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それが全能結晶の無能力者  作者: 待雪 妥当
episode-f. -それが全能結晶の無能力者-

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f-10 逢うては離れず<後>

f-10 逢うては離れず<後>


「……チッ! 毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)!!」


 蜜世が聞こえるほど大きく舌打ちをし、その名を呼ぶと片腕が巨大な甲殻類のように変化し、逢離の突進を受け止めた。


 蜜世の身体は衝撃によって少しだけ後退したが、それがダメージに繋がるようなことはなかった。だが、蜜世に突進した逢離は何処へ消えた?


 二度、三度、壁に跳ねたと思えば、逢離は蜜世の前に着地していた。


「ふぅ……」


 着地と同時に小さく息を吐き、逢離は立ち上がった。


「死にかけのくせによくやる……何を、したの?」

「なにって……飛んで、ぶつかって跳ねただけです」


 どうしてそんなことを聞くのかと、呆けた顔をして逢離は手をグルグルと回す。


 逢離のその身は鋼鉄。


 全てが鋼鉄。


 ならば、何も躊躇わなくていい。


 そう、逢離は今や脳のリミッターが外れた状態。


 人は本来、その身を傷つけるぬように余力を残す。高いところから飛べば身体が砕ける。


 固いモノを殴りつければ拳は砕ける。常人では本来限界であろう境界線が、今の逢離には無い。


 高いところから飛び降りたところで、その鋼鉄が砕けることはない。そう、全て――全てだ。


 心さえも強固された、硬化されし、折れぬ曲がらぬ不屈の存在。


 戦うための能力。


 単純、故に最強。


 何も考えることはない。一切の計算も計画も要らない。何もかもが不要の力。ただそこにいるだけでいい。ただ思えばいい。戦うことだけを想えばいい。


「まさに野獣だ。猛禽だ……キミは、なんだいそれは。今までいろんな種晶を見てきたけれどそれほど単純で純粋で狂気に満ちた有能者は初めてだ」

「そりゃ、どうも――」


 逢離は蜜世の言葉に心にも無い感謝を述べ、再び攻撃。


 しかし、逢離の拳は蜜世の甲殻化した片腕によって遮られる。


「けれど、キミの攻撃はワタシには届かない」


 蜜世の身体が少しだけ動いた。その行動を逢離は見逃さなかった。


 閃光――横一線に放たれた一撃。


 しかし、その攻撃を逢離は自分の右腕で受け止める。


「腹は貫けたのに……なんだいどうなっているんだい? どうして藍園さんの腕は切り裂けないんだろう?」

「わかんないっす……でも、あたしは思えばいい(、、、、、)だけっすから。あの時は油断ってか、ボーっとしてたから思うことを忘れたから、っすかね?」


 逢離の能力は鋼鉄となる力。


 しかし強く心に願わなければいけない。自分のどの部分を、どのように、どれだけ、鋼鉄と変化させるか。


「んで、今のあたしの身体はこの世界のどんな鉄鉱よりも固く、鋼鉄よりも硬い。あたしだけの、あたしだけの、あたしだけに許された世界最強最硬の鋼鉄ッッッ!!」

「藍園さん……キミってそんなに熱血溢れる暑苦しいキャラだったっけ?」


 違う――勢いだけだ。


 もはや逢離は難しいことを考えず、思考を緩やかにしているのだ。


 自分の身体は決して砕けない。自分の鋼鉄は如何なる敵を弾き返す。


 それだけを考える。そう考えることで、決して破れぬ負けぬ力と変わる。たったそれだけ、けれど最強。


 羞恥も後悔も何も無い。そんなことを思うならば、もっと硬く強くあれ。


 藍園逢離は硬化する。


 蜜世の甲殻さえも叩き潰せるほどに強力で凶悪なる鋼へと変化しろ。


 一つ、二つと逢離は小さく跳ねる。


 飛び道具なんてない。その身だけが武器である。蜜世が後ろへ退く。


「藍園さんの異能はわかった……でもそれだけなんだろう? それしかないんだろう? だったらこうして離れて、こうすればもうお終いじゃないかな?」


 再び蜜世の周囲には蜂が飛び交っている。


 銃弾のような速度で、銃弾のように物質を破壊する奇怪なる蟲。

 

 けれど、

 

