担任の教師だった。

 その正体はArkの一員であり、雪哉たちの敵であった。

 だが、逢離の異能覚醒。そして雪哉の一撃により撃破したはずだった。しかし蜜世はこうして目の前に立っている。

「ワタシ一人じゃ君たちには太刀打ちできないしねぇー、だからあの子(、、、)が動けるまでこうして待ってたわけ」

 そして蜜世の背後には蜜世の背丈の半分ほどしかない小さな少女が立っていた。両目には生気が灯っておらず、それはまるで人形。蜜世の横に立ったまま決して動かない。

「これでもまだ私の『毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)』は不調なんだよね……時任雪哉くん……君のその腕と、あの『(ツルギ)』のせいでね――」

 雪哉の腕は花晶(レムリア)を能力を完全に封殺する。だがそれだけが決定打ではなかった。

 剣――と、蜜世は言った。

 それは時任理愛が変異した、剣の形状をした物体。

 雪哉はそれを持ち、蜜世の花晶である毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)を切り裂いた。

 その一撃は花晶そのものを戦闘不能にし、確殺した。

 だが、剣の正体は未だ解らず。

 けれどもその剣は毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)を斃したはずだ。それなのにその花晶はこうして蜜世の側に立っている。

「これでもムリをしているんだよ? ほら、君を見て怯えている……またあのよくわからない剣で斬り殺されるんじゃないかってね」

 蜜世は馬鹿にしたように笑いながら、花晶の頭に手を置いてフラフラと左右に揺れている。気色の悪い道化。ここで決着を着けねば、この敵は何度でも雪哉の前に立ちはだかる。

「そこをどけ……逢離」

 それなのに雪哉の進行を妨げるのは逢離だった。

 相手は花晶を所持している。

 それに対抗できる唯一の武装――雪哉の左腕を模した結晶。

 だが、逢離は雪哉の言葉に首を横に振ったまま制止を続ける。

「センパイはなんでここに来たんっすか? こいつと戦う為っすか? そうじゃないでしょう……センパイがするべきことはただ一つ。それ以外は絶対させません!」

 強情にも逢離は雪哉を先へ行かせまいと背中で語る。

 ここに来た本当の意味。その理由、大切な妹を助けること。

 それ以外は要らない。他にするべきことなど何も無い。

「わかった……」

 だから雪哉は理解する。

 雪哉はそっと逢離から一歩離れる。

 この戦いは雪哉の戦いではない。

「いいよ、君は一番上まで行って、全てを知って、全てを奪われて、全てに絶望すればいい……行きなよ。そして終わって来なさいな」

 蜜世の言葉を耳にして、雪哉はフっと笑い声を漏らした。

「ああ、その言葉とは真逆の結末を描いて……全て終わらせて来るさ」

 雪哉はそのまま密世に世を向けて、エレベーターに乗り込んだ。

 ここから先は雪哉ではなく、逢離の戦いだ。雪哉は何も言わない――だが扉が閉まる瞬間、


「逢離、必ず帰って来い……未来で、理愛が待ってる」

「当然っす」


 そして扉が閉まる。

 逢離は孤立し、そして蜜世と対峙する。


「へぇ……やけにやる気じゃないか」

「まぁ、その……センパイの邪魔はさせたくないっすから」


 逢離は自分の五指を突き立てる。ただの手刀ならばいい……だが、それは文字通りの「手刀」である。

 手の形を保ったまま刀と化した凶器。その掌から起こるのは分断。鉄さえも切り裂くその刃は戦闘能力を持たない蜜世にとってはあまりにも脅威。けれど蜜世の表情はそんな恐怖に曇るどころか余裕さえ垣間見える。

