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それが全能結晶の無能力者  作者: 詠見 きらい
episode-2. -復讎の歌謳い-
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3-2  grasping heart

3-2 grasping heart


「嫌ぁっ!」


 理愛は無意識の内に絶叫し、何者も拒むかのように両腕で払い除けた。


 夢を、見ていた気がする。

 どんな夢だったか思い出せない。けれど酷く苦しい、おぞましい夢だったのはわかる。

 理愛は闇雲にまるで水中から顔を出すようにベットから飛び出してしまった。

「お、おい、大丈夫か、理愛?」

「触らないでっ!」

 ふと声を掛けられ、差し伸ばされた手も拒み、理愛はそのまま怯えるように毛布を被る。現実と夢の区別すらも出来ず、ただ恐怖に呑まれていた。夢の内容ははっきりと覚えていない筈なのに、ただ思い出したくもなく、逃げるように全てを拒絶する。


 しかし、ふと声がした方に意識を傾ける。

 これは、現実ではないか。

 そう思った頃には遅かった。


「お、おは、おはよ、おはよう……理愛」


 ゆっくりと布団から顔を出せば、そこには明らかに動揺した理愛の兄である雪哉の姿があった。久しぶりにここまで狼狽する兄の素顔を見た気がした。それが自分の行いのせいだと気付いたのは兄がそそくさと部屋を後にしてからだった。

 

 謝るより早く雪哉は家を出て行ってしまった。

 それでも台所には弁当箱が置かれていた。忘れないようにそれを鞄の中に詰めて、理愛は家を出た。

 いつも一緒に行くはずの通学路も、今は独りだ。

 夢に(うな)されるなんていつ以来か。夢の内容ははっきりと思い出せないのにそれでもとても厭な夢だったのだけはわかる。

「はぁ……」

 小さく肩で息をして理愛は通学路を歩く。

 銀の髪が歩く度に揺れ、揺れ動く銀を通り過ぎる人たちが横目で見ていく。銀の地毛などそうない。しかも濁りの無い純粋な銀色。さも珍しいのだろう。初めて見た人は大人も子供もつい視線を理愛に向けてしまう。それでもその奇異に慣れている理愛にとってはそんな視線は瑣末なものでしかない。

 それよりも無意識の内に愚行によって兄を傷つけてしまったことばかりに気をやってしまう。一言謝りたくても逃げるように雪哉は行ってしまった。


「何か、ムカムカします」


 雪哉がいなくなって、一人歩きながらそんなことを呟いた。

 心的なストレスだろうか。胸が焼けるような時が多々ある。しかもここ最近は夢見が悪い。林間学校から一ヶ月が経過したというものの、それから睡眠不足に悩まされていた。夢の内容は決まって灯りの無い暗闇に独りで立ち尽くしているのだ。

 そしてその暗黒の向こう側から誰かが見ているというものだ。そして声が聞こえる。しかし内容は覚えていない。だがそれが何度も何度も続くのだ。まるで呪いだ。それでも何も出来ない。ただこうして耐えることしか出来なかった。


 授業にも集中できず、解答を聞かれても答えられるに違うテキストのページを開いてしまうこともあった。やはり朝の出来事が大分効いているのか集中力は完全に欠け、兄にしてしまった仕打ちのことばかり考えてしまう。。


「理愛、どったの? なんか疲れてる?」


 それだけしつこく溜息を吐き散らかしていればさすがの逢離も声をかけてしまう。

 昼休み、兄が作ってくれた弁当を開けばやはり浮かぶ兄の顔。これだって理愛の為にいつも欠かさず毎朝作ってくれているものだ。それなのに自分は兄より遅く寝ては、当たり前のようにそれを食べている。いつもそんなこと感謝しかしなかっただけに、今日の兄の手を叩き、拒絶したことが余計に自分自身がどれだけ愚かかを思い知らされる。