 逢離は一つ、二つとやはり跳ねる。小さく跳ねる。力を蓄えるように、何かきっかけを持つように。


「行け……」


 そして射出される異形の弾丸。


 数え切れないほどの雨のような攻撃。しかし、それと同時に逢離の瞳が揺れた。


 一閃。


 蜜世か撃ち出したのが無数の弾丸ならば、逢離がたった一発の砲弾だった。


「いやいや……それはダメだ、それは危険すぎる。本当に、本当に危なかったよ」


 蜜世の身体はほんの少しだけ後退していた。


 たった一つの砲弾によって、蜜世の腕から姿を見せた巨大な甲殻種の蟲が粉々に砕け散っている。


「あっちゃぁ……これもダメかぁ」


 自分自身を撃ち出した逢離だったがこの攻撃も防がれたことに頭を掻き毟ってそのまま元いた場所まで飛び跳ねる。


 ただ飛んで跳ねているだけ。


 自分自身の身体を鋼鉄と化して、思い切り力一杯に叩きつけただけだった。だがその速度は高速。


 光には程遠い速度ではあるが、鋼鉄そのものが生身を打ち付ければどうなるかは明確だろう。


 そして蜜世が射出した黒い蜂の弾丸は四散したまま地面の上に溶けて消えた。


「なるほどなるほど……現存している蟲では倒せない殺せないわけか。これは参った参ったなぁ……まさかここまでやるとは思わなかったし、こんなに苦戦するなんて思ってもいなかった」


 腕から飛び出した甲殻蟲を切り離し、それも四散して溶け出す。


 蜜世もまた逢離を敵として認めた。


 ここからが本当の戦いであると、そしてゆっくりと蜜世の身体を包んでいた黒い闇が地面に流れ出す。


「さて、次で決めよう――藍園逢離。ワタシもまだ花晶を使いこなせていないようだ。キミを殺し尽くすことがまだ上手に出来ないけれど、もうダメだ。終わりだ。蟲の餌になってもらうけれど……いいかな?」

「いいわけないっす。あとそのセリフそっくりそのまま返します……あたしもこんなとこで時間潰してる場合じゃないんで、理愛を助けにいかないと」

「ふふ……助けるねぇ?」

「何がおかしいんっす?」

「もう遅いと思うけどねぇ……凰真(おうま)くんが時任雪哉くんを殺したら今度こそおしまい。このお話は結末しちゃうんだよ……キミなんかが行っても意味ないし、役に立たないと思う」

「それを決めるのはあたしっす。あと、先輩のことはアンタだって知ってるはずっすよ……ラスボスまで来たら、先輩はしっかりやっつけてグッドエンドまで進むに決まってるっすよ」


 藍園逢離は知っている。


 海浪密世も知っている。


 時任雪哉がどのような人間であるかを。


 彼は妹の為ならばきっと世界だって敵に廻せるような男だから、愚考であっても愚行であっても時任雪哉は諦めない。戦うことを決して止めようとしない。


「だからあたしは戦う……あたしだって、守りたいから」

「そうかい……」


 逢離の決意を前に蜜世はつまらないものを見るように顔に手を当てて嘆息を漏らした。


 そして何が起こったのか、突然に蜜世の地面に流れていた闇が蜜世の身体を覆い隠した。


「ワタシも藍園さんを殺すつもりで行くよ……花晶の使い方もやっとわかった。この能力は全ての花晶の中でも最低で最弱だってのはわかってる。だって蟲を扱うだけだからね。どんな花晶の力よりも地味で魅力の無いモノだってのもわかってる。でもね、最弱だからこそいろんな使い方が出来るのさ」


 そして黒い闇の中から現れたのは――


「それでは暴食を開始しようか……毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)。あの鋼鉄を喰らい尽くせ」