「だしなよ」

 逢離の言葉に蜜世は何も言わずに頷いている。

「行ける?」

 蜜世の横でコクリと頷くのは小さな少女。しかしその少女はただの少女ではなく――

「藍園さん、ごめんなさいね……アナタの未来はここで死ぬってことだから」

「死にません。あたしは死なないし、勝つって決まってるんで」

 それから二人は何も言わず、沈黙が始まる。

 だが、少女の足元から黒煙が噴き出し、その煙は少女を包む。

 そして黒煙が晴れ、その中から姿を現したのは八本足の巨大な蜘蛛だった。

 蟲の王。

 少女は結晶であり、全ての蟲を統べる者。如何なる蟲へと変貌を繰り返す怪物。

「化物狩りは……あたしがやる」

 腕を大きく振りかぶり、逢離は地面を駆けた。

 蜜世は高みの見物か、そこから一歩も動かず巨大蜘蛛の背後で待機している。花晶と呼ばれる最高位の結晶体。その所持者である海浪蜜世。

 どれほど強力な能力が花晶に備わっていたとしてもそれを装備する人間がいなければただの結晶でしかない。

 逢離の勝利条件はただ一つ――海浪蜜世の撃破。

 だが、蜜世を守るように立ちはだかる毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)をまずは斃さなければいけない。

 素直なまま、正直に純粋に恐れを知らぬままに逢離は真っ直ぐ前進する。

「捕食しろ」

 蜜世の命令を聴いた巨大蜘蛛が顎を開き、白い糸を吐き出した。回避のしようが無い程の質量で逢離を緊縛しようと放出された粘着性の糸を前に逢離は停止することなく前進を続けた。

「舐めるな」

 逢離の目の前で二本の銀光が通り過ぎた。それは逢離が振り払った両腕の残光。今や逢離の両腕は二本の刀として存在している。粘着糸は無様にも逢離を縛ることなく二分され、裁たれた糸は地面に落下している。

 そして、

「こんのぉ!」

 止まる事すらせずに、逢離は巨大な蜘蛛に衝突した。細身の身体で巨体にぶつかったところで意味など無い――けれども、それは普通の人間であればの話だ。

 今や逢離は一本の刃と変化している。

 勢いを殺さずに素直なまま真正面からぶつかれば、巨体であろうともその身は刃に引き裂かれる。

 蜘蛛の身体は真ん中にかけて切り裂かれた。

 怪物は撃破した。もう蜜世を守る障害は無い――このまま蜜世を斃す。

 逢離は止まらない。腕を十字に構えたまま蜜世に向かって突進する。人の形をした刃の塊が蜜世に目掛けて突き進んでくる。

 ぶつかれば蜜世の身体は十字に分割される。逢離に躊躇は無かった。蜜世を分断することに何の苦悩も無い。何も感じず、思う事無く命を奪おうとしている。

「元無能力者(ヌーブ)とは思えない強さだ……種晶を上手く使いこなしているじゃないか」

「褒められても何も出ないっすよ!」

「出るさ……ワタシの毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)は何度でも、ね?」

 蜜世はやけに余裕なまま、逢離の接近を物ともせずに笑い続ける。

「後ろに気をつけたまえよ」

 逢離の攻撃を前に蜜世はまだ笑っていた。あまりにも妖しいその笑みに逢離は恐れた。自分が今まさに刃を受けるかもしれないというのに、そんな表情を繕うことが出来るその精神に。そして、

「ぐっ……!?」

 蜜世の言葉を信用したわけではない。いや、敵に信頼を寄せることなどない。けれど、振り向けば蟷螂の腕が逢離に目掛けて伸びていたのだ。

 すかさず逢離は自分の腕を大きく振って、蟷螂の刃を弾き返す。赤い火花が奔り、そのまま逢離の身体は跳ねる。

「不死身……っすか?」

「いや、そうじゃない。まぁ、それに近いけど……一回斃したぐらいじゃ、この子は死なない」

 二つに割れた蜘蛛の身体から今度は巨大な蟷螂が姿を見せる。

「でも、いい反応だねぇ……キミ、どう? ワタシの下で働かない?」

「何されるかわからんのに……そんなのイヤに決まってるっす」

「だよねー」

 お互いに軽口を叩いているが、状況はあまりにも殺伐としている。蟷螂の二本の腕が伸び、辺りを切り刻みながら逢離を襲う。

 逢離は蟷螂の刃を回避しつつ、躱し切れない攻撃は自分の両腕で弾き飛ばしながら走り続ける。

 鋼鉄と化した逢離の身体はそう簡単には両断できない。だが、逢離は人間なのだ。身体こそ種晶によって得た能力で異質ではあるが、体力そのものは常人とそう変わらない。少しずつ少しずつ消耗していくのが解る。