 だが逢離が声を掛けたことで少しだけ気分は和らいだ。今はただ逃げたかった。ともかく理愛は逢離に現状を報告した。

「ほうほう、なるほどー怖い夢を見て、そんで起きたら大好きなお兄ちゃんをぶん殴って蹴飛ばして、そのまま部屋から放り出したわけか」

「いやね、逢離……わたしは兄さんを殴ってないし蹴ってもいないし放り出してもいないんだけど……」

 何か情報の齟齬があるが理愛はそれ以上は訂正しない。逢離もわざとなのだろう。強く言ったところで意味はない。

 そんなこんなで理愛の本当の友達が、この藍園逢離(あいぞのあいり)だ。後ろで髪を結び、理愛よりも背は高く、その不釣合いさが髪の色が同じなら回りから見ればまるで姉妹にしか見えない。ただこの二人がこうしていつも一緒にいるだけで、周囲の理愛に対しての奇異の視線は薄くなった気がした。それもそうだ。理愛はいつもは無表情で無感情のまるで人形のようにしか見えないのだが、逢離といるときは感情を、表情を変え、そこにいる時任理愛ではない別の誰かにすら見えるのだろう。

 お陰で声を掛けられることも増えた。その時に見えないバリアーを張っては距離を置くようなこともしなくなった。昔ならあり得なかったことだったが、それも逢離と友達になったお陰だろう。

 だからこそ今、内に秘めている悩みも逢離には相談することにする。してはみたものの冗談(ではないのかもしれない)で返されてしまった。そもそも逢離に言ったことが間違いだったか。

 どうも逢離は兄が苦手のようで、それは兄が苦手ではなく、異性が苦手だそうだ。ましてや理愛の兄という立ち位置だからこそまだなんとか話が出来るらしいが、自分から進んではしたくないようで、どうも理愛が兄のことを話すと不機嫌になるのはいつものことだった。だからこそ理愛が兄に対して不遜な態度を取ってしまい、兄を傷つけたことに関してはぶっちゃけどうでもいいのである――が、

「こんなこと言ったらあれなんだけど、あたしその理愛のお兄さんはどうでもなんだけどさ……理愛がそんな顔してるのはその、ゾクゾク……じゃなかった辛いからさ、その、仲直りしてきないさいよ」

「今、なんかわけわかんないこと言ったよね? ゾクゾクってなんのことかしら?」

「まぁまぁ、ともかくお兄さんに何か悪いことしちゃったのなら謝るべきだね。それで万事解決」

「でも……」

「大丈夫だよ、「家族」なんでしょ」

「……………………………………………………うん」

 散々、ふざけておいてそこで結論。その通りだ。この程度のことで落胆してはいけないのだ。何せ、あの兄だ。理愛の態度一つで機嫌を損ねるはずがない。


 そんなこんなで時任理愛はなんとか立ち直った。


※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※ 


「オーッ、オーッ、オーッ」


 亡者が呻きながら突っ伏していた。その亡者の名は時任雪哉。

 朝、理愛に拒まれたことが堪えているのか、雪哉は呆然としたままブツブツと独り言を呟いている。頭の中には理愛の拒絶の言葉が延々と反芻され、今にも二階の窓から飛び降りてしまいそう。


「一体どうしたんだい? 昨日見たゾンビ映画の物真似かい? やけに似ているから驚いたよ」

 そんな絶望の淵にもがく雪哉を茶化す男が一人。とはいっても声を掛ける者は決まっている。そう……夜那城切刃(やなぎきりは)だ。いつもは不可解な言語を吐く男がこうして自己崩壊しているというのに、そんな人間の前で軽口が叩けるのはこの男ぐらいだろう。