「ははは……いや、もう……夢であってほしいっすよ」


 その闇から現れた怪物。


 そう、怪物だ。


 もう人の形なんてどこにもない。人としての尊厳さえも失って、海浪密世は逢離を殺そうとその姿を変えた。


 それはなんだ。なんと形容すればいいのか、怪物で正しいのかさえも正直解らない。


「あたし漫画とかアニメ読んだことないし見たことないっすけど……」


 見上げればそこには逢離の倍はあるであろう黒い怪物。


「ようこそ……坩堝の中へ」


 まさにそれが蜜世の持つ花晶の名のように。


 逢離は無限ともいえる蟲の窯に放り込まれたようなものだ。


 あまりにも醜悪。


 けれど逢離は顔色一つ変えずに蜜世に向き合う。


「そんな大きくなったぐらいで、あたしを殺すとかどうとかやめにしないっすか? ほんとにそれであたしを殺せ――……」


 言葉を言い終えるよりも早く蜜世が動いていた。


 黒い獣。


 その腕が、動いていたのはわかった。けれど気付いたところで遅すぎた。いつの間にか逢離の身体は真横に吹っ飛んで壁に叩きつけられていた。


「いたた……ほんとそんなんじゃ死ねないって、わかってるじゃないですか」


 物理的な攻撃はもう逢離には通用しない。


 もう逢離の身体に物理的な攻撃は効かない。


「じゃあ、これならどうだい?」


 蜜世の身体から無数の触手が飛び出す。


 逢離の身体を封縛しようと伸びて来る。粘液を纏った不気味な肉の紐。


「気色悪ッ!!」


 逢離に襲い掛かる触手を前に逢離は乱舞する。


 両腕を振り回し、触手を切り刻む。脚に触手が絡まるが、脚を振り上げることでその触手も切断する。


 そう全てが刃。全てが鋼鉄。


 触れる万物全てを切り裂く剣。


 それが逢離の能力。


「やるね」


 褒め言葉など不要だった。


 そして立て続けに逢離に蜜世の攻撃が留まることなく続けられる。


 上から、下から、左右からも、四方八方、全範囲から――


「しまっ……」


 逢離の両腕に絡まり、両脚にも、いやもう逢離の身体が見えなくなるほどに覆い被さる触手群。


「ほらもう動けない……」


 そして怪物と化した蜜世の顎が開く。


「死ね、暗黒に埋まれ――絶望を()め」


 黒い球体が撃ち出される。


 だが、


「はああぁっ!!」


 回転する独楽のように、逢離は触手の海から抜け出した。


 視界に広がる暗黒球。


 逢離の身体を呑み込む手前で、逢離は地面を転がるようにしてそれを回避する。


 けれど、


「ぐうっ……」


 背中にそれが掠ったときにはすでに逢離の背中の表面が削り取られていた。


「どうだい? アタシの力の一端は? それは……そうだなぁ、酸のようなものだね。どんなものを融解(とか)し尽くす毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)の本当の一撃」


 さすが全能結晶が一つ。


 花晶の名を冠することはある。


 蟲を束ね、蟲の頂に立つ者。


 そして、その幻想世界から生まれた蟲によって織り成された森羅万象を融かし壊す凶悪。


 物理を弾き返す鋼鉄の身を持ってしてもそれは防げない。


「こうやって全ての蟲を束ねなければこれを撃つことはできないのは残念だ……ただ静かに誰にも知られることなく、本当の顔すらも見られることなく生きていたいワタシにとってこの姿になるのはとても辛い。でもそこまで追い込んだ藍園さんが悪いんだよ? だからさぁ……」


 巨大な暗黒の獣が大きく息を吸い込む。


 逢離の頭の中で警鐘が響く。


 背中の痛みなど気にしてはいられない。強酸が背中を掠めたことで真っ赤に爛れている。これは酷い。とても痛い。


 だけど、今は動かなければ全てを融かされてしまう。


「ほう……まだ動くんだぁ……」


 蜜世は逢離の行動を前にして感心したように見つめている。


「でも、無理だよ……キミがいかに鋼鉄で、刃になったとしても所詮は万物に対してしか効果がない。此処にいるのはなんだい? 世界から逸脱したこの幻想の前にそんなモノは意味を成さない。鋼鉄の刃如きがワタシの坩堝を壊すことなんて出来やしない」


 そう言って逢離の両腕に触手を絡ませる。


「はな、せっ!」


 それでも逢離は抵抗を止めない。


 その手も、脚も刃そのもの。触手を振り解き、逢離は動く。


「時間を稼いでも、無駄だ……勝機も好機も、与えない」


 一斉に触手が放たれ、そして蟷螂(カマキリ)の鎌が、鍬形(クワガタ)ノコギリも逢離に襲い掛かる。


忌蟲獄(きちゅうごく)三潜壊(さんせんかい)