「マズい……っすね」

 息が荒くなっている。

 疲労によって動きが遅くなっていくのが解る。このままでは蜜世の思う壺だ。だが、敵は何度斃しても復活を繰り返す怪物。そんなものを斃すことが出来るのか――

 逢離は首を横に振った。

 弱気になってはいけない。弱音を吐いてはいけない。

 勝つと約束したのだから。

 帰ると約束したのだから。

 だから、こんなところで立ち止まれない。

「止まったら、ダメでしょうが!」

 逢離は立ち止まる。

 それは諦めではない。だが蜜世は遠く離れた場所から命令を下す。蟷螂は大きく両腕を振り上げ、逢離の脳天目掛けて巨大な刃を振り下ろす。

(こんなところで、あたしは……終われない!)

 回避はしない。

 逢離は手刀を放っていた。

 腕を鋭く突き出し、逢離は蟷螂の背後に立っていた。するとどうだろう……蟷螂の腹部が貫かれ、そのままゆっくりと床の上を転がった。

 振り向いた逢離は深く呼吸を繰り返しながら付着した黒い血を振り払う。二度続けて奇怪な魔物を撃退した逢離を前に蜜世は驚いたような表情を見せている。

「いやいや……確かにワタシの花晶は調子が悪いと言ったけれども、十分戦えるんだけどね。まさかこうも、いやぁ……ちょっと藍園さんのこと舐めてたよ」

「別にあたしの評価はどうでもいいっす……でも、もう終わりっすよ。ここでアタナを斃しますから」

 逢離の視線は蜜世に向けられ、その鋼鉄の刃の如き四肢が蜜世に向かっている。

「いや、だからさ」

 蜜世は手を前に出して逢離を制止する。

「本気を出すってセリフは……あまり使いたくないんだけどね。でも、藍園さん本気だし、本気でワタシを殺そうとしているから――だからワタシもワタシの命を懸けることにしたんだ」

 蜜世に戦う能力はない。

 見栄えでしかないあの自分の身体よりも大きな鎌も、逢離の前では役に立たない。自身の種晶の能力は姿形を変えるだけでしかなく、能力の正体が解っている以上、逢離にとっては何の脅威も無い。

 そして花晶を使い高みの見物を繰り返すだけでしかない蜜世の花晶はもう動かない。完全に蜜世は詰んでいるはずだ。

毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)――来い」

 蜜世の掛け声と共に、朽ち果てていた毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)がゆっくりと立ち上がり、蜜世の元に跳んだ。

「時任雪哉との戦いで、確かにこの子は瀕死だった。しかし死の淵へ寸前で堕落しなかったこの子は新しい力を手に入れてね……」

 そのまま毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)は先程のように黒い霧のように四散する。どんな怪物に変貌したところで逢離は恐れない。何度だって、幾度でも切り刻むと誓っている。

「まぁ、時任雪哉のお陰だろうね……ワタシも出来るんだ」

 黒い霧が瞬く間に蜜世を包み、そのまま姿が見えなくなった。

付加接続(エンチャント)――これでワタシも花晶と一体となった」

 逢離の表情が歪む。

 まるで黒い甲冑のように蜜世の身体は黒い霧に包まれている。だが腕や脚がしっかりと視認できる以上それは霧ではなく人である。

 蜜世は毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)付加接続(エンチャント)し、花晶の力を使うことを許された存在を成った。

「すごい、すごいね……力が溢れてくるようだ。なぁに付加接続(エンチャント)したのは初めてなんでね、どうすればいいのか解らない。ワタシを斃すチャンスはまだあるんじゃないかな?」