「理愛に、拒絶された」

「何かしたのかい? 裸でも見たとか」

「そんなものはどうでもいい」

「どうでもいいのかな……? まぁ、いいけど、それなら何をしたんだい? 妹さんが嫌がるようなことでもしたんじゃないの?」

「わからん、何か大声を上げたものだから部屋に押し入って声をかけたら「嫌っ!」の一言で拒まれた。俺は頼り無いのか? 俺が無力だから、俺が無能だからか――」

「いくらなんでも自分を卑下しすぎだよ雪哉。」

 そう言われても簡単に納得できるはずもなく、守るべき対象であり絶対の存在である理愛に嫌悪の感情をぶつけられるというものは耐え難い苦痛でしかない。

「そもそもいきなりそんなことを言い出すほど君の妹さんは酷い子なのかい?」

「それはない。ありえない。決してない」

 即座に否定。そして納得。

「……まぁ、タイミングが悪かったと思いたい」

「それでいいんじゃないかな」


 そんなこんなで時任理愛の兄もまた案外すぐに立ち直っていた。


「それはそうと雪哉」

「ん?」


 立ち直った雪哉に切刃は携帯端末の画面を押し付けるように見せ付けた。

 そこには――


「また通り魔事件か……これで五件めだな……」

 それは一ヶ月前に切刃に教えてもらった今、町を脅かしている連続傷害事件のことである。夜道、人通りの少ない場所で刃物で身体を切り付けるというなんとも下劣な行為で他者を傷つける災厄。無差別に行われ、男女大人子供関係なく傷つけられている。そしてその事件を切刃に教えてもらってから一ヶ月が経過して尚、犯人は未だ捕まっていない。

 そして今回で五件目となる事件。今回は二十代後半のOLらしく顔と腕を切りつけられたそうだ。なんともおぞましいことをする。雪哉は反吐が出そうだった。

「ともかくさっさと家に帰る俺には関係ないか」

「酷いことを言うね雪哉。結構身近で起こってる事件だよ? 無関係ってわけでもないんじゃないかな」

「無関係だな……犯人が近くにいようがいまいが、被害者は他人なんだ。お前はどこかで戦争してて沢山人が死にましたってニュースを聞いて泣き喚くか?」

「飛躍しすぎだよ。まぁ、そうだけどさ、いくらなんでも冷酷だよ」

「悪いな……俺は俺の知っている人間を守るだけで精一杯なんだ」

 別に冷徹なわけでもない。ただ所詮未熟な存在であるからこそ、守れる数に限りはある。それこそ雪哉にとっては理愛以外を守り通すことは出来ないだろうし、もっと言ってしまえば理愛を守るとどれだけ豪語しても常に崖っぷしまで追い詰められているようでは話にならない。だからこそ、雪哉にとっては他人がどうなろうがなんとも思わないのだ。それほどまでに今は理愛を守ることだけに手一杯だった。

「でも、なかなか雪哉も……知ってる人間、ね」

「何がおかしい?」

 横で口元を緩めてはクスリと笑う切刃の態度が癪に触ったのか雪哉は眉間に皺を寄せた。

「いや、それだったら僕が困ったら助けてくれるのかなって」

「優先度は一番低いがな、それでも助けてはやるさ」

「ははっ、嬉しいな」

 そう言って、切刃は机に手を置いて、雪哉の顔に自分の顔を近づける。

「だったら僕が困ったら助けて欲しいな」

「やめろ、近い」

 男の顔が近すぎたところで気色が悪いだけだ。雪哉は嫌悪を浮かべながらソっと窓の外を見る。だが中々どうして。中身は最悪だが、外見は最高なのだ。周囲の女性陣らは二人が顔を近づけて小声で話すその様子を顔を真っ赤にして凝視している。そして周囲からは勝手な妄言が放たれている。「やっぱり二人ってー」「ほんと絵になる」「今度のネタに」などetcetc……、ネタとは何か、雪哉は突っ込みたかったが敢えて無視を決め込んだ。