 躱すことなど出来ない。


 人間であり限界がある逢離にとって触手の海から逃れる術はない。だからこそ触手に一度掴ませてからそれを切り裂くしかないのだ。


 だが、それでは一瞬だけ動けなくなる。


 そこを、完全に狙われた。


 触手を裂いたと同時、蜜世の身体から放たれるニ匹の怪蟲。


 目の前まで届いていた蟷螂の鎌が逢離の右肩を掠める。いや、物理的な攻撃は逢離には通用しないはずだ――それなのに、


「えっ……」


 右肩を鋭い痛みが走る。


 そして同時に鍬形の鋸が逢離を掴んだ。


 こんどは触手とは違う。強固な鋸には逢離の鋼鉄が通じない。


「どうして?って顔しているね。確かに藍園さんは鋼鉄かもしれない。けれど……」


 蜜世の身体から突出する鎌の刃には何かが流れている。黒い泥のようなものが垂れ落ち、それは蜜世の身体を融かした暗黒球のモノに似ていた。


「キミの意識が途絶えねば硬化した身体を突き破れない。それは解った……ならそんなもの意味が無いようにすればいい」


 物質を融解させる花晶の力によって放たれた一撃。


 それでは逢離の能力など意味を成さなくなる。


「諸刃ではあるけれどね」


 そして蜜世の腕から飛び出した蟷螂もまたゆっくりと融けて消える。


 あの口の中に溜めた酸こそが本当の武器。他は全て使い捨てなのだろう。


 だが諸刃であろうとも逢離の身体は右肩から血を噴き出しがっくりと力が抜けてしまった。


 鍬形の角が逢離をがっちりと掴んでいる。身体こそはその鋸に分断されていないが、力が入らないせいか振り解けない。


「ゆっくり、ゆっくりと融かしてやろう。時間をかけて確実に、キミの泣き声が聴きたい。キミの泣き顔が見たい。キミの終わりの様を眺めていたい」


 外道だった。


 力はやはり入らない。どれだけ動いても振り解けない。本当ならばこの程度の拘束、解くことなど容易なはずだ。


 けれど背中と右肩……そして腹部に負った傷のせいで明らか衰弱していた。


「ぐっ……こんな、もの……」


 しかし身体をどれだけ動かそうとしても巨大な二本の鋸に挟まれて動けない。


 零距離。


 完全に死に近い。


「終われ終わるの終わりなさい……ここまでよく耐えた、よく来れた。けれど――」


 怪物と化した蜜世の四肢が地を縫う。


 そして再び開かれる巨大な顎の奥底で見える暗黒。


 全てを呑み込み、全てを融かし尽くす暗闇。


 動けない、もう動けない。指先一本すら動けやしない。


 そっと、逢離は目を瞑った。


 雪哉は理愛の元へ辿り着いただろうか。そして最愛を救うことは出来ただろうか。


 切刃は無事だろうか。災厄に打ち勝っただろうか。皆、無事だろうか。


 こんな時でも逢離は自分以外のことをばかり気掛かりだった。


 もう駄目だ動けない何も出来ない。


 時任雪哉のようなあの力をやはり逢離は持っていない。たった一人の為にどれだけ傷つく苦しんだとしても、一歩、また一歩先へと進む力が逢離には無い。


 だから、本当にこれで――


『必ず、帰って来い――』


 ふと、逢離の頭の中でそんな声が囁いた。


 このまま融かされて殺されてしまうのならば、意識を失ってしまえばきっと気楽だったのに。それなのに逢離はそれが出来なかった。


 その言葉が逢離の意識を繋げてしまう。弱音を吐くことを悔やんでしまう。


 このままでは、このままでは全てが終わってしまう。


 蜜世の思い通りになってしまう。それは嫌だ。そんなことは――そんな――


「五月蝿い……っすよ……」


 ゆっくりと両目を見開き、蜜世を睨み付けた。


 そうだ、このままでは終われない。


 どうする?


 藍園逢離は考察する。


 この絶望的状況。どうしようもない最悪で最低な状態を、どう切り抜ける。


「往生際悪すぎないかな? さっさと死になよ……」

「言ったはずっす……こんなところで死ねないって、あたしはアンタに勝たなきゃいけない。そして必ず先輩のところへ戻るって――」

「死ね」


 そして蜜世が放出する醜悪の塊。


 そんな暗黒球が逢離を捉えていた鍬形ごと巻き込み融解させる。


 跡形もなくなった逢離。


 決着。


 蜜世は笑った。


「ここはもう蟲共の巣の中――最初から勝ち目なんてものはない。何せ腹中なのだからねぇ。でも、本当に、本当に驚いたんだ。人間相手に花晶と付加接続してまで殺したんだ。だから誇っていい。あの世で閻魔の前で自慢するといいよ」


 蜜世の独り言が無人の部屋の中で木霊する。


 真っ白な空間が、今はもう崩壊した瓦礫のように。


 そんな廃墟の中心で魔人が笑う。嘲笑うことを止めない。


「残念っす……」


 でも、


「まだ閻魔様に逢うには早すぎるっす……それにこんな世界でもまだ離れたくないから、だからあたしは死にたくないんっすよ。こんなあたしでも出来ることがある。こんなあたしだからこそやれることがある。それが今で、けれどこのままだと途中で投げ出してしまいそうで……でも、それでも、そんな弱い自分は要らないから、このままだと先輩にも理愛にも夜那城先輩にも怒られそうで――だから、だからぁ……あたし、もうボロボロだけど戦えるんっすよ。死ぬもんか、終わらせるもんか。アンタをやっつけて、あたしは進む!」


 まさにそれは死に損ない。


 いつ死んでもおかしくない肉の塊でもいい。


 背中や肩、腹部どころか両脇も両腕も傷だらけの壊れかけの肉人形。


「どうやって、抜け出した……」

「いや、もうね……無理矢理っすよ。身体が擦り切れて、削れちゃいましたけど……ほら、このとおり、あたし生きてます」

「狂ってる。壊れている……と言うべきか。本当にワタシは藍園さんに対してそれしか言ってないけれど、本当にキミをどこかぶっ壊れているとしか思えないよ」


 逢離を捕獲していた双方の鋸。


 逢離にはそれを振り解く力はなかった。そう、それを開く力が。


 ならどうやって抜け出したのか。


 鋸の刃に削られながら、身体を揺らし無理矢理に抜け出したのだ。


 そんなことをすればどうなるか解っていて逢離は一番愚かな手段で窮地を脱したのだ。だがその方法は常人ならば痛みを伴う。苦行とも言っていい。愚行と言うべきか。


 けれど逢離は逃げることが出来た。蜜世の即死の一撃を免れたのだ。


 両脇は血が滲んでいる。流血こそ無いが、もう逢離の力は殆ど残っていない。


 双眸からも光を失い、いつでもすぐにでも意識を失うことだろう。


 なのに何故、どうして立っていられるのか……それが蜜世には解らない。


(アンタを倒す……たった一撃あればいい。もって、一度でいい。だからまだ動いて……あたしの身体)