 それはまるで黒い甲冑を身に纏った騎士にさえ見てた。

 黒い霧が蜜世を覆うように――特に巨大な悪意を孕んだかのような塊が腕を模しているのは余りにも不気味すぎた。

「では、お返しをしようかな……この子が藍園さんに二回も斬られたことを根に持ってる」

 逢離は確かに蜘蛛、蟷螂を象った怪物を撃破したがそれでも死なぬ花晶をどう斃せばいいのか――

「行くよ」

 しかし、思考は前の脅威に傾けなければならない。

 蜜世の掛け声と共に、黒い影は一瞬で弾丸のように逢離に襲い掛かる。

(な、なに、これ……)

 逢離は両腕で黒い影を受け止めた。大きな衝撃が襲い掛かり、逢離の身体が後退している。足裏を擦り、なんとか止まったが目先には黒い霧が覆った蜜世が立っている。

「ジっとしてていいのかなぁ?」

 蜜世の巨大な左腕から赤い点が幾つも灯り――

(こ、これは……なんかヤバいッ!)

 黒い影の向こうから数え切れない赤い光が逢離の瞳に映ったその時には逢離の身体は動いていた。

 そのまま腕の中から赤い光が弾丸のように逢離に向かって放出される。

 逢離がいた場所が一瞬で蜂の巣にされ、逢離が走る方向に向けて蜜世が腕を掲げると再び赤い光が逢離に向けて放たれる。

 逢離は疾駆を続ける。

 赤い光が逢離の命を奪おうとしている。そして、光が逢離の額に迫っていた。

 金属音が響いた。

 赤い光が逢離の身体に触れた時には既に逢離の身体が真横に吹き飛んでいた。

「さっきから気になってたんだけど……藍園さんってホント人間? ワタシが言うのもなんだけど、十分人間じゃないよそれ」

 床の上で転がり、そのまま動かない逢離に向かって蜜世は皮肉めいた言葉を投げかけた。逢離はぐったりと動かなかった――だが、死んでいない。何せ逢離はただ転がっただけだ。何かにぶつかって、体勢を崩して転んだだけでしかない。

「いてて……でも、痛いんっすよこれ。ったく……鉄砲玉ぐらいなら全然大丈夫だと思ったけど、それなんっすか――虫?」

 逢離は額を抑えながらゆっくりと立ち上がった。額が丸く赤い痣が残った。

「そうだよ、(ムシ)だ。ワタシの一部。そしてこれは蜂」

 逢離の問い掛けに蜜世は答えた。

 蜜世の腕の周囲、数え切れない蟲の大群が飛び交っている。そう、あの腕の中から飛び出した赤い光の正体は蜂だった。

 赤く発光する蜂なんて――とは言わなかった。

 目の前に立ちはだかる敵は常識から逸脱した超越者であって、そんなものにこの世界の理も常識も通用しない。

「いい具合に化物っすね……」

「キミたちよりもずっと上に今、ワタシはいる。なるほどね、これが結晶の力かぁ……付加接続エンチャントとはこういうことなのか。ふぅん、まだよくわかってないし、とりあえず藍園さんには相手をしてもらおうかな」

 正直、相手はしたくなかった。

 もはや人ではない怪物のような――時任雪哉の妹である理愛と付加接続した姿とはまるで違う。

 黒い闇を覆い被さった人の形をした別物。

 蜜世を取り囲むように数え切れぬ赤く発光する黒い蜂が飛び交っている。

「命乞いでもしてみなよ? ワタシだって鬼畜じゃない……助けてあげるよ? キミが邪魔をしなければ、ワタシはここを離れるからさ」

 愚問すぎる。

 逢離は走り出した――無敵であろうとも不死身ではないと、逢離は思った。

 いや、不死身であろうとも逢離にとっては些細なことだ。

 何故か?