「ふふっ、雪哉はいい人だからね。もし何かあってもすぐ来てくれそうだ」

「五月蝿い、お前が突然消えても気にもならん」

「酷いなぁ雪哉は」

 そう言って切刃は笑う。雪哉も鼻で笑い、そのまま


 そして、放課後。


「あ、理愛……」

「に、兄さん?」


 校門で右を見ては左を、そして下を向いては、また同じように左右を見ては落ち着きの無い銀髪の少女がそこにいた。髪色で判断するつもりなど無いが、そんな髪色をしている女子を雪哉は理愛以外知らない。

 しかしそんな出入り口でソワソワしているだけで周りも気になって理愛を見ては通り過ぎていく。理愛自体そんな視線には慣れているだろうが見られるとわかっている場所を選んで待機するような子でもない。

 理愛は、待っていたのだろう。雪哉はそんな理愛を見つけた途端、すかさず歩幅が広がり、歩く速度も上がっていた。

「待っててくれたのか?」

「え、ええ……逢離も先に帰ってもらいました」

「そうか」

 そして二人は一緒に家に帰る。

「その朝のことなんですが、夢を見てたせいでついおかしなことをしてしまい――」

「夢? 怖い夢でも見たのか?」

「え、ええ……すみませんこの歳にもなって」

「そんなことはないさ、誰だって厭な夢の一つや二つ見る」

 雪哉は眠りが深いせいか夢を殆ど見たことがないので偉そうなことは言えないのだが。

「そ、その、申し訳ありませんでした」

「いや気にするな。悲鳴が聞こえてな、部屋に押し入った俺も悪い」

「そんな、でも、その……心配かけてすみません」

「謝るな、俺が勝手をしただけだ。悪かったな」

「そんな兄さんは悪くなんて」

「いや、悪いのは俺だ」

「悪くないです」

「悪いさ」

 これでは埒が明かない。むしろ朝の出来事はどちらも悪くはないはずだ。雪哉はどちらが本当に悪かったのかなんてどうでもよくなってしまった。寧ろ立て続けに謝っている様子を客観的に見てみると、滑稽に思えてつい笑ってしまった。

「なんで笑うんですか」

「どちらも悪くないな」

「……それは、おかしくないですかわたしが悲鳴上げてそれで手を叩いたのですからわたしが悪いような……」

 それは違う。

 結局は夢見が悪く、現実と虚構の区別がつかなかっただけに過ぎない。

「違うさ、悪いのは夢の内容だ。夢は選べないだろう?」

「そ、そうかもしれないですけど……なんだか無理やりわたしも悪くないようにしてません?」

「してなどいないさ、悪いのはお前に悪夢を見せたさっぱり説明できない謎現象のせいだ。どうして「俺たち」は証明出来ない不思議をその内に秘めているのか謎で仕方ない」

 ヒトは、夢を見る。

 そしてその夢は何故見るのか、それは未だに解明できていない謎だ。

「だからお前は悪くないんだ理愛。寧ろ距離を置かれる方が心底効く」

「でも、朝は兄さんが先に行ってしまいましたから」

「ぐっ……痛いところを突く」

 それは余りにも気が動転していたからだ――とも言えるはずもなく、散々偉そうなことを口走っていただけに弱者のような発言は絶対に出来ない。

「ともかくだ、気にしていない。お前も、別に気にしていないだろう?」

「え、ええ……そりゃ兄さんが大丈夫ならわたしだって……」

「ではそうしよう、そうすることにしよう」

「なんだか無理矢理な締め方ですけど」

「いいんだ、さて帰ろう。夕飯はどうする?」

「兄さんがそれでいいなら、それでいいです……夕ご飯は、そうですね……わたしおでんが食べたいです」

「なんだそれは――まぁ、いい作ってやる」

 時間は優しい。朝はあんなことがあったというのに、夕暮れになればこうしていつもと変わらない。何があっても、変わることはない。

 そして二人はいつも通りに元通りになり、家に到着した。

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