 もう言葉を発することすら出来ない。


「でもそれがどうしたって感じだよ。確かにキミの行動はおぞましすぎる。どうして生きているのかもわからない。それがわからないのが悔しいけれど、もう、もう我慢できない。本当に死んでくれ。今のキミはとてもおぞましい何か別の……そう、獣にしか見えない」


 生存本能だけで動く生物。


 怪異のような存在と化した蜜世が、たった一人の人間をそう呼んだ。


 獣。


 そう、獣だ。


(合ってる……かも)


 言葉には出来ないけれど、逢離は蜜世の言葉に納得しつい首を縦に振ってしまった。


 これまでただ生きているだけで、生きる為だけに必要な行為を繰り返しただけで、何一つ希望なんて、未来なんて見据えることが出来なかったけれど――


 けれども逢離は見つけてしまったのだ。


 時任理愛との邂逅。


 本当に好きだから、理由なんて無くて、そしてそれが叶わないことも解っている。


 それでも、だからといって――これだけは――


「理愛……と、一緒に――いたいから」

「そうか……藍園さんはあの子が好きなんだ。けれどキミの想いは届かないんだろう? 解っているんだろう? そりゃそうだ……あの狂った兄妹の前ではキミの想いなんて微塵に破砕する。それなのにキミはこうしてワタシと戦っている……どうして? キミは何がしたいんだい? キミは何を想っているんだい?」

「あたし、は――」


 蜜世の言葉に返す言葉なんて無くて、そして全て覆すことも出来ない。


 どれだけ努めても、戦ったとしても、この戦いの先に――逢離の望む世界なんてどこにも現存していない。


 それなのに逢離は戦うことを選んだ。理愛の為に、雪哉の為に戦うことを選んだ。


 どうして?

 

 なんて愚かな――と、逢離は微笑んだ。

 

 そしてこう呟くのだ。


「あたしは理愛が好き。本当に、大好き……だから――」


 笑う。


 逢離は満面の笑みでそう言った。


 欲しいモノはきっと手が届かなくて、ずっと手を通り過ぎてしまうけれど、それでももう二度と逢えないなんてずっと嫌だから。


 離れたままなんて絶対に耐えられないから、だからもう一度巡り合う為に逢離は戦うのだ。


 もう一度、もう一度、一緒に手を繋いで……それぐらいならきっと許してもらえるって、そう逢離は思っている。


 たった一つのちっぽけな願い。


 それでも、それだけでも、逢離にとっては掛け替えの無いモノだから。


 感情すらも失いそうになっていた人外に堕落していた逢離にとって理愛との出逢いはもはや止まった歯車が動き出したほどだったから。


 夜那城切刃と同じように家族を皆殺しにされ、孤独のまま生きて来た逢離は本当に何も欲することなく生きて来たから。


 だから逢離は理愛に逢えて本当によかった思っている。彼女がいなければ、きっとこんなところに逢離はいない。


 そう、逢離は戦うことすらしなかったと思う。歩むことすらも出来なかっただろう。


 だから、だから――


「だから、理愛の悲しい顔なんて見たくないから……あたしは戦うんだ!」


 死に損ない。いや、死体にも近いその身体でも逢離は大声を荒げ、蜜世と再び戦うと誓う。こんなところでは終われない。まだ、夢を見続けていたい。


 理愛と一緒に歩いていたい。歩くだけでいい。その横を、叶わぬと知って全てを諦められるほど都合よくも出来ていない。


 だから、ただ歩くだけでいい。その願いだけは絶対に譲れないから。


「それで、藍園さんはそんな死屍(しかばね)に近い損壊した身体で何をするんだい? それで勝てると思っているの? それでこの先へ進めると、本当に……思っているのかな?」

「おも、ってる!!」


 削れた脇に手を添えて、逢離は一歩前へ。


 傷口は噴き出す血を硬化させて無理矢理塞いでいるだけに過ぎない。命の灯火がゆっくりと消えようとしている。


(あたしの力……あたしの、本当の……こんなんじゃない。まだ、まだだ! あたしはまだ諦めていない!!)