 あまりにも圧倒的で暴力的で絶望的な状況であっても、その敵が全てを統べた神如き強大さであっても、それが何であっても立ち向かうことを止めない男を知っているからだ。

「反抗的だねぇ……」

 逢離の行動を目にした蜜世はつまらなさそうに見つめては手を翳す。赤の光が撃ち出される……けれど逢離は避けようとせず止まることすらせず、赤い暴風に突撃する。

 血の如き光弾が逢離の身体に突き刺さる。

 しかし、逢離は止まらない。

 玉砕も覚悟しての行動か――赤い(やじり)が逢離の肩口や脇腹に突き刺さっている。銃弾すらも弾き返す刃の身体が呆気なく絶望に貫かれていく。

 それでも、それでも逢離は嘆くことをせず、表情を歪めて尚、前進している。

「死にたがりめ……」

 異常な逢離の行動に蜜世は後ろに一歩引いた。

 三発――他のものより三倍の質量の光弾が射出されている。

 それを――

「らああああああああぁッ!!」

 それを――逢離は切り裂いたのだ。

 逢離の両手の五指が赤を切り裂き、五指の先から線を描くように光の残滓が零れ落ちる。そして、逢離はついに、

「もら、った」

 逢離の腕が蜜世に届いた。

 力いっぱいに突き刺した右腕はまるでドリルのように蜜世の身体を刳り貫いた。

「なあっ――――――」

 蜜世は何が起こったのか解らないような表情をで……、そう、両目を開いて、口を開閉しては、もう何も言わなくなった。肉が裂ける音がする。血を噴き出しながら、床を鮮血が染める。

 そう、これで終わった――

「んてね」

「え?」

 逢離の決死の一撃によって肉塊へと変えられたはずの蜜世が突然、表情を変えたのだ。そして蜜世の呟きに逢離の身体が一瞬硬直した。それこそが終わりだった。

 ガブリ、と。

 何かに噛まれた。肉が裂ける音がする。穿ち、抉る音がする。

 噛まれたのはだない。喰らわれたのだ。

 ドロリと、まるで砂糖菓子が熱して溶けたように蜜世は身体が溶けて消えていた。それは確かに逢離が放った一撃を受けた蜜世だった。しかし、それはもう違う。別物だ。

 贋物(フェイク)だったのだ。変わり身と言ってもいい。

 逢離はまんまと騙された。

 そしてその大きすぎる硬直。隙。

 そこを蜜世に狙われた。

 蜜世の左腕が蟷螂の腕のように変化し、刃は逢離の左腹部を綺麗に貫通させている。

 身体を鋼鉄に変化させる余裕はなかった。だから、蜜世の一撃は逢離を貫いている。

「しかし、キミは本当に人間かい? まるで猛獣だよ。一瞬で、無意識で、危機を察知し、無感情のまま自動で回避行動をしている。即死でないのがその例さ――大きく後ろへ退けた。本当ならば心臓を喰い破っていたはずなのに、それなのにどうだい? ワタシとしては残念無念、殺せなかった。自分からもがき苦しむ手段を選んでしまって……可哀想。でもね――」

 蜜世の片腕が更に刃に変化する。

 もう片方の腕は逢離の腕を貫いたまま、そして蜜世は大きく腕を振り上げる。

「首を撥ねよう、よく頑張ったよ、よくやった、たかだかその程度の能力で挑んで来たことは認めてあげる。ありがとう、ワタシはまた一つ強くなった。でも安心しなよ、すぐにさ、キミの大好きだった時任雪哉も理愛もみーんな、キミの元へ送ってあげよう。逝かせてあげよう」

 逢離の身体がピクリと跳ねた。

 貫かれている。

 穿たれている。

 抉られている。

 でも、それが、どうした。それがなんなのだと、逢離は思った。

 たかだか腹に風穴を開けられた程度で諦められるものか。

 好きな人を守りたい――勝手な感情、一方的な心情、それでも、それでも藍園逢離には譲れないモノがある。

(逝かせる、だと?)

 だからそれは聞き捨てならない。見逃してはならない。

 許せるはずもない。それをおいそれと放置することなど出来はしない。

「……なんだ?」

 逢離の身体がゆっくりと震えている。

 それどころ両腕がゆっくりと蜜世の刃と変化した腕を掴んでいた。

 何をすると思う? 何をしでかそうとしているか?