 どれだけ傷つけ苦しんだとしても、それでもここで終わるわけにはいかないから。


 だから逢離は真っ直ぐに蜜世を見つめ、逃げることなく戦うという選択を選び続ける。


 最愛の妹の為ならば、何もかもを犠牲にしても戦い続けるという選択を永遠に選ぶあの人と同じように――藍園逢離は傷口から手を離す。


(あたしの血肉全て、骨さえも――そう、あたしは鋼鉄……だから、お願い……あたしに、あたしに――)


 それは誰に祈ったのだろう。


 何を願望したのだろう。


 逢離の種晶である「接触絶刀(アーマゲイン)」はその身を鋼鉄へと変えるだけで、そしてその鋼鉄は刃となり、敵を切り裂く。


 けれど、それ以上にはなれず――それより先も無く、その身はただの刃でしかない。


(鋼鉄のままで、刃のままで、あたしは一本の剣のままでいい。だから、あたしに有象無象を切り払うほどの刀身を頂戴。森羅万象を乖離できるだけの一本の剣を――)


 解らない。


 どうすればいいのか、なんて。


 けれど、逢離は自分の腕を交差させ強く願った。言葉では説明することすら出来ない未知、その神秘。


 そう、それが結晶。


 人々に異能を与える小さな結晶は持つ者に力を与える。


「防げないさ……触れれば融解せんとするこの無限の蟲達が織り成す無間球(むげんきゅう)をたかだか地球上で最も硬い存在であろう鋼鉄如きが防げるわけがない」


 それは毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)の中でも最強。


 この世界と、そして別世界の蟲達が創り出す別次元の強酸。


 何人たりとも、何物であろうとも、これは必ず何もかもを融解する。


 防ぐことなど不可能。防御不可の必滅なる一撃。


 しかしそれを前に逢離は怯えることも、臆すことも無く、腕を交差したまま動かない。


「逃げずに最後の最期まで戦うわけだ……本当に、本当に恐れ入ったよ、でもね――」


 黒い獣と化した蜜世の四肢が再度地に刺さり、そして巨大な顎が開いた。


別離(さようなら)


 ついに撃ち出された何もかもを融かす黒塊(こっかい)


 その絶望を前に、広がる悲観の先に逢離は動き出した。


 腕を交差させて、自らそんな終わりへ足を踏み入れる。


 光が、見えたような――


 それは奇跡と言えばいいのだろうか。


 あれは秘蹟と言えばいいのだろうか。


 そんなことが信じられるかと、あんなことが起きるのかと、蜜世は自分の目に映った光景を現実として受け入れることが出来なかった。


「藍園さん……キミは、キミはキミはキミは一体いま、何をしたんだい? 何をやった? 何をしてそこに立っていられる!?」


 蜜世の声が大きく響いた。そこに融解し跡形も無くなるはずの逢離が立っていたから。


 そして蜜世の放った無間へと帰す球体は十戒の如く海が割れたように二分され、逢離以外を融かし尽くしている。


 けれど逢離はそこにいる。生きている。


 逢離は動かない。


 蜜世には理解できない世界が広がっている。


「触れれば、絶つ――それがあたしの力」


「違う」


 蜜世は否定する。


 そんなわけがない。そんなものがあるわけがない。


 物質を、万有さえも消滅させる闇黒の球体を切断する力など存在するわけが――


「そしてこれが本当のあたしの刃」


「違う」


 蜜世は否定する。


 それはありえない。そんなものができるわけがない。


 あれは人か? 何者か?


 蜜世の目に映る人の姿をした何か。それは確かに藍園逢離であるはずだ。しかしそれを理解することが出来ないたった一つの違和感。


 藍園逢離の両肘からまるで肉と皮を突き破るように突出している骨のような形をしたあれは何だ?


 肘から飛び出した骨は刃。


 もはや人間から懸け離れた姿。肘から骨が食い破るように突き出た人間なんていない。


 しかしそれはそこにいる。蜜世の目の前に立っている。蜜世に対峙するように――


血涙(けつるい)の刃――」


 あれはなんだ?


 逢離の言葉に蜜世は動いた。


「ッ……毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)!!」


 何を恐れているのだろう。


 圧倒的力を前に戦うことから逃げず、何度も何度も傷ついても前へ、前へ……藍園逢離からはどうしてもあの男と同じ……、


「無間の中へ呑まれろ」


 思考が生まれるより早く、蜜世は口を開く。


 そしてその開かれた顎の中、何もかもを呑み込むであろう闇黒の球体が逢離に向けて射出する。


「あたしの、刃は……再会の為に」


 蜜世の放たれた災厄(おわり)を前に逢離は呟く。


「あたしの、刃は……邂逅の為に」


 もうすぐそこまで逢離を呑み込まんと近付いている。


「あたしの、刃は……勝利の為に――」


 けれど逢離はまた一歩進む。


 そして視線を前へ。


 腕を前へ、前へ、前へ、前へ。


「ここで、あなたを――」

 

 上から下へ、大きく腕を振り下ろし、そして一閃。


 切断される暗黒。


 何もかもが融けて消えても、逢離は消えない。そこにいる……だから、


「あたしの名前は藍園逢離っ! ……大好きなヒトにもう一度逢う為に、悪しきヒトと永劫離れる為に、あたしの身体(やいば)は、あなたを裂くっ!」


 道が拓かれた。


 直線上に見える蜜世――逢離が駆ける。


 なぜ、どうして、蜜世は逢離が生きている理由を考える。


 その両肘から突出した骨刃(こつじん)


(ただの種晶如きが……ワタシの無間球をたかが鋼鉄で切断できるわけが……)


 だがその太刀筋は見えたか?


 逢離の放った一閃を蜜世が捉えることは出来なかった。


 それは音速。


 触れずとも裂く刃。


「いつの間に、種晶の能力が強化した?」

「わかんないっす……ただあたしはあなたに勝ちたいから、それだけっす」


 無意識の内に逢離の異能そのものが変化した。


 いや、それは変化ではない。元々、そうだった。それを知らなかっただけだ。結晶に秘められた力はきっと無限だから。


 異能に秘められた力はいくらでも進化する。けれど結晶を持つ全ての人間が昇華できるとは限らない。


 しかし、逢離は違った。


 逢離の持つ『接触絶刀(アーマゲイン)』は――まさしく――その、階梯(さき)へ――


「切り裂けぇえええええええええええぇッ!!」


 逢離の両肘から伸びた血を吸い朱に染まる鋼鉄の刃が蜜世に向かって振り下ろされる。蜜世もまた再度、融解の塊を放出させようとする。


「無理だ、不可能だ、諦めなさいッ!」


 放出された無間球。


 逢離の身体を呑み込むほどの質量はもうない。時間を掛けて練り続けなければ威力さえも落ちてしまう。


「あたしの限界はあなたなんかじゃ決められない!!」


 朱き血の吸い込んで、鋼の如き意思が、まるで溢れ出しそうになる涙のように……逢離の体外を喰い破って飛び出した刃。


 無理でも、不可能でも、決して諦めない。


 帰る場所が、生きていく世界が逢離にはあるから――だから、だから、


「あいぞのおおおあいりいいいいいいぃ!!」

「触れるモノを絶つのが……あたしの力だッ!」


 何もかもを融かす闇黒であっても絶対に逢離を融かし尽くすことは出来ない。その刃は目に見えぬ速度で、超音速を超えて震えていたから。


 振れる前に、振れたモノを切り裂いて、まさにそれが接触絶刀。蜜世の最大火力の一撃さえも逢離の刃が切り裂いた。


「花晶、だぞ……結晶の最高位にして最絶頂――それが、こんなたかが、たかが一本の鋼鉄に敗北する、わけが……」


 一刀両断。


 何もかもを切り裂いて、そして終に巨大な怪物と化した蜜世そのものを切断した。


 触れるより(はや)く、切り捨てるモノ。


 何もかもを融かし尽くすよりも疾くその刃は蜜世の全てを切断した。


「ぐ、ぐっ……う、うご、け……」


 逢離は地面に転がり、そのまま倒れた。身体が動かない……それもそうだ。満身創痍なまま強制的に戦闘を続行した結果がこれだ。


 意識が遠ざかっていく。寧ろよくこれまで戦えたものだと思う。けれど……、


「っがは! がが、あいぞの、あいりぃ……が、わだ、あああ、あだじはまだ、ひひ、いき、生きて、いるよ……はぁ、がはっ!」


 大量に吐血し、逢離と同じように床の上に横たわっていたのは左肩から右腰まで深い裂傷を負った蜜世の姿だった。


 逢離と同じく再起不能な状態にまで傷ついている。これでは戦闘続行は不可能だろう。しかし……それは蜜世だけだった。


毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)ッッッツツツッゥ!!」」


 亡者の雄叫び。


 両断され朽ち果てた蟲の王の成れの果て、その先に見える大きな黒い水溜りの中から這い出すのは少女。


 瞳には生気が灯らず、ボロボロになった布を上から被ったような……そんな少女がゆっくりと逢離に近付いて来る。


 片腕から鎌が飛び出している。断頭だ。何も出来ずそのまま首を撥ねられてしまう。それでも……逢離は笑っていた。


「キミ……そのままでいいの?」


 ピクリと、少女が揺れた。


 花晶。


 結晶の子。生きた晶石。知っている。逢離はそれを知っている。好きになってしまったヒトもまた花晶だったから。


「キミは何かを諦めて、あそこで死に掛けているヒトの言い成りになっているみたいだけど……自分で考えて、自分で動かないの?」


 だけどあまりにもそれは違う。


 逢離の知っている結晶の女の子とは何もかもが違って見える。だから逢離は自分が殺されることよりも、ただその子が可哀想だったから……つい声を掛けてしまったのだ。


毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)……何を、やっているの……殺しなさい」


 遠くから亡者の命令が響く。