 この少女は今から恐ろしいことをする。

 さすがの蜜世も逢離のしたその行為を前に驚いただろう。

 何せ、逢離は――

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 少女から発する言葉とは思えない、それは猛禽類が放つであろう咆哮。いや、慟哭と言ってもいい。身体がバラバラになってしまいそうな……おぞましいほどの痛覚が逢離に襲い掛かった。

 失神してもいい。失禁してもいい。

 発狂して当然であろう痛みが逢離の心を、身体を破壊しようとしている。

 でも、逢離は倒れない。

 真っ赤に染まった蜜世の腕がだらんと逢離の身体から抜ける。

 逢離の視界がグルリと何週も廻っている。一瞬で気を失えそう。でも、逢離は倒れない。地面に縫い付けるように脚を突き刺す。もはや無理矢理立とうとしている。

 倒れることだけは決して出来ない。

 もしそのまま地面に倒れてしまっては、命そのものを喪ってしまいそうだったから。

「なんだいキミは……狂戦士(バーサーカー)かい? 怖いよ……時任雪哉と対峙したあの夜と同じ――いや、それよりも今は怖いね。ワタシが言うのも憚れそうだけれども、なんだろうね……ワタシの敵はどうしてこうも人の皮の中に何が入っているのかわからないような不気味な輩ばかりなのかねって……」

 本当にその言葉を聞いて、逢離はお前が言うなと即座に言い返してやりたかったが今はそんなことをする余裕も気力も残っていない。

 よって逢離は力を発現させる。

 噴き出した血がゆっくりと凝固する。溶け出すことも、流れ出ることもない。まるで蛇口を回したようにぴったりと止まる。

「さ、再生した?」

 いいや、それは違う。

 逢離はニヤリと笑みを零したが、言葉が出ない。教えてやりたい。自分はそこまで優れていない。とても酷いやり方だ。

 でも、ルールは守っている。

 藍園逢離の種晶の能力によるものだ。だが、蜜世はわからなかった。逢離の貫かれた腹部からは一滴の血も零れていない。挙句、逢離は倒れることなく未だに蜜世に対峙しようとしていた。

「やっぱりキミはどこか壊れてる」

 そして蜜世は気付いた。

 そして蜜世は逢離を突き放すようにそう言った。


 その身全てが鋼鉄と化すのなら――


 藍園逢離の身に流れる血液すらも硬化する。

 凝固した血液が蓋になり、腹部の穴を塞いでいた。


「こんな、ところで……終われないから、諦めないから……」


 鋼鉄の身体であっても、蜜世の攻撃を防ぐことが出来なかった。だからもう逃げることも、守ることもしない。ここからはもう攻めることしか考えない。

(辛い……イタイ、くるしい)

 心の中で弱音を吐きながら逢離は歩を進める。

 息が出来ない。ゆっくりと息を吸い込んで――保つ。

 鋼鉄ならば、この身が決して砕けぬ鋼の身ならば、まだ、戦える。

 たかが一撃、四肢はしっかりと繋がっている。五体満足のまま、この程度で終わりなわけがない。

 戦える。戦える――

 言い聞かせる。終わりではない。諦めてなど、いない。

 ならば、どうする?

 満身創痍であったとしても、逢離の瞳には強い意志で輝いている。

「その……目、イヤだな」

 強い意志が含んだその視線を浴びた蜜世は不快そうな表情を浮かべ、逢離を睨んだ。そして鎌と化した腕が人の腕へと戻った。

 そして再び蜜世の周囲には囲むようにして蜂が飛び交った。

「もういい、キミは蜂の巣だ」

 人差し指で逢離を指して、それが命令だったか……一斉に逢離に向かって銃弾のように逢離に襲い掛かる襲い掛かる。襲い掛かった。

 轟音が響き、全てを破壊し、塵が舞った。逢離はそこから一歩も動くことはなかった。

「臆病ではない、寧ろ勇敢だったと言えるさ……でもそれは蛮勇って言うんだよ。さようなら、さようなら。もう二度と逢う事もなく」

 そう言って蜜世はバイバイと手を振って――

「逢わずに済むなら、あたしだって二度と逢いたくないっす……」

 だが、その瓦礫の向こうから澄んだ声が通った。背を向けた蜜世はその声に驚き、振り向いた。

「でも、あたしは……こんなところで負けられないっ!」

 瓦礫が崩れ、そこから勢いよく飛び出したのは藍園逢離の姿だった。

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