 少女が震えていた。


「キミ……ふふ、似てるね」


 殺されるかもしれない。


 首を撥ねられて絶命するのかもしれない。


 それなのにおかしくて、あまりにもおかしくて、まるで鏡でも見てるような気がして、逢離は吹き出してしまった。


「どうしていいかわかんなくて、言われたことだけをして、それでただ生きてるだけなんて……ほんとおかし、い、あたしと同じじゃんそれって」


 もう指先一つ動かすことは出来ない。首を撥ねられるより早く堕ちてしまえば、きっと痛みを感じることなく死ねるはずなのに逢離はそれだけは決して選ぶことはなかった。


 きっとそれを選んでしまえば、あの朽ち果てそうな亡者の言葉を認めてしまうことになるから。


 無理なわけがない。不可能とも思っていない。諦める気など毛頭無い。


 だから今なら言える。


 逢離(あたし)に向かって――酷く歪だった心に向き合える。


 そして今だから訊ける。


「生きる理由、キミにはある?」


 逢離は涙を流していた。


 なんで?


 そんなことはわかってる。


 死にたくない――


 もう死にたくない理由が逢離にはあるんだ。


 生きているだけの肉細工となんら変わらなかった逢離にたった一つ理由をくれた。


 違う。


 きっとそれは自分が勝手に作ったモノなのだけれども、それでもそれでもいい。なんだっていい。藍園逢離は出逢ってしまった。時任理愛と邂逅してしまった。


 だから、それが理由。


 一緒に、いたいだけ。


 だけどそれだけで何も無かった、先を見据えることも出来なかった逢離は生きることが出来た。


「はやく、殺しなさいっ!」


 絶叫が空間を包む。


 そして蜜世は再び吐血。


「まさか、こんなこと……ワタシは叡智を……結晶の本当の姿を、この目で――」


 致命傷だった。


 逢離の一撃は蜜世を屠ったのだ。


 付加接続(エンチャント)の最大の弱点は花晶としての能力を最大限にまで引き出し、使用することが許されるがそれと引き換えに、脅威は全身で受け止めなければいけないということだ。


 ダメージの全てが装備者に蓄積される。


 逢離に両断された蜜世は文字通り真っ二つにされてもおかしくなかったということだ。なんとか身体は残っているが傷はあまりにも深い。


 そして付加接続(エンチャント)していた側の花晶はこのように傷一つ無く平然としているのだが、雪哉が理愛を装備したように疲弊はあまりにも大きく毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)そのものもまた能力の大部分の使用が不可能になっている。


 それでも肉を切り裂く程度の力は今の毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)にも残っている。


「キミがあそこで倒れてる人に何をされたかなんて知らないし知りたくないけどさ……もう少し自分の足で動いてみるのもいいよ? あたしも最近まで知らなかったんだ……ごほっ……」


 続けて逢離も吐血する。


 もうだめだ。


 別に首を撥ねられなくとも、逢離は――――――


「やだぁ……」


 覚悟していたつもりだ。


 ついさっきまで勝利に固執し、何もかも捨て去りし狂戦士のようなあの様はどこへいったのだろうか。


 今の逢離は血と一緒に涙を流して、それはとても滑稽に見えた。


 それでもこの戦いは逢離の勝利だ。


 何せ最後の最期まで逢離は逃げることを、諦めることをしなかったのだ。この勝利は絶対だ。


 これであとは、時任雪哉に全てを賭けることが出来る。邪魔者はいない――彼が全てを終わらせてくれれば、けれども――


「しにたく、ないぃ……」


 今はただ生きることに必死だった。


 けれど少しずつ身体から力が抜けていく。


 毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)が微動だにせず逢離を見つめていた。もう殺す価値もないと見下しているのだろうか。


 それでもいい、何をどう思われようとも逢離には関係の無いことだった。


「はぁ、はぁ……ああ、もういちど、あといちどでいいからぁ……」


 辛いくるしい苦しい痛いいたい痛い、痛い……寒いさむい熱いあついあつい、寒い、寒い寒い――


「理愛に、逢いたいよぉ……」


 ふと、全身から全ての力が抜け落ちた。


 毒蟲達の坩堝(パンディモ・ニアス)はやはり何もせずにその場から動かなかった。だけど、ゆっくりと身体を崩して逢離の顔に自分の顔を近づけていた。


「………………………………………………………………」


 逢離だけにそっとそっと、何かを呟いていた。


 けれど、逢離はもう――


 逢離の意識は――――完全に――――――

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